中国の法律事情
トップ  > コラム&リポート 中国の法律事情 >  【19-008】「逃亡犯条例」改正案の法的背景

【19-008】「逃亡犯条例」改正案の法的背景

2019年4月22日

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

略歴

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

一、情報の読み解き方の必要性

 今月初めに香港立法会(議会)に「逃亡犯条例」の改正案が提出されました。中国本土から香港へ逃亡した容疑者を本土へ引き渡すことを可能にする内容だと報道されています。夏までに可決を目指すとも伝え聞きますから、今年中に紹介できると思います。

 ところで、私たちの多くは、このような報道を見聞きする時に「自由な香港」がいっそう中国化している。あるいは独裁化が進んでいると感じるのではないでしょうか。その出来事が、人権の中でも特に精神的自由に係わる人権(たとえば表現の自由)であったり、人身の自由(たとえば身柄の拘束)であったりする場合は、さらに強く感じることでしょう。

 なぜならば、それは私たち一人ひとりにとっての脅威であり、目の前に近づいてきているように感じやすい事柄だからです。視点を変えて言えば、人権の中でも経済的自由に係わる人権(たとえば職業選択の自由)の場合は、私たち一人ひとりにとって恩恵のある可能性を感じるだけに、脅威が目の前に近づいていると感じ難い事柄だからです。

 何が言いたいかと言うと、改正案の提出という今回の出来事は、それ以前に改正案の提出を求める中国本土との合意を「自由な香港」自らが行なっていたところから読み解くべきではないかということです。「逃亡犯条例」改正案の提出の報道に対する様々な反応も、改正案の提出という出来事だけに焦点を当てており、一面的で偏向した視点を定着させつつあるように思われます。誤解が更なる誤解を招く悪循環に陥らないための読み解き方が、私たちには必要ではないでしょうか。そして、今回はその内の「読み解く時点」について考えてみたいと思います。

二、民商事事件判決の取り扱いをめぐっての合意

 今回の出来事について言えば、この読み解く時点は香港返還、香港特別行政区基本法の公布のような昔の時点の話ではなく、今年の時点からで十分です。日本では関心が薄かったのですが、今年1月に最高人民法院(中国本土)と香港特別行政区律政司(香港)との間で民事事件判決の相互承認・相互執行について重要な合意が成立しました([関於内地与香港特別行政区法院相互認可和執行民商事案件判決的安排]以下、当該合意とします)。

 当該合意からは、その成立の過程で、「自由な香港」が自らの司法システムを維持すると同時に経済活動上の利便性を高めることを目指し、得た成果を見て取れます。そして、視点を変えて言えば、当該合意が「逃亡犯条例」改正案を提出させるという呼び水になったとも言えます。

 当該合意の概要は次のとおりです。

 まず対象となる民商事事件について、①香港特別行政区の法院が審理する再審事件やその他の統治機構の執行する事件は除外することで合意しています(2条)。また、②相続を含む家族親族関係や選挙人名簿の登録、失踪宣告、行為能力の認否のほか、仲裁判決や国際間の判決(=外国判決)の承認・執行も除外しました(3条)。

 ①の合意は香港が自らの司法システムを維持するために求めたものと言える一方で、②の合意は中国本土の司法システムが全体としての秩序維持として求めたものと言えます。

 たとえば、私たち日本人にとってチャイナリスクの1つは外国判決の承認・執行について、日本と中国の間に相互の保証がないということです。おそらく「自由な香港」のままであれば、日本と香港の間には相互の保証があるとして訴訟リスクを減らす努力を局部的にできたかもしれません。

 相互の保証がないということは、お互いの国の裁判所が相手の国の判決を国内で承認・執行してよいという相互主義を認めていないことを意味します。つまり、貴国の法とその解釈・運用による判決結果を我が国は信頼して用いることが難しい。貴国が我が国の判決の承認・執行を認めないならば、我が国でも貴国の判決の承認・執行は認めないということです。

 したがって、当該合意2条は、香港の司法が、既存の日本と中国の間の関係を勝手に修正してしまって後々中国本土の司法システムの秩序を変容させないようにと釘を刺した成果(それを受け入れた結果)であると言えます(②)。そして、その対価として香港の司法システムによる救済措置を認めさせた(①)と言えます。

 興味深いのは当該合意において、国際間だけでなく、中国本土の司法システムの秩序との間で香港の司法システムに対する警戒心が現れている点です。たとえば当該合意における「判決」について③裁定による保全(命令)、訴訟差し止め命令(anti-suit injunctions)、暫定救済命令(interim relief)を含めないとわざわざ言明した点です。

 命令は判決ではないので当然と思われるかもしれません。しかしながら、判決は基本的に法廷審理を経て下される一方で、命令は裁判官による審理で下されるものですから、もし釘を刺しておかなければ、判決よりもフットワークの軽い命令という手段を使って、法の力を最大限に活用して既存の司法システムの秩序をかき回されるのではないか、と中国本土側が警戒している証左であると私は考えます。

 なお、知的財産権(知財)関係についても当該合意は言明しています。当該合意における知財とはTRIPS協定1条2項の規定及び民法総則123条2項7号、香港植物品種保護条例が規定する知的財産権であるとし(5条)、中国本土の司法システムにおいて承認・執行を求める場合は、申請者の住所地又は被申請者の住所地・財産所在地の中級人民法院へ提出すること。香港においては高等法院へ提出することとしています(7条)。

三、広狭2つの法システムの使い分け

 次に実際の執行についてですが、④判決の承認・執行を申請する期間や手続きについては被申請者側の法令に基づくと言明しています(10条)。求められた側は、納得がいかないならば、自分の生活する社会における法令の下で争ってよいということですね。

 基本の枠組みは③および④のとおりなのですが、当該合意は一国二制度の当初から問題視されてきた問題が未解決であることも告白しています。それが当該合意12条です。今回のコラムで最も重要なところですから、当該条文の対訳を示します。

原文 私訳
第十二条 申请认可和执行的判决,被申请人提供证据证明有下列情形之一的,被请求方法院审查核实后,应当不予认可和执行:  

(一)原审法院对有关诉讼的管辖不符合本安排第十一条规定的;
(二)依据原审法院地法律,被申请人未经合法传唤,或者虽经合法传唤但未获得合理的陈述、辩论机会的; (三)判决是以欺诈方法取得的;
(四)被请求方法院受理相关诉讼后,原审法院又受理就同一争议提起的诉讼并作出判决的;
(五)被请求方法院已经就同一争议作出判决,或者已经认可其他国家和地区就同一争议作出的判决的; (六)被请求方已经就同一争议作出仲裁裁决,或者已经认可其他国家和地区就同一争议作出的仲裁裁决的。  内地人民法院认为认可和执行香港特别行政区法院判决明显违反内地法律的基本原则或者社会公共利益,香港特别行政区法院认为认可和执行内地人民法院判决明显违反香港特别行政区法律的基本原则或者公共政策的,应当不予认可和执行。
第12条❶承認・執行を申請する判決で、申請者が提出する証拠によって以下に列挙する場合の1つに該当する時は、申請を受けた法院が審査検証した後に承認・執行しない(ことにする)。
(1)原審である法院の訴訟管轄が当該合意11条の規定に合致しない場合
(2)原審である法院の法令に基づいて被申請者が合法的に召喚されなかった場合、又は合法に召喚されたが合理的な陳述及び弁論機会を得られなかった場合
(3)判決が欺罔行為により下された場合
(4)申請を受けた法院が訴訟を受理した後に、原審である法院が再び同一の訴えを受理し、判決を下した場合
(5)申請を受けた法院が同一の訴えにより既に判決を下したか、又はその他の国家及び地域で同一の訴えにより既に下した判決を承認していた場合
(6)請求を受けた法院が同一の訴えにより仲裁裁決を下したか、又はその他の国家及び地域で同一の訴えにより既に下された仲裁採決を承認していた場合
第12条❷中国本土の法院が、香港特別行政区の法院の判決が中国本土の法令の基本原則又は社会公共の利益と明らかに反すると認めるか、又は、香港特別行政区の法院が、中国本土の法院の判決が香港特別行政区の法令の基本原則又は公共の政策に明らかに反すると認める場合は、承認・執行しない(ことにする)。

 特に当該合意12条2項は、「香港には香港の法がある」と考える人にとって勇気づけられる条文かもしれません。お互いの司法システムを含む広い意味での法システムにとっては容認できないものを容認しなくとも、共存することは可能です。その一方で、狭い意味での法システムにおいては、お互いの社会秩序にとってその秩序を乱すものは受け入れないとするダブルスタンダードを認める論理であると言えるわけですから。

 とはいえ、微妙な言い回しの違いで言明していることも事実です。中国本土側では「社会公共の『利益』」とする一方で、「自由な香港」側は「公共の『政策』」です。不都合な事実であることを承知の上でさらに言及しておけば、当該合意は承認・執行できる範囲を判決内容の一部に限定できることも認めています(19条)。そうすると、論理的には利益であろうが政策であろうが大した差は実質的に生じないとも言えるかもしれません。しかしながら、この微妙な言い回しの違いにおいてしか、上記のダブルスタンダードを認める広い意味での法システムと、その中で水と油かもしれないお互いの法システムを共存させるための法的論理を組み込むことができないほど解決が難しいということではないでしょうか。

 最後に、⑤当該合意はこれで確定したものか否か、いつ施行するのかについてです。前者について当該合意は、最高人民法院と香港特別行政区政府(現時点では律政司)の間で今後も補充できることを言明しています(28条)。つまり、中国本土側の警戒が和らげば香港の司法システムが中国本土の司法システムへ移植してゆくかもしれないし、その逆もまたあり得るということです。また、後者について、当該合意は双方が公表した日より施行すると言明しました(29条)。当該合意は2019年1月18日に北京で署名され(31条)、双方共に既に公表しています。つまり議会(の承認)を経ずに中国本土と「自由な香港」とが相互に保証し合ったということですね。

四、立法過程の分析が有効な切り札を生む

 今回の冒頭で、何らかの恩恵がありそうだと感じる事柄については脅威と感じ難く、危険が目の前に近づいていると私たちは意識しない、と指摘しました。また、「自由な香港」が自由でなくなるかのような言動から、香港の中国化が進行していると示唆する視点に対する批判的検討の必要を示唆しました。当該合意から改正案の提出までを読み解くと、次のようにも言えるでしょう。

 すなわち、中国本土の法と香港の法は、私たちが想定する以上に次の段階へ進んでいる。それは「逃亡犯条例」改正案の提出という形で眼前に突然現れたかに見えるかもしれないが、既に今年1月の当該合意から蠢動していることを確認できる。そして、当該合意の内容を確認してみると、双方がお互いにその時点では譲れない部分とそうでない部分との間で線引きしていたことが分かる。ただし、この線引きはお互いの譲れない部分に対して次の一手を打つことが可能な「穴」を含むものでもあった。民意を反映すると言える議会が当該合意を承認した後に施行すべき事柄であるはずが、司法行政機関同士の公表によって施行された(⑤)。言わば、賽は既に投げられている状態であり、この土俵の上で次の一手をどう打つかを探求しなければ、有効な攻撃防御方法を得ることは難しい。

 では、提出された「逃亡犯条例」改正案とどう向き合うべきなのでしょうか。少なくとも相手の警戒心を高める言動(たとえば「事件がでっち上げられるのではないか」)を繰り返すことは、相手が易々と次の一手をこちらの「穴」に打ちこんで侵攻することを許すことになりそうですね。そして、抗えない中国化の進行として受け止める言動を見聞しがちであるのは、読み解く時点が適当でなく、有効な防ぎの一手を探求できない私たちの側の原因であるように思われます。

 このように目の前に現れた法令を読み解く際に、それ以前の法令から読み解いていく立法過程の分析をしようとすれば、今、どのように対処すべきか。どのように対処できるのかを判断する手がかりを得ることができます。僭越ながら、これを「立法学の視点」とさせて頂けるならば、「逃亡犯条例」改正案に対する「自由な香港」や日本での反応は、自ら現代中国法の脅威を増大させているし、相手の侵攻に対して有効に防いでいません。その法的背景を疎かにしているからです。

 相手側のもつ「穴」が何処に存在し、その「穴」を攻めることで侵攻の手を緩ませられないか?そして反攻できないか?ということこそ探求すべきです。そしてこれは、中国本土と香港の間だけに限りません。私たち日本(法)と現代中国(法)の(法的対話の)場においても同じではないでしょうか。

(了)

御手洗大輔氏 記事バックナンバー