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【13-001】日本短期研修の記録(その1)私たちが探し求めたもの

陸 一鳴(上海大学)   2013年 2月21日

 2011年2月2日、旧暦の大晦日。母は私が撮った写真に目を通し、私は持ち帰った「戦利品」を整理していた。今回の日本への旅は、いろいろな意味で大きな収穫があった。母は笑い声をたてて、浴衣を着て男子学生4人が変な格好をしている写真を指差した。「これは何しているところ?」「ああ、これは・・・」

 2011年1月26日、私たちは浜名湖の温泉旅館に宿泊した。遠まわしながらも断固とした口調で張涛さんが提案したのを受け、私たちは、ずっと期待していた浴衣に着替えた。得意になって、互いに色々なポーズをとって写真を撮り、浴衣のまま一緒に宴会場に行って、争うようにカニの足を食べ、露天風呂に眩暈がするまでつかり、「2班」の部屋で深夜まで騒いだ。不満な点をどうしても挙げなければいけないというなら、使い方が難しいテレビくらいだろう。

 日本に着いてすでに5日、大阪、京都の旅程はほぼ終わり、衣食住と旅についてはすでに印象深い体験をしていた。この数日間は長いようで短かった。日本に来てから毎日のように新たな驚きと喜びがあり、絶えず発見があったので、異常なまでに充実し、まさに「万巻の書を読み、万里の路を行く」(読万巻書、行万里路)感であった。上海大学1班の班長として、打ち解けたグループの雰囲気に大変助けられ、旅行中は歓声が絶えなかった。旅程はまだ半分以上残っていたが、すでに名残惜しさが積もっていた。

 日本の気候と環境について一言触れておきたい。天の思し召しだろう、到着前の大雪はすでに止んでいた。雪融け時の寒さを感じることは全く無く、ほとんど毎日晴れて、青空に白い雲が浮かんでいた。日本の女子はどうやらどんなに寒くても、ミニスカートで出かけるようだった。周知のとおり、日本の環境はすばらしく、至るところに烏がいて、水は直接飲めるし、空気は新鮮だ。

 翌朝もやはり晴れで、私は朝早く目覚めた。ルームメイトを起こさないようにコートを羽織り、カメラを持って、ベランダで寒風の中、日の出を待った。私は余り外出が好きな方ではなく、これまでたった2回しか日の出を見たことがない。しかもそれはすべて日本でのことだ。もう1回は2日前、同志社大学の学生寮で見た。

 同志社大学の宿舎は、私たちを出迎えてくれた副学長の話によると、設備は旅館と同じだが、旅館のようなサービスはありません、とのことだった。私たちは、キリンビールの工場で試飲をして、ほろ酔い気分で宿舎に入ったのだが、副学長の後半のお話は嘘だったのではないか、と思った。なぜなら、部屋のトイレのトイレットペーパーは、端が三角に折られていて、実は少し感動していた。しかし、その後の旅程の中で、このような細やかさを至る所で目にし、それから一々驚かなくなったが、相変わらず感嘆を覚えていた。これも一種の慣れだろう。

細やかさに感嘆

 大阪と京都では遺跡や著名人の旧居、金閣寺、清水寺のほか、奈良では鹿も見た。名の通ったこれらの景勝地に行って興奮した。これらの景勝地をどのように回ればいいか、ということはほとんど問題にならなかった。いろいろな映像やアニメ、漫画の作品で十分予習できていたからだろう。

 もし、これが「文化侵略」の一部であるなら、相当な成功を収めていると言える。しかし、大小の神社仏閣については、一度も見たことがないとは言え、全く見慣れないものという感覚でもなかった。それも当然で、こうしたものは中国にもたくさんある。そこには大きな差異も存在しているのだが、すぐに言葉で表すことはできなかった。東京に到着すると、すぐにお台場へ行った。その時になって初めて、そこにある大きな違いとは何かが分かった。

写真1

 2011年1月27日。フジテレビを見学して興奮する時間はもうなく、我々の班はアクアシティお台場神社にやってきた。神社は大型ショッピングセンターの屋上にあった。屋外にご神体と賽銭箱が置かれ、手を清める場所もある。室内の棚には絵馬がぎっしり並び、願いごとが書かれていた。近くにはおみくじの箱もあった。それはなんと自販機だった。

「過去と現在が一つにより合わさった」日本

 日本にいると、次のような感覚を覚える。日本の伝統文化は、すでに今の暮らしの中に嵌め込まれ、過去と現在がより合わせられて、一つになっている。このような例は、そこかしこで見られる。大人の女性が和服を着て街を歩く。若い女性がデパートの中にある小さな手相の店の前で長蛇の列を作る。

 本来の機能を失った飛檐垂木と斗組を現代的な住宅の装飾として頑なに使い、その軒下にはホンダの車を止めてある。当然、自販式のおみくじの箱もこの中に含まれる......1980年以降に中国で生まれ育った私には奇妙に映るが、見慣れた光景のようでもあり、心魅かれると同時に、羨ましさも少し感じる。

 中国ではこうした陋習に対し、実にさっぱりとした取捨選択を行っているが、これは良いことなのだろうか、とぼんやり感じた。過去に私たちが捨て去ったもの、そして今私たちが源流を遡ろうとしているものを幸いにも、私は日本でたくさん見ることができた。どうして私は国外で、中国人であるという感動にこれほど多く出会えるのだろうか?

 以前、ある先生が私たちに対して次のように言ったことがある。日本には文化がなく、あるのは精神のみだ、と。この11日間を過ごして、私たちは「そう認めたくないから、そう言っているだけではないか」と思うようになった。「ある民族には独自の文化がない」ということ自体が独断である。日本文化が過去に中華文明から大きな影響を受けたことは事実だが、これらの文化はずっと以前に日本のものになっている。

 日本の大学では多くの講座を受講した。中日両国の文化の差異について論じるものも少なからずあった。共通文化を持った二つの民族の性格の違いがこれほど大きなことについて、その開きを感じざるを得ないと同時に、興味深く思った。

 私は政治を専攻しているわけではなく、経済、法律、理工系も専門ではない。ただ、芸術を学ぶ学生である。おそらく国際情勢は十分理解していないし、政治の議論には向かず、経済の本質も見抜けない。

 これまでの日本に対する理解は、他でもなく主要メディアや根拠のない噂、いろいろな映画やアニメ・漫画や出版物に頼っている。私の班の多くの人は私と同様、単純な好奇心、知識欲、そして将来に対する迷いからこの島国にやってきた。しかし私たちは、来て、見て、体験し、自分だけの答えを見つけられた。

 東京では自由行動の時間を利用して、主な繁華街はほとんど回ることができた。前半の少し古風な町並みの観光とは違って、東京では近代的な都市景観を体感した。なぜ日本人にとって現代的な中国のイメージが、上海のネオンのきらめき、華やかな旧租界の街並みになるのか、今になって少し理解できるようになった。

 それは東京の景観とは全く異なり、観光用ライトアップはそれほど多くなく、東京タワーから見下ろす夜景は昼間のように輝く実用的な灯りであり、そこには繁栄が透けて見える。二つの民族が互いに与え合っているそれぞれのイメージを考えると、ついつい会心の笑みを浮かべてしまう。

写真2

 東京で最も重要なことといえば当然、買い物ということになる。日本には世界一目が肥えた消費者と世界一のサービスがある。講義の中で偶然こうした知識も学んだ。

 消費者の目が肥えているかどうかについては、まず置くとして、サービスは確かに素晴らしく、中国に帰った後、無愛想なサービスには慣れているはずなのに突然、拒絶反応を起こすほどだった。このように快適で、気ままな買い物を数日続けた。

 深夜、終電に駆け込む人たちによる混雑に巻き込まれたり、複雑に交差する電車の乗り換えに迷ったりすることで、私たちは東京の魅力に引き込まれた。

 2011年1月31日、慶応義塾大学の講義に参加し、キャンパスを見学した。今回の日程に入っていた日本の大学は、これで全部見終わった。同志社、早稲田、慶応義塾はいずれも施設が完備し、素晴らしい教師陣を抱え、自由な教育・研究環境と独自の校風があり、日本の留学環境を知ることができた。体験したプログラムでは、中国語、英語、日本語によって、様々な角度から私たちが理解したいと望む日本の紹介があり、大変役に立った。31日昼には、日中文化交流センターの企画により、ユニークな修了式が催された。

私はただ、来て本当に良かった、としか言えない。多くの人に出会い、多くのことを経験した。その夜、私たちは日本式の風呂で最後の入浴をした。部屋に戻ると、班のメンバーは10日間の様々な思い出を語り合い、未来を考え、それぞれ自分が探し当てた答えを述べ合った。みんなの目から迷いが少し減り、決意が少し増えた。私も自分の進路を確信した。

 「僕は日本に留学する」「絶対留学する」「僕もそうするって、とっくに決めていた」「君たちも? じゃあ、みんなで一緒に日本に来よう」

 このように私たちは自分たちの未来を描き、自分たちの可能性を見出した。今回の訪日で、祖国の未来を見出せたかどうかについては確信できないが、少なくとも自分の未来は見出すことができたのだから、私たちは幸運だろう。

 遡って2011年1月22日午前7時、浦東国際空港。あと1時間45分すれば、大阪行きの搭乗時刻になる。この時、私は班のメンバー、陸妍霖さんと顔を合わせた。搭乗口と仲間のいる場所が分からず、少し困りながらも興奮している彼女の笑顔を見た時、私は今回の訪日で、きっと自分の答えが見つかるだろう、と感じていた。(以上)

写真3

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■編集部注:筆者は2011年1月22日~2月1日、研修プログラム「翔飛日本短期留学」に参加し、日本を訪問した。所属は当時在籍していた大学の名前。原文は中国語。ウェブサイト「客観日本」向けに出稿されたものを日本語に仮翻訳した