【13-01】変容する中国と日中関係をどう捉えるか
2013年 5月20日
川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 准教授
略歴
1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授(現職)
このウェブサイトで中国や日中関係に関わる現状や歴史などについてコラムを担当することになった。今回は初回なので、まずは中国政治や外交の現状について簡単に述べてみたい。
危機感と鈍感さ
新たに生まれた習近平政権にとって、最大の政策課題は共産党の統治を維持すること、そのことに尽きるだろう。そのために何をすべきか、それが具体的な政策課題になる。経済発展の堅持、そのための大型投資、為替管理、土地価格管理などがおこなわれる。また党への信頼を得るための腐敗撲滅、あるいは格差是正のための諸政策が続く。また一方で「中華民族の偉大な復興」と「中国夢」を掲げ、思想・言論統制を強めながら、ナショナリズムを強調している。昨今では大学内でも公開で議論してはならない七項目が設定されたほどである。
しかしながら、こうした政府や党の施策が上意下達的に末端にまで浸透するほど、中国の社会は単純ではなくなってしまっている(あるいはもともと浸透していなかったのかもしれない)。確かに、中国は民主化しておらず、党や政府による思想・言論統制がある。だが、経済発展にともなって中国社会はまさに多元化しており、言論空間も完全に自由化されていないにしても、決して一元的ではない。政府に対する抗議運動なども各地で頻繁に生じている。共産党内部も同様であり、党組織に属するメディアが政府批判を展開したり、利益集団と言われるようなインフラを中心とする国営企業などを中心に形成された複数の集団が、政策に大きな影響をもつようになったりしているという。
その結果として、党や政府のガバナンスは当然ながら弛緩している。農村への統治はもちろんのこと、都市に出稼ぎのために流入した農村戸籍の人々(農民工)にまつわることをはじめ、政府や党が捕捉しきれなくなった統治領域が拡大している。そうした統治の空白は、NPOなどが活動して補っている面があるが、それは大都市の周辺や雲南省など一部の地域に限られている。
そうした意味では、中国共産党の統治には黄色信号が点灯している状態にある、ということであろう。研究者の中には、これを黄色信号とは見ないで、むしろ新たな統治体制形成の萌芽期だと見る向きもある。だが、いずれにしても、これまでの中国政治の在り方とはことなる事態が形成されつつあるということは確かなようである。
これまで共産党の統治の正当性を支えていたのは経済発展である。共産党が統治を継続しておこなうというなら、その経済発展を維持しながら、同時にそれに代わる正当性を支える材料、あるいは正当性を補強する材料を調達し、さらに多元化する社会に対応しながら統治の綻びを紡ぐことが求められる。だが、それは至難の業だ。民主化もささやかれるが、いまの政権にできるのは党内民主化の漸次的進展にとどまるだろう。だからこそ、今のところは「中華民族の偉大な復興」であるとか「中国夢」といったナショナリズム的なスローガンで国民を鼓舞し、共産党に再び凝集力をもたせようとしているのだろう。
新政権の外交政策
そのような習政権にとり、外交はかなり難しい場となる。中国は、2006年から08年にかけて外交政策を調整し、経済発展を対外政策の第一義に据える「韜光養晦」外交を調整し、「発展」とともに、「主権」や「安全(保障)」も対外政策の基礎に据え、またチベット、新疆、台湾を核心的利益として、決して譲歩しない姿勢を示すようになった。そして以後は主に海洋面で周辺諸国と対立するようになったのであった。中国政府は、現在でも「韜光養晦」政策を堅持していると主張するが、もしそうだというならば、その言葉の含意が変化したと言うことになろう。
他方で、中国が世界第二の経済大国であり、国連安保理の常任理事国、そして軍事・政治大国であることは否定できない。オバマ政権はその成立当初、中国とのパートナーシップの樹立を模索してG2論が議論された。中国にその能力があるかどうか、中国側のその用意があるかは別にして、北朝鮮問題やアフリカの資源問題など、中国の関与が求められる案件も少なくない。また環境問題などをはじめ国際政治における諸問題を議論し、解決に結びつける上で、中国の関与が必要な場面が増えてきている。それだけに、国際社会は中国に対して「普遍的価値」を共有し、そうした問題に於ける秩序形成に積極的に、肯定的に関与することを求めている。
習近平政権がこうした国際社会にいかに応じるかはまだわからない。最終的には、既存の秩序なり、新たに形成される秩序に対しては、国益に鑑みて必要であれば積極的に参画し、不利益を被るならば是正し、不必要なら関与しないということになるのだろう。こうした点で、欧米をはじめ先進国と戦略的なパートナーとなることも十分に考えられる。しかしながら、中国と周辺国の関係はより緊張したものになるだろう。習政権は、北朝鮮問題では胡錦濤政権よりも北朝鮮に強い姿勢を見せているようにもみえる。また、領土問題でも、胡政権後半の政策調整を踏まえたアサーティブな外交を継続すると思われる。つまり、対外政策は必ずしも発展のみを重視するわけではなく、主権と安全も重視し、また核心的利益に関しては妥協しないという姿勢だ。そうした意味で、海における衝突は今後も続くだろう。
だが、これも胡政権の時代から明確になったことだが、中国共産党の指導者たちも既に一枚岩ではなく、また中央の諸部局も個々の立場で政策を展開するようになってきている。対外政策のある案件で、指導者の発言が異なったり、政策に多様さが生まれるようになってきているのである。習体制は集団指導体制といわれるが、それは外交関係にも表れている。
日中関係の現状と打開口
日中関係は目下、尖閣諸島問題や歴史認識問題をめぐり大変厳しい局面にある。日中間には一定程度の“政経分離”が機能している面もあるが、昨今では“政冷経熱”とはなかなかならず、政治の冷たさが経済にも影響するようになっている。だが、興味深いことに、日系企業が中国で多くの雇用を生み出していることや、グローバル化したサプライチェーンの中で日本の産業が果たしている役割が大きいこともあり、この経済の面では日本との交流を重視するシグナルも発せられている。それは、広東省などの地域や、中央の商務部などの姿勢に表れている。雇用を創出する自動車関係には薄日が差し、また商務部は日中韓FTA交渉に相当に前向きである。また、環境問題でも日中韓は交渉のテーブルについている。
しかし、やはり領土問題にまつわる対立は依然落ち着きをみせない。2013年は日中平和友好条約締結35周年である。その記念式典をおこなえるような雰囲気は目下のところ、あまり見えない。尖閣諸島周辺では、日中双方が巡視船を出して対峙し、人民解放軍の航空機が島の上空を飛行したりしている。
中国側の主張は、尖閣諸島は台湾に附属する島嶼であり、台湾は中国の領土であるから、尖閣諸島が中国の領土だということにある。そして、日本は第二次世界大戦に敗北して台湾を放棄したのだから、その台湾の附属島嶼である尖閣諸島に対して領有権を主張することはできない、とする。日本の立場は、尖閣諸島は南西諸島の一部であり、沖縄県に属するので、第二次大戦後にアメリカが統治し、1972年の沖縄返還とともに返還されたという立場に立つ。
こうした点をふまえ、日本はこの4月に台湾との間で日台漁業協定を締結した。これは尖閣諸島が台湾の一部だとする北京政府には刺激となったであろうが、いまのところ中国側が譲歩する様子は見られない。
では、日中関係の打開策はあるのだろうか。上記のような経済や環境などの領域における交流が次第に拡大していき、やがて関係が落ち着いていくことがまず考えられる。「できることからやる」という言葉は、最近の日中関係のキーワードのようでもある。また、首相経験者や日中議連の議員など、さまざまな使者が中国の指導者に友好メッセージを送っているということもある。だが、まだ扉は開きそうにない。その理由のひとつは、中国側が七月の参議院選挙のあとの安倍政権の姿を見極めてから対応したいということがあるのだろう。では、参議院選挙に自民党が勝利して、安倍総理が靖国神社に参拝しなければ中国側は首脳会談などに応じるのだろうか。このあたりについては、中国側の人々の口は重い。靖国神社にもし参拝したら、首脳会談の可能性は遠のくというのが、共通の見解だが、参拝しないだけでは要素が足りないという意見も少なくない。つまり、靖国神社に参拝しないことに加えて、尖閣諸島について日中間で何かしらの共通認識ができなければならないというのである。これは日本側からすれば困難だ。だが、中国側で多く引用されるのは、日中平和友好条約締結前後の園田外務大臣のスタンスである。つまり、中国側には中国側の立場がある、という姿勢だという。この点を踏まえ、「日中平和条約の精神にのっとり」といった文言を日本側が採用すれば、それが“共通認識”になると中国側が見なすのなら対話の可能性はあろうが、依然ハードルは高いであろう。日本側としても不必要な妥協はすべきではない。
当面はこれ以上の関係の悪化は避けつつ、尖閣諸島周辺の突発事故に際しての対応を想定し、他方で経済などの交流可能な分野から着実に関係を修復していくしかない。首脳会談への道筋は簡単ではないだろうが、その実現へ向けて努力することは必要だ。だが、首脳会談をおこなうことだけが日中関係の目標ではないということも、踏まえておくべきだろう。