中国の「双循環」戦略と産業・技術政策―アジアへの影響と対応
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【22-06】双循環戦略の中の知財政策(その1)

2022年03月23日 本橋たえ子(IP FORWARD法律特許事務所 弁護士)

はじめに-双循環戦略と知財政策

 中国が、国家としての長期的な知財戦略を初めて表明したのが、2008年の「国家知的財産戦略要綱」[1]である。この要綱では、「自主的なイノベーション能力を高め、イノベーション型国家の構築に有益」な手段として知的財産権を位置づけ、「知的財産戦略を国家の重要戦略ととらえなければならない」と指摘し、「全力を挙げて知的財産権の創造、活用、保護及び管理能力を向上させる」として、具体的には、5年以内に、「知的財産権の保有量を増加し、中国出願人の特許登録件数を世界トップレベルまで押し上げ、中国外への専利[2]出願を大幅に増加させる」こと等を目標として打ち出した。

 この時点ではまだ、「双循環」の概念は明確に意識されていなかったと思われるが、同要綱の重点戦略の1つとして掲げられた「知的財産権の創造と活用の促進」については、「知的財産集約型商品の輸出比率を徐々に高め、貿易成長パターンの根本的な転換と貿易構造の改善、高度化を図る」こと等があわせて明記されている。つまり、知財政策の領域では、この頃から既に、現在の双循環戦略と軌を一にする新たな経済発展のあり方、すなわち、技術開発の内製化を前提とする知的財産の創出を基礎として、それまでの、豊富で安価な労働力によって外国技術を取り込み、製造した製品を輸出するという「国際大循環」からの脱却と、「国内企業の市場競争力の強化及び国家の革新的国際競争力の向上」、また、それに伴う「国民生活の向上」が、方向性として示唆されていたということになる。

 長期的な知財政策は、その後、表3-1に示す各政策へと引き継がれ、その過程では、専利出願について、「量」から「質」への転換の必要性が指摘されるなどの方針変更が見られたが、2021年9月に公表された「知的財産権強国建設要綱(2021~2035年)」においても、「知的財産権の、国家発展の戦略的資源及び国際競争力の中核的要素としての役割はより明確になっている」ことが改めて確認された上で「知的財産の創造、活用、保護、管理及びサービス水準を全面的に向上させ」ることが大目標として継承され、結果として、「双循環戦略」の中に知財政策が内包される形となっている。

 このように、中国における知財政策の国家戦略としての重要性は、「双循環」という視点から見ることにより、一層理解し得るものであるということができるが、上記のような長期的な知財政策だけを眺めるだけでは、実際に知財政策が双循環戦略の中でどのような役割を果たしているかを把握することは難しい。そこで、本章では、司法・立法・行政の三権において、知財関連法制がどのように運用又は制定されているのか、実際の事例や法改正の経緯等の分析を通じて、近年の知財政策と双循環戦略との関係性を検証する。

表3-1 近年の主な知財関連政策文書
(筆者作成)
公表年 政策文書名 主な内容
2008年 国家知的財産権戦略要綱 ・関連法律の改正等による、知財制度の整備
・知財権の創造と活用の促進
・知財権侵害の処罰強化による保護強化
2014年 国家知的財産戦略の実施強化に関する行動計画(2014~2020年) ・知的財産権の保有量の増加、核心専利の大幅増加
・2020年までに人口1万人当たりの特許権保有数を14件とすること等の数値目標
・知的財産集約型産業の付加価値の対GDP比を顕著に高める
2015年 新情勢下における知的財産強国の建設加速に関する若干の意見 ・「大国」から「強国」へ。「量」から「質」重視へ
・法定賠償上限額の引き上げや、懲罰的賠償制度の導入等による、知財権侵害に対する処罰の強化
・ビジネスモデル、ビッグデータ等の新たな分野の知財保護ルールの研究強化
2016年 「十三五」国家知的財産保護及び運用計画 ・知財権数のさらなる増加とともに、核心専利等の質の高いリソースの大幅増加
・2020年までにPCT出願件数を6万件とすること等の数値目標
・産業知的財産権連盟の発展をサポート
2019年 知的財産権保護の強化に関する意見 ・非正常専利出願や悪意訴訟の規制
・司法解釈により、「立証難」問題の解決に注力
・専利等の審査能力の強化と、審査の迅速化
2021年 知的財産強国建設要綱(2021-2035年) ・知的財産の創出、活用、保護、管理及びサービス水準の全面的向上
・ビッグデータ、AI、遺伝子工学など新分野・新業態における知財立法を加速
・2025年までに専利集約型産業の付加価値の対GDP比率を 13%とすること等の数値目標
2021年 「十四五」国家知的財産保護及び運用計画 ・質優先、保護強化の堅持
・2025年までに人口 1 万人あたりの高価値専利保有数を12件とすること等の数値目標
・知財紛争の多様な解決体制の整備
・AI、量子IT、生命科学、宇宙技術等の分野における質の高い知財権創造の促進

3.1 近年の知財司法動向

3.1.1「国内循環」的側面

「財産権」という名のとおり、知的財産権は、それ自体で、例えば、ライセンス料や賠償金といった形で経済的な価値を生み出すものであり、知財自体の流通や収益化を促進すれば、それで国内の経済活動となり得る。また、知財の価値を向上させれば、出願の促進、ひいては、技術開発の促進につながるということができる。この点は、2008年の「国家知的財産戦略要綱」でも既に意識されていたことであり、具体的には、「企業が知的財産権の創造と活用の主体となることを後押しする。自主的イノベーション成果の知的財産権化、商品化、産業化を促進し、企業が譲渡、ライセンス、担保設定等により、知的財産権の市場価値を実現できるように導く」こと、及び「権利保護コストを減少させて権利侵害の代償を増大させ、権利侵害行為を効果的に抑制する」ことが、重点戦略として明記されていた。このように、知財権侵害訴訟を利用しやすくするための制度の整備や、高額賠償金認定などの司法実務の運用によって、知財保護を強化していくことは、主として「司法」の側面から国内循環を促進するためのカギとなると考えられる。

 知財保護強化を司法の側面から見た時に、まず挙げられるのが、知財法院・法廷の設立である。2014年に最高人民法院により公布された「北京、上海、広州における知的財産権法院の設立に関する決定」に基づき、北京、上海、広州、それぞれに、知財事件を専門に審理する、「知的財産権法院」が設立された。これに加えて、2019年からは、特許権侵害訴訟等の技術事件の第二審は、最高人民法院の知財法廷で統一的に審理されるようになった。同法廷の判決を見ていると、全体的にはプロパテント化の傾向が伺われ、現行法の制約の範囲内でも、法の解釈適用などの個別具体的な運用によって、知財保護強化が進んでいるという印象を受ける。また、このように、技術関連事件について、最終審たる第二審が最高人民法院で統一的に審理されるようになったことの結果として、各地方の中級人民法院における第一審の審理水準も、全体的に底上げされてきているように思われる。こうした司法制度の運用における知財保護強化を背景として、図3-1に示すように、専利権侵害訴訟の第一審受理件数[3]は、年々、増加している。

image

(筆者作成)

 もっとも、従来から指摘されていた、「立証難・低賠償・執行難」という中国知財訴訟の問題点が全て解消されたとは言い難く、この点は、2019年の「知的財産権保護の強化に関する意見」や、同年の「人民法院執行業務要綱(2019-2023)」の発布の際の最高人民法院による記者会見[4]でも表明されている。もとより、現行法の枠組みを前提とした司法制度の運用だけでは限界があり、根本的解決のためには、「立法」による手当てが不可欠となるが、その取り組みについては、次節で検討する。

3.1.2 「国際循環」的側面

(1)国際知的財産規則の「追従者」から「指導者」へ―禁訴令

 近年、通信関連の標準必須特許を巡るグローバル訴訟が多発している。標準必須特許の性質上、その侵害訴訟も各国で並行して勃発することが多く、中国もその舞台となることが増えている。このような標準必須特許訴訟において、近年、注目を集めているのが、中国の裁判所による「禁訴令」(Anti Suit Injunction)である。

「禁訴令」とは、要するに、名宛人たる被申立人に対して、中国外の国・地域における提訴や、外国判決の執行申立てを禁じる旨の裁判所の保全命令であり、違反した場合に罰金を課すことにより、間接的に外国における司法手続きの利用を禁止/制限する効果をもたらし得るものである。2020年9月、標準必須特許を巡る華為対Conversant事件[5]おいて、最高人民法院が初めて禁訴令を下した。同事件は、ルクセンブルク法人であるConversantが保有する2G、3G、4Gの標準必須特許に関して、華為が中国で非侵害確認訴訟を提起し、Conversantがドイツで華為を侵害行為の差止め等で提訴した事案に関する。かかる中国訴訟、ドイツ訴訟とも、華為による特許権侵害を認める一審判決が出されていたところ、華為が中国の二審裁判所である最高人民法院に対して、Conversantに対する中国訴訟の二審判決が出される前に、ドイツ訴訟の判決の執行を申請しない旨、命じることを求める仮処分を申し立てた。最高人民法院は、華為の申立てを認め、Conversantに対し、中国の二審判決が出される前に、ドイツ訴訟の判決の執行を申請してはならないと命じ、Conversantがこれに違反する場合、1日100万元の罰金を課す旨の裁定を下した。この裁定後、他の標準必須特許訴訟においても、禁訴令が相次いで出された(表3-2)。

表3-2 主な禁訴令事件
(筆者作成)
禁訴令(裁定)時期 2020年9月 2020年9月 2020年 2020年12月 2020年12月
権利者 Conversant Conversant シャープ IDC Ericsson
実施者 華為 ZTE OPPO 小米 三星
裁判所 最高人民法院 深圳市中級人民法院 深圳市中級人民法院 武漢市中級人民法院 武漢市中級人民法院
本案事件種別 非侵害確認、ライセンス条件確定 ライセンス条件確定 FRAND義務違反確認及びグローバル料率等ライセンス条件確定 ライセンス条件確定 グローバルライセンス条件確定
対象標準必須特許 2G、3G、4G 2G、3G、4G 3G、4G、WIFI 3G、4G 4G、5G
裁定概要 Conversantに対し、中国二審判決が出される前の、ドイツ訴訟判決の執行申請禁止等を命令。 Conversantに対し、中国二審判決が出される前の、ドイツ訴訟判決の執行申請禁止等を命令。 シャープに対し、一審判決前に、他国または地域において、OPPOに対する新たな提訴等の禁止を命令。 IDCに対し、本裁定の送達から直ちに、インド・デリー地方裁判所における仮処分申請の取下げまたは中止等を命令。 Ericssonに対し、本案の判決効力発生まで、中国その他の国家・地区の裁判所において、ライセンス料率を含む4G、5Gライセンス条件の裁定の請求禁止(提訴済みの場合に即時取下げまたは中止)や本裁定に対する反禁訴令の禁止等を命令。
紛争状況 和解 和解(2021年10月) 和解(2021年8月) 和解(2021年5月)

 このうち、小米対IDC事件[6]において、小米はもともと、武漢の裁判所で、IDCに対し、インド・デリー地方裁判所における仮処分申請の取下げまたは中止等を命ずる禁訴令を得ていたところ、IDCは、デリー及びミュンヘン裁判所に対し、武漢裁判所の禁訴令に対する反禁訴令を申し立て、それらがいずれも認められている。また、シャープ他対OPPO事件[7]においては、まずOPPOが深圳の裁判所で禁訴令を得たが、そのわずか7時間後に、シャープがマンハイムの裁判所で、この中国の禁訴令の取り下げをOPPOに命じる判決を得た。しかし、さらにその後、中国での禁訴令を出した深圳の裁判所が、シャープを禁訴令違反で調査をしたために、シャープは自ら、このドイツの反禁訴令を無条件で取り下げた、ということである[8]。このように、標準必須特許訴訟では、国を跨いで互いに禁訴令を打ち合う事態が発生している。

 中国では、毎年、最高人民法院から、前年度の重要判決が発表されるが、2021年4月に発表された、2020年度の10大重要判例には、上述の華為対Conversant事件及びシャープ他対OPPO事件の2件が選出された。最高人民法院からの通知には、事案の概要と共に、「典型意義」が記載されているが、そこでは、これらの禁訴令の意義が次のように説明され(下線筆者付加)、自国の司法機能と、その国際的影響力についての明確な自信をうかがわせた。

・ 「本件裁定が当事者の最終的なグローバル和解協議達成を促し、グローバルな複数国家の平行訴訟を終結させ、良好な法律効果と社会効果を取得した。」(華為 VS Conversant事件)

・ 「本件は、グローバルな『禁訴令』を発布して、『反禁訴令』の解消に成功し、中国司法機関の明確な態度を表明した。企業が公平な国際市場競争に参加するため、有力な司法保障を提供し、中国が「国際知的財産権規則」の追従者から「国際知的財産権規則の指導者」へと転換したことを示す重要な意義を有する。」(シャープ VS OPPO事件)

 一方、標準必須特許訴訟における中国裁判所による一連の禁訴令に対して、アメリカは、2021年4月の301レポートにおいて、禁訴令は、米中両国が2020年に署名した第1段階の経済・貿易協定では言及されていなかったが、「中国の裁判所によって発行された広範な反訴訟差止命令などの懸念される進展が現れた」、「・・・中国の知財控訴裁判所による、中国の初のSEP関連禁訴令は・・・、裁判所が中国共産党及び中国国家の『全体的な業務』に『奉仕する』例であった。」と指摘し、明確な懸念を表明した。また、EUも、2021年7月、TRIPS理事会に対して、禁訴令関連の4件の事件について、中国政府公式ウェブサイトに掲載されていないことを理由として、中国に対する情報提供要請を提出し、手続等の透明性を要求している。

 このように、中国裁判所による禁訴令は、標準必須特許をめぐる当事者間のグローバル紛争についての和解を促進する面があるということもできるが、その一方で、それ自体が、国際的な摩擦の新たな火種となる可能性も出てきている。

(2)中国オリジン技術による外国系企業への権利行使-ソニーモバイル事件

 2017年、ソニーモバイル(中国)が、中国独自の無線LAN規格であるWAPIの標準必須特許権侵害で、900万元余りの損害賠償を命じられる判決が出された[9]。この事件では、標準必須特許に基づく差止めの可否が正面から検討されている。それ以前においては、中国における標準必須特許権侵害をめぐる紛争は、権利者が外国企業、実施者が中国企業であるパターンがほとんどであり、そのような事案では、標準必須特許のライセンス交渉における外国企業の提示条件や交渉態度等について、独占禁止法違反が問題とされたケース[10]や、裁判所がFRAND料率を認定したケース[11]が良く知られていたが、ソニーモバイル事件は、これとは逆の構図、すなわち、標準必須特許権者が中国企業であり、実施者がソニーモバイルの中国法人であって、ライセンス交渉における同社の過失等が考慮され、差止めと、通常のライセンス料の3倍の損害賠償の支払いが命じられた。中国企業が外国系企業を知財権侵害で訴え、外国系企業に高額の賠償金の支払いを命じた事例として、2007年のシュナイダー事件[12]及び2009年の富士化水事件[13]が有名であるが、前者は、実用新案権侵害に基づく訴訟、また、後者は、富士化水が中国企業に譲渡した技術が別の中国企業の特許権を侵害しており、譲受人との共同不法行為責任を問われた事案である。結果として外国(系)企業に対し、重い侵害責任が課された点は、ソニーモバイル事件もこれらの事件と同様である。だが、同事件は、2008年の「国家知的財産戦略要綱」において、重点戦略の1つに明記された「技術イノベーションの合法的な産業化を基本的前提とし、知的財産権の取得を追求目標に、技術標準の形成を努力の方向とする」、「標準関連の政策を策定、整備し、特許を標準に取り入れる行為を規定する」といった標準特許に関する目標が、「国際循環」の側面において現実化したことを示す一例としての意義を有しているといえる。通信関連の標準必須特許ホルダーの勢力図が大きく変わる中、今後、中国の標準必須特許権者が、中国で外国系企業を提訴する事例は増加することが予想される。その場合に、中国の裁判所が、前述の「禁訴令」や、ライセンス料率の認定をどのように行うのか、注目が集まる[14]

その2 へつづく)


1. 国発[2008]18号

2. 中国では、特許権に相当する発明特許権、実用新案権、意匠権に相当する外観設計専利権の3つが、まとめて1つの「専利法」に規定されており、「専利権」と称される。本稿では、特に発明特許を指す場合に「特許」、3つの権利をまとめて称する場合に「専利」の用語を用いる。

3. データは、「2020最高人民法院中国知的財産権司法保護状況」を参照した。なお、本データの「専利権侵害訴訟」には、特許権侵害訴訟のほか、実用新案権及び意匠権侵害訴訟の件数が含まれている。

4. court.gov.cn/zixun-xiangqing-163012.html

5. (2019)最高法知民終732、733、734号の1

6. (2020)鄂01知民初169号の1

7. (2020)粤03民初689号の1

8.法弁[2021]146号 の【事案の概要】による。

9. (2015)京知民初字第1194号(2017年3月22日判決)。なお、二審も、一審判決の賠償額認定を維持した。

10. (2013)粤高法民三終字第306 号

11. (2011)深中法知民初字第 857 号

12. (2007)浙民三終字第276号

13. (2008)民三終字第8号

14.なお、上述のシャープ対OPPO事件では、2021年8月、最高人民法院が、中国の人民法院がグローバルライセンス条件の認定について管轄権を有する旨の原審裁定を維持する判断を出している。