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【07-003】中国の内陸の中心、河南省の省都、鄭州の国家鄭州経済技術開発区について

2007年5月21日

永野 博(中国総合研究センター 上席フェロー)

 このたび、河南省鄭州市で行われた中日経済文化交流報告会に参加し、「日中科学技術交流の促進のために」と題する講演を行ったが、その機会に鄭州経済技術開発区に関する報告が先方から行われた。(2007年4月15日開催)

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 黄河の流れる河南省は中華民族と中国古代文明の重要な発祥地の一つである。中国で始めての世襲王朝である夏がここに都を定めて以来、清の末期までの4000年の歴史の中で、河南省は全国の政治、経済、文化の中心として、3000年以上もその中心地であった。中国古代の四大発明のうち、羅針盤、製紙、火薬の三つは河南省で発明された。中国八大古都の中で河南省には殷商の古都安陽、九朝の古都洛陽、七朝の古都開封、商都鄭州の四つが位置する。

 河南省は、人口が約1億人で全国1位、経済規模は1兆元を越え5位、中西部では1位となっている。中国国務院は、沿海開放、西部開発、東北振興に次ぎ、2006年5月、中部勃興促進政策を発表した(国弁函[2006]38号)。これに基づき、中国商務部は「萬商西進」を提唱し、3年以内に海外企業と東部企業、併せて1万社の中部投資を推進するとしている。 

 鄭州の産業としては農産物加工と自動車に代表される近代工業をあげることができる。国内最大のシェアを占める企業の例として、例えば「鄭州日産」は年間6万台の高級SUV(スポーツ汎用車)を生産し、同分野での中国でのシェアは40%。完成車はダカールラリーを走破している。2010年には湖北、広州に次ぎ、日産の中国における第三の生産拠点となる。大型国産バスメーカー「宇通客車」は2006年、アジア最大の2万5千台を生産し、3年連続で国内トップとなり、そのシェアは35%と、2位に10%の差をつけている。その他、ソーセージ、ハムメーカーの「双匯」は50%、化学調味料の蓮花は44%、酸化アルミの「長城企業」は30%以上のシェアを確保している。鄭州経済技術開発区は鄭州市の東南部に位置し総面積は12.49平方㎞である。1993年4月に設立され、2002年には河南省における唯一の国家級経済技術開発区とされた。鄭州は今でもアジア最大の操車場を有しているが、2010年には、現在、東西南北に建設されている高速鉄道線が国内で唯一交差する交通の要衝となる。鄭州を囲む人口も相当なもので、鄭州から半径1,000kmの地域には7.9億人の人口があるとされている。

 中国商務部は、日本企業の誘致策として、既に中国に進出した大手日本企業の関連企業の中国進出を見込み、2006年に国家級経済技術開発区の中に「日本中小企業工業団地」を創設することを決め、建設先を大連、天津、鄭州とした。鄭州では約1平方kmをこれにあて、勧誘活動を行っている。その結果、現在では10社が進出予定とされている。進出を希望している日本の企業としては、機械製造、電力設備産業が主力となるようであるが、発光ダイオードをはじめとする光産業のほか、省エネ産業、循環型産業、日本の中小企業のアウトソーシング先となるサービス産業の進出も期待している。

 鄭州では人件費は東南部より30~50%安価であり、大学新卒者の給料は平均1000元、ベテラン技術者の給料は2-3000元である。住宅費も50%以上安い。鄭州市は日本企業に対する支援策として、日本企業の設備投資に年間2千万元の資金を市財政より補助するとともに、沿海地区への輸送補助金として運送費用1$当たり0.1元の補助金を用意している。その他、企業の手続きはすべて日本語のできる担当者によって代行する、開発区向けの税関業務担当を設け、企業の輸出入通関、免税などの手続きを区内ですませる、区域内の状況が同じ場合、日本中小企業向けのサービスを優先する、知的財産権については、省、市、開発区が共同して知的財産権保護体系を設立し全面的に企業の知的財産権を保護する、企業が土地使用権を獲得した場合に強制収用などの問題が起こらないことを保証する、などをはじめとした支援策を公表している。

 鄭州市における大学は中西部では5番目の規模であり、河南大学など38大学、学生数は41万人を数える。産学研連携はこれからといってもよく、現在みられるのは、軽金属研究院がアルミ産業と連携している例などがあげられる程度である。今後の課題といってもよいであろう。

 以上、河南省の省都、鄭州と鄭州経済技術開発区の状況を紹介したが、発展途上の中部地域とはいえ、広い経済技術開発区の都市としての全体設計を日本の黒川紀章氏に頼み、建屋の工事が遥か先まで見えないところでも幅広い道をどんどん作り、土地の造成を完成させていく様子には今の日本にはないエネルギーを感じさせるものがある。「中原を制するものは天下を制する」との言い伝えをもう一度、咀嚼してみる必要がありそうである。