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【18-006】クリーンな公務員の作り方

2018年 5月10日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

公務員は日本版清廉性の典型?

 公権力を掌る人々に対して厳しい目が向けられている今日この頃ですね。昨年は「忖度」なる言葉が流行りました。今年もそれに輪をかけるように、様々な問題から公務員のクリーンなイメージが傷ついて傷ついて今に至っている気が致します。

 ところで、忖度も外国人には分かり難い言葉のようです。そもそも忖度とは、推し量って相手に配慮することを言います。したがって、何らかの見返りを期待するものでもありませんし、場合によっては自分が損をしようが引き受ける場合だってあります(ここに日本人の義の精神が表れているというのは言いすぎでしょうか)。「相手」からすれば勝手に配慮してくれたにすぎませんから、貴方が忖度させたのだろうと非難されても当然言葉に窮します。相手がどう対応をするかは相手次第であり、自分がどうこうできるわけではないからです。

 この忖度問題に続いて現れているのが先に述べた公務員の問題。公権力を掌る公務員は国民に「奉仕」する人というクリーンなイメージがこの問題の噴出によって汚されています(公務員の質の低下と見る向きもありますね)。この奉仕という言葉自体が理想の形を象徴している分、その風当たりが強いように思われます。そもそも奉仕とは、報酬を求めず、見返りを求めることなく、無私の労働を国家・社会・他人のために、自らの力を尽くして行なうことです。奉仕は(場合によっては)自分が損をしようとも引き受けるものです。自分にメリットがあるかどうかで人は行動するという考え方に立つと、この清廉性を理解することは非常に難しいかもしれません。

 さて、日本の公務員の場合、奉仕の理想の形を追い求めながら、さらに公権力を掌らせるために、平等原則の下、中立公正な立場で公務に努めることが要求される大変な社会的地位にあります。その表れが、「国民全体の奉仕者として」(国家公務員法96条)または「全体の奉仕者として」(地方公務員法30条)公共の利益のために勤務し、職務の遂行に当たって全力をあげてこれに専念するという言明にあると私は考えます(だからこそ、公務員の清廉なイメージが確立してきたのではないでしょうか)。日本版清廉性の典型でしょう。

 しかし、(ここは公務員でない人々の方で忖度できないものかと思うのですが)公務員とはいえ私たちと同じ人間です。ですから、常に中立公正な聖人を演じ続けよと求めることは大変に難しいと私は感じています。そこで、公務に従事する限りは聖人たれと求めるけれども、公務以外の余暇活動などでは人間らしくしてよいといった論理を素直に承認してあげられないものでしょうか。世の中的にはそういうわけにはいかないという空気が漂い、これが負のスパイラルを日本中に広げているような気がしてなりません。休日のゴルフやテニスの時でも平日の忙しい勤務の合間のお昼ご飯の時でも、公務員は常に聖人でなければならない、のようにです。

 要するに、昨今の公務員問題は、無私の奉仕行為という清廉性により確立した公務員を信頼・信用するクリーンなイメージの確立が、公務と公務外をキッチリと切り替えられる人だけではないという本来の人間のあり方を度外視し、人間らしさとの均衡点をずらして、常に聖人たれという途方もない人間のあり方を押し付けるように世の中の意識が変化している結果なのではないでしょうか。

「新たな仕組み」導入が日本では十八番の解決策?

 このような場合、日本では沈静化させるために理想・目標を達成するための何かの仕組みを講じる動きが出てくるのが常でした(戦後史を振り返れば多くの例を指摘できます)。そして、場合によっては海外の事例を参照し、導入することで沈静化させてきました。例えば、2008年に判例法理を整理するような形で労働契約法を日本では制定しましたが、同じ時期に現代中国でも同名の法律を制定しました。ちなみに最近話題となっている「無期雇用への転換」規定まで重複していました。当時は現代中国のそれは処罰規定をもつが、日本のそれは処罰規定がないといった表面的な違いが話題となりました(残念ながら日本では深層の違いが問題視されることはなかったと記憶しています)。

 この例においては他国の制度を導入する・参考にするという安易な方法を採ったと思いたくはありませんが、当時の議論の中で、無期雇用への転換を処罰規定まで加えて強引に進めようとした現代中国の事情を鑑みれば、日本のそれの規定方法は変わっていたかもしれません。結果論と言えばそれまでですが、最近の日本における労使関係がギクシャクしている様子を見ると、この部分を当時から強く訴えなければならなかったと反省しています。

 ところで、昨今の公務員の問題は同じような道を歩んでいる気がしてなりません。最近の言動(否が応でも耳に入って来るので仕方がないのですが)は、問題の解決を探るという意識が薄れ、関係者個人の質や価値観、人格を糾弾する形で展開しているように見えるからです。やり玉に挙がっている対象を糾弾することが目的化すると、それは1つのレールの上を走る電車のように、方向の修正ができなくなります。そして、糾弾の対象が社会的に抹殺されるか、糾弾する側が社会的に抹殺されるまで鎮静化できなくなるでしょう。

 なぜ方向修正できなくなるかと言えば、正否の判断基準を客観的に示さずに貴方が悪いと虐めているにすぎないからです(判断基準がないのですから、どちらかが倒れるまで戦い続けるわけですね)。それゆえに、正否の判断基準に代わって客観的に示せる代替物として「何か新たな仕組み」に加え、再発防止策を講じたとして解決したフリを作るのです。

現代中国版の清廉性の作られ方

 今回のコラムでご紹介する現代中国の法令は日本の公務員問題に対して「何か新たな仕組み」のヒントになるかもしれません。もちろん、私の意図はこれを導入すべきでないし、参考にもならない仕組みであるということ。そして、日本法と比べた場合の中国法の特徴を指摘するところにあることをまず申し添えておきたいと思います。

 公権力を掌る公務員が中立公正な立場に立つべきであるという認識が、その理想として間違っていると考える人は少ないと思われます。この理想を掲げることによって国家が本来の作用を発揮するための組織を確立すると考えられるからです。ポイントは、この公務員の中立公正な立場をどのように保障・維持するのかにあります。日本の例については前述しましたので、ここからは現代中国のそれについてご紹介することに致します。

 現代中国は、諸々のことに対して客観的な判断基準を言明する傾向があります(中国的権利論)。それは、公務員の中立公正な立場の確立においてもあてはまります。そもそもここにいう中立公正とは「無私の奉仕」の要求と「公務と公務外の切り替え」の要求の均衡点なのですから、日本以上に明確に文言上に現れています(これから紹介する法令が一党独裁を維持するもので中立公正でないとか、共産党員に有利・不利なので中立公正でないといった指摘が的外れと言わざるを得ないことをご承知おきください)。これが、今年3月に全人代が公布した「中華人民共和国監察法」(以下「監察法」)です。

 この法律について、日本の言動は相変わらず「習近平政権が中国国民を監視するもの」、「警察国家化や独裁の強化である」との言動を散見しますが、法律学に照らして読み込むと誤読と言わざるを得ません。そもそも「監察法」の前々法は、国務院が1990年12月に制定した「中華人民共和国行政監察条例」(以下「監察条例」)です。法令名称のとおり、行政職員に対する監督を目的として出発しています。この「監察条例」が、1997年5月に全人代常務委員会により「中華人民共和国行政監察法」(以下「行政監察法」)として法律に格上げされ、この「行政監察法」の実施細則を国務院が2004年9月に「中華人民共和国行政監察法実施条例」(以下「実施条例」)として制定していました。

 今回の「監察法」の制定に至るまでに関連する法令はその内容を充実させてきました。例えば、「行政監察法」は、国務院・同各部門または各級人民政府・同各部門が任命するその他の職員も監視すると追加しました。さらに「実施条例」は公共事務を委託した組織とその従業員(職員以外も含む)をも監視すると追加しました。そして、現行法である「監察法」は、公権力を行使するすべての公務員[公職人員]を監視対象とすることを言明し(同法3条)、それを同法15条で具体的に列挙しています(下表参照)。しかし、いずれも中国国民すべてを監視対象とはしていないのです。

表:監察法15条が規定する対象一覧(筆者作成)
・中華人民共和国公務員法により管理する人員
・法令の授権又は統治機構から受託した組織で公務に従事する人員
・国有企業の管理職員
・公教育、科学研究、文化、医療衛生、スポーツ等の組織の管理職員
・基層大衆自治組織(都市居民委員会など)の管理職員
・公務を履行するその他の人員

 ちなみに、もう一つ。この「監察法」の条文変遷から論証できることがあります。それは、「裸官」問題です。この問題は、何らかの問題(汚職など)で国内において取り締まられそうになった元官僚が海外に逃亡している問題です。海外に点在している裸官村とは、汚職官僚の家族らが形成しているコミュニティを指しますし、「トラもハエも叩く」の大号令の下で、数年前から海外逃亡の汚職官僚らの手配書を顔写真とパスポート番号入りで公表したりしているため、ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 公務員の中立公正性を確保するための「監察法」ですから、「監察条例」(1990年)の制定当初から海外逃亡を阻止する規定があったのでは?と思われがちなのですが、これも誤りです。海外逃亡を阻止する規定ができたのは「実施条例」(2004年)。ごく最近なのです。そして「実施条例」34条1項では、容疑者が出国又は失踪などの不可抗力に遭遇した事件で、結果として調査業務を行なえない場合は監察機関が調査を中止できると言明していました。確かに調査を中止する際に時効を停止する措置は取られていましたが(これでは海外逃亡した方が合理的ですよね)。つまり、今回の「監察法」によって「裸官」問題の解決に向けて本格始動するというのが真実なのではないでしょうか。

監察法の狙いは何か?

 現代中国において公務員のクリーンなイメージは監察法によって確立する、というのが私の見立てです。それでは、監察法のこのような狙いを私たちはどのように見るべきでしょうか。大前提の狙いは、その1条で言明するように公権力を行使する人々が腐敗しないように監督すること(反腐敗業務)にあるのでしょう。なお、蛇足ですが、日本において中国の行政法に関する論評を見ると、大抵がその腐敗の横行や無法行政(注:法による支配さえ徹底していないとなじる言い回しです。)の様を指摘して終えます。しかし、これは本来の学問としての行政法とは相容れないものです。行政法学は腐敗の防止や依法行政の徹底による行政の中立公正を確保するための法的論理を探究しているからです。

 さて、この反腐敗業務に携わる統治機構について、監察法を確認すると、そこには各級の監察委員会だけでなく、それを裁く司法機関(人民法院)、それを起訴する検察機関(人民検察院)、それを捜査・押収する法執行部門(公安部など)が存在していることを見て取れます。したがって、これらの重畳的な体制を見ると、まるで蟻もはい出られないほどトラもハエも「徹底的に」叩くことを示していると感じられるかもしれません。しかし、重畳的に見えるけれども組織ごとに分業しています(下表参照)。

表:監察の分担体制について(筆者作成)
発見・捜査→     確認→     (反腐敗業務)     裁量→       制裁
監察委員会 法執行部門 検察機関 司法機関

 「縦割り行政」というのが適当かもしれません。そして、時間の経過とともに処理する業務量や経験も蓄積していくはずですから、その時に横断的な統括組織を設置して再編成することもあるかもしれません。が、現行の法令を俯瞰してみると、監察法はあくまで公権力を所掌する人々の不正・腐敗を予防するための法令です。したがって、刑事罰を科すまでに至らない程度のものをしっかりと取り締まりたいというのが狙いであると私は考えます。

 ちなみに、刑事罰を科すに値するものであっても、自白したり、捜査に積極的に協力したり、あるいは収賄した金品を返納して損失を軽減させたりといった所謂後悔・懺悔の行動がある場合は「寛大な処罰を求める建議」を検察機関へ提出できるとしています(監察法31条)。また、他の不正・腐敗事件の取り締まりに役立つ情報の提供といったことがあれば、同じく「寛大な処罰を求める建議」を提出できるとされています(監察法32条)。これらの規定を「戻る黄金の橋」というか、「芋づる式の検挙手段」というか等は人それぞれですが、人民検察院による補充捜査は1か月以内で最大2か月間と言明しているため(監察法47条)、監察委員会が徹底して捜査しなければ真相は闇の中ということも有り得そうです。

 このように確認してくると、監察委員会の活動が人権侵害も厭わない乱暴な捜査を容認しているのではないかと思われるかもしれません。そこで、法令は「威嚇や詐欺等の違法手段で証拠を収集したり、侮辱、罵倒、虐待、体罰あるいは形を変えた体罰を被調査者や関係者に与えたりしては絶対にならない」(監察法40条)と言明しています。さらに、「監察機関は監察業務情報を公開し、民主的監督、社会監督及び世論監督を受ける」(監察法54条)とも言明しています。とはいえ、この懸念を払しょくするためには関係者すべてが自覚して接する必要があるということでしょうから、今後を注意深く「観察」していきましょう。

 なお、法令は捜査を受ける人や組織が「ありのままの事実を提供しなければならない」(監察法18条)とも言明しています。不正・腐敗に手を染めた側に正直に対応せよというのは理不尽な気も致しますが、ここに中国版清廉性の作り方の本質が見えると私は考えます。この法文の狙いは本人たちの良心に訴えるものではないのです。自らの合法的権利を守るためには合法的義務を履行する必要がある中国的権利論において、義務を履行しないならば、その権利も保護するに値しないという論理的帰結を導くところに狙いがあるのではないでしょうか。つまり、法に従うこと=順法が中国版清廉性を確立するというわけです。

日本が参照できるところはあるのか?

 監察法を参照する限り、それは公務員の腐敗・不正を防止するための仕組みを外部に設け、それをもって自浄作用を発揮させるものと言えるでしょう。一方、日本の場合はあくまで内部の自浄作用に依存してきた歴史を持つわけですから、日本社会の悪癖からすれば日本版監察法の制定が問題の鎮静化を実現する上では合理的な選択肢になるかもしれません。

 しかしながら、私はこのような動きが起こるとすれば反対したいと思います。なぜならば、監察法のように外部からの自浄作用は、外部の組織に依存するだけでなく、何をもって腐敗・不正とするかを言明することが求められます。これは忖度や奉仕という概念のもつ明文化できない価値観を明文化し、いわゆる「ユルさ」を失うことを意味します。仮にこの「ユルさ」を失えば、常に聖人たれという場合の聖人がどんな要求に応えられる人なのかが文字化されます。また、これを公務員のみに求めることは均衡を失うため、公務員以外に対して例えば捜査を受ける場合に「ありのままの事実を提供しなければならない」といった要求が求めることになるやもしれません。これは、まさに中国的権利論そのものの写しです。

 以上の次第で、日本社会が従来のあり方を離れて将来の在るべき社会を再構築するというのであれば話は別ですが、そうでない限り、私は日本版監察法の制定といった安易な問題の鎮静化を図るべきではないと思います。そして、「ユルさ」を回復しながらこの負のスパイラルを私たちの手で断ち切る覚悟をもって公務員問題と向き合うべきではないでしょうか。

以上

御手洗大輔氏 記事バックナンバー


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