川島真の歴史と現在
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【20-03】抗日戦争勝利75周年記念行事の光景

2020年9月15日

川島真

川島 真:東京大学大学院総合文化研究科 教授

略歴

1968年生まれ
1997年 東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻(東洋史学)博士課程単位取得退学、博士(文学)
1998年 北海道大学法学部政治学講座助教授
2006年 東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係史)准教授
2015年 同教授(現職)

2020年9月3日の記念行事

 2020年9月3日、「中国人民の抗日戦争および世界の反ファシスト戦争勝利」75周年記念日を迎えた。朝10時前、北京市郊外の中国人民抗日戦争紀念館前に設けられた献花台前に、中国のトップ7と王岐山が揃い、10時を合図にそれぞれ献花を行った。

 同日午後、人民大会堂において、中共中央、国務院、中央軍事委員会が合同で、「中国人民の抗日戦争および世界の反ファシスト戦争勝利75周年」を記念する座談会を開催した。今年は、新型肺炎の感染拡大防止もあってか、大型の行事ではなく、このような座談会形式が様々な組織主催で少なからず開催された。人民大会堂での座談会は王滬寧が司会を務め、習近平のほか、李克強、栗戦書、汪洋らが参加していた。発言者は習近平のほか、共産党の中央党史・文献研究院院長の曲青山、中央軍事委員会委員で中央軍事委員会政治工作部主任の苗華らがいた。こうした政治と関わる歴史の領域は、基本的に中国共産党の党史集団に加えて、軍系統のイデオローグが深く関わっている。

日本への配慮なのか?

 日本のメディアもこの座談会での習近平の発言を報じたが、その内容の重点は総じて日本への配慮があったことにあった。確かに、習近平の述べた内容の中には、以下のような日本に関わる部分がある。

   中国と日本とは近隣にあり、長きにわたり和平友好関係を保ってきた。それこそ、両国人民の根本的な利益に符合し、またアジアと世界の安定を維持するという需要にも符合している。日本軍国主義の侵略の歴史に対して正確に向き合い、深く反省することこそ、日中関係を発展させていく上での重要な政治的基礎である。過去(前事)を忘れず、未来(後事)の師とする。我々は中国人民の抗日戦争、世界反ファシスト戦争における勝利を記念することは、歴史を以て鑑となし、未来へと向かう事であり、またともに和平を愛し、平和を維持していくことでもある。そうすることで、日中両国の人民が世代をこえて友好であり続けられ、また世界の人民もまた和平と安寧を永遠に享受できるのである。

 日中関係についての「物語」では、長期的な歴史を述べれば友好基調で、かつ中国優位を示すことになるが、ここでもその方式が採られ、加えて近代史について日本側に「深く反省すること」を求めている。「お詫び」ではなく、「深い反省」というのは、日中共同声明などでも用いられてきた常套句であり、四つの基本文章の基調を踏まえている。1998年の日中共同宣言でも、日本側が「お詫び」の盛り込まれた村山談話を遵守するとしているが、間接引用にすぎず、地の文に「お詫び」は記されていない。

 確かに、日中関係に関するこの段落が盛り込まれたことは日中関係への中国側による配慮にも見える。だが、習近平発言全体を見ると、注目すべき箇所は必ずしもこの日中関係に関する部分とは言えないことに気づかされる。では、どこが重要な部分だと考えられるのか。

五つの「絶対に受け入れられない(絶不答応)」

 座談会の後、習近平発言を「解説」するコメンタールなどを見ると、「五つの必須」と「五つの『絶対に受け入れられない(絶不答応)』」が取り上げられていることに気づかされる。前者は必ずしも歴史に関わるわけではない、一般的な内容である。だが、後者はこの75周年に際しての習近平発言を特徴付ける内容だと考えられる。その絶対に受け入れられない五点は以下の通りである。

 第一に、「いかなる者、いかなる勢力であれ、中国共産党の歴史を歪曲しようとしたり、中国共産党の性質や宗旨を毀損しようとするのであれば、中国人民は決してこれを受け入れない。第二に、「いかなる者、いかなる勢力であれ、中国の特色ある社会主義という道を変えることはできないし、中国人民が社会主義を建設するという偉大なる成就を否定したり、毀損したりするとしたら、中国人民は決してこれを受け入れない」。第三に、「いかなる者、いかなる勢力であれ、中国共産党や中国人民を引き裂こうとしたり、対立させようとしたりすれば、中国人民は決してこれを受け入れない」。第四に、「いかなる者、いかなる勢力であれ、力づくで自らの意志で中国に圧力を加えたり、中国が進むべき方向を変えようとしたり、また中国人民が美しくて好い生活を創造するのを妨害しようとするならば、中国人民は決してこれを受け入れない」。第五に、「いかなる者、いかなる勢力であれ、中国人民の平和的な生活と発展の権利を破壊したり、また中国人民と他国の人民との間の交流協力を破壊したり、そして人類の和平と発展という崇高な事業を破壊したりするなら、中国人民は決してこれを受け入れない」。

 これらの内容が、アメリカのポンペオ国務長官の発言や国家安全保障担当の大統領副補佐官であるポッティジャーの中国語の中国向けのメッセージに対して、またあるいは国内でアメリカなどの影響を受けていると中国政府が考えている人々に向けたもののようである。特に、中国共産党と中国社会の分離の試みへの反発を示した第三の論点などは、ポッティジャーを意識しているようにも思われる。何れにせよ、ここで第一の論点として強調されている「中国共産党の歴史の歪曲」は認めないということが、中国人社会の分断や、中国の国家建設、対外関係などといった論点と並列されていることが重要だ。中国での歴史の位置付けがうかがえるだろう。

中国共産党の歴史の歪曲?

 この五つの「絶対に受け入れられない(絶不答応)」については、2015年の抗日戦争勝利70周年の時の習近平の演説にも盛り込まれておらず、2020年の一つの特徴だと言える。だが、この五つの内容が2020年に突然言われ始めたのかと言われればそうではないようだ。

 例えば、歴史と深く関わる中国共産党の歴史の歪曲への反対という内容も同様だ。この言葉は、2010年に習近平が副首相であった時期から使用されているようだ。2010年7月21日、北京の人民大会堂で挙行された全国党史工作会議において習近平は、「中国共産党の歴史を歪曲しようとしたり、毀損しようとしたりする、いかなる誤った傾向には堅く反対する」などと述べた。習近平が総書記就任前から党の歴史を重視していたことは広くしられているが、2010年前後には歴史をめぐる様々な問題が生じていた。多くの場合、そうした問題は歴史虚無主義問題として概括され、共産党の歴史上の意義を毀損するものとして、民国史研究の成果などへの批判が高まりつつあった。

 その言葉が抗日戦争勝利75周年に盛り込まれたのである。習近平は、抗日戦争を1931年の満洲事変を語り、また共産党の事績を讃えている。そこには国共合作や国民党への「配慮」はむしろ見られない。今回の習近平の言葉には、アメリカへの警戒とともに、国内における歴史、思想に関する統制、管理の系譜も垣間見える。

 日本のメディアは日本への「配慮」について報じたが、実際のところ、75周年の習近平の言葉には習近平体制下の「歴史」をめぐる国内での言説対応という面と、昨今の米中対立下におけるアメリカの歴史、思想をめぐる揺さぶりへの対応という面との双方が見て取れる。日本関連部分はこうした文脈の中に織り込まれているものとして理解する必要があろう。