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【08-006】胡錦濤主席の中国科学院・中国工程院院士大会での講話

2008年6月26日〈JST北京事務所快報〉 File No.08-006


 2008年6月23日、中国科学院第14回院士大会と中国工程院第9回院士大会が開幕し、人民大会堂で開幕式が行われた。中国科学院は科学系研究を中心に、中国工程院は工学系研究を中心に研究を行っている国の研究組織で、院士とは、それぞれの院で選ばれた功績ある研究者に与えられる称号である。新華社によれば、現在、中国科学院の院士が699名(ほかに外国籍院士が52名)、中国工程院の院士が719名(ほかに外国籍院士が33名)いるとのことである。院士大会は、2年に1度開かれている。

(参考1)「新華社」ホームページ2008年6月23日付け記事
「我が国には中国科学院院士が699名、中国工程院院士が719名いる」
http://news.xinhuanet.com/newscenter/2008-06/23/content_8422462.htm

 今回の両院院士大会の開幕式には、胡錦濤主席、呉邦国全国人民代表大会常務委員会委員長、温家宝国務院総理ら国家指導者が参加した。その中で胡錦濤主席が講話を行った。この講話には、胡錦濤主席が科学技術に期待するものが端的に表れていると思われるので御紹介する。
 

(参考2)「人民日報」2008年6月24日付け2面に掲載された中国科学院第14回院士大会、中国工程院第9回院士大会での胡錦濤主席の講話
http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2008-06/24/content_45070.htm

*** 胡錦濤主席の講話 ***

 5月12日に四川省で発生した大地震は、被災地区の人々の生命・財産と経済社会発展に対して重大な損失を与えた。現在、党中央と国務院の指導の下、全党・全軍・全国各民族人民は心を一つにして全力を挙げて救援・復旧活動を行っているところである。この重大で苦しい闘争の中において、中国科学院中国工程院は、国家の緊急事態と被災地区での必要に応じ、その知恵を集め、力量を発揮し、救援・復旧活動において重要な役割を果たしてきている。今後とも、分野を超えた団結により、科学技術の力を地震被災地の支援と復旧、被災者の救援に大きく貢献していただくことを希望している。

年は改革開放政策30周年を迎える年である。1978年3月18日に開かれた全国科学大会のことを思い起こしていただきたい。この大会においてトウ小平同志は、科学技術が果たすべき役割とその発展の重要性、科学技術に対して戦略的に重点を置くことの重要性、科学技術者の政治的地位と人材養成の重要性を強調した。そして、科学技術は生産力そのものであり、知識階層(科学技術研究者などのいわゆる「インテリ層」)は労働者階級の一部分であり、四つの近代化のカギは科学技術の近代化にあることを明確に打ち出した。

【解説1】

1976年まで続いた「文化大革命」の時期を乗り越えて、1978年12月に開催された中国共産党第11期中央委員会第三回全体会議(第11期三中全会)で、トウ小平氏の指導の下、改革開放政策が打ち出された。中国は、「文化大革命」の末期には、国際連合での代表権の獲得、米国ニクソン大統領の訪中、日中国交正常化などに見られるように、国際社会へ歩み出すとともに、経済社会の近代化も重要な政策テーマとして考えるようになっていた。それを端的に示すのが、1975年の全国人民代表大会の政府工作報告で当時の周恩来総理が提唱した四つの近代化(農業、工業、国防、科学技術の近代化:中国語では「現代化」)である。

この周恩来総理の方針に基づいて近代化を進めようとしていたのがトウ小平氏であったが、1976年1月に周恩来総理が亡くなり、その年の4月の清明節(物故者を追悼する日)に周恩来総理を追慕する多くの人々が天安門前広場の人民英雄記念碑に花輪を捧げた事件(いわゆる「第一次天安門事件」)をきっかけにして、当時、権力を持っていたいわゆる「四人組」によってトウ小平氏は失脚した。1976年9月に毛沢東主席が亡くなると、いわゆる「四人組」は打倒されて、「文化大革命」は終了し、トウ小平氏は、また政治の表舞台に出てくることになるのである。

「文化大革命」の最中は、階級闘争が最も重要なこととされ、知識階層は冷遇され、科学技術の研究者の多くは研究活動を続けることができなかった。1978年3月の全国科学大会開幕式におけるトウ小平氏の演説のポイントは、まさに今回胡錦濤主席が指摘した三つの点、即ち「科学技術は生産力そのもの」「知識階層は労働者階級の一部分」「科学技術の近代化こそが四つの近代化のカギ」であった。

(参考3)「人民日報」ホームページ(2003年8月1日)
「歴史の中の今日(Ver.2.0):3月18日=全国科学大会開幕」
http://www.people.com.cn/GB/historic/0318/878.html

 このトウ小平氏の演説のポイントは、科学技術者によい待遇を与え、科学技術のよい成果を生み出すことは、社会全体の生産力を高めることにつながるのであって、決して社会主義の原則と矛盾するものではない、と明確に宣言したことである。これは「文化大革命」の束縛から科学技術者を明確に解き放つものだった。政治的な政策判断は1978年の12月に開かれた三中全会で決められたのであるが、その基本方針は、3月に開かれた全国科学者大会でトウ小平氏が既に表明していたのである。胡錦濤主席は、改革開放30周年にあたる今年の中国科学院中国工程院の両院院士大会で改めてこの点を指摘して、党と国の政策における科学技術の重要性を改めてアピールしたのである。


 革開放の30年間、中国は、幅広い科学研究と技術開発体系を整え、幅広い領域において一定のレベルの専門的人材を整えてきた。例えば、ハイブリッド水稲、高性能コンピューター、高温超伝導研究、人ゲノム(遺伝子)研究等の基礎研究分野で大きな成果が得られ進展が見られた。また、表面科学、非線形科学、認知科学、地球システム科学といった新しい学際的な分野での発展が速くなってきている。さらに、北京電子陽電子コライダー、蘭州重イオン加速器、広視野多目的光ファイバー分光観測天体望遠鏡、超伝導トカマク核融合実験装置、国家農作物ゲノム(遺伝子)資源プロジェクト等の国家重大科学プロジェクトは、我が国の基礎科学研究において重要な基盤を提供した。また、三峡ダムプロジェクト、有人宇宙飛行プロジェクト、初めての月探査プロジェクト、チベット鉄道の建設、高速鉄道の建設などにおいて大きな成果を収め、デジタル工作機械、原子力発電、IC等の国家重大技術設備の製造レベルと自主化率は着実に向上している。

 後さらに安定した社会発展建設を推進し、中国の特色のある社会主義を発展させるためには、重要でかつ本質的な次の諸点を認識する必要がある。

  1. 「科学技術は第一の生産力である」:科学技術は、中国と世界の先進水準との差の縮小を加速させ、安定した社会と社会主義の近代化の戦略目標のための支えとならなければならない。
  2. 「人材は第一の資源である」:数億人の質の高い労働者と数千万人の専門的人材と一定の数の先鋭的な創新のための人材を作り出す努力をしなければならない。
  3. 「自主創新能力を向上させる」:国民経済と国家安全のカギを握る領域については、真の革新技術とカギとなる技術を我々自身が持ち、我々自身が行う自主創新に依存するものでなければならない。
     
  4. 「社会主義制度に基づく政治的優位性を発揮する」:全国を一つの将棋盤に見立て、重要な部分に力量を集中させ、統一的な計画に基づき、統一的に管理し、統一的に調整する、これが中国の科学技術発展において堅持すべき重要な取り組み方針である。基礎研究、応用開発研究、ハイテク研究を統合するために政府が主導的役割を果たし、科学技術リソースの配分においては市場に基礎的な役割を果たさせ、技術的創新の分野においては企業に主体的役割を果たさせ、国家の科学研究機関に国全体の科学技術の骨格となり国全体を引っ張っていく役割を果たさせ、大学に基礎的役割と新しい力を生み出す役割を果たさせなければならない。
【解説2】

 ここの部分、改革開放の30年の中で、計画経済から市場経済へ、政府による統一的な管理から競争原理に基づく自由な活動へ、と流れてきた中国の経済社会の中にあって、この胡錦濤主席の講話には、やや今までの流れと方向性の異なるものを感じる。この講話において、胡錦濤主席が科学技術の分野において「社会主義的な面」の重要性を強調しているからである。胡錦濤主席は、科学技術分野のおいては、分野によっては、競争に追いまくられる環境が必ずしもよい方向に作用していないと認識しているのかもしれない。今、中国では企業による研究開発能力が低いことが問題視されているが、胡錦濤主席のこの講話では、企業の研究開発能力を高める、ということよりも、科学技術推進においては今後とも国が主導的な役割を果たすべきことを強く前面に出していることは注目に値する。

ここの部分、競争原理の過度の導入や市場化の行き過ぎは反省すべき、との主張と見ることもでき、政策運営全体に対する政治的メッセージである可能性もあるので要注意である。特に、胡錦濤主席は、講話の導入部分で、1978年において、トウ小平氏が、正式な政策決定を行う前に、全国科学大会で後に行う重大な政策転換について、事前にその方向性を示していたことを敢えて引用していたのは極めて示唆的である。

  1. 「科学技術は経済社会の発展への貢献、人民への貢献を図るものでなければならない」:国民経済の発展と国家安全のカギとなる領域で、新しい知見を開き、重大な公益性のある科学技術課題を解決しなければならない。
     
  2. 「科学精神を発揮する」:新しい文化を創造し、社会に創新の精神を根付かせることは、科学技術進歩に必要なだけでなく、社会的発展の基盤となるものである。

     

 国科学院と中国工程院は科学技術と工学分野における最高の諮問機関であり、国家の科学技術の知恵袋である。両院院士におかれては、今後とも、経済社会発展における諸問題の解決のための国家的政策決定に対して、科学に基づく提案をしていただきたい。その際、以下の点を御認識いただきたい。

  • 現代は、工業化、情報化、都市化、市場化、国際化が進展している新しい状況であり、我々は新しい課題や新しい矛盾に直面している。我々が直面している根本的な課題、即ち一人あたりの労働生産性が低い、製品に対して付加される価値が小さい、経済成長に際しての物質やエネルギーの消耗率が高い、生態系や環境に対する負荷が高い、といった点を踏まえて、経済構造改革を戦略的に推進しなければならない。
     
  • 今後留意すべき分野は、エネルギー、水資源、環境保護、地球規模の気候変動の問題、情報技術、新材料技術、バイオテクノロジー、宇宙技術、海洋技術等の分野での発展である。さらに、基礎科学やフロンティア分野、特に学際的研究に留意すべきである。また、工業・農業にとって緊急に解決すべき重要な科学技術の課題、例えば民生用食品の安全、衛生、重要な公共健康に関する問題等である。

  後にもう一つ、防災・減災の問題について申し上げたい。中国は世界でも大きな自然災害の被害を受ける国の一つである。災害の種類も多岐に渡り、被災地域も広く、発生頻度も高く、その被害も重大である。地震、洪水、台風、干害、雹(ヒョウ)、雷、熱波、砂嵐、土砂災害、暴風雨・高潮、赤潮、森林・草原火災、植物・森林の病虫害などは全て中国で発生している。自然災害の予測・予報、防災・減災も経済社会の発展においては重要な課題である。今後は以下の点での努力が必要である。

  • 自然災害発生メカニズムの研究
  • 自然災害の監視と警報能力の構築
  • 自然災害と生態環境との関係や災害と経済社会との関係に関する研究、自然災害リスク評価、防災・減災技術の研究
  • リモートセンシング技術、地理情報技術、インターネット技術などを総合した減災とリスク管理の基盤整備
  • 科学技術知識に基づいた政府・地方での防災体制の確立、全国民の防災意識の向上、防災知識の普及
  • 世界的に未解決の防災技術に関する国際協力;外国の先進的な防災技術の導入と、人類社会全体に対する防災・減災面での貢献
(講話終わり)

 2008年6月25日付けの人民日報によれば、上記の講話は早速単行本として出版され、全国の書店で販売されることになった、とのことである。中国政府としても、上記の胡錦濤主席の講話は、科学技術に対する重要な方針の表明として重要視していることの表れであると考えられる。この講話は、中国の科学技術政策の基本方針の一つのとして、今後、いろいろな政策のよりどころとなっていくものと考えられることから、日本と中国の科学技術交流を考えていく上で重要だと考えたので、記録の意味も含めて御報告させていただいた次第である。

 

(注:タイトルの「快報」は中国語では「新聞号外」「速報」の意味)
(JST北京事務所長 渡辺格 記)
※この文章の感想・意見に係る部分は、渡辺個人のものである。