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【20-006】三農問題への法の切り込み方から見える腐敗撲滅の目的

2020年3月17日

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

略歴

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

一、第16回指導性裁判例群の公表

 最高人民検察院(中国の検察権を担う統治機構)が、今月5日に16回目の指導性裁判例群を公表しました。今回のテーマを一文字で表すとすれば、ずばり「農」です。

 中国共産党と国務院が毎年初めにその年の重要な政策課題について公表する文書に「中央一号文件」があるのですが、「農」を代表する「三農問題」が最優先課題として俎上に上がったのは2003年のことでした。三農問題とは、現代中国における農村、農業および農民のかかわる社会問題を総称する表現です。「農」をめぐる様々な社会問題が含まれています。簡単に言えば、発展する都市と都市住民という一方と、置いていかれている農村と農村住民というもう一方の間の格差問題です。

 要するに、第16回指導性裁判例群は、現在まで続く三農問題の解決に向けて、法、特に検察権・検察機関がどう切り込むべきかを社会に向けて示したものと言えます。なぜ、検察機関が切り込むのか?という疑問をもたれる読者もいらっしゃると思います。このような社会問題に法が関与する場合、日本では法の番人である裁判機関が切り込むはずであると考えられますから、この疑問は当然です。しかし以前のコラム で紹介したように、現代中国では日本と違って法の番人的な位置づけにあるのは検察機関だったからです。

 そうすると、日本の裁判機関にあたる最高人民法院を頂点とする人民法院は何をする統治機構なのか?という疑問を新たに持たれるでしょう。この疑問については人民法院の役割について以前のコラム で少し紹介している内容が答えになりますから、そちらをご高覧いただければと存じます。

 さて、今回は少し大風呂敷を広げ、これらの指導性裁判例の分析を通じて現代中国が社会問題に取り組む場合の基本姿勢を示し、可能であればその腐敗撲滅の目的を考えてみたいと思います。

二、「農」における日中比較

 今回の指導性裁判例群が取り上げた裁判例は4件です。その内容については次の項で紹介いたします。ここではその紹介をする前に、取り上げられた現代中国の社会問題について、日本との比較から、その前提の異同を確認しておくことにします。

 取り上げられた問題は、農業用地の不法使用に関する問題(以下、第60号とします)、劣悪種子の生産・販売に関する問題(以下、第61号とします)、劣悪農薬の生産・販売に関する問題(以下、第62号とします)および検察建議に対処しない基層の人民政府(鎮政府)への対応に関する問題(以下、第63号とします)です。これをさらに大きな分類で整理すると、農地転用の問題(第60号)、農業の産業構造自体の問題(第61号と第62号)および農村統治の問題(第63号)となります。

 まず、農地転用の問題は、日本においても社会問題として存在します。

 農地転用とは農地を農地以外の目的に転用することです。日本の場合は農地の登記謄本の地目を基準にして対処していくことになっています。基本的には農業生産を安定させるという趣旨に基づき制定した農地法の関連条文(同4条、5条)によって、原則として都道府県知事または指定市町村の長の許可が必要であるとされています。ちなみに、少し細かく付言しておけば、所掌する農林水産省の定める農地転用の許可基準が複雑なので、転用するためのハードルが高いかもしれません。

 次に、農業の産業構造自体の問題です。これも日本において社会問題として存在します。ただし、その歴史をたどれば、この問題については、その善し悪しを横において確認しておくべきかもしれません。

 日本では戦後に多くの零細の自作農を創出しました。そして、一説には多数の農家・農民を組織化するために農業協同組合(いわゆる「農協」)が設立され、日本の農業の復興と食糧配給を担ってきたと言われています。私の祖父の話で恐縮ですが、祖父は稲作を含む農業にも従事した兼業農家でした。小さい頃に祖父に連れられて、農協で稲の苗や農薬の売買を見ていましたし、農協の職員の方が祖父に農薬の散布の仕方などについて世間話をするように「指導」している様を傍らで見聞していました。つまり、農協が品種や農薬など農業に従事するために必要な水準を、すなわち日本の農業の産業構造を下支えしていたわけです。

 最後に農村統治の問題です。これは、日本においては社会問題として存在しないと言って良いと私は考えます。(これも善し悪しの問題がありますけれども)日本では程度の差こそありますが都市と農村の垣根は低くなり、都市と農村の格差というよりは都会と田舎、すなわち地域間の格差というレベルに近づいているように思います。また、普通選挙によって「農林族」が農業従事者の声を国会へ伝えられると言えますから、農村統治の問題に法が前面に立つ必要は必ずしもないかもしれません。

 このように「農」における日中比較を眺めようとすると、日中の間では、農地登記のあり方、農協の有無、都市と農村の格差と地域間の格差という異同が前提としてあると言えます。今回の指導性裁判例群の対極として位置づけるならば、日本の「農」は、農地の登記謄本を基準に運用され、農協のように農業の産業構造を支える全国組織が一応存在し、都市と農村の格差という問題を一応解決済みの前提に立つわけです。

三、今回の指導性裁判例群の内容

 以上の対極として今回の指導性裁判例群を見ると、次のことが言えます。

1、農地転用の問題への検察機関の関与について

 まず、農地転用の問題について。

 最高人民検察院が今回の公表にあたって開催したプレスに出席した苗生明氏(第一検察庁庁長)も説明するように、村民委員会などの農村の基層の自治組織が「政治成績[政績]」を良くしたい欲求に駆られて農業生産の安定を損なっていることが現代中国における農地転用の社会問題の主な原因であることは、多くの先行研究が指摘します。簡単に言えば、農業用地ではソコソコの利益しか生み出せないが、その土地をレジャー施設の建設などに開発・利用すれば大いに利益を生み出すことができ、尚且つ、それを自分の政治成績としてアピールできることは目に見えている。そんな状況の中でこのような目先の欲求に駆られて不法に農地転用を行なっているのだ、というわけです(この辺りの事情については、例えば任哲『中国の土地政治-中央の政策と地方政府』勁草書房2012年を参照ください)。

 加えて、このプレスにおいて苗氏は、第60号のような社会問題が都市と農村の境界、都市の周辺、山麓のふもとで多発していると紹介しています。この点は、対極に位置づけた日本の「農」の前提に照らせば、登記制度の不徹底が原因の一つと言えるでしょう。そして、日本の農地転用における法制度に照らして、原因の一つとして農地転用のハードルの低さを指摘できるかもしれません。

 なお、第60号の裁判例を見ると、転用許可の権限を握る国土資源部門が未承認だったにもかかわらず農地転用を進めていたようですから、苗氏が注意するよう紹介しているように、合法な方法で不法な目的を隠蔽しているところが重要なのだろうと思います。言い換えれば、魚は頭から腐っていくと言われるけれども、まだ腐っていない清廉な統治機構(上記の国土資源部門)が存在する証左なのかもしれません。このように考えるならば、農地転用のハードルが低いとは必ずしも言えないでしょう。

2、農業の産業構造の問題への検察機関の関与について

 次に、農業の産業構造自体の問題についてです。

 これは、同じくプレスに出席した高峰氏(法律政策研究室主任)が言うように、「結果犯」だからこそ慎重に扱う必要があります。私の経験上からの解説で恐縮ですが、刑法の講義を受け結果犯について学ぶと、問題の行為と結果との間の因果関係の立証がキーポイントになることを意識するようになると思います。

 同時に、キーポイントになるこの立証が怖いとも感じることでしょう。なぜならば、世の中の現象(結果)は一般に、一つの原因との因果関係から成立するわけではないからです。ある結果は複数の原因との複数の因果関係から成り立っています。ですから、どの因果関係が決定的な役割を果たしたのかを見極める必要があります。これを結果犯の成立の可否に置き換えて言えば、誰が見極めるかが問題です。したがって、仮に見極めのプロでない素人が判断するならば、それは特定の因果関係を恣意的に認定することが論理的にできることになります。因果関係の立証がキーポイントだというのは、こういう怖さが隠れています。

 日本では農業に従事するための必要な水準を農協が支えてくれていた歴史がありますから、劣悪な(時には偽物の)農薬や種子の生産・販売の責任は農協が負うという分かりやすい論理が通用することになるでしょう。しかしながら、農協のような存在が一般に下支えしない現代中国の農業の産業構造においては、農業従事者の自己責任が前面に出ることになります。また、農作物の栽培期間は比較的長期のものが多いですから、他の原因の可能性をあげつらうことによってその責任を回避しやすいと言えなくもありません。例えば、稲作で収穫量が多いからと勧められた品種を植えたところ、台風の影響で多くの稲が倒れて期待したほどの収穫がなかった結果が出ても文句を言えないわけです。ちなみに祖父は風害に強いヤマビコを好んで植えていました。

 この問題について、高氏は例として劣悪製品かどうかの区別に関する方法論を取り上げ、その経営の資質やその包装表示、業務従事歴などの要素から総合して認定するという一般論を指導性裁判例が言明していることを指摘した上で、その損失について科学的に認定することがポイントになると紹介します。そして、公証部門の検証の下で、農業生産の専門家の指導、農家が損害を受けた作物に実際に使用した農薬を、科学的に確定した試験方法や実験に基づいて、農薬の使用と生産上の損失との間の因果関係を総合的に認定できると言うのですが、信用できるかはやってみないと分からないのではないでしょうか。

 このように考えてみると、結局のところは生産経営の資質があれば品質注意義務を果たしていたはずだから「比較的大きな損失」を引き起こさなかったはずであるとか、包装表示を明示して販売していたにもかかわらず「比較的大きな損失」を引き起こしたのだから関係者の刑事責任を追及するという特定の因果関係(論理)を合理的に認定するのがせいぜいのところかもしれません。そうであるとすれば、この点については今後の認定の基準の精緻化が課題となるはずですから、一定のノウハウが蓄積された後に関連の司法解釈などを通じた立法が行なわれることでしょう。

3、農村統治の問題への検察の関与について

 最後に、農村統治の問題についてです。

 検察建議については以前のコラム においてご紹介しましたので今回は割愛いたします。ここでは、検察建議を受け入れたか否かだけでなく、その実際の成果・影響も見るべきだという胡衛列氏(第8検察庁庁長)のプレスにおける発言を紹介しておきたいと思います。

 要は、検察建議の実効性に関する問題です。胡氏は第63号の裁判例を引き合いに出しながら、検察建議について鎮政府(基層の人民政府)がどう対処したかを追跡調査し、対処しないことに正当な理由がない場合には公益訴訟を提起するという人民検察院の基本姿勢を言明します。

 公益訴訟とは、元々は社会で共通する利益(農村統治の問題など)が侵害される場合に、この利益を保護するために法令の定める特定の組織が人民法院へ訴えを提起する訴訟を言いました。ここに、2017年の民訴法と行訴法の改正によって、検察機関が人民法院へ訴えを提起できることを追加承認しました。ちなみに、2018年2月に最高人民法院と最高人民検察院が連名で公表した司法解釈(「検察による公益訴訟事件で法律を適用する際の若干問題に関する解釈」)は、ここに言う社会で共通する利益について6つ列挙しています。しかしながら、この司法解釈において直接に農村統治の問題を想起する文言は確認できませんから、6つ目に列挙した文言(「その他の共通利益」)を根拠にしていると思われます。

 では、検察建議を鎮政府が受け取っていながら行動を起こさない場合に公益訴訟を提起することを、なぜ、改めて言明したのでしょうか。一つの論理として言えるとすれば、現代中国の検察機関が、どんな違法な事実であれ見逃さず法的効力を保証することを求められている統治機構だからではないでしょうか。すなわち、侵害される利益が私益であろうとも社会国家の公益であろうとも、検察機関のやるべきこと(事件に関係する法令と司法解釈を携えて法廷審理に臨み、違法な事実を正すための起訴権の合法的な行使であると人民法院に審判して承認してもらうこと)をやるという姿勢が検察権に対する人々の求心力を高め、それが農村統治の強化につながるというストーリーがそこには存在しているのではないかと私は考えます。

 以上のように4件の指導性裁判例の内容を見てくると、現在まで続く三農問題の解決に向けて公表した第16回指導性裁判例群の背後にある法的論理の中で、他の社会問題の解決に向けて公布・公表される立法活動の背後にある法的論理と共通するものが炙り出て来ます。それは、現代中国における社会問題の解決方法の原則が、違法な事実を見逃さず誤りを正す「清廉な統治機構」を大前提にした論理にあるということです。

四、腐敗撲滅を中国的権利論が下支えする

 今回は冒頭で宣言したように、大風呂敷を広げ、第16回指導性裁判例群の分析を通じて現代中国が社会問題に取り組む場合の基本姿勢を示してみました。良くも悪くも現代中国はその社会問題に取り組む際に「清廉な統治機構」を必要としていることを確認しました。このことは、中国的権利論に照らせば、清廉な統治機構は当然に合法的組織でもなければなりませんから、いずれのレベルの統治機構であっても常に清廉であり合法であることが求められていると論理的には言えます。

 したがって、次の仮説を提示することも無理なことではないように私には思えます。すなわち、現代中国においては、合法的な利益・存在しか保護しないという中国的権利論が作用しているからこそ「清廉な統治機構」が追求され、発生する社会問題の解決プロセスにおいて合法的な利益・存在でないものに対して容赦しない人間社会が展開されることになる。

 仮にこの仮説が正しいとすれば、現代中国に日本のような登記制度も農協も不要ですから、その導入によって成果を期待することはないでしょう。その一方で、クリーンな公務員を求めたり清廉な政府を求めたりする現在の現代中国(法)の動向は至極当たり前の動向ではありますが、その「腐敗」は、日本のような腐敗とは別次元のものなのかもしれません。

参考文献
御手洗大輔(2019)『学問としての現代中国:「法学」の視点から読み解く』デザインエッグ社。

関連リンク

2020年03月05日 中華人民共和国最高人民検察院《最高人民検察院発布第十六批指導性案例》