【20-02】 「戦争遺留問題」から見る歴史認識問題
2020年6月30日
川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 教授
略歴
1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授
2015年 同教授(現職)
今世紀初頭、中国で日中間の歴史をめぐる問題が「戦争遺留問題」という観点から改めて位置付けられていたことは日本ではあまり認知されていないようだ。また、この「戦争遺留問題」という観点が、まさに馬立誠らによる対日新思考への対立概念として提起されていたこともまた、日中間の歴史認識問題、あるいは中国側がいかにこの問題を位置付けているかという点において重要だ。
戦争遺留問題という言葉自体は普通名詞であり、戦争関連で現在も未解決のまま遺されている問題、といった程度のことである。日中関係についても20世紀にこの言葉が使われたことがないわけではない。だが、今世紀に入って呉広義『日本侵華戦争遺留問題』(崑崙出版社、2005年)、徐勇編著『戦争遺留問題的源頭- 東京審判与<旧金山和約> 』(黒龍江人民出版社、2011年)、管建強『日中戦争歴史遺留問題的国際法研究』(法律出版社、2016年)などが相次いで刊行されたり、日中戦争に関するシンポジウムに「戦争遺留問題」が冠せられたりするようになった。また、第二次安倍晋三政権成立直後に『人民日報』日本語版が「歴史に正しく向き合えるかどうかは、戦争遺留問題を適切に処理できるかどうか、日本政府が戦争と平和のどちらの道を選ぶかに関わり、東アジアないしは世界の平和を維持できるかどうかに関わってくる」(「安倍首相に願う、熟慮した上での行動を」、『人民日報』日本語版、2013年1月6日)などと、「戦争遺留問題」という語をメディアが用いる場面もあった。
日本でもこの言葉に注目する向きがあり、それを「強制連行・強制労働」「慰安婦」「遺棄毒ガス(化学)兵器」問題の三者だと見做すこともあるようだ。だが、この言葉を用いる時、荒井信一がそうであったように、この三つの戦争遺留問題を積極的に解決すべきという議論で用いることが多かったようだ。
筆者は、この戦争遺留問題という観点、あるいは用語に長らく関心を持っていたが、この観点の由来、議論の背景について、つまびらかにすることができなかった。だが、昨今、中共重要歴史文献資料匯編 第27輯 現当代中国軍事史料専輯、136分冊、「『戦争遺留問題和中日関係』座談会専集」(中国抗日戦争史学会等、2003年)を閲覧する機会があった。これは内部発行の資料である。ここには、2003年当時に戦争遺留問題がいかに議論されていたかということを如実に示す内容が含まれていた。議論の担い手には、1991年に成立した抗日戦争史学会のメンバーや中国軍事科学院、国防大学の研究員、そして中国社会科学院近代史研究所の研究員などが含まれていた。そこでの内容をまとめれば以下のようになる。
第一に、この戦争遺留問題という観点が、戦争をめぐる問題は基本的に解決済みだとする、馬立誠らの対日新思考への批判として用いられており、戦争をめぐる問題が未解決だと主張しているということだ。また、2003年には小泉総理がすでに数回靖国神社に参拝した後だというと事もあり、馬らの対日新思考をめぐる議論は、日本の右派勢力と結託しているという言説が多々みられ、その対日新思考−日本の右派勢力の連携を牽制、打破するための論理として戦争遺留問題という観点が用いられていたということである。
第二に、戦争遺留問題とされているのは、決して「強制連行・強制労働」「慰安婦」「遺棄毒ガス(化学)兵器」問題の三者だけではなく、領土問題や教科書問題、そして台湾問題などのいわゆる3T問題も含め、戦争関連のあらゆる問題を戦争遺留問題に関連づける言論が多くみられたということである。
第三に、この会合には軍事科学院や活動家、党史研究者などが多く含まれており、社会科学院近代史研究所の歴史学者などの「歴史学的」な言説と、ある意味で政治的な言説とがコントラストをなしていた。21世紀初頭の胡錦濤政権のそれも前半期であれば、「民国史」も含めて、現在から見れば「バランスのとれた」歴史言説が依然見られた時期だが、この時期にすでに政治的な、また「保守的」な議論がこの戦争遺留問題の関連でなされていた、ということは極めて興味深い。
第四に、こうした政治的、保守的な言論を行なっている研究者や活動家の報告内容を見ると、彼らと日本の活動家、弁護士活動家との交流が極めて活発なことがわかる。そこでは、日中間の戦争関連問題を解決済とする馬立誠らの対日新思考だけでなく、日中共同声明によって、国家賠償だけでなく、民間賠償もまた放棄されていたとする張香山『日中関係の管見と見証: 国交正常化30年の歩み』(三和書店、2002年)が問題視され、批判すべきだとする働きかけが日本側の活動家から中国側の活動家になされていたことをうかがわせる内容もあった。
周知の通り、日中間の歴史認識問題は依然大きな問題として両国間に横たわっている。歴史実証的な研究の必要性もまた言うまでもないが、歴史認識問題をめぐる世界的な観点や議論の潮流とともに、この問題がそれぞれの国の中でいかに位置付けられ、論じられているのかということに関する理解を深めることも必要だろう。その意味でも、中国で議論されている戦争遺留問題への理解を深めていくこともまた日本側にとっても重要なことだろう。