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【17-008】人民法院の意外な役割

2017年 5月16日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

信用情報と現代社会

 前回のコラム で取り上げたように、現代中国の裁判官に対する信用や信頼は、高まるとしても時間がかかります。しかし、私たちが理解するところの「法治国家」を、もし現代中国が目指すのであれば、否が応でも司法に対する信用や信頼を高めなければなりません。この時のポイントとなる信用や信頼について、前回のコラムでは裁判官にスポットを当てて論じ、結果としてはダメ出しをしてしまいました。そこで、今回のコラムでは人民法院(裁判所)にスポットを当ててみようと思います。

 一般に、裁判所を対象とする場合、いくつかのアプローチを示すことができます。その中でありふれたアプローチは「司法の独立」からのそれでしょう。このアプローチについては従前のコラム(第1回コラム「私たちが誤解する理由 」)で指摘した「日本における中国評論」が誤読へと誘いやすいため、今回のコラムでも採らないこととします。

 今回は「信用情報」をキーワードとした独自のアプローチで論じていきたいと思います。そもそも信用情報とは、クレジットカード取引やローンなどの信用取引についての契約や返済、その人の支払い状況、利用残高などの客観的取引事実を包括した情報のことを言います。個人情報と混同しやすいため、両者の違いを確認しておきましょう。

 個人情報とは存在するその人に関する情報を言います。すなわち、氏名や生年月日、その他の情報に照らして特定の個人を識別できる情報のすべてを指します。したがって、個人情報は信用情報よりも広く、別種の概念です。例えば、同姓同名の人がいたり、姓と名の区切りが分かりにくく別人に成り済ませることを奇貨として振舞う人がいたりといった場合に役に立ちます。一方の信用情報は、このような役立ち方をしません。

 信用情報とは、例えばクレジットカードの発行申請を何度やっても通過しない人を想定すると分かりやすいでしょう。申請が通過しない人は、間違いなくその人の信用情報に問題があります。巷で説明されるその問題の例としては、過去に他のクレジットカードを利用していた中で支払い遅延などを起こした記録が残っているとか、消費者金融を利用している記録がある時です。このような時、その人の信用情報は傷物として扱われます。

 許可する側の心理に立てば、傷物である信用情報を基にして許可した場合で、将来何かトラブルが発生すると、許可した自分が責められることは目に見えています。そのため、傷物の信用情報をもつ人が申請しても拒否されるのです。

 現代社会において、このような信用情報は非常に有用です。隣人の顔が見えにくい状況で、信用情報が相手に対する信用を確認する重要な役割を果たすからです。言い換えれば、信用情報を照会することによって取引の安全が支えられるし、自分に対する信用を相手に与えられるわけです。同時に、凶器にもなりますね。例えば、後ろ指をさされるような陰口を叩かれるといった口コミは、取引の安全や自分に対する信用を低下させる手段です。この時、悪質な口コミから自分の信用を保護するためにも信用情報が重要な役割を果たします。

 要するに、信用情報の使われ方や保障の仕組みが現代社会を支えています(なお、やや矛盾する注釈となって恐縮ですが、信用情報のみに頼ることも、歪んだ社会を形成しやすいと私は考えています。大切なことは、信用情報を傍らに備えつつ、自分の目でその人が信頼できるか否かについて真摯に向き合う姿勢だろうと思います)。仮に信用情報を容易に書き換えられるとすれば、信用取引は成り立たなくなります。また、誰もが簡単に参照できるとすれば、個人情報以上に自分の内面を抉られる感覚から誰もが信用情報と疎遠になり、結果として信用取引を伴う取引活動が委縮してしまうかもしれません。このような懸念から、日本では日本信用情報機構(https://www.jicc.co.jp/)などが信用情報機関としての指定を受け、信用情報の収集、登録、管理、提供を行なっています。私たちの信用情報は慎重に扱われていますので、ご安心ください。

 また、信用情報は信用情報機関のような通常の生活では目につかないものだけではありません。例えば、マスコミによる犯罪・裁判などの報道や成年後見制度における後見人など、目に見える形で信用取引のできない人を区別する「信用情報」があります。また、有名な大学や企業との取引があるという事実すなわち信用情報が、その人やその企業の信用を高め、高額な融資を引き出すことにつながることもあります。さらに、日本について言えば、マイナンバー制度が、運用の仕方によっては信用取引を支える基盤になると言われています(単に税金逃れを予防するという意味だけではなさそうです)。

人民法院による信用失墜者リストと信用情報

 論旨から申し上げましょう。今回のコラムは、人民法院が信用情報を創出していることを論じます。現代中国にも日本の信用情報機関のような組織が存在します。また、マスコミの報道やネット民の口コミが信用情報を創出する場合も同じように存在します。これらに加えて、現代中国における信用情報の一端を、人民法院が関連の司法解釈を通じて担っていることをご紹介したいと思います。

 イメージとしては、人民法院が創出する「負の信用情報の公示」が、逆に正の信用情報を創出しているという論じ方です。以下に見るように、信用情報が現代社会における様々な取引を支える役割を担っていると評価できそうなのですが、もちろんこれは建前のお話です。私が指摘したいことは、この完全に正当な理由の下で実施する司法解釈を通じて人民法院が人々の求心力や信頼を得ようとしているのではないかという点です。

 人民法院の制定した司法解釈に「信用失墜者リストの公表に関する司法解釈[関於公布失信被執行人名単信息的若干規定]」があります(http://www.chinacourt.org/law/detail/2017/02/id/149233.shtml)。当該司法解釈は、人民法院が判決文などを執行しようとした際に拒絶した人や組織について社会に向けて公表する権限があることを言明したものです。早速、この司法解釈について、紹介いたしましょう。

 まず、この司法解釈は2013年7月に制定していたものを、今年(2017年)2月に改正し、改めて公布したものです。整理のために、前者を旧法、後者を新法としておきます。旧法は、判決文などによって債務の履行などを促された人や組織(これを被執行人と言います)が自覚的にそれを遵守して履行することを促し、それが結果として中国における(社会)信用秩序を構築することになるという目的で制定しました。そして、この目的自体は新法においても完全に一致しています。つまり、この司法解釈は旧法においても新法においても中国における信用情報のあり方やその構築を意図しているのです。

 ちなみに、旧法の7条は、各地の人民法院が被執行人リスト(このコラムでは信用失墜者リストと言っているもの)を新聞、ラジオ、テレビ、インターネット、人民法院の公告掲示板などを通じて公表できる権限を有することを言明しました。そのため、旧法が施行された後、信用失墜者を街の電光掲示板で流したり、インターネット上で公表したりといった試みを私たちは目にするようになっていました。当時、これらの行動について、人権やプライバシー権の侵害であるとか、野蛮であるとする言動を見聞したことがあります。しかし、中国的権利論に照らせば、信用失墜者を公開することが合法的権利として承認されているわけですから、これらの指摘は的外れです。

 現代中国の法制に照らせば、本当に彼・彼女らが人権やプライバシー権の侵害であると判断するのであれば、違憲審査の請求を全国人民代表大会に対して行なえますから、このような動きが顕在化しなかったということは、中国における人権やプライバシー権の侵害に該当しないと理解すべきでしょう(弾圧や粛清を恐れて請求できるはずがないとの反論が聞こえてきそうですが、恐れて請求できないのであれば、その程度のものということであり、私たちが理解する人権の侵害に該当しないと言えますね)。なお、この信用失墜者リストについては中国執行信息公開網(http://shixin.court.gov.cn/)へ集約されています。新法は旧法の内容を基本的には踏襲し、今年(2017年)5月1日から施行するとしています。新法によってどのような運用が展開されるのでしょうか。

旧法と新法の比較

 そこで次に、旧法と新法の条文比較をしてみたいと思います。ここでは主に3点ほど。

 第1に、新法は、どのような場合に信用失墜者リストに記載するかについて、より透明化させました。旧法では「その他条項」が相変わらず幅を利かせていました(「その他条項」については第6回コラム「検察による監督 」を参照ください)。旧法1条曰く「六、履行能力を有するにもかかわらず法律文書が確定した義務の履行を拒絶するその他の場合」と。

 新法1条は、その1号で「履行能力を有するにもかかわらず法律文書が確定した義務の履行を拒絶する場合」と言明し、この場合以外の適用を排除しています。また、新法2条1項は、信用失墜者リストに掲載する期間を原則2年と定めた(被執行人が暴力や威嚇などによって履行を拒絶する場合は1年から3年の間で延長できるとも規定しています)ほか、同条2項でリスト掲載後に積極的に履行した場合は2年間の期間中であっても削除できると言明し、被執行者に履行を促す内容を用意しています。

 この2条の新設にあわせて、十分な担保を提供している場合や財産の凍結などによって間接履行が可能な場合などの時は信用失墜者リストへ記載しないこと(3条)、また被執行人が未成年者である場合は記載しない(4条)という配慮も示しています。

 要するに、これらの条文を見ると、旧法と比べてかなり透明化が進み、人権侵害などの「難癖」を言う側にも配慮すると同時に、履行拒絶者に対する履行の促進を考えた立法になっていると評価できるのではないでしょうか。

 第2に、旧法4条は、被執行人が人である時はその人の「氏名、性別、年齢、身分証明書番号」を、また被執行人が企業などの組織である時はその組織の「名称、組織番号、法定代表者ないし責任者の氏名」を記載し、履行状況や被執行人の態度などを公表することになっていました。もちろん、国家機密、商業機密や個人のプライバシーに関係しないと人民法院が判断すれば、その他の情報を公表できました。

 このうち新法6条で目新しい部分は、被執行人が組織である場合のものです。組織番号ということになっていましたが、「統一社会信用コード」なる概念を導入しています。将来的には組織番号と身分証明書番号を統合した社会信用コードを現代中国の構成員すべてに付与する構想があります。日本のマイナンバー制度は住民票をもつすべての人を対象としたものですから、この社会信用コードは日本のマイナンバー制度よりも対象が遥かに広いように思われます。将来的にはこの統一社会信用コードを保有することが、中国社会で活動する企業にとって不可欠のものになったりするかもしれませんね。

 第3に、信用失墜者リストに記載すべきでない被執行人からの再審査請求や情報の修正請求を彼・彼女らの合法的権利として承認する規定を新設しました(9条)。旧法7条においてもリストから削除する場合を示していましたが、新法10条は削除する場合を増やすだけでなく、被執行人自らが請求できるとしました。この新法9条の新設を、個人的には交渉空間を設けることによって「法学教育」の機会を確保するという意味で、重要な進歩であると感じます。

 ちなみに、新法12条2項は再審理請求期間中に信用失墜者リストの公表を控える処置は採らないことを言明しています。これは日本の行政法理と一致しそうです。行政の公定力すなわち、行政行為の有効性の推定が働いていると言えるからです。関連して旧法6条3項は、国家公務員で履行を拒絶する者がいる場合はその所属単位に通報するとしていました。一方、新法8条は、国家公務員に加えて、人民代表大会の代表や政治協商会議の委員の場合も同様に扱うとすることを言明しています。さらに、新法13条は人民法院の構成員がこの司法解釈に反する行為を行なった場合はその責任を追及するとさえ言明しました。このあたりの公権力の正当性を絶対の前提にしない法的論理が現代中国法の面白いところのように私には思えます。

 以上の3点をまとめてみると、(1)期間を明記して信用失墜者リストを公表することで中国社会を構成する人々に対して信用情報の重要性を認知させると同時に、人民法院が公表する信用情報によって信用取引を支えようとしていること。(2)「社会信用コード」の普及を促すことで、人も組織も含めた包括的な信用情報秩序を構築しようとしていること。そして(3)信用失墜者リストの対象者との交渉空間を用意することで更なる緻密化を図るとともに、リスト対象者に例外を設けない姿勢を打ち出すことによって人民法院の中立性・公平性を高めようとしていると言えるのではないでしょうか。

人民法院は復権するか

 日本おける信用情報のあり方と比較すると、目に見える形で信用情報が間接的に現れているという意味において真逆の運用をしているように映るかもしれません。やや語弊がありますけれども、日本の裁判所がいくら判決を下そうとも(そして、その債務名義に基づいて強制執行の申し立てをしたとしても)、敗訴者がその履行を拒絶する場合は埒が明かないことも少なくありません。しかし、このように敗訴者が履行拒絶する一端は、この拒絶を社会的に認知させない日本の仕組み自体にも原因があると言えます。そうであるからこそ、私たちからすれば、信用失墜者リストの公表に関する司法解釈やその施行状況は「野蛮」に映ります。なお、どちらが良い悪いという是非弁別の問題ではないことを申し添えておきます。

 最後に、この信用失墜者リストの運用について、今回のコラムの目的に照らした指摘をしておくことに致しましょう。すなわち、信用情報を別の視点から眺めてみると、人民法院の意外な役割に気づかれるのではないでしょうか。今回の冒頭でご紹介したように、信用情報が現代社会を支えているという視点から見れば、人民法院が公表する信用失墜者リストは、まさに現代中国の信用取引を支える一端です。中国社会にとって役立つことを人民法院が行なっているわけです。そして、そこでは被執行人との交渉空間を通じて中立性や公平性を高めるだけでなく、法学教育の側面もありました。さらに、透明化を促すという現代中国法の大きな流れを反映するものでもあります。

 このように見てくると、「信用失墜者リストの公表に関する司法解釈」を改正した人民法院の動きは、人民検察院と比べて信用されない現状を改め、その復権を人民法院自身が望んでいる表れと言えるかもしれません。いわば「人民法院の復権のための信用情報機関化」という視点は意外と悪くないアプローチではないでしょうか。

(了)

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