中国の「双循環」戦略と産業・技術政策―アジアへの影響と対応
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【22-07】双循環戦略の中の知財政策(その2)

2022年03月23日 本橋たえ子(IP FORWARD法律特許事務所 弁護士)

その1 よりつづき)

3.2  近年の知財立法動向

3.2.1 「国内循環」的側面

 2020年、前回の2008年改正以降、12年ぶりとなる専利法の改正が行われ、2021年6月から同改正法が施行されている。今次の改正では、専利権の保護の強化が1つの目玉となっており、具体的には、以下のような改正規定/新設規定を含む。

①専利権侵害民事訴訟における損害賠償請求関連規定の改正(71条、72条)

・ 法定賠償金の下限、上限をそれぞれ、1万元→3万元、100万元→500万元に引き上げ。

・ 懲罰的賠償:故意侵害で情状が深刻な場合に、賠償額を1~5倍に倍増。

・ 権利者が立証を尽くした場合、裁判所は帳簿等の提出を命じることが可能。

・ 財産保全を明文化

②開放許諾制度の導入(50~52条)

・ ライセンスの意思があり、ライセンス料の支払い方式、基準を明確にした場合、国務院専利行政部門が公告し、開放許諾を実施。開放許諾期間中は、特許料を減免。

このように、2020年改正法では、前節で指摘した「立証難・低賠償・執行難」問題への一定の解決策を提示するとともに[15]、イギリス、ドイツの「ライセンス・オブ・ライト」制度に倣って、専利権の流通と収益化を促進するための制度が導入された。

 知財保護の強化は米中貿易戦争の際にも争点とされており、今次の専利法改正は時期的にはこれと符合するが、法定賠償の上限の引き上げや、懲罰的賠償制度の導入は、2015年の「新情勢下における知的財産強国の建設加速に関する国務院の若干の意見」の中で明記されていたものであり、同年の専利法改正草案(送信稿)でも、既に盛り込まれていた。もっとも、2019年の改正商標法に追従する形で、2019年の専利法改正草案では、2015年の草案と比べて懲罰的賠償規定がさらに強化されたことなどからすると、もともと、「双循環」的国家戦略の中で既定路線となっていた事項が、米中貿易戦争によって背中を押される格好となったともいえよう。

3.2.2 「国際循環」的側面

 従来型の「国際循環」が、加工貿易を中心とする、技術の国際依存であるとするなら、知財分野において、その象徴ともいえるのが、行政立法である「技術輸出入管理条例」である。2001年に制定された同条例は、中国への技術の輸入及び中国から外国企業への技術の輸出が適用のターゲットとなっており、外国企業の特許、ノウハウ等の中国企業へのライセンスや譲渡について直接適用され、その契約内容が規制されることになる。

「技術輸出入管理条例」は、形の上では、「輸入」と「輸出」双方に対する規制法となっているが、内容面では、「輸入」に対する規制の方が多い。特に、2019年改正前には、以下のような規定により、ライセンサー/譲渡人たる外国企業に種々の義務を課し、技術の「輸入」者である中国企業の保護が図られていた。

・ 第三者権利侵害時の譲渡人の責任負担:技術輸入契約の譲受人が契約に従って譲渡人が提供した技術を使用した結果、他人の合法的権益を侵害する場合、その責任は譲渡人が負う(改正前24条3項)

・ アサインバックの禁止:技術輸入契約の有効期間内に、改良した技術は改良した側に帰属する(改正前27条)。

 中国企業同士の特許ライセンスや譲渡等の技術契約については、2020年までは契約法が適用されていたが[16]、例えば、上記の第三者の権利侵害時の責任及びアサインバックについて、同法ではいずれも、当事者間の契約規定により定められる旨、規定されていた。このような、国内企業間契約に適用される法律規定と、外国企業に適用される本条例とのアンバランスは従来から指摘されていたが、米中貿易戦争の流れの中で、2018年3月に公表された米国通商代表部の「301条報告書」の中で、本条例が改めて「差別的」であると名指しで非難され、同月、米国はWTOに協議要請を行った。これに対して、中国は、2019年3月、本条例を改正し、上記の規定を削除した。このような一連の流れは、表面的には中国が米国の要求に屈したかのようにも見える。しかし、その背景には、施行から20年近くが経過し、国内企業が順調に成長を遂げる中、国内法とのバランスを欠いた条例にもはや頼る必要がなくなったとの価値判断があり、本条例は最終的に「捨て札」とされたとみることもできよう。

3.3  近年の知財行政動向

3.3.1 「国内循環」的側面

(1)専利出願の促進

 2008年の「国家知的財産戦略要綱」でも、2021年の「知的財産権強国建設要綱(2021~2035年)」でも、「知的財産の創造の向上」が明記されており、これは、後述のように、「量」から「質」へとその重点が変遷しつつあるが、特許出願をはじめとする知的財産出願の促進は、基本的には、政策として維持されているといって良いだろう。このような、特許出願を促進する行政政策として代表的なものが、「ハイテク企業認定」をはじめとする知財優遇政策である。

 知財優遇政策には、国家レベルの政策と、地方レベルの政策があり、前者は主に税制面で企業を優遇するものであり、後者は主に、特許出願に対する助成金を支給するものである。

①国家レベルの知財優遇政策

 国家レベルの知財優遇政策として、まず挙げられるのが、「ハイテク企業認定」制度である。ハイテク企業認定は、90年代初頭に「ハイテク産業開発区」内を対象として開始した制度であり、その後、2008年に「ハイテク企業認定管理弁法」及び「ハイテク企業認定管理業務ガイドライン」が施行され、対象が全国に拡大された。「ハイテク企業認定」を受けると、企業所得税が15%の軽減税率の適用を受けることができる。「ハイテク企業」の定義は、「国が重点的に支援するハイテク分野」において、継続的に研究開発と技術成果の実用化を行い、企業の核心となる自主的な知的財産権を形成し、さらにそれを基礎として経営活動を行う、中国国内(香港、マカオ、台湾地区を含まない)で登記を行っている居民企業(国の法令に従って国内に設立された、又は実質的な管理機構、本社機構が国内にある企業)をいう」であり(ハイテク企業認定管理弁法2条)、かかる定義に従い、保有する特許権等の知的財産権の件数を含めた、当該企業の知的財産権についての指標が、その認定要件の1つの柱となっている。

 そのほか、居民企業の技術譲渡による所得(5年以上の非独占許諾使用権)が500万元を超えない部分は企業所得税を免除し、500万元を超える部分については税率を半減して課税するという措置(財税[2015]116号)等が存在する。

②地方レベルの知財優遇政策

 地方レベルの知財優遇政策としては、各地方政府により具体的内容は異なるが、主に、出願費用を助成する制度が多いようである。後述のように、これらの助成金制度は段階的に廃止されることとなったが、例えば、上海市の場合、国内特許出願について、出願費用の8割、2千元以内の出願代理人費用等の支給が規定されていた(上海市専利資金助成弁法[17])。

(2)「量」から「質」への転換を迫られる優遇政策

 上述のような、国家レベル・地方レベルの知財優遇政策の後押しもあり、特許出願をはじめとする知的財産権登録出願は年々、増大していった。図3‐2に、2011年~2020年までの、中国の国内特許出願件数及び日本の国内特許出願件数のグラフを示す[18]

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(筆者作成)

 中国国内の特許出願件数は、2015年に100万件の大台を突破して以降も、ほぼ右肩上がりで増加傾向が続き、2019年にはやや減少に転じたものの、この10年で3倍近くに増加、日本の5倍近くの件数に達しており、少なくとも「量」の面では、日本を凌ぐ知財大国となったといって差し支えない。

 その一方で、技術的にレベルの低い権利の出現や、助成金目当ての「非正常」出願(明らかに内容が重複する複数出願、明らかに新規性等のない出願等)も多発するなどの問題も指摘されてきた。

 例えば、2020年度の無効審判に関するデータを見ると、特許権に対して請求された無効審判案件のうち、約3割が全部無効とされており、一部無効とあわせると、実に、無効審判請求された特許権のうちの全体の半数以上が無効と判断されている[19]。無効審判は、中国では何人も請求することができるが、相応のコストを要するため、実際には、何らかの利害関係がなければ請求されることはまずない。そうすると、無効審判請求されずに存続している権利の中には、潜在的に無効にされてもおかしくないレベルの権利が、上記無効率と類似の割合で相当数残っていることは、容易に想像されるところである。審査基準等の相違もあるため、単純な比較はできないが、日本では、無効審判・異議申立ての無効・取消率(一部無効・取消含む)は、2019年度で1~2割である[20]ことを考慮すると、中国企業の技術力の向上に伴い、特許権等の質が向上しているという側面は確かにあると思われるものの、その一方で、爆発的に増え続ける出願件数に、権利の質・審査の質を担保するためのチェック機能が追いついておらず、いまだに、質の高くない権利も相当数存在している、というのが実態ではないかと思われる。

 また、近年、ハイテク企業認定が事後的に取り消される事例が各地で急増している。例えば、北京市では、2014年から2018年までの間に、認定の取消しを受けた企業は、10社だったのに対し、2019年度は、1年間で23社、2020年度は65社の認定が取り消されている。広東省でも、2013年から2018年までの間の認定取消し企業数は計18社であったが、2019年度は、1年間で80社、2020年度は74社の認定が取り消されている。具体的な取消理由は不明であるものの、背景には、質の低い専利権で不当に認定資格を取得している事例が少なからず見受けられていたことがあるようである。

 こうした中で、2021年1月、国家知的財産権局から、「専利出願行為のさらなる厳格な規範化に関する通知」が公布された。この通知では、中国の知的財産権導入大国から創造大国への転換の着実な推進、専利出願の「数」の追求から「質」の向上の追求への転換が明確に謳われ、各地の知的財産権部門に対して、イノベーション保護を目的としない「非正常」専利出願行為の取締りの強化とともに、2021年6月末までに、各レベルの専利出願段階の助成金を全面的に停止すること、及び、「第14次5カ年計画」 期間中、登録専利権に対する各種の財政補助を段階的に減らし、2025年までにすべてを停止することを指示している。

 このように、これまでの国レベル、地方レベルでの重層的な出願支援政策は、専利法の制定からわずか40年足らずで、中国を数の上での知財大国に押し上げる助力となり、一定の成果を上げたが、ここへきて転換点を迎えている。その背景には、特許をはじめとする専利の質の向上こそが、真の意味での「国内循環」、ひいては、技術の輸出を中心とした「国際循環」に資するとの理解があることは明らかである。

3.3.2 「国際循環」的側面

 国内企業の国際市場競争力向上を目的として、知財領域でこれをバックアップするための近年の行政政策として、「特許連盟」ないし「知的財産権連盟」の設立支援が挙げられる。

「特許連盟」の定義は必ずしも明確ではないが、2015年4月24日、「産業知的財産権連盟建設指南」 を公表しており、この規定からは、知的財産権連盟・特許連盟とは、少なくとも、特定産業において、特許権をはじめとする知的財産権を有する2以上の構成員から組織され、その保有する知的財産権を共同で運用することを活動の基礎とした、任意団体であるということができる。この指南の公布後、表3-1に挙げた2016年の「『十三五』国家知的財産権保護及び運用計画」においても、知的財産権連盟の発展のサポートが明記され、中央・地方政府の設立支援や指導を受けて、各地で、様々な産業分野の「特許連盟」が設立された。現在、判明しているだけで、少なくとも100以上の連盟が存在するようである。

 なぜ、中央・地方政府が特許連盟の設立を後押しするのか、北京市知的財産権局によるカテゴライズを見ると[21]、その理由が垣間見える(一部抜粋。下線筆者付加)。

 「連携・イノベーションタイプ」:基幹・基盤技術について、知的資源の整合及び研究開発への注力を合意し、緊密な連携を図り、企業の国際市場競争力の向上を支援することを目的とする。

 「標準共同制定タイプ」:産業のコア製品に関わる技術標準を共同で制定し、普及させるとともに、関連必須特許を技術標準に取り入れ、特許の経済的価値の最大化を図ることを目的とする。

 「共同防御タイプ」:国際市場進出にあたり、海外における特許侵害訴訟及び高額な特許使用料の発生といった問題に共同で対処することを目的とする。

 「共同構築タイプ」:産業チェーンの川上・川下の企業が共同でグローバル市場における地位を強化するための特許保護体系を構築するとともに、利害関係のある企業の国際市場シェアの安定性を高めることを目的とする。

 このように、特許を積極的に活用するのか、あるいは、海外企業の特許に備えるのか、という、特許をめぐる「攻」/「防」どちらの側面に着目するかの差異はあるが、いずれにしても、国内企業間の特許面での連携、協働を通じた、双循環が意図する新たな「国際循環」の促進に狙いがあるように思われる。

 具体的な活動等を公表していない連盟も多く、多くの連盟の活動実態は必ずしも明らかではないが、現時点で顕在化している侵害紛争等を見る限り、多くの連盟は、まだ活動の初期段階にあるものと思われる。

おわりに

 以上、本章では、近年の知財法制の動向や運用実態を司法、立法、行政の側面から俯瞰し、いずれの側面においても、「双循環」というキーワードが明確に用いられる以前から、双循環の目指す方向性と一致する、または、それに向けた動きがあったことを示した。3.1.2でみた「禁訴令」をめぐる動きは、国際的な摩擦に発展する可能性も有しており、今後も引き続き動向に注意していく必要があるが、他方で、3.1.1でみた、知財法廷等の知財司法制度の充実化や、3.2.1で説明した法改正による保護強化などの動きからは、中国における知財権侵害による被害を長年受け続けてきた日本にとっても、その救済が適切に図られる可能性が高まってきているということができる。ただし、これは同時に、3.1.2でみたソニーモバイル事件のように、日系企業自身が、技術力を高めた中国企業に、中国で訴えられるリスクの増大をも意味している。日本企業は、今まさに、こうした変化にあわせて、攻撃と防御の両面から知財戦略を見直す必要に迫られているといえよう。

(おわり)


15.なお、表3-1に挙げた2019年の「知的財産権保護の強化に関する意見」を受けて、2020年、非新製品の製造方法特許の立証責任転換規定などを含む司法解釈「最高人民法院による知的財産権民事訴訟の証拠に関する若干規定」(法釈[2020]12号)が公布されている。

16. 2021年1月1日からは、民法典の規定が適用される。

17.同弁法は、2022年1月1日から停止されている。

18.中国のデータは国家知的財産権局の各年度の年度報告を、日本のデータは特許庁の各年度のステータスレポートを参照した。

19.データは、IPRdaily「2020年中国専利無効審決統計分析」を参照した。

20. jpo.go.jp/system/trial_appeal/document/index/shinpan-doko.pdf

21.「発展知識産権連盟 促進産業転型昇級:專訪北京市知識産権局副局長周硯