【12-09】どうなる中国若者の反日デモ?
柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員) 2012年 9月27日
中国で、またも若者の反日デモが繰り広げられている。その発端は、日本政府による尖閣諸島(中国名:釣魚島)の国有化に対する中国政府の反発である。中国政府は事前に日本政府に対して、島を国有化しないよう繰り返して求めていた。
とりわけ、9月9日、ウラジオストクで開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)では、胡錦濤国家主席自ら野田総理に対し、国有化は容認できない旨を伝えた。しかし、野田政権が尖閣諸島の国有化を閣議決定したのは、その2日後のことだった。胡錦濤主席のメンツは丸つぶれとなった。
一方、野田政権は、今回、尖閣諸島を国有化したが、これまでの個人による所有と何ら変わらない、としている。確かに、尖閣諸島の購入を言い出した東京都の石原知事は、船溜まりの建設などを国に対して要求していた。もしそうなれば、中国政府は猛烈に反発してくる、と予想され、日中関係は収拾がつかないほど悪化する、と懸念されていた。
国有化された島を現状維持する、という野田政権の考えには、中国政府が理解を示さない。確かに、尖閣諸島に物理的な変更を加えないのはその通りだが、中国が重視するのは、国有化に伴う所有権の変更である。
1.日中関係の時限爆弾
今年は日中国交正常化40周年にあたる。振り返って見れば、1972年から40年間の歩みは決して平坦な道のりではなかった。総じていえば、国交正常化初期の日中関係は、いわば蜜月のようなものだった。「小異を棚上げにし、大同を求める」姿勢が日中双方で見られたからこそ日中友好が実現した。
しかし、今から見れば、棚上げされた「小異」は、小さな相異ではなかったかもしれない。換言すれば、冷戦下で国交正常化を急ぐ日中両国は、難しい問題の解決を先送りし、その結果、いくつかの時限爆弾を抱えたまま、船出したのである。
具体的に言えば、時限爆弾の一つは、歴史認識の相異である。もう一つは、尖閣諸島の領有権に関する見解の相異である。この二つの問題に共通する点は、日中の戦後処理がきちんと行われてなかったための負の遺産である。
まず、歴史認識について見ると、国交正常化当時、日中両国の政府は、日本が戦争責任を認め、謝罪したことで、中国政府も戦争賠償の請求権を放棄することで合意した。問題は、あの戦争の最終責任者がいったい誰なのかについて、日本国内でもコンセンサスが得られていないことだ。東京裁判では、戦争責任がA級戦犯にあるとして、A級戦犯全員が裁かれた。しかし、戦争を起こしたすべての責任をA級戦犯に押し付けるのには無理があった。
一方、日本の戦後復興と現在の社会の安定を考えれば、A級戦犯に責任を押し付けたことはやむを得ない選択だった、といえるかもしれない。すなわち、東京裁判の戦争責任の処理は、便宜的に行われた側面があるのである。
日本では必ずしもコンセンサスを得られていないA級戦犯の戦争責任は、時間を経るにつれ、それに異議を唱える発言と行動が表に出てくるようになった。もちろん、東京裁判は戦勝国による裁きだったため、敗戦国の日本にとって、必ずしも公平なものではなかったかもしれない。しかし、日本の侵略戦争の責任そのものを否定することは認められない。換言すれば、戦争を引き起こした責任を明らかにする努力は評価されるが、こうした論争の中で、戦争責任を否定することは認められない。
これに関連して、いつもアジア諸国の視点から見て理解しがたいことの一つは、日本の総理大臣と政治家が、戦争で近隣諸国に迷惑をかけたと謝罪する一方で、A級戦犯を祭っている靖国神社を参拝する行為である。日本の文化は死者に責任を問わないこととされ、その亡霊を祭る靖国神社への参拝は問題ない、と一般に説明されている。しかし、近隣諸国への配慮が十分だとはいえないだろう。
2.国交正常化の原点への回帰
今回の尖閣危機の意義をあえて挙げるとすれば、国交正常化以降の歩みを再考する良い機会を提供してくれたことである。40年前の国交正常化当時の状況にいったん立ち返って、反省するのは悪いことではない。
40年前の中国は、権力闘争による国内政治の混乱で経済発展が遅れ、国際的には旧ソ連の脅威にさらされていた。中国にとっては、日米両国に歩み寄る必要があった。
一方、米ソ対立が激しくなる中で、米中の歩み寄りは、ある意味、自然な形で表われた。そうした環境の中で、日中の歩み寄りも進み、国交正常化に至った。中国は、経済的にキャッチアップするため、日本からの資金面、技術面の協力が必要だった。
一般論として、当時は日中双方とも、両国がこれほど激しく対立するようになるとは予想もしていなかっただろう。問題が深刻化する背景には、時限爆弾のような双方の国益の対立の存在と、それらの問題を解決する枠組みや知恵が見出されていないことがある。
そのうえ、2009年9月、民主党に政権交代してからは、日中間の対話のチャネルが非常に細くなってきた。かつて自民党の時代は、日中関係が危機的になると、長老議員らが独自のパイプを通じて、中国首脳と意思疎通を図り、問題を解決し、危機を回避してきた。
日中両国は、歴史認識や尖閣諸島周辺の領土、領海をめぐる対立を繰り返してきた結果、その副産物として、相互不信が増幅し、国民感情も日増しに悪化している。
これまでの40年を振り返る中、否定できない事実として挙げられるのは、戦争被害者である中国人の多くは、戦争の記憶を忘れていないことである。これは、中国政府が実施している愛国教育の結果というよりも、あの戦争の悲惨さが一番の原因であろう。日中国交正常化は、当時の国際情勢に対応する必要性から、戦争の負の遺産をきちんと処理しないまま、半ば拙速に進めたものだったと言わざるを得ないだろう。
3.日中関係修復の再スタート
どの国にとっても、領土・領海の問題は、簡単に妥協できるものではない。それゆえ、30余年前、当時の最高実力者、鄧小平氏は「我々の世代は知恵が足りない。この問題は話がまとまらない。次の世代は我々より賢く、きっと双方ともに受け入れられる方法を見つけられるだろう」と述べ、問題を先送りするとともに、国交正常化の障害を回避した。これは鄧小平氏の知恵だった。
問題は、尖閣問題に絡むこの時限爆弾が、はきわめて危険な状態にあり、いつ爆発してもおかしくないことだ。にもかかわらず、日中双方とも、「我が国固有の領土である」という原則論を繰り返すだけである。
野田総理は、毅然とした態度で中国と向き合う、と繰り返し表明している。中国の胡錦濤主席は退任間近であり、安易に妥協する姿勢を示せば、国内で弱腰と批判されてしまう。
尖閣問題の出口はどこにあるのだろうか。
難しい問題だが、目の前の危機は、回避できないものではない。中国は、今すぐ島を取り戻そうとしているわけではない。中国が反発しているのは、島の現状が変えられることである。それは、日本政府による尖閣諸島の国有化である。
こう考えれば、野田政権は、国有化した尖閣諸島をもう一度、非国有化することが一つの解決策かもしれない。すなわち、日本政府は尖閣諸島を外郭団体や非政府組織(NGO)などの団体に譲渡するのである。そうすれば、中国政府は、猛反対する理由がなくなる。
一方、日中両国は、政府と民間の交流・対話のチャネルを増やすべきである。今後も、種々のリスクが浮上してくる恐れがあり、そのリスクをコントロールするために、対話が途切れないようにすることが重要である。
2年前に漁船衝突事件で中国人船長が逮捕された事件や今回の対立の教訓を考えると、二国間の対立を解決するには、外交ルートだけでは不十分である。
日中両国の関係は、うまく協力し合えるなら「ウィンウィン(Win-Win)」となるが、非協力になれば、「ルーズルーズ(Lose-Lose)」の関係になる。中国政府は日本に対して不快感を示すために、経済制裁を加える構えのようだが、これは中国自身も傷ついてしまう愚策である。いかなる制裁も問題をエスカレートさせるのみであり、唯一建設的な方法は、対話を通じた解決のみである。
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(編集:中国総合研究センター 鈴木 暁彦)