【14-07】中国人にとっての食文化と食品不安の問題
2014年 8月14日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
最近、香港に出張してふっと思い出したのは、香港の美食文化だった。香港は中国大陸とは政治的に一国二制度だが、食文化については華南地域の広東料理圏に属するものである。有名な自慢話といえば、「広東人は空を飛ぶものなら飛行機以外何でも食べる、四つ足のものなら机と椅子以外何でも食べる、水の中を泳ぐモノなら潜水艦以外何でも食べる」という言い方がある(最後の潜水艦の話は筆者が付け加えたもの)。やや誇張した言い方だが、決して間違っていない。
考えてみれば、2002年中国で大規模発生した「重症急性呼吸器症候群」(SARS)は広東省のあるレストランでハクビシンを調理する過程で調理師が新型コロナウィルスに感染したのがきっかけだった。以前、広東省に出張で行ったとき、ついでに自由市場に連れていかれたことがあり、生きているニワトリや鳩などの家禽類はもとより、ゲンゴロウなど生きている虫や蛇と「穿山甲(センザンコウ)」も食材として売られていた。極論すれば、生きているモノなら人間以外何でも売っている。
外国人からみれば、野蛮と評されるかもしれないが、これは食文化であり、基本的に尊重されるべきと思われる。日本のある地域でイルカを食用として捕獲するのを見て西洋人が批判するのも基本的に理不尽である。以前、イギリスのある紳士と会食したとき、突然、「わたしはフランス人が嫌い」といわれた。「なぜですか」と聞いたら、「彼らは馬を食べるから」と答えてくれた。正直な気持ちはわかるが、相手の文化を尊重すべきと思われる。
1.中国人にとっての食
中国の五千年の歴史のなかでもっとも誇るべき文化といえば、食文化であると思われる。「魯菜」(山東料理)、「川菜」(四川料理)、「粤菜」(広東料理)と「淮揚菜」(揚州料理)という四大料理があるほか、それぞれの地方に独特な料理がある。イギリス人は世界を旅してお金を使いきったら、英会話スクールに駆け込んで英語を教えてお金を稼ぐことができる。それに対して、中国人は世界を旅してお金を使いきった場合、中華フライパンを買ってきて腕を振るって料理を作れば、お金を稼ぐことができる。世界中、どこに行っても中華料理のレストランがみかけられるが、換言すれば、中国人にとっての食はイギリス人にとっての英語と同じように重要なのである。
しかし、中国人はイギリス人が英語を大切にしているのと同じように、食を大切にしているのだろうか。迷わずにイエスと答えたいところだが、現実はそうでない現象が多すぎる。別の事例をあげれば、イギリスの産業革命は鉄道建設から始まったものだった。その関係でイギリスには300か所以上の鉄道博物館があるといわれている。その博物館には鉄道の歴史やさまざまな鉄道車両が展示されている。それに対して、中国には食文化博物館があってしかるべきことだが、現実的にそれらしい施設が見当たらない。北方の瀋陽には飲食文化博物館という名の施設があるが、中身は博物館ではなく、レストランである。
狭義の食文化には材料、味、レシピ、作り方などが含まれるが、広義の食文化には、食べるときのマナーや席順、季節の言葉、もてなし、材料にちなんだ植物や動物の知識の話などが含まれる。社会主義中国が建国されてから平等主義の大義名分のもとで食品を食べるだけとなり、食を楽しむ文化はブルジョア的なものとして批判され、食の仕来りやマナー、楽しみ方などがすべて壊されてしまった。その結果、食は腹をいっぱいにするだけの手段になり下がった。中華料理の脈は続いているが、中国の食文化は完全に廃れてしまった。
ここで食事をするときに、人々がどのような会話をするかについて国際比較すると、たいへん興味深い結果がわかる。日本人はおいしい料理を目にして口にすると、たいへん感動するそぶりをみせて「すごい、幸せ」などと連発する。西洋人はどんなに豪華な料理を出されても、「I am so happy」といわない。それよりも、料理以外のこと、たとえば、スポーツや文学作品について熱心に話し合う。それに対して、もしある中国人はおいしい料理を食べて、「我真幸福」(わたしはほんとうに幸せ)と言ったら、それはおそらく彼が牢屋に入れられた受刑者で刑期満了で釈放され久しぶりにおいしい料理を口にしたからだろう。一般的に、中国人は親戚や友人らとレストランで食事するとき、料理を食べながらその欠点を見つけて指摘するのが好きなようだ。なぜならば、中国人の多くは自らが料理を作ることができるからである。
2.食の不安問題
本来ならば、世界のどの民族よりも食を大切にする中国人が食をお粗末にしている。中国には食の神様がいてもおかしくないが、食品の賞味期限を偽装したり、材料をごまかしたりする事件は後を絶たない。いかなる民族もこれだけは譲れないというデッドラインがあるはずである。たとえば、清潔好きな日本人は自分の家の玄関や車を常にピカピカにしておかないと気が済まない。イギリス人の話す英語は文法通りでなければならない。中国人が守らなければならないデッドラインは完全に崩壊してしまったのかもしれない。
レストランは食べ物を売るところだが、同時に食文化を提供するところであるはずである。今の中国では、道徳心が大きく後退し、自分が食べるものは別として、人に売る食べ物についてどんなに不道徳なごまかしを行ってもレストランの者には罪悪感がない。共産党幹部は食の不安を十分に承知している。それゆえ、共産党高級幹部について国務院(内閣)の傘下には安全な食品を特別に供給するシステムがある。彼らは普通のスーパーで食材を買わない。
多くの研究者は食の安全を担保するためには、監督・監視を強化し、関連の法律を整備すべきと提言する。ガバナンスの強化はごもっともの意見であるが、それだけでは不十分である。
昔、皇帝は暗殺を恐れて、毎日、食事をする前に、必ず召使の者に試食させる。そして、中国の揚子江河口の地域では、フグを食べる習慣がある。ただし、中国にはフグを調理する調理師免許制度がなかった。猛毒をもつフグをきれいに調理しないと、食べたら中毒死するおそれがある。そこで、フグを出す店では、客がフグを食べる前に、まずそのシェフが自ら作ったフグ料理を試食しなければならないというルールになっている。これこそ究極の食の安全を担保するやり方といえる。
個人的に日本料理のなかでもっともすばらしいと思うのは、居酒屋やすし屋にカウンター席があることである。すなわち、料理屋のシェフは客の前で調理する、という透明性が確保されることである。中華料理は、どのように作られるかをまったく客に見せない。その都度、いちいちシェフに試食させるのは非現実的である。行政の監督官がしょっちゅう検査に訪れるのも難しい。おそらく食の安全性を担保する第一歩は、共産党高級幹部に安全な食材を特別に供給するシステムを廃止することである。