田中修の中国経済分析
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【21-09】「習近平経済思想」のバージョンアップ(その3)

2021年07月02日

田中修

田中 修(たなか おさむ)氏 :奈良県立大学特任教授
ジェトロ・アジア経済研究所 上席主任調査研究員

略歴

 1958年東京に生まれる。1982年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1996年から2000年まで在中国日本国大使館経済部に1等書記官・参事官として勤務。帰国後、財務省主計局主計官、信 州大学経済学部教授、内閣府参事官、財務総合政策研究所副所長、税務大学校長を歴任。現在、財務総合政策研究所特別研究官(中国研究交流顧問)。2009年10月~東京大学EMP講師。2 018年4月~奈良県立大学特任教授。2018年12月~ジェトロ・アジア経済研究所上席主任調査研究員。学術博士(東京大学)

主な著書

  • 「日本人と資本主義の精神」(ちくま新書)
  • 「スミス、ケインズからピケティまで 世界を読み解く経済思想の授業」(日本実業出版社)
  • 「2011~2015年の中国経済―第12次5ヵ年計画を読む―」(蒼蒼社)
  • 「検証 現代中国の経済政策決定-近づく改革開放路線の臨界点-」
    (日本経済新聞出版社、2008年アジア・太平洋賞特別賞受賞)
  • 「中国第10次5ヵ年計画-中国経済をどう読むか?-」(蒼蒼社)
  • 『2020年に挑む中国-超大国のゆくえ―』(共著、文眞堂)
  • 「中国経済はどう変わったか」(共著、国際書院)
  • 「中国ビジネスを理解する」(共著、中央経済社)
  • 「中国資本市場の現状と課題」(共著、財経詳報社)
  • 「中国は、いま」(共著、岩波新書)
  • 「国際金融危機後の中国経済」(共著、勁草書房)
  • 「中国経済のマクロ分析」(共著、日本経済新聞出版社)
  • 「中国の経済構造改革」(共著、日本経済新聞出版社)

その2 よりつづき)

Ⅱ.解説

 以下は、この重要講話について、注意すべき事項を解説することとする。

1.「習近平思想」の提起

 2017年10月14-24日に開催された中国共産党の第19回党大会は、習近平「新時代の中国の特色ある社会主義」思想(以下「習近平思想」)を採択して閉会した。同年12月に開催された中央経済工作会議は、第19回党大会で「習近平思想」が決定されたことを受け、習近平「新時代の中国の特色ある社会主義」経済思想(以下「習近平経済思想」)を提起した。その中で経済政策に関する部分は、以下のような内容であった。

(1)中国は「新時代」に入ったという情勢認識

 「中国の特色ある社会主義は、新時代に入った」とする。その意味は、中華民族は立ち上がり、既に豊かになっており、そこから「強くなる」という偉大な飛躍の段階を迎えたということであった。

 これに伴い、中国社会の主要矛盾は、これまでは、「人民の日増しに増大する物質・文化への需要と落後した社会生産能力の間の矛盾」であったが、新時代においては、「既に人民の日増しに増大する素晴らしい生活への需要とアンバランス・不十分な発展の間の矛盾へと転化している」とされる。

 発展のあり方も、「わが国経済は既に高速成長段階から質の高い発展の段階に転換している」という認識が示された。「質の高い発展」とは、人民の日増しに増大する素晴らしい生活への需要を好く満足できる発展であり、質を第一とし効率を優先する発展である。

(2)2段階の発展戦略

 2020年から今世紀中葉までを、2つの段階に分けて政策を手配した。

①第1段階(2020年~35年)

 社会主義現代化を基本的に実現する。これまで21世紀中葉とされていた現代化完成目標が、実質的に15年前倒しされた。

 2035年の具体的なイメージは、1)中国がイノベーション型国家の前列に躍り出て、2)法治国家・法治政府・法治社会が基本的に実現し、3)国家の文化ソフトパワーが顕著に増強され、4)中等所得層のウエイトが顕著に高まり、都市・農村と地域間の発展格差と庶民の生活水準の格差が顕著に縮小され、5)現代社会のガバナンス構造が基本的に形成され、⑤生態環境が基本的に好転している、ことになる。

 経済面では、2035年までに現代化された経済システムを建設するとされる。

②第2段階(2035年~今世紀中葉)

 中国を、富強・民主・文明・調和がとれて美しい社会主義現代化強国とする。

 今世紀中葉には、国家のガバナンス体系とガバナンス能力の現代化が実現し、総合国力と国際影響力がトップレベルの国家となり、全人民の共同富裕が基本的に実現している、ことになる。

(3)現代化した経済システムの建設

 現代化された経済システムの具体的中身については、2018年1月30日に開催された党中央政治局集団学習会において、習近平総書記が明らかにした。

 それによれば、現代化した経済システムは、以下の7つのシステムを全体として統一し、一体的に建設・推進しなければならない、とされている。

①イノベーションがリードし、協同発展する産業システム

②統一・開放され、競争が秩序立った市場システム

③効率を体現し、公平を促進する所得分配システム

④優位性が顕著で、協調して連動する都市・農村と地域の発展システム

⑤資源が節約され、環境に友好的なグリーン発展システム

⑥多元化しバランスが取れ、安全で効率が高い全面的な開放システム

⑦市場の役割が十分発揮され、政府の役割がより好く発揮された経済体制

(4)「習近平経済思想」の主要な内容

 主要な内容は「新発展理念」であり、これを体現したものが「質の高い発展」であるとされる。新発展理念は、第13次5ヵ年計画(2016~20年)の指導思想として、2015年の党18期5中全会が提起したものであり、「イノベーション・協調・グリーン・開放・(発展の成果を)共に享受」を指す。

 つまり、質の高い発展は、「イノベーションを第1の動力とし、協調を内生的な特徴とし、グリーンを普遍的な形態とし、開放を通るべき必然の道とし、発展の成果を共に享受することを根本目的とする発展である」と言い換えることができる。

(5)新発展理念以外の内容

 次の項目が、主要な内容となる。特に重要なものは、「経済政策に対する党中央の集中的・統一的な指導」である。

①経済政策に対する党中央の集中的・統一的な指導を強化する。

②人民を中心とする発展思想を堅持し、「五位一体」の総体的手配を統一的に企画推進し、「四つの全面」の戦略的手配を協調して推進する。

③資源配分において市場の決定的役割を発揮させ、政府の役割を更に好く発揮する。

④わが国の経済発展の主要矛盾の変化に適応して、マクロ・コントロールを整備し、サプライサイド構造改革の推進を経済政策の主線とする。

⑤問題志向により経済発展の新戦略を手配する。

⑥正確な政策の策定・方法を堅持し、安定の中で前進を求め、戦略の不動心を維持し、(最悪事態を想定して)最低ラインを守るという考え方を堅持する。

⑦経済発展の新常態に適応し、これを把握・リードすることを堅持する。

(6)まとめ

 要するに、この時点での習近平経済思想とは、「経済の新時代に対応し、新発展理念(イノベーション・協調・グリーン・開放・成果を共に享受)を体現した質の高い発展を推進することによって、人民の日増しに増大する素晴らしい生活への多様化・高度化した要求を十分満足させられる現代化した経済システムを、党の集中・統一的な指導により2035年までに実現し、21世紀中葉への強国化に備えようとするもの」であったといえよう。

2.その後の情勢変化

 しかしその後、情勢に大きな変化が現れた。このため、情勢の変化に応じた習近平経済思想のバージョンアップが必要となったのである。

(1)第1の百年奮闘目標の達成

 2017年の時点では、2020年に小康社会を全面的に実現するという第1の百年奮闘目標は、まだ達成の見通しがついていなかった。

 しかし、新型コロナにより、2020年の経済成長が落ち込み、2020年に2010年のGDPを倍増するという目標は達成できなかったものの、農村の絶対貧困者の脱貧困をまがりなりにも達成できたことにより、全面的な小康社会は、量的にはともかく、質的に達成できたと宣言できる状況となった。

 このため、2021年から共産党は、「社会主義現代化国家の全面建設」という第2の百年奮闘目標の実現に向けた新たな征途に向け進軍することとなったのである。

(2)米中摩擦の激化

 当初米国の対中貿易赤字問題としてスタートした米中経済摩擦は、2018年からエスカレートし、関税率引上げの応酬が続いた。しかも、摩擦の対象は、知的財産権の侵害、外資企業の技術提供の強要、国有企業への補助金から、さらに安全保障の観点が加わって、ファーウェイなど中国企業の米国市場からの排除、中国企業への重要ハイテク部品の提供禁止に拡大し、世界経済からの中国経済切離しにまでエスカレートしていったのである。

 これに新型コロナウイルスの起源論争や、香港・ウイグル・チベットの人権問題、台湾の安全保障問題が加わり、今や、米中の対立は、「アメリカンデモクラシー」対「中国の特色ある社会主義」、「アメリカ型資本主義」対「社会主義市場経済体制」という、イデオロギー・体制の対立となっている。これは、人権・イデオロギーをより重視する民主党バイデン政権が誕生したことにより、容易に緩和する気配はない。

(3)新型コロナの影響

 2020年に中国から世界に拡大した新型コロナウイルス感染症の流行は、世界経済を疲弊させ外需を縮小させたばかりでなく、グローバルサプライチェーン・産業チェーンを寸断し、海外から必要な原材料・部品を調達できない中国企業が操業の停止を余儀なくされた。また、食糧の調達にも不安が生じ、経済安全保障・食糧安全保障の問題が大きく浮上したのである。

 このため、国内でサプライチェーン・産業チェーンを再構築するとともに、経済成長のあり方も、リーマン・ショック以来の課題であった、「外需への依存度の引下げ、内需中心の成長構造への切替え」を加速する必要が発生した。

3.習近平経済思想のバージョンアップ

 2017年時点と比べて、今回の重要講話では、以下の特徴がある。

(1)18回党大会以降、共産党が行った重大理論・理念を総整理

 全体を13にまとめ、提起・検討されたタイミングを明らかにした。なお、初提起の時期が、これまで考えられていた時期より前倒しされているものもあり、以前から理論・理念を深く検討し時間をかけて形成したことを強調しているものと思われる。

①人民中心の発展思想を堅持する(2012年11月、15年10月、20年10月)。

 人民の素晴らしい生活への願望が共産党の奮闘目標である。人民全体の共同富裕促進で更に顕著な実質的進展をみるよう努力しなければならない。

②もはや簡単にGDP成長率をもって英雄を論じない(2012年12月、13年4月)。

 効率・質が高く持続可能な経済発展を追求しなければならない。

③わが国経済は、「3つのタイミングが重なる」時期にある(2013年7月)。

 中国経済は成長速度のギアチェンジの時期、構造調整の陣痛の時期、これまでの刺激政策の消化の時期が重なった段階にある。

④経済発展は新常態に入っている(2013年12月、14年12月)。

 2014年の中央経済工作会議では、「中国の発展は、高速成長から中高速成長に転換しており、新常態を認識し、新常態に適応し、新常態をリードしなければならない」とされた。

 ただし、2017年の第19回党大会で「中国の発展は新時代に入り、高速成長段階から質の高い発展の段階へ転換している」と表現が改められ、20年の党5中全会で「中国は新たな発展段階に入った」とされたため、最近は「新常態」は余り用いられていない。

⑤資源配分における市場の決定的役割を発揮させ、政府の役割を更に好く発揮させる(2013年11月)。

 市場による資源配分は、最も効率の高い形式であり、資源配分を市場が決定することは、市場経済の一般ルールである。市場の役割について全く新しい位置づけを行わなければならない。

⑥緑の水と青い山こそが金山・銀山である(2013年9月、14年3月)。

 生態文明の建設、美しい中国の建設は、我々の戦略任務であり、天が青く、地が緑で、水がきれいな美しい故郷を子孫の代に残さなければならない。

⑦新発展理念(イノベーション、協調、グリーン、開放、(発展の成果を)共に享受)を堅持する(2015年10月)。

 イノベーションによる発展を重視することは発展の動力の問題を解決し、協調による発展を重視することは発展のアンバランスの問題を解決し、グリーン発展を重視することは人と自然の調和の問題を解決し、開放による発展を重視することは内外の連動の問題を解決し、(発展の成果の)共に享受を重視することは社会の公平・正義の問題を解決する。

⑧サプライサイド構造改革を推進する(2015年11月、同年12月、18年12月)。

 2015年の中央経済工作会議では「生産能力削減、在庫削減、脱レバレッジ、コスト引下げ、脆弱部分の補強」にしっかり取り組むこととされたが、18年の中央経済工作会議で、「強固、増強、向上、円滑」(「過剰生産能力の削減、過剰住宅在庫の削減、脱レバレッジ、企業コストの引下げ、脆弱部分の補強」の成果を強固にし、ミクロ主体の活力を増強し、産業チェーンの水準を向上させ、国民経済の循環を円滑にする)の8字方針に改められた。

⑨発展がアンバランス・不十分である(2017年10月)。

 中国社会の矛盾は、既に人民の日増しに増大する素晴らしい生活への需要と、アンバランス・不十分な発展の間の矛盾に転化している。

⑩質の高い発展を推進する(2017年10月)。

 中国経済は、既に高速成長の段階から質の高い発展の段階に転換している。

⑪現代化した経済システムを建設する(2017年10月)。

 現代化した経済システムの建設は、関門を乗り越えるための切迫した要求、中国の発展の戦略目標である。

⑫国内の大循環を主体とし、国内・国際2つの循環が相互促進する新たな発展の枠組を構築する(2020年4月)。
⑬発展と安全を統一する(2015年5月、16年1月、18年1月、19年1月)。

 政治・意識形態・経済・対米経済貿易闘争・科学技術・社会・対外政策・党自身等の8分野の重大リスクを防止・解消しなければならない。

 なお、このように整理したうえで、重要講話は改めて「新発展理念は最重要であり、最も主要なものである」と強調し、「新発展理念は、系統的な理論体系であり、発展の目的・動力・方式・道筋等に関する一連の理論・実践問題に回答し、わが党の発展に関する政治立場・価値方向・発展モデル・発展の道等の重大政治問題を説明した」と評価して、「全党は、新発展理念を完全・正確・全面的に貫徹しなければならない」としている。

(2)「新たな発展段階」「新発展理念」「新たな発展の枠組」の3層構造に

 従来の習近平経済思想は、「新発展理念」をコアとしていたが、今回は「新たな発展段階」「新発展理念」「新たな発展の枠組」の3層構造になった。

 三者の関係であるが、重要講話では「新たな発展段階に入ることは、わが国の発展の歴史方位を明確にし、新発展理念を貫徹することは、わが国現代化建設の指導原則を明確にし、新たな発展の枠組を構築することは、わが国経済現代化のルートの選択を明確にしている」とし、「新たな発展段階を把握することは、新発展理念を貫徹し、新たな発展の枠組を構築するための現実的依拠であり、新発展理念を貫徹することは、新たな発展段階を把握し、新たな発展の枠組を構築するために行動指南を提供し、新たな発展の枠組を構築することは、新たな発展段階のチャンス・試練に対応し、新発展理念を貫徹するための戦略的選択である」と説明している。

 つまり、新たな発展段階は歴史の方位であり、これを把握することは現実的な依拠である。新発展理念は指導原則であり、これを貫徹することは行動指南である。新たな発展の枠組は経済現代化のルートの選択であり、これを構築することは戦略的選択である。

その4 へつづく)