中国の「双循環」戦略と産業・技術政策―アジアへの影響と対応
トップ  > コラム&リポート 特集 中国の「双循環」戦略と産業・技術政策―アジアへの影響と対応 >  File No.22-18

【22-18】東アジアの通商秩序と中国の双循環戦略-ASEANへの影響(その1)

2022年05月10日 石川幸一(亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

はじめに

 東アジアでは21世紀に入り経済統合の動きが活発化した。20世紀末時点の東アジアの経済統合はAFTA(ASEAN自由貿易地域)とCER(豪州とニュージーランドのFTA)の2つだけだったが、現在はアジア域内の経済統合だけで約60に増加している。東アジアの経済統合の特徴はASEANを中心とするFTAネットワークができたことである。AFTAそしてASEAN経済共同体(AEC)が実現し、ASEANと日本、中国、韓国、インド、豪州・NZとの間でASEAN+1FTAが2010年までに形成された。その後、東アジアの多くの国が参加し広範な分野を対象とする広域かつ包括的なFTAが政策課題となり、2018年にCPTPP(包括的及び先進的な環太平洋パートナーシップ協定)、2020年にRCEP(地域的な包括的経済連携協定)が締結された。経済統合の進展は貿易、投資、サービス、人の移動の自由化と円滑化を進め、企業は東アジアでサプライチェーンの構築と最適化を進めた。

 しかし、2018年から貿易投資の自由化に逆行する措置が取られ始めた。経済安全保障を目的とする貿易や投資の規制の強化である。その嚆矢となったのが、米国の1962年通商拡大法232条による国家安全保障を理由とする鉄鋼・アルミニウム製品輸入に対する関税賦課(鉄鋼25%、アルミニウム10%)である。その後、米国は2019年国防授権法により「新興技術」の輸出管理と対米投資審査を強化し、ファーウェイなど中国企業をエンティティ・リストに掲載し輸出を規制した。中国をターゲットとする貿易規制、投資規制さらには中国からの留学生や研究者への管理が強化された。

 中国も対抗措置として2020年に輸出管理法を制定し、エンティティ・リストを作成するなど貿易規制を強化した。輸出管理法では第3国企業による再輸出も対象としており、経済安全保障による貿易管理は日本企業を含め第3国企業にも影響を及ぼしている。また、コロナ感染症の感染拡大により医療用品などの必需物資(essential goods)や自動車部品などのサプライチェーンが混乱したことも加わり、企業はサプライチェーンの構築と最適化だけでなく強靭化と管理に取り組むようになった。日本政府をはじめ主要国政府はサプライチェーンの多元化、リショアリング、半導体などの国内生産や研究開発などサプライチェーンを支援する政策を実施し始めている。

 本章の目的は、東アジアの通商秩序を巡る自由化と規制という方向が逆となる2つの潮流の中で中国の双循環戦略に対するASEANの対応について検討することである。

8.1  東アジアにおける経済統合の現状 

8.1.1 2国間FTAから広域FTAへ

 東アジアでは21世紀に入り経済統合が急速に進展した[1]。東アジアの経済統合をリードしたのはASEANである。ASEANは1993年からAFTA(ASEAN自由貿易地域)の形成を開始し、2003年にはASEAN6(ブルネイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ)の間で関税を0-5%に削減し、2010年には関税を撤廃した。新規加盟4か国(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)もAFTAに参加し、2015年に一部品目(6%に相当)を除きASEAN域内関税を撤廃し、2018年には残存品目の関税を撤廃した。ASEANは東アジアの主要国とFTAを順次締結し、2010年までに中国、韓国、日本、豪州・ニュージーランド、インドと5つのFTA(ASEAN+1FTAという)を締結した。ASEANを中心に主要国とFTAネットワークが形成されたが、日本と中国、日本と韓国、中国とインド、豪州とインドなどFTA相手国間ではFTAが締結されていなかった。

 そのため、東アジアの主要国が参加する広域かつ包括的なFTAの締結が新たな課題となった。その理由は、①自由化品目、自由化スケジュール、対象分野、原産地規則などが異なっており、FTA利用企業の事務作業やコスト負担などが増加した、②たとえば日本からASEANに部品を輸出し製品に加工して豪州に輸出する場合、原産地規則により豪州への輸出でFTAが使えなくなる可能性がでてきた、③広域・多国間FTAのほうが2国間FTAより経済効果が大きい、④サービス貿易や電子商取引、多国間にまたがるサプライチェーンの形成など企業活動の発展により新たな分野をFTAに取り込む必要がでてきた、などである。上記②は東アジアで累積原産地規則を規定した広域FTAを締結すれば解決できる。広域かつ包括的FTAとして具体化したのは、RCEPとCPTPPである。

8.1.2 RCEPとCPTPP

 2013年にASEAN10か国と日中韓豪NZ印の16か国で交渉を始めたRCEP(地域的な包括的経済連携協定)は、最終段階でインドが離脱し、2020年11月に15か国により調印を行った。RCEPは5つのASEAN+1FTAを統合するFTAであり、人口、GDP、貿易で世界シェアが約30%という世界最大のFTAである。全体で20章の電子商取引などを含む広範な分野をカバーする包括的な協定だが、CPTPPに含まれる国有企業、環境、労働は含めていない。

 自由化率(関税撤廃率)は91%でCPTPPの99.3%(日本は95%)より低く、ルールもCPTPPに比べると質が低い。RCEPは途上国(特にCLMV=カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)の経済発展段階と開発ニーズを考慮していることが特徴である。そのため、経過期間や見直しが規定されている分野が多く、質の向上に向けた改善のメカニズムが織り込まれている。RCEPの自由化とルールのレベルはASEAN+1FTAとCPTPPの中間に位置付けられる(表8-1)。日本にとっては、RCEPにより日中FTAと日韓FTAが出来たことになる。RCEPは中国が主導したFTAという見方が多いが、ASEANが提案しASEAN中心性を交渉の原則として交渉を主導したFTAである。11月1日時点で11か国が国内手続きを終了しており、2022年1月に発効する。

 CPTPPは、2017年1月の米国の離脱によりTPPの発効が不可能になったため、残りの11か国が集中的に交渉し2017年11月に合意、2018年3月に調印、12月に発効した。22項目を凍結(適用停止)したが、全30章の残りの規定はそのままであり、高いレベルの自由化率と新たなルールを含む質の高いルールを持つ21世紀型FTAというTPPの特徴は変わっていない。凍結された項目は主に米国が強く主張し途上国が反対していたが、米国への市場アクセスの見返りに受入れたものであり、知的財産が11項目と半分を占めている。

 CPTPPの関税撤廃率は99-100%(日本は95%)であり、主要なルールは、①迅速通関、②ISDS(国家と投資家の間の紛争解決)手続き、③情報の電子的手段による移転、コンピューター関連設備などの設置要求禁止、ソースコードなどの開示要求禁止、④国有企業への非商業的援助の禁止、⑤著作権違反の非親告罪化、⑥労働における基本的権利の自国法での採用・維持などである。このうち、③、④、⑥は中国を意識したルールであり、ほかにも、①TBT:他の締約国の利害関係者の意見提出、②投資:設立段階の内国民待遇、③TRIMS協定を超えるパフォーマンス要求の禁止、④政府調達における調達の効果を減殺する措置の禁止など中国を意識したルールは多い。なお、CPTPPは高い目標を掲げているが、妥結に際し多くの現実的な妥協が行われ、例外が設けられている[2]

 2021年9月16日に中国、22日に台湾がCPTPP加入申請を行った。前述のようにCPTPPには中国を意識したルールがあり中国の加入へのハードルは高い。しかし、①RCEPへの参加によりハードルの一部を越えていること、②CPTPPには多くの例外が認められていること、③中国はFTA交渉で思い切った譲歩をすることなどを考慮する必要がある。国有企業に対する規律が最大の課題になると考えられ、例外を認めるかどうかが争点になろう。国有企業についての規律は自由で公平な市場経済に関わる根幹となる規定であり、CPTPP締約国は妥協をすることなく交渉を行うべきである。

表8-1 RCEPとCPTPPの主要な規定の比較
出典:RCEP協定およびCPTPP協定(筆者作成)
RCEP CPTPP
物品の貿易自由化率 91%(日本はASEAN・豪・NZに対し88%、中国86%、韓国81% 99.3%(日本95%、ほかは99%あるいは100%)
原産地規則 物の累積のみ認める 完全累積制度(物+生産工程)、衣類3工程基準
サービス貿易 国によりポジティブ・リスト方式とネガティブ・リスト方式、3年以内にネガティブ・リストへの転換の議論開始 ネガティブ・リスト方式
投資 設立段階の内国民待遇、TRIMSより広範な特定措置(ロイヤリティ規制、技術移転要求)要求の禁止、ISDSは発効後2年以内に議論開始 設立段階の内国民待遇、RCEPより広範な特定措置要求の禁止、ISDS
電子商取引 データ・フリーフロー義務化、データ・ローカリゼーションの要求禁止 データ・フリーフロー義務化、データ・ローカリゼーションの要求禁止、ソースコード開示要求禁止
政府調達 政府調達に関する法令と手続きの透明性、協力など 政府調達を開放
国有企業 規定はない 国有企業への非商業的援助の禁止など
労働 規定はない 労働についての基本的な原則および権利を採用・維持
環境 規定はない 国際環境協定への参加、漁業補助金の禁止

その2 へつづく)


1.RCEP、CPTPPに至る東アジアの経済統合の展開については、清水(2021)を参照。

2.たとえば、CPTPP締約国の関税撤廃率は99-100%だが、日本は米、小麦、乳製品など5品目が例外となり、関税撤廃率は95%だった。