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【20-01】 二つの「国恥」:5月8日と5月9日

2020年 5月21日

川島真

川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 教授

略歴

1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授
2015年 同教授(現職)

 「国恥」という概念は近代中国で広がった概念で、中国が帝国主義列強に侵略されたことを国民の記憶として刻む意義を有していた。民国期には教科書や宣伝文書で中国国内や華僑社会に広がり、中華人民共和国期にも引き継がれ、国恥記念日には過去が参照され、また何か新たな事件があると、新たな国恥記念日などとして位置付けられるようになった。制度的に定められた国家公祭日もまた、この国恥記念日と重なりを持つ。

 中国では現在公的に「国恥記念日」は定められていない。南京虐殺記念日などは国家公祭日とされ、記念行事が実施される。だが、「国恥」の概念は広く社会で用いられ、またその用いられ方は状況によって変動する。その対象となっている国との関係が悪ければ強調され、良くなるとあまり議論にならなくなる。いわば、中国のその国への認識を示すリトマス試験紙のような役割を果たす。無論、9月18日の満洲事変記念日や7月7日の盧溝橋事件記念日などは毎年何かしらの行事が行われるが、それでも行事や宣伝に濃淡はある。12月13日の南京虐殺記念日の国家公祭日の記念式典に参加する政治家のランクが毎年変化するように、日中関係の状況がその日の扱いに影響するものと考えることができる。

 5月9日、または5月6日は、近代中国で最も重要な国恥記念日の一つであった。1915年1月18日に日本の駐華公使の日置益が袁世凱大総統に突きつけた21カ条要求について、日本が最後通牒を突きつけたのが5月6日、袁世凱政権が受諾を決定したのが5月9日であった。この両日は国恥記念日とされ、学校教科書にも、またメディアにも登場するようになった。無論、1920年代後半の済南事件、そして上述の満洲事変以降の一連の国恥記念日が加えられていくと、5月6日や9日は日本の侵略を示す国恥記念日の一つになっていく。2020年、その5月6日も9日もあまり顧みられることはなかった。多少袁世凱の歴史的な評価をめぐる議論はあったが、日本を問題視してこの「国恥」を取り上げるメディアは多くなかった。

 それに対して、2020年5月初旬に特に取り上げられていたのは5月8日であった。5月8日は果たして何の「国恥記念日」なのであろうか。そして対象はどの国なのだろうか。それは、1999年5月8日のベオグラードの中国大使館誤爆事件であり、対象はアメリカである。これまでこの5月8日が取り上げられることは稀であったが、この2020年はこの5月8日が特にクローズアップされた。その背景には、米中関係の悪化がある、と見るのが妥当だろう。中国は4月下旬からアメリカ批判を公的な立場の者が行うようになり、アメリカの覇権が世界から退場しつつある、とまで言われるほどだ。昨今の米中間で生じた事件は、2001年4月1日の海南島沖米中航空機の空中衝突事件などもあったし、戦後であれば1946年12月24日に発生した沈崇事件(北京大学の女子学生沈崇が北京に駐留していたアメリカの海兵隊に暴行された事件)などもある。今後、米中関係が一層悪化した場合、このようなアメリカに関連する「国恥」が一つ一つ取り上げられ、新たな宣伝や行事が行われていく可能性もあろう。その記念日の取り扱いに中国の対米認識が現れる、と見てもいいであろう。