中国の法律事情
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【19-024】検察建議が法の執行率を高める?

2019年10月25日

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

略歴

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

一、情報の読み解き方の必要性(5)

 以前、裁判例分析①として指導性裁判例群の公表から情報を読み解く方法を御紹介したことがありました(「虚偽訴訟と真のリスク」 参照)。指導性裁判例群とは、中国の裁判(審判)機関のトップである最高人民法院と中国の検察機関のトップである最高人民検察院が適宜公表しているもので、それらの下部組織の実務運用についての指針や知識等を示した裁判例です。これらが公表される結果として、中国社会で生活する人々に対して「何ができ、何ができないか」を判断する行動の指針にもなり得ると言えます。

 今回は(そのコラムで予告していたことでもあるのですが)最高人民検察院が4か月ぶりに第15回目となる指導性裁判例群(2019年9月)を公表しましたので、この裁判例群の中の1つを取り上げて徹底的に分析する裁判例分析②を行ないたいと存じます。ちなみに、2000年頃までは裁判例の公表が系統だっておらず、出所が曖昧な判決文等もあふれていましたが、現在はこれらが格段に系統だって公表され、出所が不明な判決文を見ることもなくなりました。

 さて、最高人民検察院が先月公表した指導性裁判例群の公表意図は、(裁判例分析①の読み解き方に照らせば)検察監督のあり方と検察建議の意義(の明確化)です。検察監督のあり方については、以前紹介済みですので今回は割愛しますが(「検察による監督」 参照)、もしも検察と聞いて<権力のイヌ>=権力の守護者と単純に理解していらっしゃるとしたら、間違いなく見誤るでしょう。中国の検察監督は、法執行を徹底することによって、当事者の利益を守るだけでなく、司法の権威やその公信力を高めることが期待できるからです。したがって、今回公表した指導性裁判例群は「検察建議」を通じた検察による(法律)監督が、権力の守護者という面だけでない中国の検察権の意義とその論理を確かめられる情報を、私たちに示しているかもしれないわけです。

 なお、情報の読み解き方の必要性から言えば、確認できる結果が同じであっても、その結果にたどり着く論理が同じでなければ大した問題である、という点を今回のコラムを通じて示しておきたいと存じます。例えて言えば、カーナビで目的地までのルートを探索する場合に時間優先、一般道優先といった条件を設定することと同じです。条件=法的論理が違えば、その社会のあるべき法も別の社会のあるべき法と違っていて当たり前であり、この点を軽視してしまうと見えるはずのものが見えなくなります。

二、行政機関の法執行をめぐる仕組み

 ところで、次の項で紹介する15回目の指導性裁判例群の第59号案件は、中国における行政機関の法執行をめぐる複雑さを物語っています。

 行政機関の法執行とは、基本的には行政の行なう指示や決定等を履行しない対象に対して、行政が法に基づきそれを強制させる行為を言います。この行政機関の法執行をめぐって中国では法的根拠のない行政による強制が多々行なわれていたことを、「人治」の象徴として非難した歴史があります。

 そして、「依法行政(法に基づく行政)」の下で法整備が進められ、2011年6月に行政強制法を制定しました(同法の概要については『外国の立法』の立法情報(2011年8月) がありますので、参照ください)。やや脱線しますけれども、重要なことですので指摘しておくと、同法は日本の行政不服審査法における論理と比べて、行政による強制を効率的に進めたいという立法者の意思を強く反映させた法律であると言えます。

 行政機関の法執行をめぐって日本では、行政による強制に納得できない場合に、私たちはまず審査請求や異議申立てを行ない、行政庁自身にその行為を再審査(=再考)させます。そして、その後の審査結果にやはり納得ができないときに、ようやく裁判所へ訴える仕組みを確立しています。これは、行政による強制に納得ができない時に、直ちに裁判所への訴えを認めると、場合によっては同じ法的根拠に基づく行政による強制のすべてを人権侵害のおそれがあるとして、行政にその業務の一時停止を命じざるを得なくなるからです。

 一方、中国の行政強制法は、法令が行政機関による強制を認める場合には人民法院へ強制執行の申請をせずに強制できる「行政強制執行」(同13条)と、法的根拠のない場合に人民法院の許可を得て強制できる強制執行(同53条)とを併記しています。日本の場合は後者一択であるわけです。そのため、見方によっては行政の横暴を防げないという懸念も当時聞いたことがあります。が、行政による強制の効率を向上させ、行政機関の法執行を迅速に行なうことが重視されたという評価が論理上は合理的であったと感じます。

 問題は、「人治」の象徴のように行政による強制が乱発した歴史をふまえてガチガチの法遵守を前提とする法治国家の途(例えば「『中国化』の本質を読み解く」 を参照ください)を歩む中で、行政機関の法執行をめぐる仕組みが一種の<制度疲労>を起こし、時として組織間で意思疎通を図れないばかりか、結果として行政の効率が低下し、行政機関の法執行も迅速に行なえない場合があるというところにあります。

三、第59号案件について

 第59号案件の概要は次のとおりです。

 湖北省某県の村民Aが水利局の管轄する河川敷において無許可で勝手に建物の基礎工事を始めたため、水利局は2011年9月に「中華人民共和国水法」等に基づき行政処罰決定書をAに通知して、建物の除去と原状回復および5万元の罰金を命じました。ところが、Aはこれを無視して工事を継続しました。そのため、水利局は2012年3月に県人民法院へ強制執行を申請し、2012年4月に県人民法院は行政処罰の執行を許可する旨を裁定し、Aにその履行を命じました。ところがところが、Aはこれも無視し、2017年4月までに4階建ての建物を建設してしまいました。

 上記の事情を、2017年4月に某メディアが記事で、関係当局が責任のなすり合いをしている最中に建物が完成してしまったと報道したことによって県人民検察院は知ります。河川地帯における違法建築は治水の安全に重大な影響を与えます。それにもかかわらず、水利局と県人民法院がこの違法建築物に対して強制撤去しない原因をそれぞれに押し付け合っていることを確認します。すなわち、県人民法院は水利局に「行政強制執行」できることが法令で言明されているから水利局が強制執行を行なうべきであると主張するのに対して、水利局は県人民法院が強制執行の申請を受理して執行を許可したのだから、県人民法院が強制執行を行なうべきであると主張していました。

 ここで法の守護者である県人民検察院の出番です。行政強制法や水法等の関連規定を見ると、水利局が違法建築物の強制撤去について人民法院に強制執行を申請してはならないと言明していると言えること。そのため、水利局が強制執行の申請を行なう際に、その申請内容から違法建築物の撤去については除くべきなのにそのままに申請し、換言すれば県人民法院は(その部分については)受理すべきでないのに、(通常は補正を人民法院側が命じるはずですが)そのまま受理し、結果として行政処罰の執行を許可する裁定を行なった違法を生じさせたと言えることの2点を確認します。

 中国的権利論に照らせば、合法でない権利ないし行為は法的保護を受けられませんから、水利局の申請も違法であれば、県人民法院の裁定も違法ですので、Aに対する強制は不可能となり、この失敗=責任をどちらが引き取るのか?という問題になりそうですね。これが某メディアの記事が関係当局の責任のなすり合いとして嘲笑しているところであり、一種の制度疲労であるとも言えるでしょう。

 そこで、県人民検察院は2017年8月に検察建議を双方に提出し、「行政の訴訟審査を経ない執行監督」案件として処理してはどうかと助言します。県人民法院は、今後このようなことがないように、すなわち「行政強制執行」のできる案件については裁定により受理しないことを回答します。また、水利局は、県の党委員会と県人民政府に報告し、その協力の下で違法建築物を撤去しました。

 以上が本件の顛末です。制度疲労というよりはヒューマンエラーでは?とも言えそうですが、中国的権利論の悪いところは<自分は悪くない>と言い続けなければ全ての責任がふりかかってくるところにあります。ですから、ヒューマンエラーが事の発端だとしても、お互いに責任をなすり合ってしまう制度上の疲労の様に私には感じられます。

 さて、確認すべきは検察建議の意義です。部門間の責任のなすり合いによって法執行が滞ることを回避した点が強調されています。日本のように行政機関の強制執行の仕組みを採用していれば問題を回避できたのではないか?と思えなくもありませんよね?しかしながら、中国では行政による強制の効率性と行政機関の法執行の迅速性を重視して「行政強制執行」との2本立ての仕組みを採用したわけですから、関係規定から描かれるモザイク模様のような複雑さとも真摯に向き合わなければなりません。そして、向き合った結果、検察建議によって職務懈怠の水利局にしっかりと仕事をさせて治水の安全を回復し、「現地の人民大衆の生命、財産および安全を保護した」と胸を張るのですから、検察機関は法の守護者と言えましょう。

四、同じでない法的論理が語ること

 今回は、裁判例分析②として、中国の裁判例を詳細に分析してみました。日本の類似する判例と比較分析すれば、異文化理解をさらに深められますし、この作業は中国との法的対話が避けられない私たちにとって不可欠です。そして、カーナビのように中国法をガイドしてくれるハンドブックは今や巷の書店に多く並んでいます。この状況は悪くはないのですが、私たちの論理とは異なる別の論理がその内面には存在し、その同じでない法的論理が何であるのかを探求する姿勢を意識し、もう一歩踏み込んでおきたいものです。

 今回の例で言えば、検察機関は権力の守護者である一面だけでなく、法の守護者である一面も確認できました。ですが、実はこれで全てではありません。同じでない法的論理が語ることは、同系の主体であっても見栄えを同じくしないということです。だからこそ異文化理解が重要であると言われているのではないでしょうか。

 最後に、検察機関についてもう一言だけ蛇足しておくと、その違法行為を取り締まる一面に注目すれば、私たちの守護者でもあると言えます。例えば、何らかの違法行為によって私たちの自由や権利が侵害される場合に、その違法行為を発見して検察機関が取り締まってくれることにより、結果として私たちの自由や権利が守られると言えるからです。とはいえ、この一面は中国社会において、そして日本社会においても評価されていないかもしれません。同じでない法的論理を知り続けると、このような些細な点にも気づくことがあること、これが比較法学や外国法研究の面白さの1つであろうと私は感じます。

以上