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【10-09】日本人と中国人の考え方の違い

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2010年 9月24日

 日本人は中国のことが好きな者と嫌い者にはっきりと分かれている。中国が好きな日本人は往々にして中国の歴史と文化が好きだからであろう。それに対して、中国が嫌いな日本人は中国の歴史が好きだが、今の中国が好きにならないからといわれている。一つは中国の政治体制は心情的にどうしても受け入れられない。もう一つは日中の国民性の違いから中国のことが好きになれない。

 ただ、大部分の日本人は日常生活のなかでとくに中国のことを意識せず、好きでもなく嫌いでもない。強いて言えば、文化的に共通点があるから多少の親近感を感じる程度といえるかもしれない。こうした中間層は現在中国が好きになるかどうかによって中国に対する国民感情に大きな影響を与える。

1.歴史と現実のかい離

 振り返れば、過去100年間の日中関係史のなかで前半は不幸の歴史の連続だった。日清戦争以降の度重なる戦争を背景に、両国の信頼が完全に崩れてしまい、ちょっとしたことでもすぐさま感情的になりがちになっている。現在となって残念に思われることは、こうした戦争の歴史をきちんと整理しないまま、30年前の国交回復にともない、表面上の日中友好によって問題の多くが解決されないまま、棚上げされてしまった。

 しかし、戦争が終わっても、戦争が忘れられることはない。とくに、加害者の日本は戦争についてすでに清算されたと思われているようだが、被害者側の中国は民間レベルでは過去を忘れていない。この点について中国に限らず、韓国などの被害国も同じスタンスのようだ。

 現在、上海で万博が開かれているが、日本館は他のパビリオンと違って出し物を鑑賞する際、写真撮影が禁止されている。この点について、ある若い女性はインターネットのブログで、「なぜ日本館だけ写真撮影ができないのか。かつて我が国を侵略した国なのに許せない」と書かれ、多くのウェブサイドで一時トップ記事となった。

 少々常識のある者ならわかるはずだが、パビリオンで撮影を禁止するのは出し物を鑑賞する際、本来の効果を担保するためである。これはオペラなどをみるとき、写真撮影を禁止するのとまったく同じである。かつての戦争の責任と全く関係ない。

 無論、こうした感情論や歴史観の対立は単なる過去を振り返った場合の認識の違いだけでなく、目下の国益の対立もそれを助長する面がある。陸続きの国ならば、国境問題は比較的その線引きがはっきりしている。海の場合は歴史の変遷から往々にしてその線引きがはっきりせず、対立しがちである。

 すなわち、海や島の領有権がいつの時代に遡ればいいかについて明確な基準はない。大昔に遡るなら、小さな島のほとんどはどこの国もそれに対する領有権を出張していなかったはずだ。近代になってから、科学技術の発達により、各国の支配の領域が拡大し、戦争などによって海や島が支配されるようになった。少なくとも、実質的に支配されるようになった。そこで支配するほうと支配できず領有権を主張する側との対立が生ずるである。この点について日中のみならず、日韓、日露のいずれも似たような問題を抱えている。今回の中国籍漁船拿捕を巡る日中双方の対立の背景にこういう問題がある。

 したがって、日中友好を醸成しようとする動きと歴史問題を振り返った場合とのかい離は両国関係の安定を妨げていると思われる。

2.考え方の違い

 日本では、中国のことについて同じ漢字文化圏ということで同文同種といってその違いを無意識的に否定する傾向がある。確かに、旅行に行くと、まったくわからないハングルや横文字よりも、多少意味が分かるような漢字の国のほうが安心できる。

 しかし、ここで指摘しておきたいのは日中間の相違が漢字の国という同文同種の共通点を遥かに凌駕する点だ。何よりも、両国民の思考経路と表現の仕方の違いが大きい。その違いは、中国外交部のスポークスマンの記者会見と日本の官房長官の記者会見を比較すれば、一目瞭然である。

 中国外交部のスポークスマンは記者会見するとき、ほとんどの場合、まず結論を表明しておく。たとえば、ダライラマは国の分裂を図る者だ、というような感じ。何をもってダライラマが分裂者かについて証拠を示す前に、結論を表明する。記者会見なのでほとんどの場合は証拠など示されない。筆者の小さいころの文化大革命のときも同じだった。あのとき、知識人の多くは反革命分子といわれ、打倒されてしまった。紅衛兵は知識分子を捕まえ、批判大会を開く。そのとき、紅衛兵のリーダーは決まって「彼は反革命分子だ」と宣言する。何をもって彼が反革命分子と判断したのか、その証拠はほとんど示されることなかった。それゆえ、冤罪がほとんどだった。

 一方、日本人の思考経路は中国人とまったく逆である。すなわち、最初に結論を出すのではなく、諸条件を整理し帰納するやり方である。この点は日本人のモノづくりとよく似ている。モノづくりは種々の部品を組み合わせて製品を作る。したがって、官房長官の記者会見をみると、多くの場合は論点整理から始まり、結論に至らない場合も少なくない。

 問題は日本人同士なら帰納法で十分に話がまとまるが、グローバルの交渉事について帰納法では話がまとまらないことが多く、むしろ、最初に結論を表明しておいたほうがコンセンサスが得られやすい。

3.成果得られない日中ハイレベル対話

 夏休みを利用して、鳩山前総理は中国を訪問し、北京では、温家宝首相とも会談した。テレビなどの映像を見る限り、本人は存在感を誇示したからか、満面の笑みでいつも以上に同行記者団の質問に答え、ぞんぶんにリップサービスしたようだ。ただ、前総理が中国の厚遇を受けたが、何か実質的な成果の話は何も伝わってこない。

 その一週間後、岡田前外務大臣はこれまでのなかで最大規模といわれる120人を率いて北京を訪問し、日中ハイレベル対話を行った。日中間でさまざまな問題が山積しているが、ハイレベル対話に関する報道をみるかぎり、もっぱらレアアース(稀土)の輸出制限の解禁ないし緩和を中国側に求めたが、中国側はそれに応じなかったといわれている。

 21世紀は資源を巡る競争の世紀である。そこで、資源を持つ国がその国内利用を優先にするのは当然のことである。日本は中国にレアアースを裾分けしてもらおうとすれば、ハイレベル対話という正式な場で議論をする正攻法ではなく、温家宝首相と岡田外務大臣の二者会談を設け、それこそ「密談」して約束を取り付けるしかないのではないだろうか。

 なぜならば、公開の場で仮に温家宝首相は日本に対する輸出を解禁ないし緩和することを約束したら、欧米諸国の首脳も北京に殺到すると推察されるからだ。日本への輸出量を多少増やすとしても、あくまでも「特別待遇」でしかない。また、中国側にレアアースの輸出増を求めるならば、日本側がギブできる条件も提示する必要がある。一方的に、テイクしようと思っても何も得られない。

 その後、日中経済協会の代表団は北京で商務副大臣と会談した際、またもや同じような演出をした。レアアースの輸出増を求め、拒否された。最初から答えが分かっているはずである。

 レアアース以外に、議論する緊急な話題がないのだろうか。否、金融危機が収束しないなかで、日中が今後の経済協力について話し合わなければならない事項はいくらでもあるはずだ。たとえば、鳩山前総理が提唱した東アジア共同体の中身を説明し、日中のFTAの締結に向けた議論はその一つである。また、日中間で領土や資源共同開発について議論が平行線のままになっている懸案が多く、それを巡り首脳間のホットラインの設置が必要である。これらの問題について実質的な議論はほとんどなされていない。

 尖閣諸島(中国語名:釣魚島)の海域に入ってきた中国籍漁船の船長が拿捕されたことについて、日中両政府はそれぞれの立場に立って主張を繰り返しているが、ここで重要なのは感情的にならないことである。