【20-03】理解しにくい中国社会の再認識
2020年5月08日
柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員
世界の中国ウォッチャーは、中国社会の変化が速すぎるといつも感嘆する。中国社会のさまざまな現象は、既存の経済学の理論と政治学の理論で解釈できない難題である。
2010年、中国の国内総生産は日本を追い抜いたが、今や日本の3倍近い規模を誇るようになった。20年前、一部の中国企業は日本企業の製品のロゴを勝手に改ざんして偽商品を作って売っていた。今や、中国企業は世界最先端のIT技術5Gをリードしている。中国社会の発展の速さは外国人の想像力をはるかに超えている。結果的に先進国を中心に中国を脅威と感じる人が増えている。それに、中国脅威論を助長するのは、世界銀行などの国際機関が人民元とドルの名目為替レートに代わって、購買力平価(PPP)で中国の名目GDPをドル建てに変換して、それがすでにアメリカのGDP規模をすでに超えている点である。
否定のできない事実として、先進国を中心に中国のような独裁政治体制の国を世界のリーダーとして受け入れることができないことが挙げられる。中国の国際戦略の重要な部分は、外国の政治、経済、文化など各界のリーダーの中国訪問を受け入れた場合、彼らが自国でも経験できない豪華な接待を受けることで中国のファンになってもらうことである。年配の日本人の方に教わったことがあるが、中国の文化大革命(1966-76年)のとき、日本のある新聞の中国特派員は中国にはハエもネズミもいないと報じたといわれた。おそらく当時、中国に関する情報が極端に少なかったため、多くの読者がそうした報道を信じて、中国に憧れたに違いない。
1970年代初期、イタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニ氏は毛沢東夫人の江青女史の招請で中国に関するドキュメンタリー映画を製作した。同氏は北京と上海のほかに、筆者の故郷の南京にも来た。当時、中学校生だった筆者は今も覚えているが、校長先生は全校生を招集して、外国人が撮影に来るかもしれないので、いっさいインタビューに答えてはならないと繰り返して厳重に注意した。しかし、のちに、新聞とラジオでこのアントニオーニが反中国分子として厳しく批判された。原因に関して詳細が知らされていなかったが、どうも同監督は取材で町の清掃員が公衆トイレの下水を収集するときのシーンを撮影したと噂でいわれた。要するに、この監督は中国に友好的ではないと性格づけされたのである。
数年前に、YouTubeで同監督が制作した「中国」というドキュメンタリー映画を見つけ観てみた。あからさまな敵意をまったく感じない。当時のありのままの中国をカメラに収めただけだったように感じた。今となっては、当時の中国を知る貴重な歴史的な史料とといえる。
では、中国をどのように理解すればいいのだろうか。とくに情報が少ないとき、大国中国を理解するうえで、もっとも重要なのは常識を持つことであると思われる。あれだけの大国中国、しかも、経済発展が遅れているのに、ハエもネズミもいないという言い方は明らかに非常識に決まっている。中国特派員の現地からのルポはそれなりの信ぴょう性を誇示できるかもしれないが、常識に反する言い方であれば、それを疑うのは常識であろう。
振り返れば、これまでの40年の日本の中国研究はおおむね二つの系統がある。一つは、ゲリラのような調査隊の労作によるものである。中国の地方の工場や農村を顕微鏡のようにきめ細かく観察して、それを報告するリポートである。このような中国社会の「細胞」に関する考察はまったく無意味とはいわないが、中国という国の過去と現在がどうなっているか、将来がどうなるか、の日本社会の問いに答えていないのが問題である。
それにもう一つの系統は、中国の公式メディアの「人民日報」、新華社、「環球時報」などの報道を詳しく読み解き、まるで暗号を解読するかのように、その行間に隠れている情報を一生懸命読み解く作業を行う研究者がいる。問題は、普通の中国人でさえ、これらの公式メディアの報道をみていないことである。あれは政府共産党の宣伝機関が作り上げたプロパガンダである。普通の中国人の行動原理が公式メディアのプロパガンダから大きく逸脱している現実を無視しているのは、このような研究姿勢の問題といえる。少し前に、あるテレビの番組に出演したときに、「私は、人民日報も環球時報もほとんど読んだことがない」と明かした。多くの日本人はそれにびっくりしたようだ。ツイッターで、「では、あなたはどこから情報を取っているのか」とのつぶやきをみた。
答えはきわめて簡単である。すなわち、常識である。常識を以て中国社会で起きたいろいろな事象を判断すれば、まず、大きく間違わないと思われる。要するに、人民日報と新華社の報道のなかから中国社会の常識を読み取ることができない。
日本人の中国研究のなかでもっとも優れているのは、古代中国に関する歴史研究である。京都学派の研究功績は世界でもトップレベルといえる。欧米の中国研究者の近現代中国に関する研究はやはり一歩二歩先に進んでいるといわざるを得ない。
1991年に亡くなったアメリカ人中国研究者J・K・フェアバンク教授はもっとも優れた中国研究者の一人といえる。第二次世界大戦以降、国民党軍と共産党軍が内戦を繰り広げていたときフェアバンク教授は、国民党行政府の腐敗を理由に、共産党軍が内戦に勝利すると予測した。この予測は、当時のアメリカ政府の対国民党政策に大きな影響を与えたといわれている。
1949年、フェアバンクは、社会主義中国が直面するであろう三つの課題を予測した。一つは人口問題、もう一つは官僚腐敗、三つ目は思想の統一を強化するあまり、中国社会が想像力を喪失する、という三大予測である。今の中国を照らし合わせても、フェアバンク教授の予測はまったく外れていないといえる。フェアバンク教授の中国研究は、「菊と刀」を著したルース・ベネディクト教授の日本研究と比較しても、同格のものといえる。
以前にもこのコラムで指摘したことがあることだが、日本の本屋に行くと、中国に関する書籍はなぜか極論ばかりである。崩壊論、脅威論、楽観論がほとんどである。ありままの中国を知ろうとする読者はどの本を読んだらいいか迷ってしまう。極論が横行する背景には、やはり常識の感覚を欠けているからである。たとえば、中国崩壊論を唱える論理について、中国社会がどのようにして崩壊していくかはまったく議論されず、ただ単に著者個人の期待的観測に基づいて感想を述べているだけである。同様に、中国の株投資で儲けようと唱える楽観論者も無責任といわざるを得ない。中国金融市場の未熟さと中国株のリスクを考えれば、中国株への投資を勧めることはできないはずである。
最後に繰り返しになるが、中国社会は複雑な多面体である。それに関する考察は、幅広い知識と洞察力が必要である。何よりも重要なのは、常識をもって中国社会を考察しなければ、真の中国に近づくことができない。