第32号:食糧の持続的生産に関する研究
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効率的な家畜繁殖技術の開発

2009年5月18日

渡辺伸也(わたなべしんや):
独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 畜産草地研究所 高度繁殖技術研究チーム 上席研究員

1961年11月生まれ。
1984年 東北大学農学部(最終出身校) 畜産学専攻 農学博士。専門分野は、家畜繁殖学。以前は、雄家畜の繁殖研究、最近は、体細胞クローン牛やその後代の健全性調査などが中心。

1. はじめに

 日本の畜産業は、限られた天然資源、限られた土地という大きなハンディキャップを背負った条件下で営まれてきた。そのハンディキャップを克服するため、優秀な経済形質を持つ家畜を効率的に繁殖させる技術開発が1930年代頃から精力的に行われてきた。さらに、牛人工授精は1950年の家畜改良増殖法により、牛凍結精液は1961年の家畜改良増殖法の改正により、牛胚移植は1983年家畜改良増殖法の改正により、また、牛体外受精は1992年の家畜改良増殖法の改正により、それぞれ、生産現場における技術利用の枠組みが明確化され、日本におけるこれら家畜繁殖技術の浸透が徐々に進んだ。その結果、現在では、日本の雌牛の約99%に対し凍結精液による人工授精が、また、約1%に対し胚移植が、それぞれ、実施されている。したがって、日本における自然交配により生産される子牛はごくまれな存在となっている。本稿では、これらの繁殖技術の開発の経緯と技術の現状について概説したい。

2. 人工授精

図1

 日本における最初の家畜人工授精は、1896年、新山荘輔による馬の人工授精である。本格的な家畜の人工授精は、1912年、イワノフ(ロシア)の技術を学んだ石川日出鶴丸が馬で実施したものである。その後、乳牛(1928)、兎(1930)、鶏(1936)、豚・山羊(1938)、羊(1939)、和牛(1940)の各家畜・家禽においても、人工授精が試験された。1930年代中頃には、馬の人工授精が全国的規模で普及した。1945年以降は、農業の機械化に伴う農耕馬の減少などにより、人工授精の主要な対象は馬から牛に移行した。そして、1954年からは、牛凍結精液に関する技術開発が開始された。1965年には家畜改良事業団が設置されるなど、牛凍結精液の生産・配布体制も整備され、凍結精液が日本国内へ急速に普及していった。

 牛人工授精の延頭数は、牛全体で年間145万頭である(日本家畜人工授精師協会、2007)。凍結精液は、家畜改良事業団などの広域人工授精センター(乳用牛、和牛)や公立の機関(和牛)等により供給されている。1984年からは牛の輸入精液が利用されている。

 一方、日本の豚においては、受胎性の高い凍結精液の作製が困難であるなどの事情から、人工授精の普及率は数%に過ぎないが、一部の地域やブリーダーにおける熱心な人工授精の取り組みによる成功事例も出てきている。しかし、その他の家畜・家禽の商業的な人工授精はほとんど行われていない。なお、日本の競走馬では、登録上、人工授精は許されない。

 近年、乳用牛および和牛の経産牛において、人工授精時の受胎率が低下している(図1)。それに伴い分娩間隔が延長している。ただし、未経産牛における顕著な受胎率低下は認められていない。米国、英国、スペインでも同様な現象が顕在化している。

3. 胚移植

表1

 日本における胚移植研究は、1940年代に開始された。杉江佶らは、1964年、新鮮胚由来の子牛生産に成功し、さらに、1979年には、凍結胚由来の子牛生産も果たした。杉江らは、非外科的な胚移植や採卵の技術を開発するなど、先駆的な業績を残した。その後、牛胚移植の技術は、農林水産省の事業などを通じ、日本国内の国公立機関により盛んに取り組まれるようになった。近年では、年間6万頭弱の受胚雌牛に胚移植が実施されている。その結果、2005年には、18,463頭の子牛が胚移植によって生産されるに至った。現在、農林水産省では、「ETチャレンジ50機関」を公表している。この取組における2005年度の達成機関は52である(表1)

 一方、日本における豚胚移植は、1973年、西川義正らによって最初に報告された。その後、1990年、小栗紀彦らが凍結胚由来の子豚生産に成功している。豚胚移植は、研究開発の早い段階から生産現場に導入された牛の場合とは異なり、子宮内における胚の初期発生や妊娠成立などの学術研究の手段として用いられる場合が多い。豚胚移植が生産現場にあまり取り入れられない理由としては、①多胎動物かつ妊娠期間が短い豚においては、過剰排卵による多子生産のメリットがない、②非外科的な豚の胚移植技術が普及していない、③胚の凍結方法が確立されていないなどの理由があげられている。

 胚移植に関連して開発された繁殖技術としては、過剰排卵誘起、発情発見、胚の体外操作、胚の品質評価および凍結保存など多くのものがある。これら技術の多くが、体外受精技術の開発に向けた素地になった。

4. 体外受精

表2

 日本における家畜の体外受精研究は、1970年代に本格化し、子畜生産に向けた基礎的な知見や技術の蓄積が進んだ。そして、1985年、体外成熟卵子を用いた体外受精による子牛生産に花田章らが世界で初めて成功した。その後、花田らの研究室には、全国からの依頼研究員が殺到し、牛体外受精が全国各地に技術移転された。それと並行して、農林水産省の研究プロジェクトなどの各種事業により、体外受精の研究基盤が強化された。さらに、1989年には、牛体外受精由来胚を全国に供給するための機関である家畜改良事業団・東京バイテクセンター(現 家畜バイテクセンター)が設置され、年間1万個程度の移植用体外受精由来胚が酪農組合などに提供されている。その結果、2006年度には、2,308頭の体外受精に由来する子牛が生産されるに至った。現在、農林水産省では、「IVFチャレンジ40達成機関」を公表している。この取組における2005年度の達成機関は19である(表2)。

 一方、体外受精による子豚の生産には、1993年に吉田光敏らが日本で初めて成功した。豚体外受精については、凍結胚の受胎性が低いほか、上述の胚移植の場合と同様の理由により、生産現場ではほとんど普及していない。しかし、豚体外受精の実験系は、生物学的な学術研究のツールとして大いに活用されている。

 体外受精技術を確立していく過程で、未受精卵子の成熟、精子の受精能獲得、胚の培養技術などの関連技術が開発された。これらの多くは、核移植研究を行う際の基盤技術として活用されている。

5. 核移植

 日本では、1980年代から続いていた家畜の胚移植や体外受精などの研究や農林水産省の事業による上述の取組を通じ、牛胚の培養、顕微操作および胚移植に熟練した優秀な研究者・技術者が国公立機関などを中心に多数在籍していた。このような状況下、角田幸雄らが1990年に受精卵クローン牛の、また、1998年には世界初の成牛に由来する体細胞クローン牛の生産に成功した。以降、日本国内では、受精卵クローン牛が718頭(43機関)、体細胞クローン牛が557頭(46機関)、それぞれ、生産されている(2008年9月30日現在、農林水産省資料)。しかし、クローン牛生産においては、子牛生産率が低いうえ、死産や生後直死が多発するという問題が未解決である。

 日本におけるクローン牛の取り扱いは、1999年に出された農林水産省の通達によって、受精卵クローン牛は任意表示による出荷可能、体細胞クローン牛は出荷自粛という状態になっている。

 一方、体細胞クローン豚については、2000年に大西彰らが初の体細胞クローン豚の生産に成功した。そして、現在まで335頭(8機関)の体細胞クローン豚が日本国内で生産されている(2008年9月30日現在、農林水産省資料)。これらクローン豚の大部分は、代替え臓器生産や疾患モデルなどの医学的利用を念頭に置いた遺伝子組換え豚とみられる。この傾向は、遺伝子組換え動物がほとんど含まれない体細胞クローン牛の場合と対照的である。

 2008年4月1日、厚生労働大臣が「体細胞クローン技術を用いて産出された牛及び豚並びにそれら後代に由来する食品の安全性」に関する健康影響評価を、内閣府食品安全委員会委員長に依頼した。その後、新開発食品専門調査会の下にワーキンググループが設置され、審議がすすめられている。そして、2009年3月12日には、新開発食品評価書案が公表された。そこでは、「体細胞クローン家畜やその後代が生産した乳肉は一般牛が生産した乳肉と同等」という評価案が示された。その案について、食品安全委員会主催の意見交換会が東京(3月24日)と大阪(3月27日)で開催され、また、インターネットによるパブリックコメントが3月12日~4月10日に実施された。今後、これら国民の意見を取り入れながら上述の健康影響評価の最終結論が下されるものと見込まれる。

6. おわりに

 国土が狭い日本では、その制約された条件下で効率的な家畜生産を行うため、家畜繁殖の研究開発が積極的に行われてきた。その結果が「人工授精→胚移植→体外受精→受精卵クローン→体細胞クローン」という技術開発のステップ・アップの実績である。特に体細胞クローン技術を適用した子牛・子豚の生産においては、世界の最先端を突き進んだと表現しても過言ではない。しかし、体細胞クローンのステップになって、これら家畜によって生産された乳肉の安全性に対する不安、これらの家畜生産に対する動物愛護的観点からの疑義、さらには生産現場からの期待と不安などの様々な意見が国民の間で浮上するという事態になっている。このような状況において我々研究サイドのできることは、科学的な知見のわかりやすく丁寧な説明を国民にしていくこととクローン技術の更なる研鑽ではなかろうか。

参考文献:

  1. 仮屋堯由、繁殖バイオテクノロジーの概要、家畜繁殖九州シンポジウム講演資料集、41-50、2001
  2. 安倍明徳、体外受精卵を利用した高品質牛肉生産、家畜繁殖九州シンポジウム講演資料集、13-20、2001
  3. 吉ざわ努・平子 誠・下司 雅也・高橋 昌志・永井 卓、生産現場における受胎に係る要因について-アンケート調査結果から-、平成20年度核移植技術全国検討会(第13回)報告書、39-52、2009
  4. 遠藤健治、牛の生産現場における体細胞クローン技術に対する見方、平成20年度核移植技術全国検討会(第13回)報告書、9-18、2009
  5. 渡辺伸也、わが国における牛クローン研究の現状と応用の見通し、TechnoInnovation、18、32-34、2009