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【07-005】音楽交流を通じて、若者の理解増進・親日家の養成に尽力する北京の日本音楽情報センター

2007年7月20日

 北京に存在する日本音楽情報センター(JAMIC)は、中国の日本ポップスファンにとって非常に親しみ深い名前である。日本音楽情報センターは北京に無料の視聴センターを設けているほか、日本音楽情報センターウェブサイト、日本語教室、日本音楽ファンの集い、日本ポップス高等学府視聴クラブ、『音楽新幹線』などの人気ブランドを作り上げ、日本音楽愛好者を楽しませ、その心のよりどころとなるとともに、日本音楽の中国におけるプロモーションと伝達のための、立体的、全面的な橋渡しとなっている。日本音楽情報センターは音楽著作権および隣接権に対する認識の向上、さらには日本の音楽産業の先進的な管理経験および音楽制作面のトップ技術の推進などにおいても力を尽くしており、また、著しい成果を上げている。日本音楽情報センターによって推進および促進された日中両国間の音楽産業分野における頻繁な往来と協力は、日本音楽情報センターにさらに日中の文化、音楽業界における幅広く、深い交流という崇高な使命をもたらしている。

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一.日本音楽情報センターおよびウェブサイト、日本語教室

1)日本音楽情報センター

 1999年5月24日、日本音楽情報センターが北京で正式に設立された。これは中国音像協会および日本音楽産業・文化振興財団が協力して、北京に設立した日中音楽産業および音楽文化交流の窓口であった。日本音楽情報センターは優美な環境、一流の設備のほかに7000枚あまりの日本の正規版CD、1000種あまりの日本の音楽ビデオや写真資料、10種類あまりの日本の最新の音楽雑誌を会員が楽しめるよう無料で提供しており、日本音楽情報センターの会員になるだけで、これらの音楽、ビデオサービスを受けることができる。

 目下、日本音楽情報センターはすでに1万人あまりの会員を擁し、そのうち中国籍の会員数は全体の97%を占めており、10~29歳の会員が総数の93%を占め、北京市在住人口および流動人口1500万人のうち、平均1500人に一人が日本音楽情報センターの会員ということになる。

2)日本音楽情報センターウェブサイト

 2001年8月、日本音楽情報センターウェブサイトの開通により、日本音楽情報センターはインターネットを通じて、北京に立脚し、その目を中国全体に向けるという新たな時代に入った。日本音楽情報センターのウェブサイトでは、ニュース、雑誌、CD、DVD、輸入版、さらにパーティ、新曲視聴、チャットコーナーまでさまざまなコーナーが設けられ、広い範囲をカバーしている。ファンは日本音楽情報センターウェブサイトで最も早く日本ポップス界の動向を知ることができるだけでなく、センター所蔵の雑誌、CD、DVD、輸入版などの資料を検索したり、自分の好きな歌手の情報や作品およびビデオ資料リストを探すことが出来る。日本音楽情報センターが行う活動もまた日本音楽情報センターウェブサイトで即時に紹介される。ファンはさらにBBSを通じて、日本ポップスファン仲間と、地理的な距離を乗り越えて心行くまで語り合うことが出来るようになっている。統計資料によると、日本音楽情報センターウェブサイトの1日平均訪問数はのべ3000回で、人気のあるイベントが行われた時にはさらに万単位の訪問数となる。つまり、日本音楽情報センターのウェブサイトは、人気を集め、日本音楽ファンの心を捉えているのである。

3)日本語教室

 2001年7月、日本音楽情報センターは会員の日本語学習への興味を引き出すため、さらに会員がもっと日本の人気ポップスの歌詞を理解できるようにとの思いを込めて、日本語教室を開設し、多くの会員が積極的にこれに応募した。日本語教室は毎週土、日曜日午後に行われており、日本人教師が講義を担当している。コースの内容は深く、学びやすい形式になっており、日本音楽情報センターの会員であれば誰もが参加でき、しかも無料で学ぶことができる。日本音楽情報センターの会員は大変な熱意で日本語を学んでおり、1クラスに20人という日本語教室の枠も「不足がち」で、あっという間に満員となるほどの人気である。日本音楽情報センター日本語教室は開講以来、すでに19クラスが開かれ、400人あまりが参加した。日本語教室の講師は北京に留学している日本の留学生が担当し、これらの若い学生は日本語を教えるというだけではなく、中国の若者が興味を持っている現在の日本を、そのまま生き生きと中国に伝える役目を負っている。多くの人が日本音楽情報センターの日本語教室を皮切りに、その後さらに大きな熱意と努力をもって、本格的な日本語の勉強を続け、日本に留学するという流れも生まれている。彼らは自分が学んだものを日中両国の交流のために活かしていきたいという志を持っている。

二.日本ファンのための活動

1)日本ファンの集い

 2000年8月に日本音楽情報センターが主催した第1回日本ファンの集いは、北京のJJディスコで開催されて大人気を博した。その後1年に1回の日本ファンの集いは、熱気あふれる日本音楽ファンのカーニバルとなっている。日本ファンの集いの開催前はいつも、日本音楽情報センターに入場券を求めて会員が長い列を作り、わずか数日の間に数千枚の入場券が売り切れてしまう。日本ファンの集いに参加する会員は日本音楽および日本文化に対してもっている情熱を共有して、日本ファンの集いを楽しく、にぎやかな大会へと盛り上げている。日本そして中国の歌手、バンドのステージを楽しむと同時に、会員も実際にステージに上がってパフォーマンスを行い、日本音楽に対する愛情と熱い気持ちを、彼らのカバーする作品、またはそのオリジナル作品に込めるのである。

現在までに、日本ファンの集いはすでに7回を数えている。これらの集いには無数の日本ファンの夢と憧れが詰め込まれ、無数の日本ファンのあふれ出る情熱と滾るパワーが集められている。日本ファンの集いはすでに日本ファンにとっての祭日、そして盛大な音楽文化の祭典となっている。

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2)日本ポップス高等学府視聴会 

 2002年10月に中国人民大学に協力して新世紀第1回日本文化フェスティバルを成功させて以来、日本音楽情報センターは中国の著名高等学府において日本の流行文化のプロモートを始めた。2004年3月、日本音楽情報センターは北京大学の日本文化フェスティバルに参加して、日本音楽ポスター展および日本ポップス視聴会を開催した。5月に、日本音楽情報センターは設立5周年式典を行った際、併せて華中科学技術大学で日本音楽ポスター展を開催し、前後して北京外国語大学、北京語言学院で日本ポップス視聴会を開催した。 

 このほか、日本音楽情報センターはさらに中央音楽学院で「音楽ビジネスと著作権」講座を開催し、西安外国語学院、四川外国語学院などの高等学府で「日本音楽在中国」の専門講演会を行った。この一連の活動は、中国の多くの学生の間で大きな話題を集め、彼らの日本音楽に対する理解を深めると同時に、日本文化に対する理解も深め、日中両国の若者の相互理解と共感を促進した。周知の通り、大学生は中国の未来を構築する柱であり、必ずや明日の中国を担うもので、日本音楽情報センターはまさに高く遠くを見つめる視点で、中国中の高等学府を飛び回り、地道な活動を行っている。日本音楽情報センターが日本音楽をきっかけに、中国の大学生の心に投げかけた音符は、すでに遠く音楽の範囲を乗り越え、さらに友情、平和、そして希望への思いへと連なっている。 

3)日中歌手コンサート

 2003年10月11日、日中平和友好条約締結25周年と日本音楽産業・文化振興財団設立10周年を祝い、日中青春コンサートが北京展覧館劇場で大きな注目を集めて、開かれた。日本からは「Black Bottom Brass Band」、「日本ポップス界の才女」の誉れを持つ坂本美雨が、中国からは著名ミュージシャン張亜東、ロックバンド「黒豹」、中国初のビジュアル系バンド「シルバーアッシュ」、「新生代OOB少女組」が、その若さと激情がぶつけてコンサートを彩った。血がたぎるようなコンサートの観客はいつまでも鳴り止まない拍手と歓声で、中日のミュージシャンの素晴らしいパフォーマンスを称え、音楽、友情、青春には国境がないという伝説を打ち立てた。

 同じようにファンを感動させ、忘れられないものとしたのは、2006年6月に日本の歌手Kimeruが重慶および北京で行ったコンサートと交流会であった。実はKimeruの中国訪問は彼のファンが呼びかけた成果であり、彼らは情熱あふれる大量のファンレターに、Kimeruへの熱狂的な思いをほとばしらせ、自分たちがクビを長くしてKimeruの中国訪問を待っていることをしたためていた。Kimeruがファンの願いに応えて中国を訪れた際、彼らは実際の行動で彼らのアイドルを迎え入れた。あるファンは病気中だったにもかかわらず、地方の病院を抜け出してわざわざ北京に駆けつけた。それも実際にKimeruを目にしたい、その歌声を直接聴きたい、最短の距離でKimeruの魅力に触れたいという思いからだった。

 さらに日本音楽ファンを熱狂に陥れたのは、2007年3月13日に北京展覧館劇場で上演した日中スーパーライブ・イン北京コンサートであった。これは日中国交回復35周年を記念する2007日中文化・スポーツ交流年のオープニングイベントとして開催された。コンサートは日本の人気ポップストリオ「w-inds」、平原綾香、後藤真希、中孝介、さらに中国の紀敏佳と韓雪など両国ポップス界の人気歌手とグループが一堂に会し、素晴らしいライブパフォーマンスを展開して観客を魅了し、満席の北京展覧館劇場を彩り鮮やかなライトの光と人の心をつかむ歌声で埋めた。コンサートは日中の歌手が合唱する『未来へ』の歌声で終了したが、華々しさはこれからも続く。日中文化・スポーツ交流年のシリーズ活動は、日中スーパーライブ・イン北京コンサートを序幕として全面的に展開され、さらに異彩を放つ大型の出し物が次々と絢爛豪華に登場することになっている。2007年は必ずや、日中両国の文化と音楽交流の歴史に、しっかりと彩り鮮やかな1ページを残すことになるはずだ。

三.電波系音楽番組『音楽新幹線』

1)『音楽新幹線』)

 2006年1月、日本のポップスを全面的に紹介すると同時に、国際交流基金の全面協力をいただき、日本文化、ファッション、イメージなどさまざまな面を絡めたラジオ番組『音楽新幹線』が中国の山東文芸チャンネル、重慶音楽チャンネル、雲南音楽チャンネル、無錫音楽チャンネル、黒龍江音楽チャンネルなどの七つのラジオ局で放送を開始した。『音楽新幹線』では、フレッシュな芸能界の情報を提供する「娯楽風向標」、聴衆にインタラクティブなリクエストを募る「鴻雁伝書」、日本の人気歌手およびグループを紹介する「偶像聖地」、聴衆の思い出を揺さぶる「経典回眸」、芸能人との距離を縮める「嘉賓会客室」、情熱あふれるライブを体験する「TOP SHOW」、テレビドラマやアニメのテーマ曲を紹介する「影視回音壁」や「動漫摩天輪」、日本文化のお話や日本語の勉強に関する「文化街区」、日本の名勝旧跡を歩き、風土や人情を理解する「東瀛任我行」、さらに日本のポップスの動きを示す月間ヒット曲ベストテンなどを放送している。『音楽新幹線』は毎週2回放送し、1回50分間に選りすぐられた10曲が紹介される。

 『音楽新幹線』の放送開始間もなく、新しいスタイルのラジオ番組ということで大きな人気を呼び、ポップス界、ラジオ業界関係者の幅広い注目を浴び、高く評判された。『音楽新幹線』の放送開始1周年記念にあたる2007年には、さらに海南ラジオ局交通チャンネル、済南交通ラジオ局、漢中音楽ラジオ局、青島市ラジオ局音楽スポーツチャンネル、南寧人民ラジオ局交通音楽ラジオチャンネルなど、放送局は17局に増えた。日本ポップスの心を揺さぶる旋律と歌声が、『音楽新幹線』を通じて中国各地の都市の空を飛びかっている。

「音楽新幹線」放送地域(2007年1月1日-2007年12月31日)
放送局名 周波数 時間
楚天ラジオ放送局音楽チャンネル(湖北省) FM105.8 土・日 9:00-10:00
無錫音楽放送局(江蘇省) FM91.4 日1:00-2:00日15:00-16:00
連雲港ラジオ放送局(江蘇省) FM102.1 土・日 13:00-14:00
鎮江交通ラジオ局(江蘇省) FM96.3 土・日 17:00-18:00
漢中音楽チャンネル(陝西省) FM97.1 土・日 7:00-8:00
済南交通ラジオ放送局(山東省) FM103.1FM91.2 土・日 11:00-12:00
濰坊ラジオ放送局(山東省) FM95.9 土・日 15:00-16:00
青島市ラジオ放送局音楽スポーツチャンネル(山東省) FM91.5 土 15:00-16:00
日 23:00-24:00
成都ラジオ放送局音楽チャンネル(四川省) FM105.6 土・日 19:00-20:00
南寧ラジオ放送局交通音楽チャンネル(広西省) FM107.4 土・日 22:00-23:00
海南ラジオ放送局交通チャンネル(海南省) FM100FM100.3FM89.3 土・日 21:30-22:00
洛陽交通ラジオ放送局(河南省) FM92.7 土・日 14:30-15:00
新余ラジオ放送局「都市の声」チャンネル(江西省) FM95.3FM100.2 土・日 15:30-16:00
湖南文芸ラジオ放送局(湖南省) FM89.3 土・日 14:30-15:00
寧波ラジオ局交通音楽チャンネル(浙江省) FM93.9 土 10:00-11:00
日 18:00-19:00
雲南ラジオ放送局「音楽之声」チャンネル(雲南省) FM97.8 土・日 13:00-14:00
重慶ラジオ放送局音楽チャンネル(重慶市) FM88.1 土・日 17:00-18:00

2)『音楽新幹線』の聴衆の反響

 『音楽新幹線』の放送は、日本音楽の中国における伝播やプロモーションに新しいプラットホームを作るだけではなく、日本音楽のファンに熱狂的に迎え入れられる。ペンネーム「雪無落月」という聴衆はその手紙の中で、「『音楽新幹線』を最初に聞いた時にもう、この番組が大好きになってしまい、『知り合うのが遅すぎた』と感じたほどだ。日本のアニメが大好きなので、日本のいろいろな面に非常に興味があって、特に音楽やテレビドラマが大好き。日本語の教材まで買って今、一生懸命勉強しているところです。『音楽新幹線』がこれからますます面白くなり、ますます多くの聴衆をひきつけますように!」と書く。

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 もう一人の「Ghost」は、「『音楽新幹線』を初めて聴いたとき、ラジオが壊れたのか、自分の耳がおかしくなったのかと思った。日本の音楽と関係した番組を以前聴いたことがなかったけれど、こんなに専門的な番組なんだと知って、ものすごく感激した! 番組が触れる、わたしの心にしっかり刻まれた名前を聞いただけで、なにかを『音楽新幹線』に書こうと思った。日本の音楽が大好きなのはもちろん、番組の中の日本語を学ぶコーナーも気に入った。録音して聞いている。『音楽新幹線』で美しい曲を聴きながら、実用的な日本語を学びたい。『音楽新幹線』、がんばれ。番組をずっと続けてください。『音楽新幹線』の忠実なファンでいようと心から思っています」と書いている。

 『音楽新幹線』が行った『わたしと日本音楽のお話』作文募集で一等賞を取った金?さんは、「日本音楽や文化、歴史などに関するものに触れたのは早かった。70年代生まれのわたしは、日本のドラマやアニメ輸入ブームに触れて、時代のエッセンスと典型的といえる日本のドラマやアニメから、新鮮で独特の息づかいを感じ、そこからさらにまた日本の音楽が好きになった。あの頃、お金を切り詰めて漫画本、アニメ、ゲームCDを買っていた様子を思い出すと、今でも落ち込んだときなど思い出と慰めを感じることがある。実際のところ、あの頃、大人から見ればまるで「追っかけ」のような熱狂的な情熱だったろうが、それを後悔したことはない。自分でもあの頃の情熱はどこから来たのかよくわからないけれど、あるものを好きになると同じように理由はいるだろうか? 卒業‐就職‐再入学‐試験‐勉強‐就職という循環において、今のわたしにはあの頃の幼稚で、軽薄な夢を狂ったように追い求めるような情熱は減り、落ち着きと円熟味が増した。しかし、変わらないのは日本のテレビドラマ、アニメ、音楽や歴史、文化に対する愛着だ。今だにあんな永遠の執着を持ち続けている」としたためた。『音楽新幹線』の聴衆の手紙、そして作文の行間には、日本音楽および『音楽新幹線』がすでに一人ひとりの日本音楽ファンの心に深く根付いていることがよくわかる。

3)『音楽新幹線』の商業運営

 『音楽新幹線』は放送開始から2年も経たないうちに、日本のポップスのシンボルマーク的番組となった。しかし、残念なことに『音楽新幹線』は商業的運営面においてこれまでずっと白紙の状態にあり、これほどまでに多くの聴衆数を持ちながら、いかなるビジネス要素をも含めなかったことは、『音楽新幹線』と日本企業およびそのブランドの二重の損失といえるだろう。参考となるのは、1997年に始まった、韓国サムスンが単独スポンサーとなって韓国音楽を紹介したラジオ番組『漢城音楽庁』がかつて中国ポップスに突如韓流の衝撃をもたらし、両国のポップスの衝突が聴衆と企業に音楽的な想像と商業的な運営という幅広い空間をもたらしたことである。韓国サムスンは音楽をきっかけに独自の優れたブランドイメージを打ち立て、すばらしい経済効果を上げ、ブランド戦略および経済効果のダブルウィンを実現した。現在、10年前から『漢城音楽庁』とともに歩んできた若い聴衆はすでに社会に生産力をもたらし、市場消費を牽引する中堅的なパワーとなっている。

四.音楽著作権保護と音楽産業の交流

1)音楽著作権知識の普及

 日本音楽情報センターは人々を楽しませる音楽シーンだけでなく、人々に奥深いアカデミックな情景をももたらしている。日本音楽情報センターでは大量の音楽著作権管理、業界運営面の書籍や資料を所蔵し、最も速く日本音楽の関連情報を会員に提供し、日本音楽の研究に従事する人々に対する協力を行っている。

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 日本音楽情報センターには、会員のために書かれた「音楽と著作権基本知識Q&A」マニュアルが置かれ、会員は自由に手にとって読むことができる。このマニュアルは一問一答の形式で、生き生きと、イメージたっぷりに音楽と著作権の基本知識を紹介している。たとえばどんな人が著作権者で、どんな人が音楽使用者なのか、著作権の保護期間はどれほどで、著作権を侵害した場合どのような結果を招くのか、中国の音楽・映像に関する法律、法規および知的財産権保護体系にはどのようなものがあるのかなど、非常に一般的で、実際的な問題への答を分りやすく解説している。

また、ライセンス版について会員に理解を深めるため、日本音楽情報センターは視聴室にライセンス版コーナーを設け、輸入版レコードにあわせて、輸入版音源の意味、輸入版音源のスタイルなどについて詳しく説明し、人々に輸入版の正規CDを購入し、オリジナル版の音楽を支援するよう呼びかけている。さまざまな宣伝活動と地道な努力によって、日本音楽情報センターは音楽著作権知識普及において大きな成果を上げている。日本音楽情報センターの会員たちは音楽著作権保護の意識が高められ、彼らはさらに家族や友人を通じて、音楽著作権保護知識を宣伝する役目を果たしている。

2)中国音楽産業および音楽著作権保護調査報告の編纂

 2000年4月、日本音楽情報センターは「中国音楽産業および音楽著作権保護に関する調査報告書」の編纂を担当し、その後「2000年中国音楽産業調査報告書(2001年12月)、「中国音楽・映像業界現状調査報告」(2003年3月)といった歴史資料的価値と実用参考書的な価値を持つ報告書を次々と発表した。そのうち、「中国音楽・映像業界現状調査報告」は、中国の音楽・映像業の略史、中国音楽・映像業界の産業構成と規模、中国音楽・映像業界の製品構造と価格構造、音楽・映像業界に関する法律、法規および知的所有権保護体系、音楽・映像業界に関する業界管理組織の発展状況などの項目に分かれており、中国の音楽・映像業界と音楽著作権保護について詳しく記録、分析している。

 これらのマクロ的な視野からとミクロ的なデータによって構成された調査報告書は、まだ未熟な中国音楽・映像業界に大きな影響を及ぼし、日本の音楽業界および音楽著作権保護分野におけるさまざまな進んだ経験を借りるのに役立つと同時に、中国音楽・映像業界に対する日本の理解増進にも寄与した。調査報告書は中日両国の音楽業界の交流を強化し、中国音楽業界の発展を促進する上で大きな意義を持つ。

3)日中音楽著作権保護および音楽業界の交流活動展開

 日本音楽情報センターは、たびたび日中の音楽業界の関係者を招いて音楽著作権と隣接権の管理および音楽制作に関するセミナーを開催し、音楽業界の相互理解増進と交流促進に努めている。1999年8月には北京で「日本音楽産業および音楽著作権権利」講座を開催し、9月には上海で「著作権および著作権に関する権利」講座を、2002年には「世界および日中音楽産業の現状と対策セミナー」を、2003年3月には上海で「日中音楽産業ビジネス交流会」を開催するなど、どれも日中両国の音楽界において広く注目された。また、2004年11月、日本音楽業界中国市場調査団が中国を訪問し、日中両国の音楽産業分野における交流と協力を深めた。

五.日本音楽情報センターが直面するチャンスとリスク

 7年余りの時が経ち、日本音楽情報センターは日本のポップスの先鋭的な流行によって、北京という奥深い文化の土地に根を張った。しかし、日本音楽情報センターはその運営経費が長い間、私的録音補償金管理協会(SARAH)によって賄われて来ているが、同協会の収入が年々減り続けるに伴って、日本音楽情報センターの運営経費も年々減少するという問題に直面している。それが故に、日本音楽情報センターは、日本音楽ファンに強い影響力を持つ多くのイベント活動を中止し、今や最小限のセンター運営に留めることを余儀なくされている。このことは、今上昇気流に乗って、まさに新たな発展段階を上ろうとしている日本音楽情報センターにとって、非常に残念なことである。

 日本音楽情報センターは、多くの日本企業が流行音楽や文化の伝播を通じて、企業ブランドの知名度を高めていくことを期待しており、また日本政府および政府関連機関が、日本文化の海外でのプロモーションのための予算を割り当て、音楽・文化交流事業を後押しすることによって、日中間の文化交流事業の一層の発展に力を貸してくれることを切に望むものである。

 日本音楽情報センターは色々な困難に直面しつつも、日中両国の文化と音楽交流をサポートする使命を負っているので、これからも日中両国音楽界の交流と協力がますます盛んになり、日中両国の若者が一層理解を深め、友好交流の輪がますます大きくなることに役立てるよう地道な活動を続けていく所存である。

朱 根全

朱 根全 (zhu gen guan):
日本音楽情報センターセンター長

略歴

1968年5月 中国江蘇省南通生まれ
1983年9月~1987年7月 北京第二外国語学院日本語学部
1987年7月~1998年3月 中国文学芸術界連合会国際部アジア処
1990年7月~1991年7月 日本音楽著作権協会(JASRAC)研修
1998年4月~1999年5月 日本音楽情報センター(JAMIC)設立準備委員
1999年5月~現在 日本音楽情報センター(JAMIC)センター長
2007年3月~現在 中国音像協会理事