北京オリンピックを機に考える中国の環境問題と対策
北京オリンピックを機に考える
中国の環境問題と対策
はじめに〜一衣帯水の二国関係
2008年、オリンピックイヤーを迎えて今世界の目が中国に集まっている。30年近くも平均で10%近い経済成長を実現し膨張し続ける大国は近代史上例が ないのではないだろうか。特にオリンピックを控えた最近5年は連続して10%を超える高い経済成長を実現している。2007年は11.9%と驚異的な成長 であった。中国が小さな国ならばさほど関心が注がれないのであろうが、巨竜とも呼ばれる大国、世界人口の約2割を占め、ヨーロッパ、アメリカ合衆国に匹敵 する広大な国土を持った国の動向は否応なく世界中の国々を巻き込む。今、経済、環境などの問題は国境の存在などと関係なく隣国と、世界と関わってきてい る。中国における政策選択の失敗は世界中に影響を与える。特に隣国であり、経済的にも環境的にも近い存在である日本に与える影響は計り知れない。政治関係 の動向如何で冷めただの熱いだのと他人事のように言っている場合ではなくなった。
日本と中国とは一衣帯水の二国関係、関わり合うのは歴史の必然であり、2千年以上にもわたり経済文化など様々な面でずっと関わりを持ってきた両国の関わり合いはこれからもずっと続く。環境問題も含め日本人が中国に対して傍観者でいることは許されない。
「環境問題のデパート」中国の問題解決の困難さ
このことは10年近くあちこちで繰り返し話し、書いてきており、読者の中には既に何回も目にされている方もいると思うが、ここで再び書くことをお許しいただきたい。私はかねてより中国を「環境問題のデパート」と表現している。 それは、従来型の公害問題(大気汚染、水質汚濁、土壌汚染など)のみならず、新しいタイプの環境問題(ダイオキシン、環境ホルモン等化学物質問題など)、 砂漠化問題、生態環境保護問題、更には地球温暖化問題などを抱えており、かつ、それぞれの問題のスケールが大きいからだ。品揃えが豊富で規模が大きいとこ ろがデパートそっくりなので好んでこの表現を使っている。
これらの問題の解決に当たって、中国は日本をはじめとする先進国の対応と比べて大きなハンディキャップを抱えている。すなわち、日本についてみると、ま ず工場を原因とする大気汚染、水質汚濁などの公害問題を克服し、次に際だってきた都市・生活型の公害に対して対策の目途をたて、更には顕在化してきた化学 物質問題への対応に重点を移し、現在は地球温暖化問題に全力を挙げている状況にある。このように対策の重点を、つまり投資の重点を移しながら対応すること が可能であった。一方、遅れて発展してきた中国ではこれらの問題が先進国の経験を経て現在同時に顕在化しており、かつ、同時対応を迫られている点が解決へ の対応を一層困難にしている。また、対策資金が不足していることはいうまでもない。後発の利益があるから有利だとの主張もあるが、そのことはまた高いレベ ルの対応を迫られるということでもあり、困難な状況にあることには変わりがない。
また、30年近くにわたり、平均で10%近い高度経済成長を続けていることが環境の悪化の趨勢を押さえることを更に困難にしている。たとえ有効な対策をとったとしても、その効果が成長分で相殺されてしまうからだ。
北京オリンピックは環境改善の可能性を試すチャンス
以上のような悲観的なことを書くと、それでは中国では一向に環境が改善されないではないかと思われてしまうが、そうとばかりは言えない。中国でもしっかり やれば汚染が激しく進んだ都市でも環境改善は可能だ。今から約10年前、当時の橋本龍太郎総理の提案で日本と中国との間で日中環境開発モデル都市構想とい う大規模な協力事業に着手された。貴陽、重慶、大連の3都市に対して、合計300億円を超える円借款と技術協力をセットにした環境改善事業の実施だ。この うち貴陽市には約半分の150億円弱の円借款が投入された。いうまでもないが、この借款に対して地元が半分以上裏負担したから、合計300億円以上を投資 した大環境改善事業である。貴陽で行われた事業の詳細は私の別の報告をご覧いただきたいが、 結論をいうと、10年前には環境基準の6倍ほどの大気汚染(二酸化硫黄)があったのが、2007年には初めて環境基準を達成することが出来るほどにまで改 善された(図1参照)。酸性雨の発生もなくなったという。かつて冬場にこの都市を訪ねると必ず喉が痛くなったものであった。貴陽市は中国で一番貧しい貴州 省の省都であるから、このような発展の遅れた地域での成功例は、中西部地域の貧しい都市でも頑張れば何とかなりそうだという励みになると私は思うのだが、 しかし、残念ながら中国ではあまり宣伝されていない。逆にたかが貴陽市と小馬鹿にした発言が中国人の間から聞かれるのは残念だ。
だが、もし北京のような大都市での環境改善に成功すれば、その他の多くの都市の励みになるのは確かだ。さすが中国を代表する北京市と尊敬されるか、北京 だから出来たのだと別格扱いされることになるのかわからないが、オリンピックという希有のチャンスを最大限に利用して環境改善の可能性を試す絶好の機会が 訪れた。
グリーンオリンピック
北京オリンピックは2000年の開催に立候補したが、オーストラリアのシドニー市に破れている。再チャレンジの2008年の開催申請に当たっては環境に配慮した「グリーンオリンピック」を約束し、具体的には20の鍵となる「環境目標」を打ち上げた(1)。その概要を簡単に整理したものが表1である。北京市は、この20の目標を達成するために1998年からの10年間で122億ドルの資金を投入した(1998-2002年56億ドル、2003-2007年66億ドル)(3)。
表1 北京オリンピック開催にあたって約束した20の環境目標(1) (2)
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(括弧内は目標の対象) |
(1)2007年までに第二陝京(陝西省ー北京)天然ガスパイプラインを完成させ、毎年総量で40-50億M3輸送可能にする。(エネルギー) |
(2)市街地の石炭燃焼ボイラーの改良。クリーン燃料使用の増加。(エネルギー) |
(3)50%以上の都市住民に対して地域暖房を提供。電力及び地熱暖房供給面積を1,600万M2に達する。(エネルギー) |
(4)交通インフラの改善。新規主要道路の建設。(交通) |
(5)公共交通システムの改善。90%の公共バス及び70%のタクシーがクリーン燃料を使用。(交通、エネルギー、大気質) |
(6)2004年までに小型車両に対してヨーロッパⅡ型に相当する自動車排出ガス基準の適用。(交通、大気質) |
(7)建築工事及び道路建設工事の粉塵管理の改善。すべての屋外焼却の禁止。屋外のごみ及びその他の廃棄物を置いてある地域ではこれを覆う。(大気質) |
(8)密雲ダムと懐柔ダム(飲用水の取水源)を保護し、その水源水質を改善。官庁ダムでは土石濾過水浄化プロジェクトを実施。(水資源) |
(9)技術改良して京密運河を修復整備し、水質を改善し、及び水量を増加させる。(水資源) |
(10)農業構造を調整して高質、高効率及び節水農業の発展を促進。行動を強化し、農業部門からの粉塵汚染を減少させる。(水、大気質) |
(11)都市排水システムと汚水処理システムを改善。2007年までに一日当たりの汚水処理量を280万M3に到達させる。(水資源) |
(12)有害廃棄物処理工場及び施設を建設し、毎年の総処理量約10,000トンを目標とする(医療廃棄物及び放射性廃棄物の加工及び処理工場を含む)。(廃棄物) |
(13)2007年までに一つの安全な都市家庭廃棄物処理システムを投入し使用。北京郊外に都市ごみ廃品を無害化加工処理する設備を建設。(廃棄物) |
(14)工業汚染を減少、抑制。工業汚染の登記、管理監督及び許可制度を実施。汚染がひどく、エネルギー消費が大きく、資源を浪費する工場を閉鎖。(工業部門、廃棄物、水、大気質、エネルギー) |
(15)200 以上の工業企業を北京市から移転。第4環状道路を建設。工業の構造調整。北京南部及び石景山地区の汚染がひどくエネルギーを消費する工場を移転、閉鎖また は改造。立ち後れた古い技術を淘汰。南部郊外地域及び石景山地域の環境質を改善。(工業部門、廃棄物、水、大気質、エネルギー) |
(16)市街地地域では40%の緑化率を達成。第4環状道路に沿ってグリーンベルトを建設する(道路両側に100m幅のグリーンベルト建設)。(エコシステム) |
(17)「五河十路」グリーンベルトを建設。約50%の樹木被覆率を実現。山間地域、平原地域及び都市地域内に3つのグリーンエコ地域の建設に着手。(エコシステム) |
(18)自然保護区の保護と建設を強化し、核心となる保護区(例えば湿地、森林、鳥類生息地)を良く管理。市内の自然保護区面積を8%以上。(エコシステム、保護区) |
(19)オゾン層破壊物質(ODS)を淘汰する行動計画を制定し実施。2005年までにこの目標を実現。(大気質、オゾン層) |
(20) オリンピック会場施設を設計する際に先端環境技術を採用。会場及び設備では省エネ、汚染が無く、リサイクル可能な天然材料を使用。オリンピック会場施設を 建設する時には当該地域の植生や生態システムの保護に万全の注意を払う。文化遺跡を保護。グリーン植物被覆面積を拡大する。オリンピック交通システムでは 公共交通使用を提唱し、クリーン燃料自動車の使用を促進。(会場設計、自然資源、森林、交通) |
それでは、この措置の結果はどうであったか。一番話題になっている大気汚染について見てみると全体としては改善されてきている(図2参照)。
中国で毎日公表されている大気汚染の状況は、個別の汚染物質(二酸化硫黄、二酸化窒素、浮遊粒子状物質)毎のデータでは発表されず、これらの3物 質による汚染状況を総合指標化した大気汚染指数(API: Air Pollution Index)として公表される。APIが100以下であれば優・良で基準クリアーという意味だ。市民にとってはわかりやすい表示かも知れない。図3のよう に優良の日は年々増加し、1998年にはわずか100日だったが、昨年は246日も達した。しかし、それでも年間100日以上は達成できていなく、この基 準を超過する日がオリンピック・パラリンピック期間中に出現しないか関係者は気をもんでいる。このため、表1のような恒久的な措置のほかにオリンピック・ パラリンピック期間前後の臨時の措置も最近相次いで発表されている。
例えば、2008年5月には中国環境保護部と農業部が共同で、今年5月初めから9月末まで北京及びその周辺の天津、河北、河南、山東、山西などの 省市で稲わら、麦わらなどの茎わら類焼却の全面禁止措置を通達した。また、6月には北京市が7月1日から9月20日までの間の北京市内の自動車走行に係る 臨時交通規制措置の実施も発表している。特に7月20日から9月20日までの2か月間はナンバープレート末尾数字の偶数奇数により走行を制限する半減措置 (偶数日には偶数番号の車のみ走行可など)を導入する。この交通規制措置により規制期間中の自動車から排出される汚染物質総量を63%、約11.8万トン 削減できると北京市では試算している。更には周辺の大規模工場の操業制限も行われる。
このような臨時の措置による効果は別としても、オリンピックを契機として北京市の環境が大きく改善されてきていることは他の都市へ優良事例として波及する効果も期待できよう。
最近の中国の環境対策は本物か?
最後に、最近の中国の環境政策の動向に簡単に触れてこの稿の終わりとしたい。
1978年の改革・開放政策実施からちょうど30年経った。この間これまでの20年以上は、「環境保護は国家の基本政策(基本的国策の一つ)」と叫びな がらも経済発展重視環境軽視の政策であった。2006年から始まった第十一次五か年計画(2006-2010年)は初めてこの矛盾を直視した計画であり、 環境保護に真正面から取り組む姿勢を打ち出した。表2のような具体的な数値目標も掲げて、さらには達成できなかった場合の責任追及も明確にし、幹部の責任 を問う問責制や環境分野の成績考査に一票否決制(どんなにほかの分野の成績・業績が良くても、環境分野での成績が悪ければ総合評価は「不合格」とされる制 度)を導入することも決定した(4)。 2008年末には中間考査も行われる予定であるから皆目の色を変えて頑張っているのは良いことだ。本気になれば対策は進むのだということをこの機会に是非 とも示してもらいたい。しかし、達成できる見込みがなくなってきた時に苦し紛れのごまかし、すなわち、データのねつ造が行われないかどうかも心配だ。この 原稿を書いている時、私の連載コラム(5)を読んでいただいた読者からデータねつ造に関する一通の切実な便りが寄せられた。その概要を紹介して締めとしたい。
「中国で小型汚水処理装置を開発してきた技術者です。○○の汚水を清水と汚泥に分離するミニプラントの開発を行ってきました。会社は時流に乗り投資家から の資金を呼び込むためになりふり構わず行動し始め、2007年中頃から試験データのねつ造をしはじめました。日本国内でも企業不正がありますが、異国の地 で環境を利用した不正ビジネスが○○○などを巻き込みながら進んでいくことに我慢できず退職しました。」
- シャオリュウの中国環境見聞録 見聞その十九 オリンピックイヤー(1) 小柳秀明 官公庁環境専門資料Vol.43,No.1(JAN.2008)
- 北京2008オリンピック環境評価報告書 国連環境計画 2007年10月(中国語)
- 「環境問題のデパート」・中国の素顔 小柳秀明 日経エコロミー(2008.3.17.) http://eco.nikkei.co.jp/column/eco-china/article.aspx?id=MMECcj003013032008
- 最近の中国の環境政策動向−「節能減排」(省エネ・排出削減) 小柳秀明 季刊環境研究 2008/No.149
- 「環境問題のデパート」・中国の素顔 小柳秀明 日経エコロミー(2008.6.23.)
http://eco.nikkei.co.jp/column/eco-china/article.aspx?id=MMECcj000019062008