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第138回中国研究会「中国における科学技術の歴史的変遷」(2020年12月18日開催)

「中国における科学技術の歴史的変遷」

開催日時: 2020年12月18日(金)15:00~16:15

言   語: 日本語

開催方法: WEBセミナー(Zoom利用)

講   師: 林 幸秀(はやし ゆきひで)氏
公益財団法人ライフサイエンス振興財団 理事長兼上席研究フェロー
国際科学技術アナリスト

講演資料:「 第138回中国研究会講演資料」( PDFファイル 1.29MB )

講演詳報:「 第138回中国研究会講演詳報」( PDFファイル 2.97MB )

YouTube[JST Channel]:「第138回中国研究会動画

科学技術最重視政策貫く 林幸秀氏が中国の急激な発展を解説

小岩井忠道(中国総合研究・さくらサイエンスセンター)

 研究論文の総数だけでなく、価値を評価する指標となっている被引用数の多い論文数、さらには国際共著論文数でも中国が長年、首位の座にある米国を脅かすまでに急成長している。こうした現実を日本のマスメディアもきちんと報じるようになったのは最近のことだ。実際には相当前から中国の研究力の急速な発展は明らかで、早くから中国の今を予見していた1人である林幸秀ライフサイエンス振興財団理事長兼上席研究フェローが第138回中国研究会(科学技術振興機構中国総合研究・さくらサイエンスセンター主催)で講演、急速な発展を成し遂げた理由を様々な角度から解き明かした。

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 林氏は最近「中国における科学技術の歴史的変遷」という著書を刊行したばかり。清朝末から現代まで中国がいかに科学技術大国になろうとしてきたかを詳しく説いた書となっている。この日の講演では、著書で詳述されたうち新中国建国(1949年)直後から現代までに絞って科学技術政策重視の歴史とその成果を解説した。

科学技術重視は新中国建国直後から

 1949年に中華人民共和国が建国された直後に中国科学院が設立された。1952年には大学システムを見直し学部を再編する「院系調整」と、大学新入生の質確保のための統一試験「高考」が始まる。1955年には優れた学者を認定し、その意見を聴取するために「中国科学院学部委員」(現在の中国科学院院士)制度が創設された。こうした建国直後の科学技術関連機関、高等教育機関の整備について林氏は、「現在でも非常に大きな力、制度となっている」と評価した。

 さらに1956年に開かれた全国知識人会議で周恩来首相が「向科学進軍」(科学に向かって邁進)を呼びかけ、同年に策定された「科学技術発展遠景計画概要」によって科学技術の計画経済への組み込みという中国の科学技術史上、大きな出来事も新中国建国間もない時期に起きていることに注意を促した。「両弾一星」政策が始まったのもこの時期だ。

 中国は1966年から10年間、文化大革命というとりわけ科学者、科学技術にとって暗黒時代といえる混乱の時期が続く。ただし、知識人の迫害、建物、施設、装置などの破壊から「高考」の中断という苦難の時期においても、「両弾一星」政策は続行された。さらに1967年の東風2号Aミサイルによる水爆の打ち上げ、1970年の長征1号による人工衛星「東方紅1号」打ち上げという特筆すべき成果を挙げたことを、林氏は重視する。

 1977年に文革が終結し鄧小平氏が復活した後、文革時代の負の遺産からの脱却が図られる。「高考」の再開とともにこの時期の重要な出来事として林氏が挙げた中に、学位条例の公布がある。欧米的な学位制度の確立が必要という鄧氏の主張により、1981年から施行された。これによって北京大学や清華大学も博士号を授与できるようになる。米国の国立科学財団(NSF)にならった中国国家自然科学基金委員会(NSFC)や、国家重点実験室の設置といった競争的資金の導入と科学技術プロジェクトが始まったのもこの時期だ。国家ハイテク産業開発区の設置や中関村(北京市西北部につくられたIT企業や研究所の集積地)の発展といった地域科学技術の振興も図られた。周恩来首相が1954年に唱えて以来、中国の科学技術重視を貫くキーワードといえる「四つの近代化」が、1982年に制定された新憲法に国家の大目標として明記されたことと、1992年に鄧小平氏が行った南巡講話を「科学技術を第一の生産力」とする政策を決定づけた重要な出来事、と林氏はみている。

他国に例を見ない研究開発費拡大政策

 その後の急速な中国の発展を明白に示すデータとして林氏は、鄧小平氏の南巡講話で党内が改革開放で収斂した年1992年からわずか20年ほどの間に研究開発費がいかに急増したかを紹介している。鄧氏に代わる最高指導者として江沢民氏が中国共産党総書記に就いていた1992年の研究開発費はわずか198億元(4,500億円)。江氏が総書記を退任した翌年の2003年には1,540億元(2兆1,600億円)と11年間で約7.8倍に増えた。次の胡錦涛総書記の時代、2003年から2013年の10年間には、さらに約7.7倍の1兆1,850億元(18兆6,600億円)と、ほとんど同じペースで急増した(注)。

注:林氏の著書「「中国における科学技術の歴史的変遷」によると、2013年の日本の研究開発費は18兆1,300億円だから、この時点ですでに日本を追い越している。1位の米国との差も3分の1までに縮めている。米国は1992年時点で13兆9,000億円と中国の約30倍、2003年時点でも16兆8,000億円とまだ約8倍もの差をつけていたことをみると、いかに中国の研究開発の伸び方が急激かがわかる。

 なぜこうした急激な研究開発費の伸びが可能だったか。林氏が指摘したのは、2007年に改正された「科学技術進歩法」。「国の予算の科学技術経費の伸び率は、国全体の経常的な収入の増加率より高くしなければならない。中国全体の研究開発費のGDP(国内総生産)に対する比率は、逐次増加させなければならない」という他の国に例を見ない条文が盛り込まれている。

 研究開発費の伸びとともに大きな要因となったのが人材育成だとして、林氏は中でも江沢民総書記時代に始まった「百人計画」(海亀政策)の実施が大きな役割を果たしたことも、強調した。海外留学は新中国建国直後から奨励されており、改革開放路線が定着した後も活発に行われていた。これら海外に滞在する研究者の帰国を奨励することから「百人計画」は海亀政策とも呼ばれた。「中国科学院が率先して計画を推進し、非常にうまくいった。若い研究者を積極的に大学や研究機関のトップに起用したため、日本の大学に比べるとトップは10歳から20歳若い人たちになっている」。林氏はこのように評価している。

科学技術論文数で米国に肉薄

 急激な研究力の向上を表すデータとして科学技術論文数がいかに急増したかを林氏は示した。1992年には9,119本で世界14位にあったのが、2003年には4万7,235本と6位に、さらに2013年には21万8,092位と2位に急上昇し、2017年には34万4,733本と1位の米国37万833本に肉薄するまでになっている。

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(林幸秀氏講演資料から)

他国引き離す特許出願数

 また、特許出願件数では2004年に13万件と世界4位に浮上した後も、件数を伸ばし続け、2013年には82万5,000件と1位に浮上、2018年には154万2,000件と2位の米国59万7,000件との差をさらに拡大しているというデータも林氏は紹介した。

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(林幸秀氏講演資料から)

資源、SDGs、研究倫理などで共同歩調を

 周恩来以来の歴代指導者が科学技術を特に重視してきた理由は何か。アヘン戦争の敗北以来、欧米、日本にじゅうりんされ続けた経験から、安全保障、経済を支えるのは科学技術力という考えが強いため、と林氏はみる。急激に科学技術力を向上させた中国と欧米諸国、日本は今後どのように付き合うべきか。「資源、SDGs、研究倫理などで共同歩調をとるべきで、そうしないと世界の科学技術の発展に禍根を残す」と氏は提言した。

 同時に林氏は、中国自身の課題として、指導者たちが叫ぶ「創新」(イノベーション)に研究現場が対応できるかについて厳しい見方も示した。基礎研究には熱心に取り組んでいることを評価する一方、基礎研究の成果を産業につなげるのは簡単ではないことを指摘した。例えば、中国には新しい薬を開発するような大きな製薬会社はまだない。欧米流のイノベーションというのもまだ中国では起きていない。こうした現状を明らかにしたうえで、今後の動向を注意深く見続ける必要を指摘している。

 日本が中国から学ぶべきことは何か。司会者からの質問に対し、林氏は次のように答えた。

「第一に研究費を増やすこと。次に人材の組織的な育成策。中国は外国との協力、交流を徹底的にやった。若い人材を米国、欧州に送り、他流試合をさせることが大事で、それが人材育成の特効薬になる。日本も同じことを徹底的にやるべきだ」

(写真 CRSC編集部)

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林 幸秀

林 幸秀(はやし ゆきひで)氏
公益財団法人ライフサイエンス振興財団 理事長兼上席研究フェロー 国際科学技術アナリスト

<学歴>

昭和48年03月 東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻修士課程卒業
昭和52年12月 米国イリノイ大学大学院工業工学専攻修士課程卒業

<略歴>

昭和48年04月 科学技術庁入庁
平成15年01月 文部科学省 科学技術・学術政策局長
平成16年01月 内閣府 政策統括官(科学技術政策担当)
平成18年01月 文部科学省 文部科学審議官
平成20年07月 文部科学省退官 文部科学省顧問
平成20年10月 独立行政法人 宇宙航空研究開発機構 副理事長
平成22年09月 独立行政法人 科学技術振興機構 
            研究開発戦略センター上席フェロー(海外ユニット担当)
平成29年06月 公益財団法人 ライフサイエンス振興財団理事長(現職)
平成31年04月 同財団 上席研究フェロー(兼務)
令和 2年09月 国立研究開発法人 科学技術振興機構
            中国総合研究・さくらサイエンスセンター特任フェロー(兼務)