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【18-001】習近平「トイレ革命」の歴史的意義

2018年4月5日

深町英夫

深町 英夫: 中央大学経済学部 教授

 1966年東京都調布市生まれ。京都大学文学部哲学科美学専攻卒業、ハーバード大学文理大学院歴史・東アジア言語課程留学、東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了、博士(学術)。中央大学経済学部教授。2004~06年にスタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、2017~18年に北京大学歴史学部高級訪問学者。主要著作は、『孫文革命文集』(岩波文庫、2011年、編訳)、『身体を躾ける政治 中国国民党の新生活運動』(岩波書店、2013年)、『中国議会100年史 誰が誰を代表してきたのか』(東京大学出版会、2015年、編著)、『孫文 近代化の岐路』(岩波新書、2016年)等。

1.奇妙な「革命」

 昨年11月末のある晩、北京大学の外国人宿舎でテレビを見ていた私は、思わず自分の耳と目を疑った。中央電視台が夜7時から放映するニュース番組「新聞聯播」が、「習近平氏が『トイレ革命』を提唱」と伝えたのである。いきなり耳に飛び込んできた、身も蓋もない「厠所〔トイレ〕」という語と、大仰な「革命」という語の奇妙な取り合わせに驚き、テレビ画面に目を凝らしてみると、確かに字幕にも「厠所革命」と記されている。「また『あれ』が始まったのか」――私は思わず呟いた。

 お世辞にも衛生的とは言いがたい中国のトイレは、旅行や出張で訪れる外国人にとって、驚きの的や悩みの種となってきた。習近平氏が最初に「トイレ革命」を唱えたのは2015年4月のことで、その際に国民生活の改善のみならず旅行業の発展にも、「衛生的なトイレ」が必要だと説かれたのは、うなずける話だと言えよう。それ以来、国家旅游局によれば合計6万8千か所のトイレが、全国各地で新築あるいは改築されたという。

 今回の習近平氏による約2年半ぶりの再提唱に続いて、各種メディアが大々的に「トイレ革命」を宣伝したことは、同氏への権力集中が伝えられる昨今、「党の喉舌〔代弁者〕」たるべき中国の報道機関としては、当然の対応であったろう。しかし、指導者の呼びかけに全国各地の地方政府が応えた、「トイレ革命」の実践事例を見聞きするうちに、私の抱いた漠然とした直感は次第に、「やっぱり『あれ』か」という確信へと変わっていった。

 ある観光地には、テレビ・ソファや自動靴磨き器を備え付けた、豪華トイレが造られたという。また、携帯電話の充電器やWiFi設備のあるトイレというのは、いかにもスマホなしでは夜も日も明けぬ、現代中国人の生活様式を反映したものと言えよう。空調付きのトイレは夏の暑さや冬の寒さを考えれば、確かにありがたいものには違いない。だが、冷蔵庫や電子レンジのあるトイレには、相当な違和感を覚えたことを私は告白しておきたい。

 案の定と言うべきか、わずか1か月あまり後の今年1月上旬、このような「五つ星トイレ」建設競争は誤りだと、国家旅游局長が表明したのである。おそらく習近平氏も、自身の呼びかけに対する各地方政府の反応に、「それじゃない」と嘆息したことだろう。そして、ことによると私の直感した「あれ」、すなわち20世紀中国において幾度も試みられ、さまざまな悲喜劇を引き起こしてきた、大衆動員の歴史を彼も想起したのかもしれない。

2.歴史は繰り返す?

 全国を大混乱に陥れた1960~70年代の文化大革命は、いささか極端な事例であるが、それ以外にも大小数多くの大衆動員が、1世紀近くにわたり中国人を翻弄してきた。そこにしばしば現れる、二つの現象に私は注目する。

 一つは「過剰適応」、すなわち上からの提唱や号令に対する、下からの過剰な参加あるいは迎合である。今回の「トイレ革命」の場合、いうまでもなく全国各地の地方政府が、最高指導者の意思を体現しているという姿勢を示すべく、トイレの豪華さを競い合った。これは広く知られている、地方官僚が自身の業績を誇示して上級の歓心を買うために、GDPを水増しするのと同根の現象と言えるだろう。

 このような現象を引き起こした大衆動員と言えば、やはり1958年に始まった大躍進運動を挙げねばならない。毛沢東は「イギリスを追い越し、アメリカに追い付く」という壮大な野心を抱き、穀物や鉄鋼といった農工業生産の飛躍的な増大を呼び掛けた。すると地方政府は大衆を生産活動に動員する一方、しばしば上級に報告する生産量を水増ししたのである。あまりに性急かつ不合理な増産競争は、経済バランスや生態環境に深刻な打撃を与え、それがもたらした飢饉により数千万人が餓死したことは、よく知られている。まさにカリスマ的指導者の号令に対する、地方官僚の「過剰適応」だった。

 それと相矛盾するようでいて実は表裏一体を成すのが、もう一つの現象――「面従腹背」(中国語で「陽奉陰違」)である。今回の場合、既存のトイレを頻繁に清掃したり、利用者にマナー向上を促したりといった、有効であるかもしれないが地味な整備・啓蒙事業よりも、一目でわかりメディア映えする業績として、「五つ星トイレ」が相次いで各地に建設された。これはソフト面の改善よりもハード面の充実に走りがちという、中国でよく見られる傾向とも通底しているのだが、上級の指示に従っている姿勢を明示することが、堅実・地道に成果を挙げることよりも優先されたのである。

 そして、この現象は当局の動員に対する大衆の反応に、より顕著に見られるようだ。「上に政策あれば、下に対策あり」という言葉は、中国社会の特質を語る際によく用いられるが、この国の人々は確かに法律や監視の網の目をくぐることに長けている。文化大革命時期に、赤い表紙の『毛主席語録』(通称『紅宝書』)を誰もが所持したのは、指導者を支持する姿勢を「見せる」ことにより、「反革命」といった非難を防ぐのも目的だったと言われる。今回の「トイレ革命」に際して私が懸念したのは、まさにこの点であった。

3.上からか、下からか?

 例えば我々が列車に乗れば何等車であるかを問わず、あるいは船に乗れば何等船室であるかを問わず、他はともかく便所に行って見さえすれば、ただちに中国人の特色が見出されるだろう。私がこう言うと礼を失することになりかねないのは、もとより知っているが言わざるをえない。総じて言えば、他人のために清潔にしようとは少しもしないのが我々中国人の特色で、これは山河を変えられても本性は改めがたいというもので、団体生活に適さないのだ。

 この歯に衣着せぬ発言は1934年に行なわれたもので、その主は孫文に従う青年革命家から、国民党の重鎮にまで上り詰めた、汪精衛である。彼が日中戦争中に対日協力政権を樹立し、今日では「漢奸」すなわち売国奴の代名詞となっているのは、これほど痛切な憂国の悲憤を訴えた人物の末路として、歴史の皮肉というほかはない。いずれにせよ、「トイレ革命」の必要性は80年以上も前から、中国の指導者に意識されていたことがわかる。

 この汪精衛の発言は、当時の国民党政権が中国全土で推進していた、新生活運動という奇妙な大衆動員の中で行なわれたもので、衣・食・住・行(交通)といった日常生活上の「規律・清潔」を唱え、中国人民を勤勉かつ健康な近代的国民へと鍛え上げることが、同運動の目的だった。これを提唱・主導したのは最高実力者・蔣介石で、彼とは微妙な対抗関係にあった汪精衛も支持を表明したのは、両者とも青年時代に日本へ留学した経験から、「規律・清潔」の欠如が中国人の弱点だと痛感したことに由来する。

 そして、「ボタンを留めろ」「痰を吐くな」「列に並べ」「ポイ捨てするな」といった、計95項目の微に入り細をうがった規則が定められ、それを人々が遵守しているか監視すべく、学校・職場や公共の場所で「検閲」と称する、つまりは風紀検査が行なわれた。しばしば公安当局を動員して、庶民の日常生活に対して上からの介入を試みた「検閲」に対し、どのように人々が反応したのかといえば、それがまさに「面従腹背」だったのである。

 例えば週末に「検閲」が行なわれると知ると、住民は事前に十分な準備をしておき、改善するよう指示を受けることがあれば、一時しのぎに上辺だけ納得した風を装い、「検閲」が終われば全ては旧態に復してしまったという。こうして新生活運動は全国各地に拡大したものの、次第に大掛かりなだけで実効のない空疎な祝祭と化していき、蔣介石は自身が「裸の王様」であることに気づかされるのである。

 このような権力を背景とした啓蒙/統制の限界を指摘したのが、先に述べたように国民の「本性」を改めるべきことを説いた、汪精衛その人だった。彼は上からの「政治的制裁」「法律的制裁」を批判し、次のように下からの「社会的制裁」を提唱している。

 例えば、ある人が欧米各国の劇場の中で勝手気ままに痰を吐いたりお喋りをしたりすれば、彼は必ず同じく芝居を見ている人々から制裁されるだろう。これが社会的制裁で、このような制裁は法律的制裁よりも大きい。社会的制裁の力はどうやって高めるのか。それには一般知識階級が自身を制裁し、新生活の基礎を強固にすることができてこそ希望を持ちうるのだ。

 汪精衛は国民党内の権力闘争で蔣介石に敗れ、政府当局が権力によって上から啓蒙/統制するよりも、国民自身が公共意識を持ち下から改革するよう訴えた彼の主張も、歴史の荒波にかき消されていった(詳細は拙著『身体を躾ける政治 中国国民党の新生活運動』岩波書店、2013年を参照)。

 公共意識の覚醒による下からの改良を、はたして現代中国人はどう考えているのだろうか――昨年末、そんなことを私は中国某所で考えさせられた。トイレで私の前にいた一団が「トイレ革命」について語っており、一人が「最近はトイレがずいぶん良くなったな」と言うと、もう一人が「いや、まだ日本には及ばない」と答え、別の一人が「永遠に日本には及ばない」と続けたのである。私とは面識のない一団だったから、日本人への外交辞令ではないはずだ。近年、中国人がハード面で日本を称賛することは少なく(なにかと中国の方が豪華なため)、ことによると彼等は中国人の衛生観念や公共意識の不十分さ、つまりは下からの自覚の必要性を言っていたのかもしれない。

 私の記憶する限り1970年代には、東京でも公共のトイレには汚いところが多く、それが改善され始めたのは1980年代後半の、いわゆるバブル期ではなかったろうか。先日、ある中国人が最初に日本を訪れた時のことを回顧して、「足を踏み入れるのがはばかられるほど、きれいなところが多かった」と語るのを聞いた。これはまさに前世紀末の、次第にきれいになっていった日本の都市のことではないだろうか。

 はたして習近平氏の提唱する「トイレ革命」は、幾度も繰り返されてきた「あれ」――大衆動員の一つとして終わるのか、はたまた「過剰適応」と「面従腹背」という通弊を克服して、真の「革命」となりうるのか。小さな問題ではあるが、中国の行方を示す一つの指標として、静かに見守っていきたい。