書籍紹介:『中国科学院-世界最大の科学技術機関の全容 優れた点と課題』(林 幸秀、2017年10月)
書籍名:中国科学院-世界最大の科学技術機関の全容 優れた点と課題
- 著 者: 林 幸秀
- 出版社: 丸善プラネット
- ISBN : 978-4-86345-347-0
- 定 価: 1,200円+税
- 頁 数: 188
- 判 型: 新書
- 発行日: 2017年10月
書評:『中国科学院-世界最大の科学技術機関の全容 優れた点と課題』
小岩井 忠道(中国総合研究交流センター)
多くの研究者に引用される数が多い価値ある論文数で、日本はもはや中国にかなわない。これはあちこちで指摘され、中国の科学技術に関心がある人たちにとっては今やニュースではなくなっているだろう。国際情報サービス会社「クラリベイト・アナリティクス」が11月に公表した「世界の高被引用論文研究者」でも、こうした現実があらためて裏付けられた。対象にされたのは、2005~2015年に発表された論文で、他の研究者に引用された数が多い研究者を、どこの国の研究機関に所属するかで(国籍ではなく)、列挙している。選ばれた約3,300人の研究者のうち、中国の研究機関に属する研究者は、昨年から41%増えて249人。米国、英国に次ぐ多さで、国別順位も昨年の4位から3位に浮上した。ちなみに日本の研究機関に属する研究者は72人と、だいぶ差がついている。
中国の249人のうち、所属する研究者が最も多かった機関は中国科学院で44人に上る。米国のハーバード大学、スタンフォード大学、ドイツのマックス・プランク協会に次ぐ人数で、中国科学院が世界でも有数の研究機関であることを、この結果は示している。日本では同様な機関が見当たらない中国科学院の巨大さを詳細に紹介した本が、タイミングよく刊行された。2010年以来、中国科学院傘下の研究所、大学を20箇所以上、訪れているという著者が、直接、見聞、確認した具体的で興味深い情報がふんだんに盛り込まれている。
中国科学院の巨大さを示す数字を著書の記述から紹介してみよう。まず2015年末時点で6万9,013人という職員数の多さが、日本の有力研究機関、大学と比べてみると一目瞭然だ。「特定国立研究開発法人」に指定され国立研究開発法人の中でも別格の扱いを受けている理化学研究所と産業技術総合研究所の職員数は、2016年4月 時点で、それぞれ3,433人、2,928人である。最大の国立大学である東京大学でも正規教職員数は7,832人(2015年5月時点)、といずれも桁が違う。
日本以外を見渡しても、最も規模が近いロシア科学アカデミーで約4万人。フランス国立科学研究センター(CNRS)が約2万人(常勤スタッフ)、米国最大の研究機関である国立衛生研究所(NIH)が約1万8,000人だから、中国科学院が世界最大の職員を擁する研究機関であることは明らかだ。
予算はどうか。この20年来、増え続けており2015年は約506億元(約8,600億円)。理化学研究所約900億円、産業技術総合研究所約909億円、東京大学2,230億円(いずれも2016年度の数字。東京大学は授業料収入、病院収入などを含む)をだいぶ、上回る。CNRSの23.2億ユーロ(2015年の数字。1ユーロ124円換算で2,880億円)、ロシア科学アカデミーの約853億ルーブル(2016年の数字。1ルーブル2円換算で約1,700億円)と比べてもはるかに多い。
傘下の研究所数が多いのも特徴だ。2016年末で104。この他に中国科学技術大学、中国科学院大学、上海科技大学の3大学が管轄下にある。こうしたユニークな機関である故に日本とは大きく異なる研究環境も多い。その一つが、傘下の研究所に大勢の大学院生を教育するシステムが出来上がっていることだ。前述のように傘下の研究者を含めた中国科学院の職員総数は6万9,000人余り。このうち研究開発職員は5万7,000人余りいる。一方、傘下の研究所には研究生と呼ばれる大学院生が約4万5,000人(うち半数が博士課程)おり、研究の重要な一翼を担っているのだ。ほとんどが大学で修士課程、博士課程を過ごす日本の大学院生では考えられない。似ているところを探すとドイツだろうか。こちらもマックス・プランク協会やフラウンホーファー協会、ヘルムホルツ協会といった公的研究機関が大学院生の養成、学部学生の教育に大きな役割を果たしている。ただし、ドイツの場合、公的研究機関で教育され、研究者として鍛えられる大学院生、学部学生は合わせて約2万人と言われるから、中国科学院の大学院生の数にはだいぶ及ばない。
また、中国科学院傘下の研究所に限った話ではないが、中国では大学院の授業料は実質無料だ。これに加え理工系大学院生には所属する研究室から研究アシスタント費用として生活費に相当する額も支給されているから、日本の大学院生との違いは大きい。
成果はどうか。前述の「クラリベイト・アナリティクス」社による別のデータが紹介されている。同社のデータベースに収録されている2006~2016年の論文数で、中国科学院の論文は約29万2,000本に上る。米カリフォルニア大学、フランス国立科学研究センター(CNRS)に次いで世界3位だ。被引用数がトップ1%に入る論文数では4,760本で、カリフォルニア大学、ハーバード大学、ロンドン大学に次ぐ4位となっている。ちなみに日本で最上位の東京大学の総論文数は約8万4,000本で27位、被引用数トップ1%の論文数は1,327本で74位だ。
論文とともに特許の数字も紹介されている。日本の特許出願件数とこれに相当する中国の発明出願件数はどうなっているか。2015年の実績で中国科学院は1万1,551件。日本の全大学を合わせた件数が4,986件で、最も多い東京大学が344件だから、日本の全大学を合わせた件数の2倍以上、東京大学の30倍以上という件数だ。このうち特許(発明)と認定された特許(発明)登録件数でも同様の傾向が見られる。中国科学院は6,983件。日本は全大学を合わせた件数でも3,862、東京大学で239だから、こちらも出願件数とほとんど変わりない大きな差がついている。
さて、この本の最大の読みどころは、「優れた点と課題」と題する最終章にあるといえよう。長年、科学技術・学術政策を実行してきた官僚としての経験に加え、その後の中国に対する調査研究で得た豊富な知見に基づく著者の評価が示されている。研究開発費が年々増え続けてきたことを可能にしたのが、「科学技術進歩法」という中国のユニークな法律によるところが大きいという指摘に驚く読者も多いのではないか。「科学技術投資の増加率は国家財政収入の増加率を上回る」という記述が、この法律の中に明記されているという。潤沢な研究開発費に裏打ちされた圧倒的なエネルギーと自信。加えて、カリフォルニア大学、ハーバード大学、ケンブリッジ大学、フランス国立科学研究センター(CNRS)、マックス・プランク協会などと伍す世界のトップレベル研究機関になるという明確な目標。中国科学院と同院所属の研究者たちがこうした自信と目標をもって研究開発に集中していることを、著者は高く評価している。
一方、こうした自信、意欲に追いついていない課題もあることを著者は見逃さない。一つは、オリジナリティの不足だという。後追いの研究では新しいデータを大量に出し、論文を数多く投稿するものの、「爆発的な研究活動のきっかけとなるオリジナルな研究については、まだ弱い」というのが著者の評価だ。さらに各国共通の目標となっているイノベーションを生み出すにはどうしたらよいか、について中国は今後他の先進国以上に苦労するのでは、という見方も示している。これまでの中国の発展は欧米発のイノベーションを基礎としており、ロケットや衛星といった軍事技術に関わるところでは赫赫(かくかく)たる成果を挙げてはいるものの、「軍事技術は経済的効率で他国と争うことはなく、当該の技術を所有しているかどうかが全て」であって、社会に広い恩恵をもたらす一般的なイノベーションとは違うのではないかと指摘している。
さらにLAMOST望遠鏡、有人潜水調査船「蛟竜」という具体的な施設や装置を例に挙げ、「世界有数あるいは世界一としている施設や装置は、欧米や日本の施設や装置の類似的なものかその延長線上にあるものだ」と冷静に評価し、これらを十分に使いこなしていないと指摘している。また、傘下研究所同士の協力体制の弱さ、強い縦割り意識の存在に対して懸念を示しているところも、これまで多くの研究書を訪問したときの印象を基にした著者ならではの貴重な見解といえるのではないだろうか。
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