書籍紹介:『中国、科学技術覇権への野望-宇宙・原発・ファーウェイ』(中公新書ラクレ、2020年6月)
書籍名:中国、科学技術覇権への野望-宇宙・原発・ファーウェイ
- 著 者: 倉澤 治雄
- 発 行: 中央公論新社
- ISBN: 978-4-12-150691‐7
- 定 価: 860円+税
- 頁 数: 252
- 判 型: 新書
- 発行日: 2020年6月10日
書評:中国、科学技術覇権への野望-宇宙・原発・ファーウェイ
小岩井忠道(中国総合研究・さくらサイエンスセンター)
米中の対立が新聞に載らない日は珍しい、という状態が続いている。「経済第一のトランプ大統領だから成果が得られたとアピールした方が大統領選によいと考えれば、軌道修正することもありうる。今年(2019年)の終わりごろには何らかの決着もありうる」(グレン・フクシマ米国先端政策研究所上級研究員、2019年7月東京財団政策研究所主催シンポジウムで)。「2019年11月にチリで開催されるアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議で合意達成の可能性がある」(朱建榮東洋学園大学教授、2019年7月日本記者クラブ主催記者会見で)。1年ほど前にはこうした予測もあった。しかし、いずれもその通りにはなっていない。米中対立は「21世紀の覇権をかけた大国間競争」(森聡法政大学法学部教授、2019年8 月日本記者クラブ主催記者会見で)という見方通りの動きが続いている。トランプ大統領の意向だけでは収まらない底の深い対立になっている、と言えそうだ。
では中国に対する米国の脅威 の程度はどれほどか。中国の科学技術力の実態はどうか。中国に対する米国の疑心と攻撃は的を射ているのか。米中対立の行く末は? そうした数々の疑問に詳細に答えてくれる本が、最も適した筆者と思われる科学ジャーナリストによって出版された。
2018年8月、「2019年度国防権限法」を米上下両院が可決、大統領も署名して成立し、中国の通信機器メーカー「華為技術(ファーウェイ)」など中国企業5社が米政府の調達禁止措置の対応になる。同年12月、孟晩舟ファーウェイ副会長が米司法省の要請によりカナダのバンクーバー空港で逮捕される。翌2019年1月、米司法省は孟副会長とファーウェイを起訴する。容疑は米企業の技術を盗んだ窃盗罪と、イランとの取引に関し米金融機関を欺いた「金融詐欺」と「司法妨害」。同年5月、トランプ米大統領は「ファーウェイ」との取引を禁じる大統領令に署名した。イランへの金融サービスの提供など「国際緊急経済権限法」に違反しことと司法妨害が理由とされた...。
本書に詳細に紹介されているこうした一連の米国のファーウェイに対する攻撃は、これまで日本でもかなり詳しく報道されている。著者は、「2020年は『米中新冷戦』のスタートであり、その行方を握るのは米中の真の科学技術力」とみる。さらに「ファーウェイは世界の頂上を目指した。グローバル化は通信機器メーカーとしての宿命であり、米国との衝突は当然の帰結であった」とも。一方「安全保障上の脅威」という米国の主張については、「標的をファーウェイに限定することは意味がない」と断じている。中国以外の多くの電子機器メーカーが部品調達や組み立てを中国に依存しているのに、ファーウェイだけを標的にしても成果はない、という理由からだ。
次世代通信ネットワーク5Gでも世界をリードするまでに急成長してきたファーウェイは科学技術覇権を狙う中国の象徴として、米中「新冷戦」の矢面に立たされた。こうした見方を明らかにしたうえで著者は、ファーウェイと米国の衝突が突然、表面化したのではなく、2001年の米国進出時から戦いが始まったことを詳しく明らかにしている。2001年といえば9月11日にニューヨークのワールドトレードセンタービルを崩落させた同時多発テロ事件が起きた年だ。すでにこの時期から、ファーウェイは、米政府と議会から「安全保障上の懸念」だと名指しされていることに著者は注意を促している。懸念は、イラクのフセイン政権やアフガニスタンのタリバン政権に通信機器を販売しているというものだった。
「安全保障上の懸念」を理由とする米政府からの攻撃がその後も繰り返されただけでなく、米国をはじめとする通信会社や電子機器メーカーなどとの激しい訴訟合戦も重なる。こうした経緯を説明する記述に説得力を持たせているのは、著者の幅広い情報取集力といえよう。中でも2019年に3度にわたって深圳にあるファーウェイ本社を取材した時の記述に興味深い箇所が多々ある。最初に取材で訪れた3月には、受付のモニターに「歓迎 倉澤治雄御一行様」とジャーナリストである筆者を歓迎する文字が表示されていた。一方、写真撮影は不許可。ところがわずか2カ月後、2度目となる5月の訪問時は人事管理部門やサイバーセキュリティ部門の写真撮影が許されたという。トランプ大統領の「大統領令」への署名を受けて米商務省がファーウェイをエンティティリストに掲載した直後の時期だった。エンティティリストというのは、国家安全保障や外交政策上の懸念があるとして指定した企業を列挙したリストで、ここに掲載されることは企業にとっては大きな打撃となる。これを受けて反撃せざるを得なくなったファーウェイの姿勢の変化が、日本からのジャーナリストへの対応にもはっきりとみてとれた、ということだ。
米政府とファーウェイとの抗争が書かれた章でとりわけ読みごたえがあるのは、創業者でもある任正非CEO(最高経営責任者)のインタビューから得られた発言ではないだろうか。社員数19万4,000人。研究開発費1,317億元(約2兆506億円)は、日本の国立大学すべての基盤的経費「大学運営費交付金」を合わせた約1兆1,000億円のほぼ倍。こうした巨大企業も1987年のスタート時は任CEOが仲間5人と3,500元ずつ出資して創業した通信機器の製造販売会社だった。「2000年になっても十分な融資を受けられず、私生活でも空調のない小さな部屋に住んでいた」。国有企業が特別な扱いを受けている中国社会の中で、なんとも小さな民間企業だったことが分かる。
「その質問には答えられない。なぜなら困難しかなかったから」。この答えは「民間企業としてどんな困難があったか」という質問に対してだったという。「中国人民解放軍に少量の機器は販売しているが、いずれにしろ主要な客ではない。人民解放軍やその傘下の企業とは研究開発を行っていない」。こうしたやり取りも紹介した上で著者は、「少なくとも公開された情報から任CEO、そしてファーウェイが中国共産党や人民解放軍の指導の下にあると考えるのは困難だ」としている。
著者の倉澤治雄氏は、日本テレビ記者として科学技術庁(当時、現文部科学省)を担当した後、1997年から2000年6月まで、北京支局長を務めている。日本テレビを退社後、科学技術振興機構の中国総合研究交流センター(現中国総合研究・さくらサイエンスセンター)で5年間、中国の最新科学技術の調査研究と日中の科学技術交流にも関わった。3年前からフリーの科学ジャーナリストとして記者活動を再開している。科学技術庁取材時、同庁は実験開始早々、放射線漏れ事故を起こした原子力船「むつ」の後始末に多くの労力を割かざるを得なかった。この時の経験をもとに「原子力船"むつ"虚構の航跡」を、さらに日本テレビ退社直前の大きな仕事となった福島第一原発事故(2011年)報道の経験を基に「原発爆発」と「原発ゴミはどこへ行く?」という著書も出版している。
著者が科学技術庁を担当していた時代は、科学技術庁の業務も予算も大半が原子力と宇宙関係に割かれていた。今回の著書でまず、宇宙と原子力分野での中国の目覚ましい発展ぶりから紹介されているのは、取材経験の長いこれらの分野で中国が世界をけん引していることをまず読者にしっかり知ってもらいたいという考えからだろう。宇宙、原子力の両分野で今や日本は無論のこと、米国をも追い抜く成果を挙げ、さらに上を目指す開発プロジェクトが着々と進んでいる現状に驚く読者は多いと思われる。
さらに、ファーウェイをはじめとする先端企業の躍進による情報通信技術の成果を活用した中国の管理社会化がどこまで進むのか。低下が叫ばれている日本の研究力の国際比較はどうか。米中の科学技術力対決の行方とそのはざまで日本が生き残る道は何か。読者が関心を持ちそうなさまざまな問題にも多くのページが割かれている。
日本の主要新聞社、通信社は1980年代中ごろに科学記者をワシントンに駐在させ始めた。今の米中対立よりスケールは小さかったとはいえ日米経済摩擦が激しく、科学技術分野でも日本が米国の研究成果を利用して工業力を付けたとする「基礎科学ただ乗り」批判を米国から突き付けられた時期だ。乗員7人が亡くなったスペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故や、エイズ(後天性免疫不全症候群)の流行など、科学記者が力を発揮する出来事も少なくなかった。
今、米国から発せられる科学技術関連の大きなニュースはどれほどあるだろうか。1年以上前だったか評者は顔なじみの通信社の外信部長に「科学記者を常駐させるならワシントンより北京ではないか。」と話したことがある。この通信社に限らず現在科学記者を北京に駐在させている報道機関があるとは聞いていない。新聞社、通信社、放送局の現役あるいはOB・OGの科学記者の中で、これまで中国の都市に常駐したことがあるのは評者の知る限り倉澤氏だけだ。この著書にもファーウェイに関する以外でも読者が関心を持つと思われる記述は多い。ほんのいくつかを以下に紹介する。
「中国はいま、次世代原子炉開発で百花繚乱の世界となっている」
「中国が再生可能エネルギーへと大きくシフトするのか、それとも原子力開発に邁進するのか、今や中国の動向が世界の原子力産業の行方を左右するカギを握っている」
「中国政府は現在、全国民14憶人を1秒で特定できる監視システムの構築を進めている」
「犯罪のない理想的社会を求めるのか、超監視社会というデジタル・ディストピアが出現するのか、国家統治に最新技術を利用する中国は今岐路に立っている」
「中国の国家指導者はほとんどが理系のバックグラウンドを持つ。かつては旧ソ連留学組が支配的だったが、習近平政権の後を担う『第六世代』以降の指導者は、やがて欧米留学組が主流となるだろう」
「中国が世界の覇者となるには決定的に欠けている点がある。中国の科学技術政策は『強国主義』に走るあまり、『真理の探究』や『人類への貢献』といった『理想主義』に欠けている」
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