中国の「双循環」戦略と産業・技術政策―アジアへの影響と対応
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【22-19】東アジアの通商秩序と中国の双循環戦略-ASEANへの影響(その2)

2022年05月10日 石川幸一(亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

その1 よりつづき)

8.2 経済安全保障 

8.2.1 安全保障を目的とする貿易制限

 WTOルールでは、「自国の安全保障上の重大な利益の保護のため、必要であると認める措置を執ることができる」という安全保障例外がGATT21条、GATS(サービス貿易協定)14条、TRIPS(知的所有権貿易関連協定)73条に規定されている。また、FTAにも安全保障例外規定があり、CPTPPでは29・2条に同様な規定がある。従来、安全保障例外の発動にWTO加盟国は慎重だったが、トランプ政権は2019年に通商拡大法232条による安全保障を理由に鉄鋼とアルミニウムに制裁関税を賦課した。トランプ政権は暗黙の了解を破ったのであり(松下満雄教授)、その後安全保障例外を発動する国が増えている[3]

 米ソ冷戦時代には共産圏諸国に兵器開発に関する技術が流出されることを防止するためにCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)により貿易管理が行われており、冷戦終了後にCOCOMはワッセナー・アレンジメント(WA)に移行した。大量破壊兵器などの国際輸出管理レジームとしては、ワッセナー・アレンジメント(通常兵器・関連汎用品:WA)、オーストラリア・グループ(生物化学兵器:AG)、原子力供給国グループ(NSG)、ザンガー委員会(非核兵器国に対する輸出:ZC)、ミサイル技術管理レジーム(MTCR)がある。ワッセナー・アレンジメントをはじめとするこれらの輸出管理レジームは、法的拘束力はなく、参加国は合意されたリスト品目について、国内法令に基づき、輸出管理を実施する。

 2018年7月に1974年通商法301条により、知的財産権侵害への制裁として追加関税を賦課し中国が報復関税を賦課したことをきっかけに、貿易戦争として始まった米中対立は、技術覇権から安全保障をめぐる対立へとエスカレートした。米中両国は2020年1月の第一段階合意に達したが、追加関税の大部分は維持されており、2019年からは中国への輸出規制、中国企業の対米投資審査厳格化、中国企業製品や技術の政府調達禁止などを実施し、2020年には対中規制を拡大・強化した[4]

 このように安全保障貿易管理が強化・拡大された理由として、鈴木一人教授は、軍事転用されれば安全保障秩序を変化させる可能性のある新興技術が安全保障管理の対象となっていることを指摘している[5]。そして、新興技術は、民間で汎用性のある技術として開発され、グローバルサプライチェーンの中で様々な国の部品や製品を使って開発・製造され、外国からの研究者や留学生との共同研究により生み出されることも多いとしている。そのため、新興技術の貿易管理には、サプライチェーンの管理、研究者など人の移動の管理も必要と論じている。

8.2.2 米国と中国の経済安全保障政策の展開

 米国の中国に対する経済安全保障を目的とする貿易、投資、政府調達の管理は、2018年8月に成立した2019年度国防授権法(NDAA)により実施された(表8-2)[6]。新興技術と基盤技術の輸出規制は、2018年輸出管理改革法(ECRA)により商務省産業安全保障局(BIS)の許可が必要となり、第3国からの再輸出も対象となりBISの許可が必要である。ECRAが指定した新興技術は、①バイオテクノロジー、②人工知能および機械学習技術、③測位技術、④マイクロプロセッサ技術、⑤先進的計算技術、⑥データ分析技術、⑦量子情報およびセンシング技術、⑧ロジスティクス技術、⑨3Dプリンティング技術、⑩ロボティクス、⑪脳・コンピューターインターフェース、⑫超音速、⑬先進的材料、⑭先進的サーベイランス技術、の14分野である。

 中国企業の米国への投資規制については、対米投資規制に関する投資リスク投資審査現代化法(FIRRMA)により対米外国投資委員会(CFIUS)の権限が強化された。投資規制対象分野には、武器や国際輸出レジームに基づく規制にECRAの新興技術と基盤技術が加えられ、対象が拡大され、審査も厳格化された。政府調達については、2019年8月にNDAA889条によりファーウェイ、ZTEなど中国企業5社との政府機関の取引が禁止された。

 中国に対する規制の強化は、2019年以降現在まで続いている(表8-2)。2019年5月には輸出管理規則(EAR)に基づくエンティティ・リストにファーウェイなど68社が掲載され、米国からの輸出が規制された。人の移動の規制について、2018年6月に国務省は「中国製造2025」の優先分野を研究する中国人大学院生のビザを5年から1年に短縮した。2020年5月と8月にはファーウェイ製品の再輸出について、米国の部品、技術が25%以下であれば対象外だったが、適用が拡大され、米国の部品や技術、ソフトを使った半導体についても輸出が禁止された。バイデン政権になってからは、半導体などのサプライチェーンを強化する施策が打ち出されている。

表8-2 米国の経済安全保障のための施策

2018年8月:2019年度国防授権法(NDAA)成立、①2018年輸出改革管理法(ECRA)による輸出規制、②対米投資規制に関する投資リスク投資審査現代化法(FIRRMA)の強化、③NDAA889条による政府調達禁止。

2019年5月および8月:ファーウェイなど中国企業をエンティティ・リスト(EL)に掲載。

8月:ファーウェイ製品の政府調達を禁止。

2020年5月および8月:ファーウェイへの「直接製品規制の適用拡大」。

7月:新疆ウイグル自治区における人権抑圧への加担を理由 に繊維企業など11社をEL掲載。

8月:米国の通信ネットワークから中国企業を排除するクリーンネットワーク構想発表。

8月:南シナ海での違法行為を理由にインフラ関係24社をEL掲載。

12月:半導体製造大手SMICやCCCC、ドローン大手DJI等60の中国事業体を ELに追加。

2021年1月:国防授権法 2021、半導体工場立地・設備導入を支援する最大約 3300 億円/件の補助金導入、参加国の誓約を前提とする「多国間半導体セキュリティ基金」の設置、CHIPS法(500億ドル規模の米国半導体製造支援法)。

2月:サプライチェーンに関する大統領令。

4月:スーパーコンピューター関連7機関をELに追加。

11月:量子技術、電子部品、半導体関係7社をELに追加。

出典:大橋(2021)およびジェトロ資料(筆者作成)

 米国の中国を標的にした貿易、投資規制の強化に対抗して、中国も同様な貿易、投資規制を導入し始めた(表8-3)。2020年8月に輸出禁止・輸出制限技術目録(対外貿易法)を大幅に拡充し、AI技術、3Dプリンター技術、バイオ薬品製造技術など44項目を追加した。12月には輸出管理法を施行し、特定企業への輸出を禁止できるとしたほか、再輸出規制や報復条項なども定めている。2021年1月には、「外国の法律および措置の不当な域外適用の阻止にかかわる弁法」(国家安全法、輸出管理法)が公布・施行された。外国の法令・ 措置の不適切な域外適用(米国の対中制裁)に従い、中国企業に損害を与えた外国企業への損害賠償請求を可能とする規定である。外国投資規制では、1月に国家安全保障に関わるインフラ・技術や重要農産品への外国投資の審査を厳格化する「外商投資安全審査弁法」が施行された。

表8-3 中国の経済安全保障のための施策

2020年8月:輸出禁止・輸出制限技術目録」(対外貿易法)を大幅に拡充:AI技術、3Dプリンター技術、バイオ薬品製造技術など44項目追加。

9月:「信頼できないエンティティ・リスト」、 リストに掲載された外国事業体は中国における貿易・ 投資活動、入国等を制限・禁止。

12月:「輸出管理法」を施行:輸出管理を包括的に規律した49条からなる基本法。報復措置、再輸出規制、みなし輸出規制など新たな措置を含む。

2021年1月:「商用暗号管理条例」(暗号法、輸出管理法)が施行、暗号関連製品が輸出管理の対象に追加。

1月:「外国の法律および措置の不当な域外適用の阻止にかかわる弁法」(国家安全法、輸出管理法)が公布・施行、外国の法令・ 措置の不適切な域外適用を順守し、中国公民・法人等に損害を与えた当事者に損害賠償請求を可能に。

1月:「外商投資安全審査弁法」軍事産業、国家安全保障に関わる重要農産品、インフラ・技術などへの外国企業の投資審査の強化。

1月:「レアアース管理条例」パブリックコメント実施:レアアースの採掘、製錬分離、流通、輸出入、備蓄の管理強化。

6月:「反外国制裁法」、外国が中国公民および組織に差別的な制限措置を講じるなどで、中国の内政に干渉する場合、中国が相応の対抗措置を取る権利があると規定。

出典:大橋(2021)およびジェトロ資料(筆者作成)

8.2.3 サプライチェーン強靭化

 経済統合が進展している時期において、企業はサプライチェーンの構築と拡大そしてFTAを利用した最適化を進めていたが、新型コロナ感染症の拡大、米中間の経済安全保障を目的とする貿易投資管理が強化されるとサプライチェーンの強靭化が課題となり、企業に加え各国政府もサプライチェーン強靭化に取り組み始めた。具体的には、半導体など重要製品や部品の調達、生産の特定国への過剰な依存を是正することを狙いとしており、①サプライチェーンの多元化、②調達先の国内移管、国内生産、③R&D、国内生産支援、④友好国、有志国との協力などが実施されている。

 日本では、日ASEAN経済強靭性強化に関する共同プログラム(強靭なサプライチェーン構築)、サプライチェーン対策のための国内投資促進事業補助金、海外サプライチェーン多元化等支援事業(日ASEANのサプライチェーン強靭化:自動車、電機、医療機器、レアメタル等)が実施されている。2021年10月にTSMC(台湾積体電路製造)とソニーは熊本県に投資額8000億円で半導体工場を建設することを発表した。日本政府は基金を設立し4000億円を補助する。

 米国は2021年6月に次のようなサプライチェーン強化策を発表した[7]。①重要製品のサプライチェーン脆弱性への対応(重要医薬品の国内製造支援、先端バッテリーの国内サプライチェーン確保、重要鉱物の持続可能な生産・加工のための投資、半導体不足に対応するための産業界、同盟国などとの連携)、②公正で持続可能な産業基盤構築(持続可能なサプライチェーンへの投資-食料サプライチェーンに40億ドル投資など)、③サプライチェーン強化に向けた長期戦略(a.生産・イノベーション能力の再構築:重要な半導体の国内製造および研究・開発のために少なくとも500億ドルの予算確保を議会に推奨、商務省に500億ドル規模の「サプライチェーン強靭化プログラム」を新設することを推奨、b.国際貿易ルールの強化:サプライチェーンの強靭化と米国の競争力を支えるための包括的な通商戦略を策定、c.グローバルサプライチェーンの脆弱性を減殺するための同盟・友好国との協働(後述するQuad、G7など)。TSMCはアリゾナ州に投資額150億ドルで半導体工場を建設することを2020年5月に発表したが、米国政府がかなりの額を補助するとした[8]

 バイデン政権は、トランプ政権と異なり中国との競争を同盟国やパートナーとの連携・協力により進める方針である。サプライチェーンの強化はQuad(日米豪印)の枠組みで取り組み始めている。バイデン大統領は2021年3月にQuad首脳会議を開催し、自由で開かれたインド太平洋のための共通のビジョンで結束することを呼びかけ、Quad重要新興技術作業部会を立ち上げた[9]。9月には対面によるQuad首脳会議を開催し、重要・新興技術では、半導体サプライチェーン・イニシアティブを立ち上げた。QuadはQuadrilateral Security Dialogueの略称であり安全保障の枠組みだったが、バイデン政権ではサプライチェーン、気候変動、コロナ対策などに取り組む枠組みとなっており、安全保障協力はAUKUS(豪州、英国、米国)で進める形になってきている。

その3 へつづく)


3.松下満雄(2021)21頁。

4.馬田啓一(2021)51-55頁。

5.鈴木一人(2021)36-43頁。

6.本項は、大橋英夫(2020)127-134頁によっている。

7.The White House (2021)。

8.太田(2021)27頁。

9.Quad首脳会談については、石川(2021)。