第1回CRCC中国研究サロン「中国の草の根を見つめる」/講師:麻生晴一郎(2013年5月24日開催)
市民社会化助ける草の根交流を―第1回CRCC中国研究サロン開催
2013年5月24日、JST東京本部別館1Fホールで第1回CRCC中国研究サロンが開かれ、ノンフィクション作家の麻生晴一郎氏が「中国の草の根を見つめる」と題して講演した。
麻生氏は、学生時代から中国ハルビン市で出かせぎ労働者との交流経験を積み、現在も中国内陸部を中心に一般市民や市民活動家と交流を続けている。「アニメ『一休さん』が日本製かどうかにも無関心で、抗日戦争ドラマで得たイメージ以外、日本についてほとんど知らない人が大半」「日本を知る人の中には日本人の公共マナーはとてもまねできないと賞賛する声がある一方、内陸部にはそれを日本人の愛国心とつなげて好意的に受け取らない人たちもいる」など、長年の体験に根差した興味深いた講演に参加者たちは聴き入っていた。
氏はまた「日本人が望むニュースしか流さない」日本のマスメディアにも苦言を呈し、よい面悪い面双方あるものの、中国内に顕著になってきた「公民(市民)社会化」の動きに着目した草の根交流を進める必要を強調した。
麻生晴一郎(あそう せいいちろう)氏:
ノンフィクション作家
略歴
東京大学国文科在学中、中国ハルビン市において行商人用の格安宿でアルバイト生活を体験、農村出身の出稼ぎ労働者との交流を深める。以来、90年代の大半を中国、タイや東京の中国人社会の中で過ごす。その後、テレビディレクターを経て、現在はノンフィクション作家として草の根からの市民社会形成を報告するなど、中国動向の最前線を伝えている。また、中国、韓国などとの市民交流を進めるNPO「Asia Commons亜洲市民之道」を運営し、市民活動家と交流を続けている。
主な著書に『北京芸術村:抵抗と自由の日々』(社会評論社)、『旅の指さし会話帳:中国』(情報センター出版局)、『こころ熱く武骨でうざったい中国』(情報センター出版局)、『反日、暴動、バブル:新聞・テレビが報じない中国』(光文社新書)、『中国人は日本人を本当はどう見ているのか?』(宝島社新書)、『艾未未読本』(共著、集広舎)『「私には敵はいない」の思想』(共著、藤原書店)など。
麻生晴一郎氏の講演「中国の草の根を見つめる」概要
(中国総合研究交流センター 小岩井忠道)
日本を知る人が多い中国沿海部と異なり、内陸部には日本のことをほとんど知らず抗日戦争ドラマから受けたイメージしか持たない人が多い。河南省や安徽省などへ出かけることが多いが、日本人が来るのは珍しい、といろいろな集会でよく講演させられる。傍聴者の教師、公務員といった人たちですら、日本人が漢字を書けることに驚く人もいるくらい日本のことはほとんど知らない人がほとんどだ。例えば「一休さん」のアニメを観ている人はいても、日本製かどうかということに関心がない。河南省で講演した時、会場の女性から「南京大虐殺」について質問された。文句を言いたいから質問したということではない。日本に対する知識は「南京大虐殺」くらいしかないので、他のことを尋ねようがなかったのだ。
中国には戦争をテーマにした記念館のようなものはあるにしても、きちんとした調査は行われていない。戦争でどのようなことがあったのかについての知識は非常にあいまいだ。一方、抗日戦争ドラマはたくさん作られているので、戦争について一度も謝罪したことがないではないか、という誤解を含めて、「日本はにくい」というのが一般の認識になっている。日本に対する知識はほとんどないけれど「南京大虐殺について、日本の戦争責任は」という質問が出やすい状況があるということだ。
内陸部というと農村が大半だから過疎地域ばかりだろう、と想像したら間違う。安徽省には生徒が1万人もいる中学校がある。内陸部には中国の全人口の過半数が住む。この内陸部の人たちの日本観が、前述のように非常に偏ったものになっていることが問題だ。例えば、沿海部に増えている日本に旅行したことがある人たちからは、「車は人が横断するまで停車している」「鉄道の運行も正確」「市役所も機能的」など日本人の公共マナーに感心する声が聞かれる。それを可能にしているのは、少数者の心がけだけではなく、団結心や愛国心の強さによるという素直な評価だ。一方、抗日戦争ドラマのイメージしか持たない内陸部の人たちには、日本人の公共マナーのよさも脅威と感じ、マイナスのイメージを持つ人たちもいることに注意した方がよい。
こうした内陸部の人々の日本観の背景として、中国における政府と民間の関係、特に民間に育ちつつある公民(市民)社会化の動きを考える必要がある。
かつては権力のみを握っていた政府(党)が、今は富まで独占するようになっている。地方政府は会社をつくったり、土地を取り上げてマンションを建設したりして、もうけている。不満は警察力を使って押さえ込む。さらに環境破壊に対する責任から、戦後の日本に対する賠償請求権利の放棄をはじめとする弱腰外交もみな政府の責任、といった不満の声が集会などでどんどん出てくるようになった。
地方政府の土地の勝手な売買や、拡大する貧富の格差などに不満を持つ人には、二つのタイプがあるように見える。一つは文化大革命のような徹底した社会主義を目指す人々で、農村の抵抗運動や陳情などに力を注ぐ。もう一つのタイプは三権分立の法治国家、民主化を目指す人々で、市民活動、人権擁護活動、ネット世論などを重視する。数としては前者のほうが多い。これら二つのタイプの人々が脱政府的な市民社会層を形成している。
一方、政府に従順な人たちも多く、これらは都市戸籍を持つ市民、ホワイトカラー層、政府利権を持つ人々だ。公民(市民)社会的動きは、こうした人たちとは違って地方から出ているということになる。政府が多くの問題を放置してきたことに加え、愛国心、公共意識、権利意識の高まりで、公共概念といった「以前は問題でなかった問題」が浮上してきた、という背景がある。反日デモに限らず、毎日のようにいろいろなところで激しい動きが起きている。自らの権利を守るだけでなく、他人や社会に目を向けた活動も多い。デモや暴動などの数は、年間15万件にも上り、依然のように泣き寝入りや押し黙る人たちが少なくなっている。
では、こうした公民(市民)社会化の動きに課題はないだろうか。集会・言論の規制による個々の活動のネットワーク化が困難な結果、個々には激しい動きがあっても連帯性に欠ける面がある。民主化運動なのか、社会主義の徹底を目指す運動なのかが不鮮明なため、東欧のように民主化運動の代表者が出ていないのが現状だ。必ずしも市民社会、民主化を明確に志向していない結果が、愛国心と結びついて排外主義という形で出てきたのが反日デモだった、と考えられる。国益を守るために政府に頼らないで日本に権利を主張する、というモチベーションによって生まれた…。
反日デモは日本の施設を破壊するといった違法でいびつな運動と捉えることができるが、2005年のデモは、中国の中で大きな意味を持つ。当時、草の根活動、デモ自体が珍しい中で「反日デモを成し遂げた」という意識が当事者たちにあったと思う。普通の人間でも日本に対して意見を言うことができた、と言う満足感も。さらに個々では激しいとはいえバラバラだった活動を全国展開できたのが、昨年2012年の反日デモだったのではないだろうか。日本にとっては不幸な出来事だったが…。
一方、昨年10月には「中日関係に理性を取り戻せ―われわれの呼びかけ」といった署名呼びかけ文がインターネット上に現れた。これを読むと反日デモを批判はしているが、親日というわけではない。署名を呼びかけた人、署名した人たちのモチベーションを考えると、どちらかというと非常に愛国心が強く、かつ市民意識も強いことが分かる。愛国意識と市民意識を履き違えたとして反日デモを批判している、と解釈できる。愛国が反日に結びつき、デモが公民(市民)社会に結びついて、反日デモが起きた。同様に、反日デモを批判し、抑制する動きも、愛国と公民(市民)意識から出ていると考えられる。愛国とか公民(市民)社会意識は、反日にもなれば反反日にもなる役割を果たしているということだ。
今、中国との間で必要なことは、対政府交流も大事だが、同時に対民間、草の根の交流にも力を入れることではないだろうか。ビジネス分野を含むこれまでの民間交流は、政治、社会が反映されない単純な個人交流にとどまっている。尖閣諸島問題でも日本の市民側から政府に働きかける力はつくり得なかった。政治とは関係ないと言ってビジネス交流を進めても、いざ日中関係が緊張すると同じ日本人ではないかとみなされ、巻き込まれてしまう。音楽や映画での交流も、相手の主催者が地方政府であっては、民間交流と言えるだろうか。相手の地方政府をもうけさせる構造をつくってしまう結果となることもあり得る。
国際結婚その他個人的な交流で日中国民の関係は深まっているとはいえ、いざ、日中関係が悪くなると互いに「日本」「中国」を代表するかのように振る舞ってしまう。市民交流が成り立っていないからだ。非政治の交流では十分ではなく、非政府領域の交流にも着目していくべき必要があるのではないか。民間でも政府任せにせず、独自のロジックが必要で、独自のロジックとは自らの市民意識に基づく価値観の共有に立つということだ。
望ましい市民交流とは何か。中国の公民(市民)社会化の動きに着目した交流を進めていくことだと思う。最初に紹介したように、中国人の多くが日本人の公共マナーのよさに大きな関心を抱いている。「車より歩行者が優先」「ごみがきちんと処理される「鉄道の運行が正確」。日本人にとっては当たり前になっているこうした日本の社会システムがどのようにして出来上がっているか、をどんどん紹介していく。それが、公民(市民)社会化というものを最も分かりやすく訴えることではないだろうか。それによって中国の知日家、親日家を増やすことも可能ではないか、と考えている。
私の見るところ、中国の民主化や公民(市民)社会を向いた動きは、NGOや社会活動といった日本の戦後の民主主義運動というよりは、憲法もこれからできるという明治時代に日本であった動きに近いと感じている。私自身が進めている民間交流も、日本の公民(市民)社会や公共マナーを成り立たせるものは何かをもっと紹介しようということでやってきた。こうした個々人の草の根交流活動についても、日本政府は支援してほしいと願う。