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【18-012】居住証制度は一国二制度を崩すか?

2018年 9月13日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

「香港・マカオ・台湾住民の居住証申請弁法」の公布

 先月(8月)9日に国務院弁公庁が「香港・マカオ・台湾住民の居住証申請弁法」を制定公布しました。この弁法については、居住証を取得した香港住民が内地の住所地で就業、教育、医療、観光、金融などに係わる3つの権利、6つの公共サービス、9つの便宜を享受できるようになったとか、この弁法の実施により香港住民が中央政府の配慮を感じるようになって、国民意識の向上につながるというように概ね好評な言説を伝え聞いています。

 ところで居住証と聞くと、私は昔々に自分が上海へ1年間留学していた時のことを思い出しました。当時、賃貸オーナーから公安局へ行って「居留証」の発行を受けるように言われたことがありました。申請書を書いて、1週間後にもう一度出向き居留証を受領しただけの記憶です。当時は日本の住民票の移転みたいなものかという認識だったと思います(笑)。夜中に徘徊していても、上海市外を放浪していても身分証を示せ!みたいな出来事に私は遭遇しませんでしたから、その意義を考えることもありませんでした。

 ちなみに居住証つながりで思い出したこととして、(某学会でだったか勉強会でだったかは記憶が曖昧なのですが)身分証の提示を求められたことがあるということを武勇伝のように聞いたことがあります。身分証の提示を要求するパフォーマンスで圧力を感じたとか、調査活動がやり難かったとか散々に話されていました。考えてみると、彼女は当時中国で何をされていて、そんな状況に遭遇したのでしょうか。

 そこで、この弁法とその分析をする中で当時どのような法的根拠に基づいて私が申請していたのかを確認してみました。その法的根拠は「外国人ビザ及び居留許可業務規範」(2004年制定、2013年改正)という法令でした。1年以上滞在する場合は「外国人居留証」を、1年未満滞在する場合は「外国人臨時居留証」を発行するとし、そして住所地の公安機関出入境管理部門が管轄すると言明していました。ちなみに、この「外国人居留証」には居留理由を明記することが言明されていたほか、受け入れ組織の名称や発行機関の記載などが要求されていました。だから公安局へ行けと私は賃貸オーナーから言われたわけですね。

 さて、そうすると彼女がなぜ身分証の提示を求められるという状況に遭遇したのかも説明できますね。彼女が合法行為であると確信を持てない=合法行為でないかもしれない何かを行なっていたために、もしもの時に居留理由や受け入れ機関に直ちに連絡が取れるよう身分証の提示を求められただけだったのではないでしょうか。彼女が違法行為を行なっていたとしたら・・・と想像すると、身分証の提示を要求するパフォーマンスは確かに圧力を感じるでしょうが、公然と法令の要求を公務員など政府関係者がスルーできるはずもないでしょう。達成すべき目的とそのために採れる複数の手段との間の均衡を要求する「比例原則」に照らせば、彼らにしても適当な選択手段だったのではないでしょうか。

 また、この規範においては「香港・マカオ住民の身分証明とは香港・マカオ住民の内地との往来通行証をいう」と言明しています。したがって、1997年7月に香港返還を経た後も香港・マカオ住民には、戦前の日本において内地人と外地人という区別の「壁」が存在していたように、「壁」が存在していたと言えます。さらにこの規範は「中華人民共和国外国人出入境管理法」に基づいていますから、この管理法が上位法であることによって、準外国人扱いすることが法的に認められていたと解釈できます。そうすると、この「壁」はより高く感じられたかもしれません。

 以上の次第ですから、今回の弁法が好評を得ているのは当然であるようにも思えます。が、果たしてどこまで「壁」は下がったと言えるのでしょうか。

内地人の居住証制度との比較

 内地人すなわち中華人民共和国国籍を持ち特別行政区に本籍を持たない中国人にも居住証制度があります。改革開放という名の規制緩和が進む中で人々の移動が徐々に活発化することによって、本籍地で生活し続けない人々が増加していったからです。

 日本でも本籍地と住所地が違うことは間々ありますね。東京ディズニーランド(TDL)の住所を本籍地とする人がいることを想像すれば分かりやすいのではないでしょうか。実際に私の知り合いにもTDLを本籍地としている人がいます。結婚届を提出する時に変更したとのことでしたが、考えてみれば日本では本籍地の重要性が希薄化している証左なのかもしれません。

 話が脱線しないうちに戻しておきますと、内地人に対する居住証制度は、国務院が2015年に「居住証暫定条例」を制定公布し規律しています。本籍地を離れ半年以上その他の都市で居住して、安定就労、安定居住そして継続している何かがある場合に居住証の申請ができると言明します(条例2条)。有効期限は実質1年です(条例10条で毎年1度確認することを要求しているため)。住所地の居民委員会、使用組織、通学する学校などには居住証制度の利用に協力する義務があります(条例8条)。また内地人の居住証には、姓名、性別、民族、生年月日、個人番号(中国版のマイナンバー)、写真、本籍地、住所、発行機関及び発行日を記載することになっています(条例4条)。

 一方、香港・マカオ・台湾住民に対する居住証制度が今回の弁法です。申請条件は上記の条例2条とほぼ同じですが、「本人の意志に基づき」申請するものであると言明します(弁法2条)。有効期限は5年です(弁法6条)。本人の意志に基づき申請することになっていますから、住所地の使用組織や通学する学校などには協力義務が課されていません。ちなみに、この居住証には条例4条の必要的記載事項に加えて、指紋情報、有効期限、発行回数および出入境証書番号を記載することになっています(弁法3条)。特に指紋情報については将来的には社会問題を引き起こすかもしれませんね。

内地人と外地人における居住証制度の主な比較
  居住証暫定条例 香港・マカオ・台湾住民の居住証発行弁法
国務院 国務院
公布年 2015年 2018年
目的 新型の都市化の健全な発展の促進  
公共サービスの促進 内地における就労、学習及び生活の利便性
国民の合法的な権利利益の保障 香港・マカオ・台湾住民の合法的な権利利益の保障
社会の公平正義の促進  
申請条件 戸籍所在地を離れ半年以上その他の都市で居住して、合法で安定した就労、合法で安定した住所および継続する要件の1つを満たす場合 内地で半年以上居住して、合法で安定した就労、合法で安定した住所および継続する要件の1つを満たし本人の意志に基づき申請する場合
必要的記載事項 姓名、性別、民族、生年月日、マイナンバー、写真、本籍地、住所、発行機関及び発行日 姓名、性別、民族、生年月日、住所、マイナンバー、写真、指紋情報有効期限、発行機関、発行回数及び出入境証書番号

 

  香港住民のマイナンバーの住所コードは810000を、
マカオ住民のマイナンバーの住所コードは820000を、台湾住民のマイナンバーの住所コードは830000を使用する
有効期限 毎年1度確認する
更新する場合は期限を経過する前の1か月内に手続きを行なう
5年
発行機関 公安機関 公安機関
協力義務 居民委員会、村民委員会、使用組織、在籍学校及び家屋賃借人は居住証の申請受理発行等の業務に協力する  
申請登録票、身分証番号、写真、住所地を証明する証書(賃貸契約書や労働契約書、学生証など)を提出する 「香港・マカオ・台湾住民の居住証申請登録票」、出入境証書及び住所地を証明する証書(賃貸契約書や労働契約書、学生証など)を提出する
享受するサービス 住所地での就労、社会保険への加入など 住所地での就労、社会保険への加入など
義務教育 義務教育
公共就業サービス 公共就業サービス
公共衛生サービス及び計画出産サービス 公共衛生サービス及び計画出産サービス
文化スポーツサービス 文化スポーツサービス
法的支援など 法的支援など
その他の公共サービス その他の公共サービス
発行費用 初回は無料 初回は無料

 要するに、「本人の意志に基づき」という点と指紋情報を要求する点がポイントです。

 穿った見方をすれば、香港に土着する権利観を巧妙に希薄化させる1つのアプローチであると言えます。前者の点は香港を自らの本土と考える「本土派」の人々など香港に愛着の強い国民の意志を尊重する姿勢を示すことによって、国民意識の向上につながるかもしれません。また同時に、後者の点は指紋情報の採取という内地人には求められていない項目であり、かつプライバシー権の意識が高い人々にとっては自らの人権観から反発を招くことになるかもしれません。

 そしてこの両者を天秤にかけたのが今回の弁法です。前者の点を重視するならば、後者の点が軽視されることによって、香港に土着する権利観=西側的な人権意識が希薄化していくことになるでしょう。また、その逆の場合は居住証の発行を申請しなければ良いだけの話です(申請者本人の意志に基づき、とわざわざ言明する点からすれば居住証を求めた人は本人の意志に基づいて香港に土着する権利観を捨てたのだし、求めなかった人は本人の意志に基づいて香港に土着する権利観を固持したのだと言えますから、いずれの面子も立ちますね)が、居住証の発行を受けることによるメリットとの関係から「ころぶ」人々が増えていくことになるでしょう。

 とはいえ、個人的にはこういった穿った見方は好きではありません。この見方を隣近所の付き合い方に譬えれば、隣の家の決まり事の将来性の中から最悪な場合だけを取り上げ隣の家の中をかき乱すようなものだと思うからです。他人の不幸は蜜の味的なストーリーですから、この見方はお茶の間の話題としては面白いでしょう。が、少なくとも法学・法律学という学問の視座からすれば毒饅頭を食らうことに等しいと私は考えます。この見方では過去の法的論理との間をつなぐ歴史的要素が欠けるからです。

居住証制度は一国二制度を崩すか?

 そもそも一国二制度[一国両制]は「台湾同胞に告げる書」(1979年1月)を起点として、中英交渉文書(1984年1月)、「香港特別行政区基本法」(1990年4月)と展開する中で理論的に確立したと言われています。事実として香港特別行政区基本法は、その序言において、香港の主権回復にあたっては「一つの国家、二つの制度」の方針に基づき香港では社会主義の制度と政策を実施しないことを国が決定したと言明しています。そして香港では現行の資本主義制度と生活方式を50年間維持するとされます(同法5条)。

 居住証制度は2014年香港現象において論点となった選挙制度すなわち政治的な生活方式とは異なり完全に(日常的な)生活方式に該当するものです。50年間維持するという文言を額面通りに解釈するならば、戦前の日本における内地人と外地人の区別に相似するこの「壁」は、50年間取り除かれてはならないはずです。この論理との整合性を維持するには、この弁法が香港で適用されるものではなくて、内地で適用されるものであるから関係しないという説明が適当でしょうし、そのための立法関係者による配慮も確認できます。例えば、国家の主権、安全、栄誉ないし利益に危害を与えるかもしれない場合は居住証を発行した機関がその居住証の無効を公告するという言明(弁法15条3号)がこの配慮であると言えます。該当する行為を行なった香港・マカオ・台湾住民がその居住証を無効になったとしても、彼らには本籍地が外地に用意されているからです。ちなみに、内地人の場合は各種の行政罰が用意されています(条例18条、19条)。

 また、内地人に対する居住証制度の立法目的と外地人に対する居住証制度のそれが異なる点も上記の整合性を高めることに資すると思われます。内地人向けの居住証暫定条例は都市化の健全な発展の促進や社会の公平正義の促進をもその目的に加えるのに対して、外地人向けの居住証発行弁法は彼らの内地における就労、学習、生活の利便性のためにすぎないと言えるからです。

 では、居住証制度が一国二制度を崩さないと言えるのかといえば、そういうわけでもありません。「3つの権利、6つの公共サービス」は共通していますし、人々の合法的な権利利益の保障を共通の立法目的として確認することもできるからです。また日本のマイナンバーにあたる国民身分番号[公民身份号码]は、住所コード(6桁)、出生日コード(8桁)、順序コード(3桁)、確認コード(1桁)という4つの部分から構成されています。そして、この弁法によってその住所コードにおける統合が実現したという点も外地人と内地人の統合を促す意味合いがあると言えます。そうすると、問題は「社会主義の制度と政策」に該当するか否かですね。

 私は「居住証暫定条例」の社会主義的な論理が同条例15条と16条にあると考えます。この条文は定住[落口]の方法、すなわち本籍地の合法的な移転方法を言明したものです。日本のように本籍地と住所地の異同が大きな問題にならない生存環境とは全く異なり、現代中国では国民の住宅権(現行憲法39条。国民の住宅は侵害を受けない)が保障されるにとどまります(日本国憲法22条の文言と比較すれば、その差は歴然ですね)。

 同条例15条は、居住証を有する国民が居住地の人民政府が規定する定住条件に合致する場合に、本人の意志に基づき本籍地を住所地へ移転できると言明します。そして、人口50万人以下の都市では定住条件として合法で安定した住所のあることを要求し、人口が50万以上100万程度の都市では合法で安定した就業、合法で安定した住所のほか、一定期間の社会保険への加入を要求します。さらに人口が100万以上500万程度の都市では一定期間の合法で安定した就業を、そして500万以上の都市ではその都市の需要に応じた要求(ということは、かなり基準は高まるはずですね)をクリアして、ようやく定住を認めると言明しています。要するに、都市戸籍と農村戸籍という身分制が全土の都市化を見越した都市間の身分制へと変容しつつも、その身分制的な要素を維持している点に私は社会主義的な論理を見ているわけです。

 ちなみに、上記の2つの法的論理を確認した時に、「香港・マカオ・台湾住民の居住証申請弁法」において組み込まれた法的論理にも重複があることに気づかれたのではないでしょうか。そうです、「本人の意志に基づき」です。これほどまでに否定的に評価できないにもかかわらず、この論理が一国二制度をゆっくりと、しかし確実に崩していくことになるかもしれません。

 私はこの点に恐ろしくもあり、また(不謹慎ながら)学問としては面白い論点が生き続けているなと感じています。とりあえず指紋情報の要求を論点として議論が深まることを期待したいところです。

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