露口洋介の金融から見る中国経済
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【20-04】デジタル人民元とキャッシュレス決済

2020年4月30日

露口洋介

露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授

略歴

1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。

 本コラムでは、2回にわたって新型コロナウイルスの話題を続けたので、今回は中央銀行デジタル通貨(デジタル人民元)の話題に戻ることとしたい。

民間デジタル通貨への対応として研究がはじめられた

 今年1月の本コラムで、中国のデジタル人民元がここにきて急速に現実味を帯びてきた背景に、フェイスブックが2019年6月に打ち出したリブラ発行計画の存在を指摘した。リブラやその背後に米ドルの存在をみた中国は、米ドル覇権に対抗する措置としてデジタル人民元の実現を急いでいる。一方、中国人民銀行がデジタル人民元の研究を始めたのは2014年であり、その時点ではまだ、リブラ計画は存在しない。2016年1月に人民銀行が開催したデジタル通貨フォーラムでは、デジタル人民元研究の目的として、伝統的な現金の流通コストを低減でき、通貨の取引がより便利になり、僻地などへの金融業務の普及に役立つとともに、マネーロンダリングや脱税などの違法行為を減らすことができるということが挙げられている。それと同時に、その時点での民間デジタル通貨の発展がすでに「中央銀行の現金発行業務と金融政策に新たな機会と挑戦をもたらしている」とも指摘している。

 中国では2014年以降普及した4Gによってスマホの処理速度が向上し、第三者決済と呼ばれるアリペイやウィチャットペイなどスマホを使ったモバイル決済が急速に普及した。昨年10月の本コラムで説明したが、第三者決済機関が多くの銀行に預金口座を持ち、決済参加者は第三者決済機関の口座にぶら下がる形でサブ口座を持つ。第三者決済機関が清算機関の役割を果たし、参加者間の決済は第三者決済機関のシステムの中で行われ、異なった銀行にある第三者決済機関の口座の間での資金の移動は、ある口座の資金が外部に払い出され資金不足となった場合に余剰となった口座から送金が行われる場合にのみ発生する。

スマホ決済の普及は決済手数料の低減につながる

 このような第三者決済機関のシステム内部で決済参加者の口座間の資金移動を処理し、必要な場合のみ銀行口座間で資金を移動させる方法は、銀行に支払う送金手数料を節約できるという大きな利点を持つ。銀行システムを使った資金移動は、第三者決済機関の口座の外部の銀行口座への支払いが生ずる際や、それによって生ずる口座の資金不足を埋めるために別の口座から送金する際に生ずる。

 ここで、仮説的な極端な例として、中国のすべての企業と個人が、アリペイに口座を持ち、中国で行われるあらゆる支払いが、その口座間で行われるとすれば、アリペイの口座とそれ以外の預金口座の間では資金の移動は生じず、銀行に支払う手数料は不要となる。もちろんこのような極端な例は現実的ではない。企業間の大口資金の受払や、従業員への給料の支払、遠隔地への送金などは銀行口座への振り込みで行われることが一般的である。ただ、アリペイやウィチャットペイなどは、今までのクレジットカードやデビットカードではできなかった、個人間の支払いや、企業や商店が少額の借入を行う場合なども取り込んでおり、参加者の資金決済のかなりの部分がシステム内部の口座振替で完了する。その分、銀行システムを使った資金移動が節約でき、決済コストも低減できる。できるだけ多くの参加者を獲得し、自らのシステム内の参加者間の決済を増やせば、決済コストを引き下げることができる。中国では、クレジットカードとデビットカードの銀聯カードの加盟店手数料が業態に応じて0%から0.55%であるように、もともと従来型の銀行システムを使った決済手数料が非常に安い。アリペイやウィチャットペイは、寡占状態を作り出し多くの参加者を取り込むことによって、さらにコストを引き下げている。

金融監督と金融政策上の問題

 このような状態を人民銀行から見ると、上記の仮説的な極端な例に近づけば近づくほど、支払い決済や金融取引が、第三者決済機関のシステムの中だけで行われてしまうこととなり、与信や通貨の量をコントロールし、金利を決めるという中央銀行の機能が影響を受けることになる。中国では個人消費がGDPの約4割を占めており、この多くの部分がスマホ決済で支払われると、その影響は大きい。このような危機意識が前述の「中央銀行の現金発行業務と金融政策に新たな挑戦をもたら」すという認識を引き起こし、中央銀行デジタル通貨の研究開始につながったものとみることができる。また、第三者決済機関が清算機関となると、決済参加者間の資金の移動が、銀行や金融監督当局から見えないため、マネーロンダリングなど違法な資金移動が防止できない恐れがある。

 そこで人民銀行は「網聯」を設立し、2018年6月以降、すべての第三者決済機関は網聯と接続し、網聯を通して銀行と情報をやり取りすることとなった。第三者決済機関による少額融資については、2014年にアリペイもウィチャットペイも銀行を設立して業務を移管した。さらに、2019年1月から第三者決済機関は顧客からの預かり資金の100%を準備金として人民銀行に預けることが義務付けられた。このような規制の強化によって、中国人民銀行は第三者決済を銀行システムの内部に取り込み、金融政策や金融監督のコントロール下に置くこととした。その一方でデジタル人民元の研究を続けてきたわけである。

日本でも決済手数料が重要なポイントである

 翻って、日本でもキャッシュレス決済の普及を進めようという動きがみられるが、これと中央銀行デジタル通貨の関係をどう考えるべきであろうか。日本では、クレジットカードの加盟店手数料が3%前後から小規模店舗になると6~7%に達する。日本でも〇〇ペイと呼ばれる様々な種類のスマホ決済が始まっており、実店舗では当初加盟店手数料0%というサービスも行われているようであるが、インターネット販売サイトでは3%程度の手数料が求められており、実態的にはこの程度の加盟店手数料が必要とみられる。このような高額の加盟店手数料ではキャッシュレス決済の普及は困難である。加盟店手数料を引き下げる方法として考えられるのは、まずは銀行システムを利用する際の送金手数料の引き下げを実現することであるが、前述のように銀行システムを利用した送金頻度自体をできるだけ節約することも有効である。そのためには多くの利用者を集めて寡占化し、キャッシュレス決済事業者の銀行口座と他の銀行口座の間の資金の出入りを最小にして、自らのシステム内で参加者間の決済が大部分行われるようにすることが求められる。

 一方、日本銀行がデジタル通貨(「デジタル円」)を発行するとどうなるだろうか。今のところ日本銀行は、中央銀行デジタル通貨について研究は進めているが、実際に発行する計画はないとしている。仮に「デジタル円」が発行される場合、大きな論点となるのは、その決済手数料の設定の仕方である。現金に代わるものという位置づけであれば、手数料は無料ということになる。決済手数料無料の「デジタル円」が実現すれば、キャッシュレス決済は一気に普及するだろう。日本銀行金融研究所が2019年9月に公表した「中央銀行デジタル通貨に関する法律問題研究会」報告書では、「民業」の競争力を維持するために手数料を取ることも考えられるとしつつも、中央銀行デジタル通貨の「手数料を無料等とすることが反競争性をもたらすとしても、その目的が一定の政策目的の達成のためである場合には、正当な目的を実現するものと評価されよう」としている。中国で、デジタル人民元は民間のキャッシュレス決済に対応するために研究がはじめられた。デジタル人民元が実現する場合、手数料がどのように設定されるか明らかではないが、仮に手数料ゼロとされれば、民間のスマホ決済は大きな影響を受けるだろう。また、もし日本で「デジタル円」が手数料無料で発行されるとすれば、その影響ははるかに大きく、民間のキャッシュレス決済の強力な競争相手となるであろう。

(了)