第95号
トップ  > 科学技術トピック>  第95号 >  中国におけるキャリア教育・起業家育成教育の発展について

中国におけるキャリア教育・起業家育成教育の発展について

2014年 9月11日

新井 聡

新井 聡:文部科学省 生涯学習政策局参事官
(連携推進・地域政策担当)付 専門職

略歴

1998年 埼玉大学文化科学研究科文化構造専攻 修了
2003年 ロンドン大学東洋アフリカ学院 人類学・社会学部博士課程 退学
2005年 在アゼルバイジャン日本国大使館草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱員
2009年 文部科学省生涯学習政策局調査企画課専門職
2013年 文部科学省生涯学習政策局参事官付専門職

 市場経済化や2001年のWTO(世界貿易機関)への加盟による経済構造の急激な変化を経験した中国では,2003年以降,高等教育卒業者の就職が困難な状況が毎年発生している。この原因は,経済の変化だけでなく,1990年代末に始まる高等教育の急激な規模拡大により高等教育卒業者が急増したことも挙げられる。このため,政府は,経済発展による雇用の創出だけでなく,児童・生徒・学生に職業や起業に関する知識を与え,よりよい就職や起業を支援する取組を行っている。

 本稿は,2000年代から本格化した中国のキャリア教育,起業家育成教育の現況を紹介する。

初等中等教育段階におけるキャリア教育の現況

 キャリア教育は,中国では「職業生涯教育」と表記され,自身の興味や関心,客観的な社会状況の分析,未来の職業において予想される役割などを結びつけ,子供に将来の計画・設計をさせる教育として一般に認識されている[1]。しかし,長年,教育機関卒業者を計画的に職場配置する政策を採用していた中国では,1980年代までキャリア教育はほとんど考慮されなかった。同教育が意識されるようになったのは,改革開放政策が開始され,社会体制が市場主義経済に移行し始めた後,中国共産党中央委員会が1985年に発表した「教育体制改革に関する決定」の中で職業教育について議論してからである。その後,1996年に制定された職業教育法において「職業指導」によって教育を受ける者の資質を全面的に高めることや職業上のキャリアを指導することの重要性が示されるなど,職業教育分野でキャリア指導が実施されるようになった。しかし,後期中等教育段階で普通教育と職業教育に分岐する中国の教育システムでは,普通教育においてキャリア教育が積極的に取り組まれることはなかった。

 2001年のWTO(世界貿易機関)加盟による産業構造の転換は,労働市場に大きな影響を及ぼすとともに,1990年代末に始まる高等教育の規模拡大により,2003年以降,大学卒業者が大量に就職できない状況が発生した。これらの状況から政府や教育界はキャリア教育の重要性を認識し,農村地域の初等中等教育機関でキャリア教育の実験を2004年に行った。同実験は,2001年に実施された義務教育課程基準の改正以降に必修化された「総合実践活動」(日本の総合的な学習の時間に相当)の授業の中で,産業の変化や職業・就職の意義を理解させ,進学と職業において自発的な選択ができる能力を高めることを目的としていた。このように2000年代に本格化したキャリア教育は,課程改革で導入された「総合実践活動」や学校が個別に開発した選択科目の中で実験的に開始された。

 キャリア教育の本格導入から10年あまり経過した2013年3月,中国共産主義青年団中央委員会の直属機関で,青少年の現状や動向等を研究する中国青少年研究センターは,後期中等教育段階でのキャリア教育について日本,韓国,アメリカとの比較を行った報告書を刊行し,現在のキャリア教育の普及状況を明らかにした[2]。同センターによると,中国の高級中学で専門の職業指導を受けた生徒の割合は,33%で,アメリカの69%,韓国の72%,日本の78%を大きく下回っていた。また,専門の教員による指導を受けた者は25%程度で,その他の国の生徒の約70%と大きな乖離があった[3]

 同センターは,中国のキャリア教育が他国から遅れている要因として,アメリカや日本のように法制化されていないことや,大学卒業後に就職という概念からキャリア教育が主に高等教育段階から開始されるため,期間が十分に確保されていない点,人々の学歴信仰により保護者,児童・生徒が大学進学しか目標としない風潮などを指摘している。その上で,初等中等教育段階から始まる系統的なキャリア教育の確立や専門の教員の養成等を提言するとともに,高学歴志向で職業教育を重視しない社会意識や未だ不完全な職業教育体系の改善を求めた[4]

 ただ,教育先進地域である上海市は,2012年に12次5か年計画期間(2011~2015年)の「児童・生徒・学生キャリア発展教育行動計画」を発表し,その中で,幼稚園から大学に至る系統的なキャリア教育の導入を計画している。また,2014年4月に上海市教育委員会は全児童・生徒を対象とする「職業体験日」を設定し,累計で約4.6万人の子供を職業体験に参加させるなどしており,都市部を中心にキャリア教育は今後急速に整備されていくと予想される。

大学に広がる起業家育成教育

 起業家育成教育は,ユネスコが1989年に北京市で行った「21世紀に向けた教育国際検討会議」などで提起された起業家教育(Enterprise Education)の概念を受けて,「創業教育」として90年代初頭から実験的取組が行われていた。同時期,北京市,江蘇省等の6省・市において行われた「青少年の創業能力向上のための教育連合革新プロジェクト」は,江蘇省では初等中等教育や職業教育等を対象に毎学期8回の授業を実施し,カリキュラムや教材を開発した。また,北京市の広渠門中学では,高級中学第1学年及び初級中学第1学年を対象に毎週1時間,「創業教育」の授業を実施し,教材を開発するとともに,農村で社会実践を行った。高等教育では,2002年に教育部は清華大学等9大学を「創業教育」の実験拠点に決定し,起業家育成教育の理論や実践方法の研究を推進した[5]

 起業家育成教育の本格的な発展は,2005年に中国共産主義青年団や中華全国青年連合会が,世界の約50か国以上で推進されているILO(国際労働機関)の職業教育,中等・高等教育における起業家育成指導者の養成プログラムであるKAB(Know About Business)[6]清華大学等の6大学に導入してからである。清華大学は翌年「大学生KAB起業家育成基礎」という課程を設置し,学生に対して講義を開始した。また,中国共産主義青年団等は,2008年にKABを振興させるために「全国10傑KAB起業家育成クラブ」選定事業を催した[7]。2009年には,同団体は「KAB起業家育成クラブ建設のための指導意見」を公表し,全国の高等教育機関で学生主体の起業家育成クラブの設立を求めた。

 このKABの急速な発展により,2010年に教育部は「高等教育機関の起業家育成教育と大学生の起業を大いに推進することに関する意見」を公表し,全学生に対して起業家育成教育を展開することを各大学に求めた。さらに2012年には「大学における起業家育成教育の基本的要求(試行版)」を発表し,大学において行われる起業家育成教育の内容や方法を規定するとともに,「起業家教育基礎」という課程基準を配布した。同基準では,全学生対象の「起業家教育基礎」は少なくとも卒業までに32授業時間(1授業時間は50分)行われ,2単位以上になるように要求している。

 KABの発展状況は,毎年行われる年次総会によって報告されており,ハルピン工学大学(原語:哈爾濱工程大学)で開催された2014年度総会では,全国150のKAB実施大学が参加した。同会では,2013年度に20万人あまりの学生がKABの授業を受け,1,000人あまりの教員が新たに養成されたとし,中国のKAB事業は世界の中でもトップクラスに位置することが報告された。また,中国共産主義青年団中央委員会の機関誌である『中国青年報』は,2014年現在,1,100あまりの大学が「起業家育成基礎」の課程を設置し,250の大学がKAB起業家育成クラブを開設し,累計で200万人あまりがKABプロジェクトで実践的活動に参加したと報告している[8]

おわりに

 2000年代の経済のグローバル化による産業構造の転換により,中国ではキャリア教育や起業家育成教育に注目が集まるようになった。初等中等教育段階では,キャリア教育は普及しているとは言えないが,実験的な形で展開されている。高等教育段階では,KABの普及により起業家育成教育が大学の必修課として定着してきた。中国のキャリア教育や起業家育成教育は,本格的に開始されて10年を経過したところであり,法制化や体系化は今後の課題であるといえる。しかし,2014年5月に,教育部等が発表した2020年までの職業教育推進計画[9]では,職業教育と普通教育の相互連携による全教育段階を通しての職業教育体系の構築を目指しており,早々にキャリア教育・起業家育成教育が整備される可能性がある。中国のキャリア教育・起業家育成教育は,経済の大きな転換に伴い,職業教育とともに急速に変化し整備されているのである。


[1] 新華網,「話題:職業生涯教育是否応成為必修課」,2013年4月2日,(http://news.xinhuanet.com/)。

[2] 同報告は,「日本青少年研究所」,「韓国青少年開発院」,アメリカの教育コンサルタント会社である「Idea Resource Systems社」とともに行った調査結果であり,『中国・アメリカ・日本・韓国の後期中等教育卒業生の進路とキャリア教育研究報告』として刊行された。日本青少年研究所は,同資料を『高校生の進路と職業意識に関する調査報告書 日本・米国・中国・韓国の比較』として2013年3月に刊行している。

[3] 新浪教育,「中国高中生職業生涯教育全面落後於美日韓」,2013年3月28日(http://edu.sina.com.cn)。

[4] 新浪教育,「職業生涯教育応該成為中国学生的必修課」,2013年3月28日(http://edu.sina.com.cn)。

[5] 創業教育網,「是時候譲創業教育専業化了」,2014年4月28日(http://www.kab.org.cn/)。

[6] 参考:ILOウェブサイト2011年10月5日(http://www.ilo.org/)

[7] 中国青年報,「"首届全国十佳KAB創業倶楽部"評選活動啓動」,2008年9月8日。

[8] 中国青年報,「2014年KAB創業教育年会在哈爾浜召開」2014年4月21日。

[9] 教育部等,「現代職業教育体系建設規画」,2014年6月,pp.3-8。