アフターコロナ時代の日中経済関係
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【21-04】中国企業・産業のコロナ感染症後への対応と日本企業のあり方(その2)

2021年01月21日 和中 清(株式会社インフォーム 代表取締役)

その1 よりつづき)

4.コロナ後の中国企業

 日本企業が中国への対応に慎重だったのと対照的に、中国企業は自国の先行きに希望を持ちコロナ前から活発に動いている。だからコロナが落ち着けばいち早く経済活動が動き出す。

 世界は今、情報やソフトがイノベーションを起こしどこからビジネスチャンスが生まれるかわからない時代、業際などの垣根もない時代に突入している。その変化の波に果敢に反応しているのが中国企業である。レノボでは電子情報を組み込んだ靴まで開発しているという。

 中国政府の創業支援は伝統的開拓者精神、チャレンジ精神旺盛な中国人気質と結びつきTikTok(2016年創業)やドローンのDJĪ(2006年創業)など多くの分野で新興企業が育っている。シェア自転車のOFOのような問題企業もあるが、それが急成長して米国をも凌駕する世界トップのユニコーン企業(評価額10億ドル以上の非上場企業)群が出現した。それがチャイナイノベーションを形成する。そして今、BAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)がユニコーンに投資し新分野、新市場開拓を進める。それがチャイナイノベーションをより活発にする。

 筆者はチャイナイノベーションの基礎にあるのは、

・古く鄭和の時代からの中国人のDNAのような開拓者精神

・改革開放前は共に貧しく、ゼロから出発した「失うものはない」精神

であると思う。そしてチャイナイノベーションの手法には、

・リスク分散

・実践を重視する「実事求是」のプラグマティズム精神

・「没問題」(問題ないよ)の柔軟な考え方

があると考える。

 先ず実践で走りながら問題解決する中国的手法は変化とスピードの時代に合っている。中国企業と日本企業の大きな違いの一つは中国企業の多くが徹底した成果主義、実践主義ということでもある。

 コロナ後、中間層の拡大が端的に表れてくるのは自動車市場である。中国の乗用車販売台数(小型商用車を含む)は世界の28%余りを占め、米国をはるかに凌ぐ市場である。中国を除く世界の乗用車販売は昨年の80%ほどに低下し、元に戻るのは2023年以降と見られる。中国の今年の販売予想は前年比93%ほどで、来年は昨年の販売台数を超える。住宅や車など豊かさを求めて走り続ける中国経済は所得上昇により一層堅固になり、そこにチャイナイノベーションによる新鮮な空気が送り込まれる。コロナ後も中国経済と中国企業の活力は揺るぎない。

5.コロナ後、日本企業は中国にどう対応すべきか

 このような中国経済と市場、企業の動きを見ると自ずと日本企業の対応の方向も見えてくる。だが、その対応には次の三つの課題があると考える。
① 日本型のビジネス手法からの転換
② 中国事業での貪欲さの追求
③ 中国の捉え方の転換

 第1の課題について、今後の中国事業の展開には一企業の対応では限界がある。中国は多くの分野で価格、コストが上昇し単独対応にはその壁がある。中国企業のビジネス手法や産業間ネットワークを活用して連携と相互協力で進めなければ市場対応は難しい。「国民経済と社会発展第十四・五年計画と2035年長期目標」はそれを織り込み「製造業の優位性相互補完と連携」を入れている。

 いろんな分野に網を張り協力体制の構築が必要と思う。だがそれは日本企業のビジネス手法を変えることにもなる。日本企業は中国企業への不信から過去は独資対応が目立ったが、今後は他力活用への転換も必要である。

 関係社会でネットワークを築くには、中国式のやり方、いい意味で「腹黒く厚かましく」の精神も学ばねばならない。異質を受け入れ、相手の長所を見て朋友にするしたたかさも持たねばならない。どこを切っても金太郎飴から、違いに価値を認める企業への変身も必要だし、対応する人には厚かましいと嫌われるくらい自分を押し出し、ネットワークを求めることも必要だ。

 そのためにも経営の現地化が大切である。しかるべく処遇し中国人幹部を活用することも大切である。日本的な古い人事制度や慣習ではそれも困難になる。

 第2の課題は、事業の貪欲さである。日本人は過去の経済成長でハングリー精神が乏しくなった感もある。だが中国人の多くはそれを持つ。中国での事業はそんな中国人との競争である。コスト対応にもそれは付きまとう。例えばある日本の大手企業はグループで社員を10万人雇用する。社員の1回の食費を1元工夫し節約すると年に17億円の節約になる。だが日本企業は本業外の1元にあまり目が向かない。しかし中国人は1元、1角に気を配り残った金を設備投資に使う。ゼロからの出発とは"どん欲さ"でもある。そこで事業の成否も分れる。後に述べるが日本企業も今後の中国対応には考え方も進め方も日本式から脱皮しないと難しいことに気づき始めた。そのために中国のインサイダーになろうとする企業が増えている。貪欲さの追求に少し希望が見えてきたと思う。

6.中国不信で減少している日本の中国投資

 第3の課題はコロナ後の対応には特に大切である。図3は中国の外資直接投資に占める日本のシェアの推移である。

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(出典)『中国統計年鑑』各年版より筆者作成

図3 中国の外国投資受入額に占める日本の比率の推移

 日本のシェア低下が続く。2001年には日本は外資直接投資の9.2%を占めたが昨年は2.7%に後退した。2013年に比べると日本の投資額は半分近くまで低下した。

 2020年の中国の外国投資受入額は第二四半期には前年比8.4%増に転じ、通年でプラスになる。第二四半期はハイテクサービス投資が19.2%、研究・設計サービス投資が35.7%増加した。香港が4.2%、シンガポール7.8%、米国6%、アセアン5.9%、一帯一路沿線国が2.9%増加したが日本の投資は5月まで昨年の41%である。

 日本ではコロナで撤退企業が増えるとか日本に回帰すべきとの後ろ向きの意見も聞かれた。政府は回帰支援の補助金を出しているが世界の動きに逆行する。米国は政治で対立をしかける一方で中国投資は伸びている。だが日本企業は市場が拡大する"いよいよ"の時に中国から遠ざかっている。その流れが止まらなければコロナ後の展望も開けない。

 投資の減少には人件費、各種コストの高騰も影響しているが、日本企業の中国の捉え方の変化がある。コストが上昇しても市場に目を向けると投資の減少には至らない。市場に目が向かないのは中国の先行きへの不安も原因の一つと思う。他国より中国を否定的に捉える傾向が投資の減少に現れていると思える。さらに今年の投資の減少は中国への渡航が出来ないことも影響している。それは現地化の遅れでもある。他の国は現地化でコロナ禍でも投資は進む。

 日本はコロナ後、中国人のインバウンド需要に頼る受け身の姿勢から積極的に市場に向かう姿勢への転換が必要だが、不安や不信を持っていては進まない。日本企業がなぜ消極的なのか、原因を探ることもコロナ後を考えるには大切である。最近、日本のNPO法人と中国国際出版協会が日中両国民の意識調査をした。調査で日本人の90%が中国を良く思わない、との結果が出たが、これは世界的にも特異である。筆者はこの結果と中国投資の減少とは関連性があると考える。

7.中国報道の問題と日本企業の中国の捉え方の変化

 日本人の意識に影響を与えているのが日本メディアの中国報道である。日本人が中国情報を得るのは新聞、テレビ、インターネット、雑誌が大半だ。だから多くの人が中国を良く思わないのもメディアの報道結果と言っても過言で無い。国民の大多数が中国を良く思わず、それを意識して報道のポピュリズム化が進み「負」の報道がより強くなっている。

 そして一方的報道も目立つ。内モンゴルの漢語教育も民族弾圧と報道され、筆者の身近にも内モンゴルでは民族語が話せないのではないかと言う人すらいる。内モンゴルの小学校で漢語授業が始まったのは1980年代で、次第にモンゴル語授業の減少が進んだ。小学校3年からの英語教育も加わりトライリンガルの言語教育が進み、その影響でモンゴル語も漢語も学習時間が少なくなった。

 そこに進学と就職での漢語授業の希望が増え、漢語学校に子供を通わせる父兄も多く民族学校が減少した。大学受験は漢語で、一般にモンゴル族の子供の漢語能力は漢族の子供より劣るので漢語を強化しないとモンゴル族に不利で、学校は学習の時間調整に追われている。モンゴル語学習時間の減少は以前から言われたことで、民族弾圧と捉えるべきでなく世界的に進む少数民族言語の衰退の問題である。文字を持たない少数民族も多く、教科書は漢語なので少数民族言語学習にはそのジレンマもある。

 さらにインターネットやメディアで漢語の情報発信が増え、若者がそれに馴染み民族語が廃れる危惧もある。家族の会話はモンゴル語だが友達とは漢語で話す子供も多い。上海のお母さんすら子供が上海語を忘れるのを心配し、モンゴル語も四川語も同じ状況で、政府は民族語の伝承に苦労する。内モンゴルでは政府証明書や店の看板はモンゴル語と漢語併記で街角からモンゴル語が消えるわけでもない。

 中国の憲法では、少数民族の言語、文字、風俗、習慣の保持を規定し、少数民族言語は尊重されている。歴史過程で民族語の学習が出来ず民族語が話せない子供にそれを取り戻させる教育すら行っている。

 最近、丁真君というチベット族の若者が人気になった。筆者も行ったことがあるが彼は四川省の理塘という海抜4,014mの高所の街に住む。人口7万人で90%がチベット族である。彼は漢語を片言しか話せず日常はチベット語での生活だが、国有企業への就職のために懸命に漢語を勉強し漢語で故郷を紹介する姿がネットで話題になった。英語の学習時間が増え民族語の時間が減っても「民族弾圧」とは報道しないだろう。なぜ漢語学習が増えると「民族弾圧」になるのか不思議である。

 そしてダブルスタンダードの中国報道が目立つ。アジアの港湾インフラ支援で中国に対しては「将来の軍事使用」を指摘するが、同様の支援を行う米国には「軍事使用は考えていない」の断りを入れる。コロナウイルスに関わる武漢報道では「感染爆発の地で何が起きたのか。そこから浮かび上がる中国の問題点は何か」と敢えて中国問題に導く。封鎖開始日の武漢の新規感染数は70人で、筆者はよく封鎖したと感心する。香港学生デモは暴徒化してもテロの言葉は使われない。日本では「モニター」と呼ばれる街角カメラも中国は全てが「監視」になる。多くのメディアの中国報道は取材前に結論を決め鋳型の中に押し込んでいるように見える。

 デマ情報も意識に影響している。日本在住の中国人犯罪率は高い、中国食品は危険、中国人が土地を買い日本が乗っ取られる、と言う人もいる。警視庁の「来日外国人犯罪の検挙状況」では、日本在住中国人に子供は少ないが人口当たり犯罪率は日本人より低い。厚生労働省の輸入食品監視統計の中国食品の違反率は米国など諸外国より低い。

 著名経済誌も度々「中国リスク」「暴発する中国」「墜ちる中国」「中国の終わり」「中国危機」「中国バブル崩壊」などの中国特集を組んだ。

 偏った報道が企業も巻き込み中国から一歩引く原因になった。地方では中国進出企業は周囲の日本人の反中感情に晒され肩身の狭い思いをすることもある。批判や足を引っ張る意見ばかり出て困ると嘆く人もいる。

 だが一方で、「負」の報道と一線を画し中国を前向きに受け止める企業も増えている。企業が中国を前向きに受け止めるのは経済的理由だけではない。根底に中国が進む方向への理解、平和主義の理解があると思う。

 企業は事業を通じ生身の中国と接する。真の中国がどんな姿か、メディアの報道との違いを自身の眼で見る。香港では多数の市民が学生デモに反対する集会をしている。内陸では少数民族の立派な家も目立つ。新疆では100万人もの強制収容など不可能ということも実感でわかる。30年前は皆が貧しかった国がすごい発展を遂げる一方、「中国の終わり」の日本の報道は何だったのかと疑問も湧く。

 中国人の生活を見ると改革開放前には考えられなかった大変化である。それも大変な社会改革、民主化ではないかとも思えてくる。日本で溢れる「負」の情報に引きずられ中国と距離を置いて壁を設けているとチャンスを逃し大変なことになる。そこに企業が気づき始めた。

その3 へつづく)