露口洋介の金融から見る中国経済
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【20-06】キャッシュレス決済に対する政府の対応

2020年6月30日

露口洋介

露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授

略歴

1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。

 本コラムではこれまで何度か中国のキャッシュレス決済の動向について取り上げてきた。本稿では、キャッシュレス決済の発展に対する政府の対応の推移を整理することとしたい。

銀聯カードと第三者決済

 中国銀聯は85の銀行の共同出資で2002年3月に設立された。銀行のATMキャッシュカード、デビットカード、クレジットカードを統一ブランドで発行しており、これらのカードを使った取引や銀行間送金はすべて、銀聯を通して行われている。中国人民銀行の監督下にあり、歴代の会長や社長はすべて中国人民銀行出身者である。中国人民銀行は、政府の一部なので、銀聯カードを使った決済情報はすべて政府の管理下にある。

 これに対して2004年、アリババのインターネット販売サイトであるタオバオの決済サービスとして、アリペイが開始された。また、2013年にはテンセントのSNSウイチャットの付属機能としてウイチャットペイが開始された。これらは銀行以外の機関が決済行うという意味で、第三者決済と呼ばれる。第三者決済はこの2社が寡占的ではあるが、それ以外にも多数存在しており、中国で幅広く普及している。また、少額融資や、信用評価サービス、資産運用サービスなど様々な銀行類似機能が第三者決済に付随して拡充された。

 これら第三者決済機関は、銀行に口座を保有し、第三者決済の利用者は第三者決済機関の口座を保有する。そうすると利用者間の資金の動きは大部分が第三者決済機関のシステム内で終了することとなる。銀聯とは独立した決済システムが出来上がったことになり、従来、銀聯を通してカード決済や銀行間決済の情報を得ていた政府は充分な決済情報を得ることができず、脱税やマネーロンダリングを監視できなくなってしまった。

 また、少額融資や信用評価システムも、従来銀行が行っていた業務であり、これを銀行以外の第三者決済機関が行うことによって、政府の監督が充分及ばなくなる恐れがあった。さらに、国内で行われる取引決済や融資業務が銀行以外の機関によって行われることによって、人民銀行の金融政策にも影響を及ぼしかねないと考えられた。

政府の対応

 中国政府は、第三者決済の急拡大を受けて、2015年12月28日付で「非銀行決済機関オンライン決済業務管理弁法」を公布し、利用者の保護や違法行為の監督など、監督管理の体制を整備することとなった。

 これ以前に、2014年には、アリババとテンセントはそれぞれ民営銀行(浙江網商銀行、深圳前海微衆銀行)を設立し、少額融資業務をこれらの銀行に移管した。

 その後、2017年8月に「網聯」が設立された。網聯の株主は人民銀行傘下の中国人民銀行中央清算総センター、上海清算所、中国支付清算協会など7社とアリペイやテンセント傘下のテンペイなど第三者決済機関38社、計45社からなる。銀聯と同じく人民銀行出身者が会長など幹部を占めている。2018年6月以降、全ての第三者決済機関は網聯と接続し。網聯を通して銀行と情報のやり取りをすることとなった。これによって、金融監督当局が団参者決済についても銀聯と同様、情報を集中管理することができ、それを利用して監督することが可能となった。

 第三者決済機関の資産運用サービスとしてはアリババ系の「余額宝」が有名である。「余額宝」は2013年に導入され、アリペイの余剰資金をマネーマーケットファンドで運用する。1元から投資でき、いつでも換金可能である。銀行預金より高い利回りを得ることができ、急拡大した。しかし、政府の要請により一人当たりの預入額の上限が2017年5月に100万元から25万元に、2018年8月には10万元に引き下げられた。収益率をみても、2013年7月には銀行の3か月預金基準金利2.60%に対し、余額宝は6.3070%を提示していたが、2020年6月には預金基準金利1.10%に対し、余額宝は1.3310%と差がなくなってきている。

 また、2017年4月から、人民銀行は第三者決済機関に対し、顧客からの預かり資産の一定比率を人民銀行または指定された銀行に準備預金として預入することを求めた。当初の預入比率は20%程度であったが、2018年には50%、2019年1月から100%とされ、準備預金の預入先も人民銀行に統一された。これも人民銀行の監督システムに第三者決済機関を取り込む動きといえる。

 2018年3月には、信用評価システムについて、政府系の業界団体である中国インターネット金融協会が主要な株主となり、アリババ系のゴマ信用を含めた信用評価を行う民間企業8社も出資する形で「百行征信有限公司」(バイハンクレジット)が設立された。同社は通称「信聯」と呼ばれる。同社の会長も人民銀行出身者である。銀行や保険会社など伝統的な金融機関の融資情報は人民銀行の信用情報センターである征信管理局に集中されている。これ以外で信用評価を行う8社についての信用情報は「信聯」に集中することとなった。

デジタル人民元発行の動き

 2020年5月26日に、中国人民銀行の易綱総裁はウエブサイト上に公表した文章で、人民銀行による中央銀行デジタル通貨(デジタル人民元)は「深圳、蘇州、雄安、成都の4都市で試験運用を先行しており、将来的に2022年の冬季オリンピック会場において試験運用を行う」と述べている。また、デジタル人民元の概要について、「二層方式で運営し、現金を代替するものであり、コントロール可能な匿名性を持つ」と述べている。デジタル人民元の実現性は高まってきた。本年4月の本コラムでも述べた通り、人民銀行は2014年からデジタル人民元の研究を開始しているが、2016年1月に人民銀行が開催したデジタル通貨フォーラムでは、デジタル人民元研究の目的としてマネーロンダリングや脱税などの違法行為を減らすことができるということが挙げられている。同時に、民間デジタル通貨の発展が「中央銀行の現金発行業務と金融政策に新たな機会と挑戦をもたらしている」とも指摘している。当時は、アリペイやウイチャットペイが急速に拡大していた時期であり、さらにビットコインなどの仮想通貨(暗号資産)も盛んに取引されていた。それらが人民銀行の金融政策に与える影響や、マネーロンダリング、脱税などの違法行為が当局から監視できなくなるということに対する危機感がデジタル人民元の研究開始の動機である。

 易綱総裁が述べた「コントロール可能な匿名性」というのは、脱税やマネーロンダリングなど違法行為に関わるデジタル人民元の取引については、当局がその情報を追跡できるものとするという意味である。

情報の集中管理と銀行類似業務の監督強化

 これまでの中国のキャッシュレス決済をめぐる政府の対応を見ると、第三者決済の拡大によって政府から見えなくなった情報を政府の集中管理の下に置くこと、銀行類似業務の拡大によって金融政策への影響が懸念されたが、これらの業務を銀行システムに取り込んで人民銀行の監督下に置くことという、いずれも政府の管理を強化する方向の政策がすすめられている。

 このような中国の動向は、逆の意味で日本において、キャッシュレス決済やデジタル円について情報の集中管理を回避し、取引の匿名性を守るための方策を検討する際、非常に参考になるものといえよう。

(了)