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【22-03】富裕層以外からも一流大学へ 学習塾非営利化の狙い

小岩井忠道(科学記者) 2022年05月19日

 学習塾の非営利化や新規参入禁止などを盛り込んだ中国の学習塾規制は、一流大学を目指して競争する若者を増やすのが目的だとする報告書を、日本総合研究所の佐野淳也主任研究員が公表した。学習塾規制に対しては、中国国民の教育費負担を抑えることで少子化対策や消費拡大を狙った政策とみる向きが多い。しかし佐野氏は、富裕層に限らない多くの若者たちを対象とする人材育成システムの維持が狙い、とみている。さらに人材強国に押し上げるという中国の国家目標を達成するには、ブルーカラーを低くみる職業観を是正し、特に技能労働者の地位向上がカギになる、との見方も示した。

高額な塾費請求不可能に

 昨年7月24日、中国共産党と国務院は連名で「義務教育課程の生徒の宿題および学校外教育のさらなる負担軽減に関する意見」を公表した。宿題、塾通いを減らすことで、小中学生の学習負担を減らして心身の健全な発達を図るという目的が明記されている。小学生には平均1時間以内、中学生には平均1時間半以内で終わるような宿題しか課さない(少学1、2年生は宿題自体を禁止)。既存の学習塾は土日祝日や夏休み・冬休みの開講を禁止し、オンライン授業は1回30分以内で10分の休憩を含め午後9時に終了。こうした小中学生の学習負担軽減を図る規制が盛り込まれている。

 家庭の学習塾費負担減のため、既存の学習塾に対して人件費、家賃など塾経営のコストを適正に算定したうえで、標準料金と上限(10%増まで)を2021年末までに設定することも求めている。さらに企業が新たに学習支援事業に関わることも禁じた。この中には外資を含む投資家による学習塾の買収・出資も含まれている。こうした学習塾の非営利化によって、塾経営者が高額な費用を親に請求することや事業収益を出資者に分配することを不可能にしたといえる。

小中学生の宿題・塾通い負担軽減策

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(日本総合研究所提供)

出生率向上、消費喚起は疑問

 11日公表された佐野淳也日本総合研究所主任研究員の報告書「中国の教育政策の方向性と課題―学習塾規制導入にみえる習近平政権の危機感」は、こうした規制の根底に将来を担う若者たちの現状に対する中国指導層の強い危機意識があることを指摘している。北京大学や清華大学をはじめとする一流大学への進学者が、高騰する塾費用の負担に耐えられる富裕層の子どもに限られつつあることに加え、「横たわり」族と呼ばれる競争意欲の薄い若者が増えている現状に対する強い懸念だ。

 佐野氏によると、教育費は、住宅費、医療費とともに中国国民の家計を圧迫する三大負担となっている。1年間の学校外教育支出について、年収の2~3割を占める家庭が38.8%、同1~2割が22.9%、4割以上という家庭すらあるとする中国国内の人材サービス企業による調査結果を氏は紹介している。しかし、少子化に歯止めがかかり、個人消費が拡大するとみるのは、学習塾規制の効果を過大評価している、というのが氏の見方だ。

 中国政府は2016年に一人っ子政策を廃止し、各地で出産奨励策が実施されるようになった。成長持続の観点から、投資主導型経済から消費主導型経済への移行も目指している。しかし、出生率の低下は止まらず、個人消費も低迷し、国内総生産(GDP)に占める割合はなかなか上昇しない。こうした中国の現状を挙げて佐野氏は、家計にとって最も負担が重いのは住宅費であり、学習塾の費用を抑えるだけで出生率が上向き、消費の喚起につながるとは考えにくい、と断じている。

目覚ましい教育成果

 1970年代末以降、中国政府は義務教育の普及と経済発展に貢献する人材の育成に重点を置く教育政策を進めた。2020年には高校進学率が94.6%、大学進学率も過去最高の54.4%に上った。経済開発協力機構(OECD)が15歳の学生を対象に3年おきに実施している学習到達度調査(PISA)に、加盟国でない中国も2009年から北京市、上海市など沿海部の一部の省・直轄市が参加している。これまで参加した4回のうち、2015年を除く調査で、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシー3分野すべてで参加国中1位という抜きん出た結果を残している。

 大学の国際評価も近年の躍進ぶりは目覚ましい。英教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」が昨年9月に公表した「世界大学ランキング2022」でも、北京大学と清華大学が前年より順位を上げて共に16位。加えて上位200内に入った中国の大学は10校(日本は2校)と、いずれもアジア地域で最も高い評価を得ている。

「世界大学ランキング2022」上位200内のアジア大学
数字の前の=は同じ順位校があるのを示す
(タイムズ・ハイヤー・エデュケーション「World University Rankings 2022」から作成)
世界順位 大学名 国・地域
=16 北京大学 中国
=16 清華大学 中国
21 シンガポール国立大学 シンガポール
=30 香港大学 香港
=35 東京大学 日本
46 南洋理工大学 シンガポール
49 香港中文大学 香港
=54 ソウル大学 韓国
60 復旦大学 中国
61 京都大学 日本
66 香港科技大学 香港
=75 浙江大学 中国
84 上海交通大学 中国
88 中国科学技術大学 中国
91 香港科技大学 香港
99 KAIST 韓国
=105 南京大学 中国
=113 国立台湾大学 台湾
=122 成均館大学 韓国
=151 香港城市大学 香港
=151 延世大学 韓国
157 武漢大学 中国
=162 南方科技大学 中国
=178 蔚山科学技術大学 韓国
 181 華中科技大学 中国
=185 浦項工科大学 韓国

富裕層に偏る一流大学入学者

 こうした目覚ましい教育レベル向上をもたらした背景には、文化大革命後の1977年に大学入試が再開されたのを機に、入試制度が整備されたことが挙げられる。1980年代以降には、「高考」という共通試験で選抜されて一流大学に進学した卒業生から優秀な官僚、経営者、科学者が輩出し、有名校への進学が就職に有利で高給も期待できるという認識が社会に浸透した。受験競争は激しさを増し、高校から、中学校、小学校、幼稚園と、低年齢化が進み、学習塾の発展をもたらすことになる。

 中国国内の人材サービス会社による調査結果でも、学習塾などの習い事を始めさせる年齢が「2~7歳」の家庭が39.5%、「7~11歳」が14.7%、「11~15歳」が22.9%に上る実態が明らかになっている。これらの数字は今回の学習塾規制の対象外であるスポーツ・芸術関連の教室なども含むデータではあるが、教育トレーニング(中国語:培訓)産業全体の市場規模は、2015年の1.7兆元から2019年には2.4兆元へ、わずか5年で1.4倍に拡大したという調査結果もある。

 こうした変化が中国社会に与えた影響の一つとして佐野氏が挙げるのが、一流大学の入学者に学習塾など学校外教育支出を負担可能な富裕層の子どもの割合が急激に高まっている現実。北京大学では、1985年に農村出身者が新入生の38.9%を占めて過去最高となったものの、以降この比率は低下が続き、2010年代以降は10%台で推移している。高等教育の機会の不均等化に対する懸念は、2009年に温家宝首相(当時)が「自分たちが大学にいたことは、農村出身者が8割を占めていたが、その割合は近年低下している」と表明済み。一流大学の入学者が富裕層に限定されるようになれば、幅広い階層から入学者が集まる場合に比べ、人材の質が低下するのは避けられない、と佐野氏は指摘する。

若者に増える「横たわり」現象

 もう一つ中国社会に見られる最近の新しい変化として佐野氏が重視しているのが、若者に「横たわり」(中国語:躺平)族と呼ばれる新しいタイプが増えている社会現象だ。上昇志向に乏しく、勤労や恋愛・結婚などに消極的、と指導層にみなされる若者を指す。昨年10月に習近平総書記が「横たわりを防止しなければならない」と発言したのをはじめ、「この激動の時代に横たわっていても成功は来ない。必死の努力あるのみ」(国防部報道官)、「横たわり族は、両親や一生懸命働いている納税者に申し訳ないと思わないのか」(清華大学教授)など、中国の指導層から危機意識の高まりを示す声が相次いでいる現状を佐野氏は紹介している。

 一方、一般国民はむしろ「横たわり」族への支持・共感を表明する人々の方が多く、全面否定は6%しかいないというソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の調査結果も併せて氏は示している。「横たわり」族に象徴される競争意識の減退には、高等教育の実質的な機会の不均等化が影響している。豊かになりたいと望む人々を市場という競争メカニズムに参加させることで実現してきた中国の経済発展が過去のものとなりつつあることを暗示している、というのが佐野氏の見方だ。

ブルーカラーの地位向上を

 さらに中国社会が直面している深刻な問題として佐野氏が挙げるのが、労働市場における需給のミスマッチ。卒業しても就職できないという大学生の失業問題が深刻化していることに加え、さらに熟練工など高度な技能を有する技能労働者が不足しているという問題だ。2021年末時点の16~24歳の失業率は14.3%と、全体の失業率5.1%を大きく上回る。製造業9万社余りのうち、「労働者の採用難」を最大の経営課題に挙げた企業が全体の約44%を占める。こうした国家統計局が公表した数字を挙げて、教育機関が生み出す人材と労働市場が求める人材のミスマッチの解消が教育政策の重点の一つに浮上している、と佐野氏は指摘している。

 採用難とされる労働者には中国が最も必要としている技能労働者のほかに未熟練労働者も含まれるが、技能労働者だけでも2025年までに3,000 万人不足するとの見方があることを指摘した上で氏は、背景に中国社会に根強いホワイトカラー志向が存在することに注意を促している。技能労働者が産業・経済発展の原動力となり、社会的に高く評価されている日本やドイツの例を挙げて、職業教育機関で技能労働者を育成しようとした中国政府の政策は出だしから頓挫している、と氏は厳しい評価を下している。

 できるだけ多くの人が一流大学を目指して競争することを前提とした人材育成システムの維持が学習塾規制の狙いと見る佐野氏は、中国政府に次のような対応を促している。

 関係する制度や政策だけでなく、高度な技術で製造業を支える技能労働者も含まれるブルーカラーを低くみる職業観の是正にも取り組む必要がある。賃金水準の引き上げや労災・失業保険の拡充といった労働環境の改善、資格認定制度の普及など、ブルーカラー、特に技能労働者の地位向上が、若者の競争意識の減退に歯止めをかけ、中国を人材強国、世界一の強国に押し上げる国家目標を達成するカギになる。

高い教育費負担日本が先行

 教育費の家計負担が大きいことは、日本も早くから経済協力開発機構(OECD)の調査で明らかにされている。すでに「図表で見る教育2009年版」で、大学など高等教育では教育費に占める日本の家計負担割合は51.4%と、OECD加盟国中、韓国に次ぐ高さであることが示されている。2012年に公表された「日本再生のための政策 OECDの提言」でも、「家計の教育費負担を軽減する必要」が日本に求められる対策の一つとして提言されている。

 中国の大学生の就職難と根強いホワイトカラー志向については、日本総合研究所の呉軍華上席理事が2月に公表した「大学就職動向からみた中国経済」と題する短いレポートからも読み取れる。清華大学が昨年12月に公表した、2021年度の同大学学部卒業者、大学院修士・博士課程修了者7,441人の就職・進路状況結果を基に、中国の抱える問題を指摘したレポートだ。この中で呉氏は、清華大学の実際の就職・進学未定者は14.8%存在すると指摘し、この資料から中国経済の景気後退と、人材が中国共産党、政府、国有企業などに集中する人材の「国進民退」が加速している現状が分かるとしている。

 中国の指導層が危機意識を持つ若者の「横たわり」現象については、向上心の減少を示すものではないとする博報堂生活綜研(上海)と中国伝媒大学広告学院の共同研究結果が昨年12月に公表されている。身近な仲間と戦ったり、仲間の嫉妬や比較の対象になるのを避けるための隠れ蓑にすぎず、多くの若者たちは不透明感も増す社会を生き抜くために自分を着実に成長させたいという意識を抱いている、というのが共同研究の示す結論だ。

関連サイト

日本総合研究所経済・政策レポート「中国の教育政策の方向性と課題 ─学習塾規制導入にみえる習近平政権の危機感─

日本総合研究所経済・政策レポート「大学就職動向からみた中国経済

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