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【14-09】中国の農業が日本の農業の発展から学ぶ教訓

2014年 9月24日

朱新林

朱新林(ZHU Xinlin):山東大学(威海)文化伝播学院講師

中國山東省聊城市生まれ。
2003.09--2006.06 山東大学文史哲研究院 修士
2007.09--2010.09 浙江大学古籍研究所 博士
2009.09--2010.09 早稻田大学大学院文学研究科 特別研究員
2010.11-2013.03 浙江大学哲学系 助理研究員
2011.11-2013.03 浙江大学博士後聯誼会副理事長
2013.03-現在 山東大学(威海)文化伝播学院講師

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 明治維新で徳川幕藩体制が崩壊し、明治新政府により進められた近代化政策は、資本主義への出発点となった。以降、日本は資本主義社会の形成を急ぐため、様々な分野において欧米諸国の政策を模倣した。新政府は「旧習の打破」、「世界列国と伍する実力の涵養」などの方針を掲げ、新産業育成のための「殖産興業」政策を開始した。

 1871年12月(旧暦11月)、明治政府は「岩倉使節団」を欧米諸国に派遣した。使節団の副使であった大久保利通は、帰国後間もない1873年11月に内務省を設置し、自ら初代内務卿として実権を握った。内務省は工部省と協働し「殖産興業」政策を推し進めたのである(暉峻衆三、2003)。

 その重要政策の一環として推進されたのが「勧農政策」であった。主な内容は、西洋の先進的な栽培技術や耕作方法の導入、外国からの専門技術員の招聘などであり、農業の近代化を少しでも早めようというものであった。同時に、「泰西農法(ヨーロッパの農法)」を日本に持ち込み、手本としたのである。

 これにより、日本の農業はアジア諸国から大きな関心を持って注目され、世界的にみても大きな転換点を迎えたのである。

 第二次世界大戦以降、日本経済の復興とともに農業も急速な発展を遂げた。1950年から1975年のわずか25年間で、日本の農業は農作業の機械化、農村の都市化、および農業就労人口からの労働力の流出という過程を経て、生産技術においても経営管理レベルにおいても世界のトップを走り、注目を集めるところとなった。

 隣国を手本として、成功と失敗を学ぶことができる。中国と日本は一衣帯水(両者の間に一筋の細い川ほどの隔たりがあるだけで極めて近いこと)の隣国であり自然条件や産業を支えているものは類似しているが、日本の農業は機械化、都市化および農業人口の非農化への移行といった点で中国の前を行っているのである。

 最も分かりやすい例で示すと、そこには日中両国の農業分野における差異が見えてくる。

 土地の占有面積でいうと、日本の耕地面積は551.47万haで世界の耕地総面積の0.4%を占めており、一人あたりにすると0.05haである。これに対し、中国の耕地面積は約1.22億haで1997年の1.30億haと比べ800万ha減少している。その上、毎年増え続ける建設用地が耕地を少なくとも26.67万ha減らしており、一人あたりの耕地面積は10数年前の0.11haから、現在は0.09haにまで減少している。これは世界平均のわずか40%に過ぎない。

 中国の面積は広大で、自然条件や産業を支える様々な資源の違いにより、農業の発展については地区ごとにその隔たりは大きい。東部地区は工業が発達し、農業人口からの労働力の流出率は比較的高いが、農業における技術革新も積極的に取り入れている。中部地区は総体的に人口が多く、そのため一人あたりの耕地面積が少ないという特徴がある。農業人口の非農化への移行も少なく、労働生産率も農業技術の応用レベルも低い。西部とりわけ西北・西南などの地区は、自然条件が過酷でインフラが整備されておらず、生産向上に有用な知識や経験も乏しく、非農化への移行は極めて低い。基本的には伝統的農業のレベルにある。

 こうした状況により、日本の農業が発展した過程を真剣に学ぶことは、中国における農業技術の向上に大いに意義深いものがある。

 中国農業科学院、並びに下位組織にて考察した結果、日本の農業分野には以下の強みがあると言える。

 第一に、農業に関わる様々な研究機関が体系化されていることである。

日本には、研究独法、全国の公立試験研究機関、大学、民間機関(企業など)の産学官連携による共創の場が整備されている。1990年に改訂された「農林水産研究基本計画」によると、研究開発業務の中核は農業19、林業1、水産業9から成る29の農林水産省が所管する研究開発法人(研究独法)が担い、地方および民間機関、大学と緊密に連携し取り組みを進めるとある。この内、研究開発法人の研究者数と研究費は全体の約10%を占め、各地域の公立試験研究機関の研究者数は全体の25%、研究費は30%近くに上る。そして近年、民間機関の研究者数と研究費が急速に増加しており、それぞれ全体の40%前後に及ぶ。大学の研究者数は約28%、研究費は20%である。2000年前後には日本政府および地方自治体からの農業科学研究費は農業関連国内生産額の約2.2%に相当した。

 第二に、農業の普及に関する支援体制が確立されていることである。

 農業経営および農村生活の改善を目的に、1991年、「協同農業普及事業に関する指針」の全面的な改訂を行い、普及のための組織作りと専門普及員の質の向上を第一義とした。1995年春、筑波研究学園都市に「科学技術成果陳列室」を設置し、研究成果に関する情報をタイムリーに提供する窓口とした。

 「日刊工業新聞」2012年3月19日付の記事によると、農林水産省は3月16日、「農業新技術2012」を公表し、生産コストの低減、作業の省力・軽労化を推進する技術による高齢化対策、女性就労者の増加、原材料価格の高騰や輸入農産物への対策などに取り組むとした。「トルコギキョウの低コスト冬季計画生産技術」「トンネルと枝ダクトを組み合わせた促成なすの低コスト株元加温栽培技術」「酪農の経営改善に貢献する泌乳持続性の高い乳用牛への改良」「操作しやすく、果樹の管理作業の安全性を高めた高所作業台車」「農地の排水性を改良する低コストな補助暗きょ工法」の5つの技術を新たに選定し、果樹・野菜・園芸・畜産などの農家の収益および生産効率の向上、エネルギー消費量の削減を推進するとした。

 第三に、重要な研究成果を生み出していることである。

 たとえば2011年12月30日、農林水産省農林水産技術会議は、その年の農林水産研究成果10大トピックスを選定し公表している。これは農業関連の新聞・雑誌記者が過去一年間に各大学や研究機関が発表した研究成果に対し投票した結果で選出されたもので、日本の農業科学研究における最高レベルの成果と言える。天然ウナギ卵の採集に成功、放射性物質に汚染された農地土壌を除染する技術の開発・実証の実施、口蹄疫の迅速診断につながる遺伝子検査法の開発、小型除草ロボットの開発、ジャガイモの害虫シストセンチュウ駆除法の発見、ピーマンモザイクウイルス病予防の植物ウイルスワクチンの開発、ミツバチの幼虫を女王バチに成長させるたんぱく質の発見、水稲の乳白粒の発生割合を予測する機器の開発、根こぶ病に強い新品種のハクサイの育成、海藻を原料とするバイオ燃料の開発が、2011年の10大トピックスに選ばれた研究成果である。

 第四に、有能な行政機関、農林水産省である。

 12省のひとつである農林水産省は、1881年に設置された農商務省がその前身であり、その後、農林省と商工省に分割されたあと、農商省、農林省と改称、1978年に現在の名称となった。

 同省は各地に様々な関係機関を有する。地方自治体のうち、都道府県クラスでは農林水産部を設置、市町村クラスでは当該地区の経済規模により、ある自治体では単独で農林水産課を設置し、ある自治体では工商部門と統合し産業課としている。その他に、中央および地方の農林水産機関はどこも外郭団体を保有、たとえば特殊法人、財団法人などがそれにあたる。

 農林水産省の主要な任務は以下のとおりである。

(1)農林水産業の安定した発展と農業の多面にわたる機能の発揮
(2)食料の安定供給の確保と国民の生活水準の維持・向上
(3)農山漁村および中山間地域等の文化・産業の振興
(4)国の産業政策、地域政策、高度な技術開発および国際協力政策の推進

 同省は農業の体質を強化するため、生産資材等を購入し組合員に供給する事業、生産される農産物を市場等に集出荷する販売事業を行っており、農作物の生産、流通、加工、輸出入および農業に欠かせない資材等の供給については全面的な責任を担う。

 こうした任務を執行するため、経済的手法や法的手段、行政手段などが用いられ、これにより業務は遅滞なく遂行される。同省は経済を巡る変化に呼応し機構改革を繰り返すことで、その役割を柔軟に変えている。

 第五に、強い効力を発揮する農業分野の法律に保護され支えられていることである。

 行政の遂行上決定された施策目標や基本方針を実現するため法律は制定され、国による管理、関与を合法的に行うことで、様々な手段や手法を講じながら計画通り業務を推進している。第二次世界大戦後、日本の農業政策は農業の保護と農民の生活を豊かにするための支援を主な目的とし、日本の特徴を加味した農業分野の一連の法律、条例を相次ぎ制定し、法体系を整えた。

 たとえば農業生産力の増進や農業者の社会的経済的地位の向上に関する法律「農業協同組合法」、職員の相互扶助事業に関する法律「農林漁業団体職員共済組合法」などである。その他に農業金融と農業災害補償制度に関する法律がある。法律で保護するという観点から、農業従事者に対する「生活方式改善資金」「新品種導入資金」「経営規模拡大資金」「農業改良資金」などの融資制度も確立し、融資の限度額や金利、返済期限、担保、違約金など具体的に定められている。

 その他にも農業用地と土地権益に関する法律、農産物の市場への流通や価格に関する法律、農産物の品質検査と生産・消費の合理化に関する法律、また農業基本法に代わるものとして1999年「食料・農業・農村基本法」が新たに制定されている。

 これまでの話を総括し、日本農業における先進的な取り組みを振り返ると、中国が参考にすべき点がみえてくる。

 第一に、土地という資源は無駄のない効用の最大化を指向すべきである。

土地は農業の発展における最も基本的な資源であり、合理的に活用できるかどうかは農業から得られる収益やその将来性に直接影響を及ぼす。日本の大半の土地は不合理に活用されており、分散化経営、小規模経営を行っているという現状がある。それは生産コストの高騰や生産率の低下を引き起こしており、集約的農業への発展を阻害している。

 日本を教訓とし、土地の回転率を高め適切な規模の経営を行うことが、土地を効率的に活用し農業を発展させる有効な手段である。

 第二に、農業を支援する組織を体系化すべきである。

 農業を支援する組織が整備されることは、農業の発展における道しるべとなる。日本の農業協同組合は農業者(法人含む)によって形成された巨大な組織で、経済事業、信用事業、共済事業を総合的に行い、豊富な資金と信用力で地域の発展に重要な役割を果たしている。

日本が重視し発展させた農協の成功体験を活かし、1軒1軒の小規模生産から共同生産へと突き進むよう農家を導く。そのための支援体制も強化し、民間が出資・経営・管理するという原則を堅持しながら、農民のために総合的なサービスを提供する地域密着の共同組織を運営する。こうすることで、今の農業が大きく発展するのである。

 第三に、高水準な科学研究機関を設立し、技術的な手法や手段を社会に還元すべきである。

日本で農業が普及したその背景には、各研究機関の幅広い分野における多様な研究の推進があり、そのことが結果的に農業の多角的な展開につながったと言える。その意味で、中国の高水準な研究機関は日本とはかなりの隔たりがある。

 第四に、農村と農民の保護に関連した法律を制定し、なおかつ運用時には強制力を持って執行するべきである。

農村と農民はどこの国においても弱い集団であり、それ故に日本の実態に学び、農村および農民の利益を正しい方法で保証する必要がある。

 日本が外国から導入した農業科学技術は、日本の農業生産に新たな活力を注入し日本の農業を農業技術の模倣から伝統的な農業技術の改良へと転換させ、ついには自らの独創性を主とした農業技術体系を作り上げた。二十一世紀中に、中国は自国の農業と日本農業との隔たりを認識し、我遅れじと急追し、日本の科学的な経験を手本とし、中国独自の農業技術体系を創造するべきである。こうすることによってのみ、中国の広大な土地はさらに効率的に開発・活用されるようになるのである。