【19-022】「中国化」の本質を読み解く
2019年9月25日
御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員
略歴
2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職
一、情報の読み解き方の必要性(4)
時間が少し空いてしまいましたが、引き続き情報の読み解き方の第4の方法をご紹介致します。前回までにご紹介した方法は、「読み解く時点 」、「新旧条文の比較方法 」、「裁判例分析① 」(指導性裁判例群の観察)でした。今回は、「立法関係者の動向観察①」です。
現代中国の法を考察するうえで、立法関係者の動向を考慮しない考察は、十中八九は見誤ります。それは、現代中国法の核となる法的論理が常に合法性を要求するところにあるからです(中国的権利論)。そして、何が合法で、何が合法でないかを確定させる手段が、法令を制定する作業すなわち立法です。立法関係者とは、端的に言えば法令を制定し、修改正し、そして廃止する権限を有する個人や組織のことです(立法関係者は個人に限りません)。
さて、この立法関係者が人々から信任されているのであれば、世論の動向など重視せずに立法関係者は立法活動に勤しむでしょう。そうする方が効率的ですし、法令に対する人々の求心力を維持できると期待できるからです。しかしながら、現代中国の現在は、世界各国と同じように「自分たちが(控え目に言ったとして)以前よりは信任されていないかもしれない」と自覚し、世論の動向など人々からの目を重視する姿勢を示しているのが事実です。
今回ご紹介する「立法関係者の動向①」の方法とは、意見募集稿(パブリックコメント)の観察です。法律案に関する意見募集稿について取り上げる論考は少なくありません。民法典に関する意見募集稿が(もう少し先になるかもしれませんが)公表される時が来たとしたら、こぞって大量の論考を私たちは目の当たりすることになるでしょう。立法作業に関与したと言う学者の論考であったり、その実務を担当した人物の論考も翻訳されるでしょうし、私たちはどう対処すべきかというビジネス系の書籍も多く上梓されることと思われます。
そこで今回のコラムでは、そんな時を迎えた際に、大量の情報に振り回されず、複眼的に事態を把握できるよう予備的な準備もしてみたいと存じます。取り上げる対象は、現代中国の審判機関の頂点に位置する最高人民法院が社会に向けて公表したある会議紀要の草稿の意見募集稿です。
二、立法関係者は独裁者?
最高人民法院は、民事第2法廷[最高人民法院民二庭]の名前で、今年8月6日付に「全国人民法院民商事審判業務会議紀要(意見募集稿)」を公表しました(以下、当該意見募集稿とします)。曰く、この会議紀要は今年7月3日から4日にかけて黒竜江省ハルビン市で開催した全国人民法院民商事審判業務会議で議論された内容を整理したものだそうです。
当該意見募集稿の説明によれば、審判業務の実際における一連の問題について、その対処方法や提起された問題のほか、以前から検討してきた問題などを整理し、当該意見募集稿を公開したと言います。なぜ公開したかというと、意見募集稿が率直に言明しているとおり、このように会議紀要を公表することによって、全国の人民法院での論理思考を統一させ、司法の公信力を高められることを期待したからです。またその結果として、このように論理思考の方向性を一致させることによって当事者や法曹関係者など人々の予測可能性を高めることも期待できるからでしょう。
ちなみに、意見がある場合は2019年8月25日までにまで提出するよう告知もされました。個人的には、こうして集まってきたであろう意見が、どのように反映させられたのかを分析することに興味があります。ここにこそ意見募集稿の仕組みを導入して定着させてきた現代中国の変化を私は見て取れると考えます。やはり、立法関係者も自分たちだけの独断専行型の立法を断行できるほど自信はないのです。否、彼の国にしてみれば、これも民主化の一部なのかもしれません。
三、最高人民法院民事第2法廷とは?
ところで、当該意見募集稿は、前述したように最高人民法院民事第2法廷の名前で公表されています。最高人民法院という名称はどこかで聞いたことがあるかもしれませんが、その内部組織を御存じの方は少なくないしょう。そこで、簡単ではありますが、最高人民法院内の主な組織構成を御紹介しておきたいと存じます(図1)。
図1:最高人民法院内の主な組織
基本的には各国の裁判所の法廷の構成と同じで、刑事事件を扱う刑事法廷、民事事件を扱う民事法廷、そして行政事件を扱う行政法廷を基本として進展しています。知的財産事件を専門に扱う法廷や環境事件を専門に扱う法廷を新設する等の進展も、現代中国に限ったものではありません。
ちなみに、日本の場合、特定の地域や身分、事件などを対象として設置する特別裁判所を設置しないことになっています(日本国憲法76条2項)。そのため、軍事裁判所、海事裁判所、鉄道裁判所、森林裁判所、農業開墾裁判所や石油裁判所などの特別裁判所が存在することに驚かれる方や、裁判所の頂点に位置する最高人民法院が地方を巡回して裁判を行なう巡回法廷とは何だ?と、これまた違和感を覚えられる方に時々お会いします。が、日本の現行憲法が特別裁判所を設置しないことになっているだけですから、問題視する必要は必ずしもないと私は考えています。
やや脱線してしまいましたので、本題に戻すことに致しましょう。この最高人民法院民事第2法廷とはどんな組織なのか?です。「最高人民法院機関内の機構及び新設事業組織の職能」(法発〔2000〕30号)によれば、最高人民法院民事第2法廷の職能は、以下の5つであると言明しています。箇条書きにしておきますと、次のとおりです。
(1)内国法人の間、法人とその他の組織の間の契約紛争ないし権利侵害紛争
(2)国内の証券、先物、手形、会社および破産等の紛争
(3)国内の仲裁判断の取消し申請の審理
(4)以上の(1)から(3)に関連する不服審査
(5)高級人民法院による審理期間の延長申請の審査
要するに、現代中国社会における組織集団間の民事紛争や商事紛争を主に担当する「裁判所」が、最高人民法院民事第2法廷なのです。ということは、ビジネスにおける紛争を主に扱っているために、そして、来たる民法典の施行までに、民法典への編入が予定してある「物権法」「契約法」等の民事法との論理整合性や、既に施行した「民法総則」との論理整合性 のほか、民法典への編入はしないけれども「会社法」「証券法」「信託法」「保険法」「手形法」等のように関係する民商事法との論理整合性の確保を誰よりも注視しているからこそ、当該意見募集稿を公開したと言えそうですね。
四、全国人民法院民商事審判業務会議紀要(意見募集稿)について
今回のコラムで当該意見募集稿の内容すべてを取り上げることは不可能ですから、さきほど述べた「民法総則」と、その旧法である「民法通則」、「契約法」、「会社法」との論理整合性に関する内容を、そして現代中国法の特徴の1つである時間的効力についての内容を以下で取り上げておくことに致します。
当該意見募集稿は、基本的に「新法は旧法に優先する」「特別法は一般法に優先する」という法適用における論理を順守することを確認しています。が、「民法総則」を施行した後も「民法通則」を直ぐに廃止することをせず、民法典の施行後に廃止することを申し合せました。この申し合せは、何故でしょうか?
単純にして明快な回答としては「馴染んでいないから」でしょう。履き慣れた靴から新品の靴に履き替えた場合などを想定すれば分かりやすいのではないでしょうか。新品の方が見栄えは良いのですけれども、履き疲れが激しい場合は履き慣れるまでお古の靴と交互に履いたりしませんか?そのため、「民法総則」と衝突しない限り「民法通則」を適用できるという申し合わせをしたわけです。
次に、「契約法」や「会社法」との論理整合性についてです。この両者は扱いを異にしています。前者(「契約法」)については、民法典を施行するまでという期限の下で、「契約法」各則の規定が優先することを申し合せています。これは民法典の中へ編入することが予定されているからであるという説明が専らです。しかしながら、後者(「会社法」)については、特別法は一般法に優先するという法適用における論理を持ち出して、「会社法」が優先することを申し合せています。こちらは民法典への編入が予定されていないからであると説明されることが多いようです。
確かに理由の説明としても整合性が取れていますから、それで十分かもしれません。が、私個人としては、「契約法」のように現代中国の国内の民事紛争に限定し得る場合と「会社法」のように国内的影響に限定し難い場合とで態度を分けたのではないかと感じています。最高人民法院民事第2法廷の職分から外れるから、という説明もできそうですね。いずれにせよ、物権法違憲論争において「民法出でて忠孝滅ぶ」(穂積八束『法学新法』第5号1891年)のような反発を招いたことがありますから、私的自治の原理を全面的に導入した民法典が誕生する可能性は低いと思われます。
最後に、「民法総則」の時間的効力に関する申し合わせの内容です。時間的効力の問題というと、日本法では時効制度(論)という超マイナーな論点として議論されている所です。とはいえ、比較法的に観察してゆくと、現代中国法の時間的効力に関する法令の内容は、非常に興味深く、彼の国の法の独自性を見ることができます。
まず当然のことですが、法令を制定する以前の問題に対して制定した法令を適用することはフェアでないため基本的に禁止する論理は現代中国法でも同じです。例えば、プロ野球にクライマックスシリーズがあります。シーズン上位3チームによるトーナメントで、日本シリーズの出場チームを決めるわけです。もし、クライマックスシリーズの最中に、シーズン1位のチームが勝ち上がってきたチームに3勝した後に3連敗したその日に、シーズン1位のチームだから1勝分のアドバンテージを与えるというルールの変更をして前日に遡って適用したとしたら、どう思いますか?誰もが「やってられない」と思いますよね?
関係する全員で約束したことを好き勝手に修正されたら、そんなことをする相手は信用できないし、そんなフェアでない空間に居たくないでしょう。施行した法令を適用している空間の中で同じことが行なわれたら、法令を誰も守ろうとしなくなるでしょう。そのため、新しいルールを作った時は、作った時以降に適用する。それ以前に適用しないという前提は、人としても当たり前のことです。これを、「法不遡及の原則」と言います。
当該意見募集稿も、法不遡及の原則を当然に確認しています。そして、「民法総則」を施行する前に発生した事案で、「民法総則」を施行した後にも継続している事案については「民法総則」を適用すると申し合せました。本来であれば、旧法である「民法通則」を適用して対応すべきところであると思われますが、問題となりそうな事案群の「民法総則」と「民法通則」の規定が似通っているか、あるいは、さっさと「民法総則」一色に染め上げたいかの政治判断があったのかもしれません(今後の確認課題ということでご容赦ください)。
しかし最も興味深いのは、この続きの内容です。当該意見募集稿によれば、①「民法総則」を施行する前に発生した事案であるが、「民法通則」が規定していなかった場合は「民法総則」を適用することと、②「民法総則」を施行する前に成立した契約であるが、当時の法令では無効とすべき契約であった一方、「民法総則」に基づくと有効となる契約であれば「民法総則」を適用することと申し合せている点です。
いずれの場合も法令の根拠がない時点での非法行為を合法行為に転換することを認めています。日本法の論理に照らせば、これは、施行する以前に遡って適用できないことが前提であるとする法不遡及の原則を逸脱していると言えます。が、現代中国法の場合、遡って適用しているのではない、と言える論理を現在まで保持しています(図2)。
図2:2つの権利論の理論的接合[1]
中国的権利論の場合、法令の根拠がない時点での「非法的権利」が立法関係者を通じて「合法的権利」へ転換させるという「接ぎ木」式に思考しています。だから、法不遡及の原則を逸脱してはいないと認識するわけです。
ちなみに、日本法の権利論に照らせば、「法の支配」の部分を合法として認識していることは図示したとおりです。この思考に照らせば、法令の根拠がない時点であっても「法の支配」の下で法・ルールが創造されてきたはずであるから、「接ぎ木」したとしても遡って適用することはフェアでないと反発を覚えるわけです。
ところで、この「法の支配」と言えど、そこでは目に見えにくいのですが、立法関係者のようにキャスティングボードを握っている一部の人々が存在します。その人々を信任できないと考える人からすれば、「法の支配」もフェアでないと言うことになるかもしれません。そうすると、法・ルールとして言明してあることを全員が遵守することのみが、フェアであると言うことになるでしょう(図3)。
図3:権利論の「中国化」!?
現実の問題として、現在の香港で「中国化」が進んでいるとの言動を見聞するようになってきました。が、権利論の視点に照らせば、この論理を実際に論証できた時にようやく「中国化」が進んでいると言えることになります。そして管見の限りですが、この論証に成功した例を未だ見たことがありませんし、私は確認できていません。
五、曖昧な「中国化」発言は要らない。
今回は、情報の読み解き方の必要性(4)として立法関係者の動向観察を紹介致しました。その要点は、立法関係者の論理思考を文言から読み解くことにあります。最後の部分においてはその意義も少し披露させていただきました。
直近の時事をめぐる論争を引き合いに出してしまい恐縮ではございますが、どうも「中国化」という言葉だけが踊っているように見受けられます。香港の中国化が益々進む、在日中国人の人口が増加して中国化が益々進む、留学生に占める中国人の割合が圧倒的で中国化が進む云々のように、です。今、確かに言えることは、表面上の「中国化」発言は要らないということです。再び十中八九見誤る結果をもたらすことが目に見えているからです。
それよりも、私たちの若い世代で中国化が進んでいるのではないかと目を向けてはいかがでしょうか。考え抜くことを苦痛と感じ、面倒なことを避けて通れるならば通りたいと願い、法・ルールを守りさえすれば幸せであると盲目的に決まりを遵守する若者たちを、私たちは世の中へ送り出していないでしょうか。
内なる国際化を内なる「中国化」に変容させるべきではない、と私は考えます。
(了)
[1] 拙著『学問としての現代中国:「法学」の視点から読み解く』デザインエッグ社2019年9月出版予定を参照。