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【24-36】「新しい質の生産力」に大きな壁 習主席先導の製造業強化策

小岩井忠道(科学記者) 2024年09月26日

 中国政府が新しく打ち出した製造業強化策「新しい質の生産力」は、狙い通り多くの重要産業・製品でイノベーションを創出するとは考えにくいとする報告書を、日本総合研究所の研究者が公表した。改革の主導権を握るのが企業でなく中国共産党・政府であるのに加え、必要な人材確保のめども立っていない。こうした理由を挙げたうえ、すでに深刻になっている過剰生産問題が広がるリスクも指摘している。

 日本総合研究所の佐野淳也調査部主任研究員、枩村秀樹理事が4日公表したのは「中国の製造業強化策は成功するか~『新しい質の生産力』の評価~」と題する報告書。「新しい質の生産力」は、昨年9月に習近平総書記・国家主席が表明し、12月の党中央・国務院共催「中国経済工作会議」で重点政策とされた製造業強化策だ。今年3月の全国人民代表大会(全人代)での討議を経て、7月の中国共産党第20期中央委員会第3回全体会議(三中全会)で、今後進める経済構造改革の中心となる政策に位置付けられた。

「中国製造2025」の後継策

 中国政府の製造業強化策としては、2015年に打ち出された「中国製造2025」が有名だ。次世代情報技術や工作機械・ロボットなど10業種を重点分野とし、建国100周年にあたる2049年までに世界トップレベルの製造強国になることを目指している。さまざまな具体策を盛り込んだ野心的な長期戦略として国際的な関心を集め、特に米国の強い警戒と反発を呼んだ。日本総合研究所の報告書は、公表からわずか3年後の2018年ごろから、習近平政権が「中国製造2025」という用語を使わなくなった事実に注意を促している。こうした中国の対応について、「米国が中国政府に対してメーカーへの補助金給付などの全面見直しを迫ったことが背景の一つにある」としている。

 ただし、習政権は製造業の強化に向けた取り組みに力を注ぎ続けたのが実態で「中国製造2025」の後継策として新しく打ち出されたのが「新しい質の生産力」、というのが報告書の見方だ。「量から質へ生産力の転換を進めて高度化するのが狙い」としている。さらに習総書記の発言や三中全会で決まった経済構造改革プランなどの分析から「新しい質の生産力」が重視する具体的な目標を挙げている。新しい重要産業・製品での技術革新を加速させることと、内製化を目指す「自立自強」の早期実現だ。

対応迫られる過剰生産体質

 新しい政策を打ち出した背景は何か。報告書は中国の製造業が直面している三つの課題を挙げている。深刻な過剰生産能力を抱えることになってしまった現状がその一つ。世界の粗鋼生産量のうち中国が過半を占めており、製品を国内需要では吸収し切れず、安値で輸出に回しているため、世界各国からダンピング輸出と非難されている。こうした鉄鋼業の現状を典型例として挙げている。

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(日本総合研究所「中国の製造業強化策は成功するか~『新しい質の生産力』の評価~」から)

 過剰生産体質は、鉄鋼に限らず、製造業全般に及んでいる現状も指摘している。中国の製造業が生み出す付加価値額は、世界貿易機関(WTO)に加盟した2001年から急増し始め、それに連動する形で世界に占めるシェアも急上昇した。国内総生産(GDP)が米国の7割程度なのに製品の生産は米国の2倍という姿はどうみてもいびつだ。製造業に強みを持つとされてきた日本やドイツですら世界のGDPシェアに見合った製造業シェアしか持っていない。このように指摘したうえで、「中国経済は、生産能力拡大を抑制しつつ、より付加価値の高い製品の生産にシフトさせることが必要になっている」としている。

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(日本総合研究所「中国の製造業強化策は成功するか~『新しい質の生産力』の評価~」から)

先端製品調達困難なリスク増も

 次の課題として挙げているのは、経済安全保障の環境変化により先端製品の調達が困難になるリスクの増大。米国の対中規制路線はオバマ、トランプ、バイデンの3政権で継続・強化されている。対中規制の最重要対象は電気電子製品、自動車、生産用機械、航空・衛星、軍事関連製品などほぼ全ての分野で不可欠な部品となっている半導体をはじめとする先端製品だ。日本、欧州諸国を巻き込んだ最先端半導体製造装置の対中輸出規制により、中国に最先端半導体を製造させない姿勢を強めていることに、中国政府が大きな危機感を抱くようになっている現状を重視している。

 三つ目の課題はグリーン市場での競争優位の一層の強化だ。6~7割のシェアを持っているとされる太陽光発電、風力発電、電気自動車(EV)などグリーン市場でさらに膨大なグリーン関連需要を取りに行くため、低価格を武器にするだけでなく、技術的優位性も狙っていくのが今後の課題としている。

党・政府主導、人材確保、過剰生産に懸念

 では、狙い通りに新たな製造業強化策は成果を挙げられるのだろうか。佐野淳也主任研究員は「『新しい質の生産力』の方向性は正しいものの、実現には三つの問題点を抱えている」と見ている。問題点として第一に挙げているのが、改革の主導権を企業ではなく、中国共産党・政府が握ることだ。1917~2010年の100年近くの間に世界で生み出された革命的イノベーション111件のうち、社会主義国で生まれたものは1932年に旧ソ連が開発した合成ゴムの1件だけ。ハンガリー出身の経済学者コルナイ・ヤーノシュによるこうした主張も紹介し、「共産党・政府の指導の下で企業が技術革新を進めるという計画経済の色合いが濃い。共産党・政府が企業活動に深く関与するなかで、西側企業を凌駕するような技術革新が起こせるのだろうか。むしろ、中国企業のイノベーションの芽を摘み取ってしまうことにならないか」と、疑問を呈している。

 二つ目の問題として挙げているのは、人材が確保できるかという懸念だ。中国の製造業は、深刻な人材不足に直面している。足元の労働市場をみても、多くの大卒者が志望している就職先は給与水準の高いホワイトカラーであり、製造業の人気は一部企業を除けば総じて低いのが現状だ。1月に開かれた第20期中央政治局第11回集団学習の場で、習総書記自らが「新しい質の生産力」を発展させる人材を育成することを表明した。こうした実情・事実も紹介した上で、「人気の低い製造業に優秀な人材を割り当てるのは、中国共産党・政府といえども至難の業。たとえ誘導できたとしても、育成には相当の時間がかかるだろう」との見通しを示している。

 三つ目の問題は、企業が量の拡大に向かってしまうリスクだ。強力な政府支援を背景に、異業種も含めて雨後のタケノコのような新規参入ラッシュとなった電気自動車(EV)の例を挙げ、今後予想される企業に対する中国政府のさまざまな支援・補助が、ビジネス拡大を狙うさまざまな企業の参入を促し、EVと同様な事態が生じる可能性を指摘している。

成果うかがえる報道、報告も

「新しい質の生産力」の取り組みが着実に進んでいるとする現地の報道はいくつかある。7月5日付科技日報は、知的財産権法庭がテクノロジーイノベーションの保証や「新しい質の生産力」発展支援など「新しい質の生産力」の後ろ盾になっている現状を伝えている。知的財産権法庭は、日本の最高裁にあたる最高人民法院に2019年1月1日に設立された裁判所。同法庭が受理した戦略的新興産業関連などの案件は6月26日時点で、2万件を超したことも伝えている。

 科技日報は4月30日付で「AI(人工知能)の発展で生産力の飛躍的向上を」と題する北京大学国家発展研究院副院長と同大学長沙計算・デジタル経済研究院シンクタンクセンター長補佐の連名の署名記事も載せている。その中で紹介されているのが、習総書記がこれまでに語ったという次のような言葉だ。「次世代AIの発展加速は、世界のテクノロジー競争の主導権を握るための重要な戦略的足がかりで、中国のテクノロジーの飛躍的発展、産業の最適化・高度化、生産力全体の飛躍的向上を推進する重要な戦略的資源だ。現在のAI産業の発展を妨げているボトルネックを解消することは、新しい質の生産力の発展を加速させ、中国の経済・社会の質の高い発展を推進する上で重要な意義がある」

 また「中国製造2025」で示された中国政府の取り組みが着実な成果を挙げていることを裏付けるとみられるデータは、日本の研究機関によっても早くから報告されている。文部科学省科学技術・学術政策研究所は、国際情報サービス機関の論文データベースを基に他の研究者に引用される数が上位10%に入る、つまり価値の高い論文とみなされる論文数で中国が2017~2019年の年平均で初めて米国を抜いて世界1位になったという報告書を2021年に公表済みだ。2017~2019年という時期は「中国製造2025」が打ち出されて2~4年しか経っていない。被引用数が上位10%よりもさらに価値が高いとみなされる上位1%に入る高被引用論文数でも、中国はその翌年(2018~2020年の年平均)に米国を抜いて1位になったことを同研究所は2022年に報告している。以来、被引用数上位10%、同1%の論文数ともに1位を堅持、という状況が続く。

「新しい質の生産力」で重視されているAIに関しては、AI分野で世界最大の学会といわれるAAAI(Association for the Advancement of Artificial Intelligence)が2020年2月に開催した年次大会で、中国人とみられる研究者が筆頭著者となっている発表文献が全体の57%を占めているという科学技術・学術政策研究所の研究者による報告書も8月29日公表されたばかり。AIに対する中国政府の関心の高さと顕著な研究実績がこうした報告書からもうかがえる。

厳しい見通し他の研究者からも

 一方、なぜ「新しい質の生産力」を中国が打ち出さなければならなかったかに関しては、この構想が明らかになる前の昨年8月17日に当サイトに掲載された、柯隆東京財団政策研究所主席研究員による「岐路に立つ中国のイノベーション、日中両国の科学技術協力の可能性」と題する論考が目を引く。佐野日本総合研究所主任研究員らによる今回の報告書と符合するような見方が示されているからだ。柯氏は次のように指摘している。

 強国復権の中国の夢を実現しようとする習政権の最初の戦略は「中国製造2025」の計画だった。地道に努力すれば、中付加価値の産業技術力を強化し、ハイテク技術の一部について世界をリードすることは不可能ではなかった。しかし、「中国製造2025」の計画は間違いなく米政府を刺激してしまった。米中が対立し、中国に対する科学技術の包囲網ができてしまった。昔と違って、今のイノベーションはすべてオープンイノベーションであり、クローズドな環境のなかで、半導体のような技術と製品を開発することができない。イノベーションの基本はお金ではなくて、人材。今は、中国で新型コロナ感染は落ち着いているが、エリート層と富裕層を中心に海外へ移住する人が急増している。エリート層と富裕層の海外移住をきっかけに中国は頭脳と財産を失うことになる。これもイノベーションの支障になる。

関連サイト

日本総合研究所 経済・政策レポート「中国の製造業強化策は成功するか~「新しい質の生産力」の評価~

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