中国におけるタウ蛋白質に関する研究の一部進展
2010年 8月18日
赫栄喬(He Rongqiao):
中国科学院・生物物理研究所副所長兼研究員
1955年1月生。1989年に中国科学院生物物理研究所を卒業、生物物理専攻、理学博士。中国生物化学・分子生物学会副理事長、北京市生物化学・分子生物学学会副理事長、『微生物学通報』編集長、『生物化学・生物物理の進展』副編集長、Biochim Biophys. Acta (General Subjects) editorial board memberなど兼任。主な研究テーマ:「タウ蛋白の構造、機能、アルツハイマー型アルツハイマー型老年認知症との関係」、「蛋白質のミスフォールディングと神経変性疾患」。
一、概要
アルツハイマー型認知症(Alzheimer's disease, AD)は、中国において最も一般的な神経変性疾患となっている。統計資料によると、西洋諸国においてADは、心臓病、腫瘍、脳卒中に次いで4番目の死に至る病気である。中国における65歳以上の総有病率は、5.27% - 7.30%に達する。ADは主に人の認知機能に影響を及ぼす慢性または進行性の悪性疾患であり、たいていの場合は5-8年で生活に大きな支障が生じ、重症度が増すと最終的には寝たきりとなる。このため政府や患者の家族は、高額の医療費を負担しなければならない。AD患者の1年間の平均医療費を1万元とすると、2050年までに中国はAD患者のために毎年2000億元を支出しなければならなくなる。また病状を考えると、患者家族は精神力や時間の面でも大きな犠牲を強いられる。以上のことから神経変性疾患が、中国人の健康や生活の質に影響を及ぼすだけでなく、経済の持続的な発展を妨げる重大な社会問題となっていることは明らかである。神経変性疾患に関する問題の解決は、一刻の猶予もならない課題である。
中国は発展途上国であり、老人病は重大な社会問題となっている。世界一の人口を擁する中国は、すでに高齢化社会に突入している。老年人口や罹患率に基づく推定によると、目下中国には1000万人を超えるアルツハイマー型認知症患者が存在する。世界一のアルツハイマー型認知症大国だと言うことができる。高齢者が罹患しやすい重大疾患に対する医療水準を引き上げ、「痴呆や障害にならない老人」を増やさなければならない。そうすれば高齢者とその家族の生活の質を落とさず、介護保障システムの構築を進めることができるだけでなく、国力を持続的に発展させる面でも重要な助けとなる。
最近十数年にわたり中国では、アルツハイマー型老年認知症に関する臨床研究や基礎研究が重視されるようになった。中国人の遺伝的要素、環境要素、流行病学、代謝経路、診断方法、薬物治療などの分野で研究が進められている。分子、細胞、動物実験などの分野において、Tau、amyloid-beta、ApoE、presenilin、secretaseなど、およびその他の関連する蛋白質や遺伝子に対する研究が行われている。中国の科学者は、さまざまな分野から多角的にアルツハイマー型老年認知症に関する研究を展開しているが、研究課題は非常に多岐に及ぶ複雑なものである。筆者はタウ蛋白の修飾異常および分子メカニズムと神経変性疾患の関係を専攻しているため、本論文では中国におけるタウ蛋白に関する研究の状況を大まかに紹介する。
二、タウ蛋白の基本機能と構造
タウ蛋白には微小管の重合を誘導し、細胞における微小管のネットワーク構造を安定させるという重要な機能がある。遺伝学的に高度な保守性を持つ神経細胞のタウ蛋白は、主に神経組織内に存在しており、非神経細胞には微量しか存在しない。シングルコピー遺伝子(~100 kb)であるタウは、17番染色体長腕17q21にあり,16のエクソン(exon、E)からなる。RNAのスプライシングによって6種類のアイソフォーム(isoform)が作り出される。タウ蛋白分子の領域を大きく分類すると、N領域(N-region)、プロリンリッチ領域(proline-rich domain、PRD)、微小管結合領域(microtubule-binding domain、MTBD)、C領域(C-region)の四つになる。このうちPRDとMTBDは、タウの機能領域である。ドイツの研究者であるSchweerらが証明したところによると、タウ蛋白は溶液中において天然の「変性」構造であり、みみず鎖モデル(worm-like conformation)となっている。
研究によると、神経細胞におけるタウの修飾異常やミスフォールディングは、ADなどの神経変性疾患と密接に関係している。異常にリン酸化したタウ蛋白によって形成される対らせん状細線維(paired helical filaments、PHFs)は、神経原線維変化(neurofibrillary tangles、NFTs)の主要成分である。この現象はADなどの神経変性疾患における病理学的な特徴の変化である。タウはADなどの神経変性疾患の発生や進行に重要な作用を及ぼすため、同蛋白は微小管結合蛋白ファミリー(microtubule-associated protein family)の中でも最も注目されている。欧米や日本などはタウ蛋白に対する高度な研究を数多く行っており、著しい成果を上げている。中国の科学研究者によるタウ蛋白に関する研究も幾らかの進展が見られる。
三、タウ蛋白と生体高分子の相互作用
世界的にはタウ蛋白とチューブリン(tubulin)の相互作用について数多くの研究が行われているが、中国科学院・生物物理所の赫栄喬が指導するチームは、タウ蛋白とDNA、RNA、アクチンといった生体高分子の相互作用を研究している。これまでにタウ蛋白がアクチンの束化(bundles)を誘導かつ促進することが明らかになっている。すなわちタウ蛋白には、G-アクチンを誘導し繊維化する働きがあるほか、F-アクチンを集めアクチンの繊維構造を促進する。タウ蛋白のPRDやMTBDは、アクチンとの相互作用に関わっているが、タウが神経細胞内においてアクチンの働きを調節する働きがあるかについては、引き続き裏付けを模索する必要がある。以上のことから、タウ蛋白が1種の多機能分子であることは明らかである。
筆者の観察によると、タウはDNAと結合し「真珠のネックレスのような」構造となり、DNAのTm値を上げDNAの再生プロセスを加速する。つまりタウには、DNAの二重らせん構造を安定させる働きがある。実験結果によると、タウ蛋白のPRDやMTBDは、DNAの二重らせん構造における副溝(minor groove)と結合し、DNAの二重らせん構造を湾曲(bend)させる。タウ蛋白の修飾や分子凝集に異常が発生すると、DNAとの結合力が失われる。細胞核のタウ蛋白は、DNAの折り畳みや核小体の形成と関係しているものと思われる。チリの科学者であるSjöbergらの研究によると、タウ蛋白は染色体における動原体に近いDNAと結合し、AD患者の脳内において核構造を調節するタウ蛋白の働きに異常が発生する。
また体外実験においてタウ蛋白は、DNAの複製を抑制するが、T7ポリメラーゼが触媒するRNAの転写は抑制しない。タウ蛋白とRNAには、高い結合親和性が認められる。研究から明らかになったところによると、タウがDNA、RNA、アクチンとの間で反応を起こす場合、タウのPRDやMTBDは必ず分子間の相互作用に関わっている。
四、タウ蛋白の化学修飾と神経変性疾患
国内外におけるタウ蛋白に関する研究は、一様にタウ蛋白の修飾異常、ミスフォールディング、分子メカニズムと神経細胞の変性における関係に集中している。これらは最近10年近くにわたる国内外のタウ蛋白研究の中心であったと言える。これらの研究を基礎として、科学者たちはタウ蛋白やそれによって形成されるPHFsと神経変性疾患の関係を明らかにしようとしている。特に広く報道されているのは、タウ蛋白の異常なリン酸化、PHFsの形成、それによって引き起こされる神経細胞の死滅である。
神経細胞におけるタウ蛋白の機能は、リン酸化や脱リン酸化によって調節される。タウ蛋白のリン酸化度は、プロテインキナーゼ活性とホスファターゼ活性のバランスの結果である。タウ-441には、79個の潜在的なSer/Thrリン酸化ドメインが存在する。このうち30個のリン酸化ドメインは、正常なタウ蛋白中に認められる。リン酸化修飾によってタウとチューブリンの結合力が低下する。例えば分裂促進因子活性化タンパク質キナーゼ(Mitogen-activated protein kinase, MAPK)によってリン酸化したタウは、微小管結合力が正常時の十分の一しかない。反復領域に位置するSer262のリン酸化によって、タウとチューブリンの結合力は完全に失われる。プロリンリッチ領域のリン酸化は、チューブリンを重合させる機能を低下させる。以上のことからタウの異常なリン酸化は、微小管系の形成を抑制し、細胞骨格系を破壊に至らせる。
1、タウ蛋白の異常なリン酸化
異常なリン酸化がタウの分子凝集を誘導しPHFsを形成するが、脱リン酸化によってPHFsの構造が分解し、小さなPHFsの断片や遊離したタウ蛋白を形成する。異常なリン酸化によってタウ分子の可溶性が低下することは、繊維状沈殿の前触れである。異常なリン酸化がタウ蛋白を細胞膜から遊離させることは、タウと細胞膜の相互作用もリン酸化度によって調節されることを示している。
華中科技大学・同済医学院の王建枝らによる一連の研究は、中国本土におけるタウ蛋白の異常なリン酸化に関する研究の進展を代表している。タウ蛋白の過度なリン酸化に対して、基質競合などの方法で生存因子β-カテニンを救い出すことにより、神経細胞の死滅を回避し生存させることができる。しかし過度にリン酸化したタウ蛋白は、微小管に結合する力が弱く、プロテアソーム活性が抑制され神経細胞内に蓄積する。このため神経細胞の軸索輸送障害、アセチルコリンレベルの低下、突起伸長阻害などが引き起こされ、神経細胞の病的変性に至る。以上のことから王建枝らは、タウ蛋白の過度なリン酸化により神経細胞が死滅を回避する結果として病的変性が生じるのではないかと推測している。また病的変性が自主的かつ秩序的な分子調節であるとの仮説および「病的変性による死滅degenerasis」の概念を初めて提出した。
グリコーゲン合成酵素キナーゼ3β(glycogen synthase kinase-3β、 GSK-3β)は、重要なタウプロテインキナーゼの一つであり、タウ蛋白の複数の領域におけるリン酸化を触媒するが、領域によって触媒効率は異なる。江蘇省南通医学院の劉飛らは、タウ蛋白の異なる領域に対するGSK-3βのリン酸化作用の領域特異性を研究している。研究結果によると、GSK-3βはタウ蛋白の複数の領域におけるリン酸化を触媒するが、Ser396に対する結合親和性が最も強いため、Ser396領域におけるリン酸化度が最も高くなる。王建枝らは、グリコーゲン合成酵素キナーゼ3(GSK-3)の活性がラットの脳におけるタウ蛋白の過度なリン酸化を誘導すると共に、Ab生成量の増加、アセチルコリンレベルの低下、動物行動学上の障害を引き起こすことを発見した。このうち動物行動学上の障害は、脳におけるタウ蛋白の過度なリン酸化やアセチルコリンレベル低下の程度と明らかに関連している。
2、低濃度ホルムアルデヒドによるタウ蛋白のミスフォールディングの誘導
アルツハイマー型老年認知症患者群の約96%が、孤発性アルツハイマー病(sporadic AD)であり、家族性アルツハイマー病は約3%に過ぎない。このことからも体内外の環境要素が及ぼす影響を無視できないことが分かる。赫栄喬チームは、体内環境要素を主な研究対象としており、「孤発性アルツハイマー病の発病過程における内生ホルムアルデヒドの慢性的損傷に関する学説」を提出した。同学説の概要は以下の通りである。正常な生理的条件下において、内生ホルムアルデヒドの生成や分解は絶えず行われており、体内におけるホルムアルデヒドの代謝は動的平衡状態にある(尿中ホルムアルデヒド含有量は0.01-0.09 mMを維持)。加齢や一部の危険因子の影響により、内生ホルムアルデヒドの中でも、特に中枢神経系における特定の脳領域に存在するホルムアルデヒド含有量が異常に上昇する。このため灰白質や白質の一部が、長期的かつ慢性的に損傷する。これが恐らくアルツハイマー型老年認知症を含む神経変性疾患の発病や進行に関係するメカニズムの一つである。「ホルムアルデヒドによる慢性的な損傷」という仮説に基づき、筆者は0-97歳の血液サンプル425人分の血中ホルムアルデヒド含有量を測定した。測定結果によると、血中ホルムアルデヒド濃度は年齢に伴い増加しており、特に70歳以上の高齢者におけるホルムアルデヒド濃度が高かった。二重盲検法を採用し、141名のアルツハイマー型老年認知症患者と50名の健常者の尿中ホルムアルデヒドを測定したところ、アルツハイマー型老年認知症患者の尿中ホルムアルデヒド含有量は健常者に対して約3倍であり、統計学的にも著明な差が認められた(P<0.001)。これらの臨床試験が示す通り、尿中ホルムアルデヒド含有量の測定は、臨床検査を補助し早期診断を助ける化学的手法となる可能性がある。また同仮説に基づき、内生ホルムアルデヒドを抑制する薬効を持つアルツハイマー型老年認知症治療薬を開発するための研究を行うことができる。
3、リボースによる蛋白質の急速な糖化と毒性生成物の形成
世界的に認められている点として、AD患者の老人斑や神経原線維変化には、明らかに蛋白糖化産物が存在する。従来これは、ブドウ糖による非酵素的糖化の結果だと考えられてきた。しかし現在のところ、糖化蛋白がブドウ糖との糖化によって生じることを確証した科学者は存在しない。このためリボースと蛋白質が非酵素的糖化反応を起こし、蛋白糖化産物を形成するという可能性も否定できない。
タウ蛋白の非酵素的糖化に関し赫栄喬チームが、ブドウ糖、果糖、リボースなどと蛋白質による非酵素的糖化を比較したところ、リボース(D-ribose)がタウ蛋白を速やかに糖化させ、神経細胞毒性の強いナノ凝集体を形成することが明らかになった。同一条件下においてブドウ糖に同様の作用は認められなかった。リボースは蛋白質のミスフォールディングや分子の自己会合を引き起こすだけでなく、その産物は細胞毒性が強く、動物の認知機能に著しい損害を与える。リボースによる糖化産物の細胞毒性研究が最終的に体内において証明されれば、同研究の成果はアルツハイマー型老年認知症の発症メカニズムを明らかにする重要な参考資料となる。また滋養強壮剤としてのリボースの使用や糖尿病研究といった分野にも影響を及ぼすことになる。
五、タウ蛋白に関する臨床応用研究
華中科技大学・同済医学院の李瑋らは、軽度認知機能障害(MCI)患者の脳脊髄液におけるタウ蛋白やアミロイドβ蛋白(β amyloid protein、Aβ)の含有量やその臨床的意義について研究している。李瑋らはDAS-ELISA法によって、MCI患者32名と健常者15名の脳脊髄液におけるタウ蛋白やAβ1-42のレベルを測定した。測定結果によると、MCI患者群の脳脊髄液におけるタウ蛋白濃度は健常者群よりも高く、Aβ濃度は健常者群よりも低かった。いずれも著明な差が認められた。脳脊髄液におけるタウ蛋白やAβの濃度を測定することは、MCIの診断や治療の根拠となると言える。タウの血清中濃度については、明確な結論に至っていない。中国の医療衛生機関は、アルツハイマー型老年認知症の臨床治療や介護の面で多くの実績がある。しかし本論文の紙数に限りがあるため、臨床予防・治療については詳述を控える。
六、展望
タウが1種の多機能蛋白質であることは、国内外を問わずますます多くの研究者によって受け入れられている。神経細胞におけるタウ蛋白の研究において、多機能性に関する研究が、新たな研究テーマとして注目されている。しかしタウの構造や機能の変化と神経変性疾患における分子機構の関係については、不明な点が数多く残されている。例えばタウのミスフォールディングにおける分子機構、異常なリン酸化とミスフォールディングの関係、PHFsの形成、神経細胞の変性や死滅が起こる過程などがある。これらの問題を解明することが、神経変性疾患の発症メカニズムを理解する鍵である。
中国ではAbの研究に従事する科学技術者が、神経細胞におけるタウ蛋白の研究に従事する科学技術者よりも圧倒的に多い。Ab学説には、研究に値する問題が多く残されているほか、特定の分野で反論に直面している。しかし臨床研究や基礎研究に関わらず、中国においてAbの研究は極普通のこととなっている。一方、神経原線維変化(タウ蛋白の異常なリン酸化により形成されるPHFsが主成分)は、アルツハイマー型老年認知症の臨床所見における重症度と明らかに関係しており、中国においてもタウ蛋白の研究が重視される傾向にある。
アルツハイマー型老年認知症の発症メカニズムを研究する大学や研究機関は他にも数多く存在する。例えば中国科学技術大学、中国科学院・上海神経科学所、清華大学、北京大学、復旦大学、南開大学、南京大学、厦門大学、首都医科大学などである。中国は「千人計画」、「百人計画」、「長江学者」などによって継続的に人材を集めており、毎年多くの新人が神経変性疾患の研究に加わっている。中国は近い将来、神経変性疾患の研究において大きな成果を上げるようになるだろう。