【13-005】日本短期研修の記録(その5)日本随想記
趙 雪妍(山東大学威海分校) 2013年 3月11日
興奮が冷め、細かいことはもうはっきり憶えていない。だから、頭の中に残っているのは最も感慨深く、誰かに伝えて共感してもらいたいことだ。日本への短い旅で最も印象に残っているのは次の三つ。サービス精神、順番に並ぶ意識、「細かい配慮と自動化」である。
サービス精神
森ビルが建てた「上海環球金融中心」を見学した時から、日本式のサービスに魅了されている。係員は常に笑みを浮かべ、案内担当者はエレベーターのドアが完全に閉まるまで、深くお辞儀をし、記念撮影する観光客のために鏡まで用意していた。さすが日本企業が教育しただけのことはある。
私が言いたいのは、サービス精神とは、ホストと客人の間だけにあるのではなく、普通の人と人がお互いに助け合うという意識である。ある国を理解する一番良い方法は、その国の人を知ることだ。好奇心旺盛な私が日本で一番楽しんだのは、道を尋ねることだった。メリットは、恥ずかしさを感じることなく、人と接することができる点だ。そうやって初めて日本人の親切さが想像以上のものと知った。
道を知っている場合は、地図の上で指し示してくれた。あるお年寄りは目的地まで一緒に付いて行ってくれた。道が分からない場合は、とても申し訳なさそうに笑みを浮かべ、別の人に道を尋ねてくれる人もいた。
ここまで述べたら、電車の中での体験に触れないわけにはいかない。車内は混雑したので、私の不注意で、前に立っていた通勤客のリュックにぶつかってしまった。彼は振り返ってすぐにリュックをおろして網棚に載せ、横にずれると、また振り返って微笑みながら私に対して「どうぞ」と言った。簡単な振る舞いとは言え、とても感動し驚いた。日本人はみんなこんなに親切なのだろうか。
順番に並ぶ意識
日本で私は、習慣から来る誤りを二回犯した。エスカレーターに乗る時は何が何でも右側に立とうとし、電車を待つ時はいつも先頭に立とうとした。こうした誤りは、日本人から見れば、順番に並ぶ意識がない、ということになるだろう。順番に並ぼうとする意識は立派なものだ。
これはおそらく「自分が損をしてでも、他人に迷惑をかけない」という精神だろう。エスカレーターでは、急がなければ左側に順番に立ち、右側は急ぐ人のため空けておく。電車を待つ際は来た人から順番に並んで、スムーズに乗車できるようにしている。
ここで失敗談を述べたい。ホームにできた長い列に気付かなかった私は先頭に立ってしまった。間違いに気付いて後ろに並び直そうとした時、自分の後ろにも、すでに長蛇の列ができていた。幸い、二列に並んでも良いようだった。
細かい配慮と自動化
日本経済新聞の記事で知ったのだが、「外国で働きたいか」と聞かれて、「ノー」と答えた日本人が挙げる理由の一つは「トイレ」ということだ。トイレが汚くて耐えられないから外国で働きたくない、というような言い分は、中国人には受け入れがたい話だ。しかし、日本に行ってみて、言われて見れば確かにそうかも知れない、と思った。トイレの話は、あまり相応しい話題ではないかもしれない。しかし、実際のところ、日本で私が最も驚き感動したのは、このトイレであり、「細かい配慮と自動化」の最も良い実例と言えるだろう。
日本のトイレは究極の「細かい配慮と自動化」を実現していると言えるだろう。便座を消毒するクリーナーや、使用後、自動的に水が流れる自動洗浄装置、排泄音を消す擬音装置が付いていることもある。同志社大学のトイレには痴漢警報器まであり、枚挙に暇がない。普及が始まったばかりという自動化温便座など、自動化技術の基礎の上に、細かい配慮が積み重ねられている。
神は細部に宿る
細かい配慮と自動化には、細やかさが必要となる。細やかさを大事にするには、暮らしに気を配り、他人を気遣い、細やかな感性を持ち、完璧さを追求する心が必要となる。
中国でよく目にすることを挙げてみよう。エレベーターに乗る人が多いと、後ろから押されて一番奥に行ってしまうことがある。その時は大声を上げて到着階のボタンを押してもらうしかなくなる。空に太陽がギラギラ輝いていれば、やっとの思いで旅に出てきた人たちは滝のように汗を流して耐えるしかない。エスカレーターは利用者がなくても動いていることもあれば、利用者が少ないため節電を理由にずっと止まっていることもある。
問題は、多くの人が問題に気付いているはずなのに、私も含めて誰もこれらを解決ようとせず、ずっと放置していることだ。一人ひとりが少しでも暮らしのことに気を配れば、13億人の気配りは、合わせると、日本の1億人の気配りより大きくなるはずだ。しかし、なぜ中国は、人への配慮と自動化が日本に及ばないのか。
このような点を日本に置き換えてみると、エレベーターは、奥に行ってしまっても焦ることはない。行き先階を押すボタンは、ドアの近くだけでなく、奥にも設置されている。観光地や広場、場所によっては一般の路上にも、細かい霧を噴出するミスト冷却装置が設けられている。人通りが少ない場所のエスカレーターは、上下の乗り口にセンサーが設置され、人が来た時だけ動く仕組みになっている。
これこそが日本の工夫だ。そこには他人への気遣い、省エネ意識、不言実行の姿勢が現れている。おそらくこれが正解だろう。中国人は多かれ少なかれ、他人への気遣い(特に見知らぬ人への)と自発的に問題解決に取り組む意志が欠けている。
細やかさが勝負を決める。ありふれた言い回しだが、今なおその正しさを証明している。究極の細やかさを追求する日本に畏敬の念を抱く。いや、「敬意」と言うよりはむしろ「畏れ」と言うべきだろうか。
賢い日本人VS豪快な中国人
最近、日本の主要メディアは、中国人観光客の購買力を積極的に報じ、小売業界に積極的な対応を呼び掛けている。こうした報道を見て感じるのは、誇らしさ、自信、快心喜び、のどれだろうか。
デパートや観光地で聞こえるのは全て中国語で、頭の良い店の主人は自発的に中国語で呼び込みをしており、日本にいるという実感がないほどだ。これはもしかしたら喜ぶべきことなのだろうか。地下鉄の駅で行き来する人を見たり、大通りを外れて風情のある横丁をぶらついたり、道端の目立たない店でラーメンを食べたり、ベンチに腰掛けて地図を見ながらそばにいる日本人のお喋りを聞いたりして、日本の日常を知ろうとする時初めて今いる場所が日本なのだと感じるのである。
「中国人の購買力」。新聞でよく見る言葉だが、私の気持ちは複雑だ。記事の見出しは「中国人観光客が衰退した日本経済を救う」といったものが多く、中国人はついに威張れる立場になり、ヒーローとなり、日本のATM(現金自動預払機)になった、というのだ。私がいつも感じるのは、日本に行く中国人は「俎板の鯉」と同じで、料理されるのを待っているだけなのに、それを自ら望み、そのため事前準備さえしているのだ。もちろん、このような例えは非常に不謹慎だが。
ただ、物だけを比較しても、日本に学ぶべきことがまだまだ多いと思うのだ。日本に来たからには、メイドインジャパンの商品を持ち帰るだけでなく、日本にしかないもの、例えば日本の文化、ごみを分別し、路上のごみを拾う、といった意識を持ち帰るべきだろう。せっかく日本に来たのだから、メイドインジャパンのカメラ、炊飯器を持ち帰るだけでなく、耐久性に優れたメイドインジャパンの技術、情報、知識を持ち帰ることが合理的ではなかろうか。
最後に一言。一度は行っておくべき国だと思うので、将来必ず親友を連れて行き、私の見たものを見、私の感じたことを感じてもらいたい。
■編集部注:筆者は2010年7月7日~17日、研修プログラム「翔飛日本短期留学」に参加し、日本を訪問した。所属は当時の在籍大学名。原文は中国語で、ウェブサイト「客観日本」向けに出稿されたものを日本語に仮翻訳した。