【14-01】7月の金融統計ショック
2014年 9月16日
露口 洋介(つゆぐち ようすけ):
信金中央金庫 海外業務支援部 上席審議役
略歴
1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。同年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)など。
はじめに
本コラムでは、中国の金融関連のトピックを分析することを通じて中国経済を観察することとしたい。
まず第1回目は、8月13日に人民銀行のウェブサイトに公表された7月分の金融統計を説明しながら中国の金融政策の手法について考えてみたい。
7月の銀行貸出急減速
7月中の銀行の人民元新規貸出増加額は3,852億元と前月比6,941億元の減少、前年同月比で3,145億元と減少した。また、銀行貸出だけでなく実体経済が証券発行など金融システムを通じて調達した資金の総額を表す「社会融資規模」も7月中の増加額は2,731億元であり、前月比1兆6,947億元、前年同月比5,460億元減少した。
中国経済は、実質GDPの伸び率が平均10%を超える高度成長から2013年には7.7%の成長に減速し、2014年上半期は7.4%と減速傾向が続いている。中国政府の2014年度の目標値である7.5%前後を達成するため、中国の金融政策は若干緩和気味の政策スタンスにある。8月1日に人民銀行が公表した2014年第2四半期金融政策執行報告でも、今後の政策運営方針として「総量安定、構造改善」を上げ、「マネーサプライ、貸出および社会融資規模の合理的な増加を実現する」とされている。
こうした状況の中で今回の銀行貸出、社会融資規模の増加額の大幅な減少は市場の憶測を呼ぶものであった。
中国の金融政策の手法
日本の日本銀行にあたる中国の中央銀行は中国人民銀行である。中国人民銀行の金融政策の手法を見ると、米国や日本など先進国の中央銀行が平常時の経済状況で行ってきた金融政策の手法とは異なっている。米国や日本も現在は量的金融緩和、あるいは量的・質的金融緩和という非常時の金融政策が採られているが、平常時の政策としては、銀行間市場の短期金利を誘導することによって金融政策を行ってきている。しかし、中国では金融政策の主たる手段は銀行の貸出増加額を直接コントロールする「窓口指導」である。金利政策としては、人民銀行は銀行と顧客の間の預金金利や貸出金利の基準金利を定めており、貸出金利については昨年下限が撤廃され、基準金利の上下とも制限がなくなったが、預金金利については依然として上限が定められている。1年物貸出の基準金利は6%であり、これは名目GDP成長率が10%前後の中国においてはかなり低い水準ということができる。銀行は窓口指導によって貸出量が制約されているため、優良な貸出先に貸出が集中し、貸出金利は結局基準金利近傍に集中する。人民銀行の公表統計によると、今年上半期の銀行の人民元貸出の8割弱が基準金利の1.3倍以下の水準に収まっている。銀行間市場金利など市場で自由に決定されているといわれる金利も、預金・貸出基準金利の影響を強く受けており、満期の長さ毎の金利を示す収益曲線は依然として人民銀行が人為的に定めている。こういう状況では資金市場の需給がバランスする保証はなく金利を金融政策の主な手段として位置づけることは困難である。人民銀行が預金や貸出の基準金利を変更する場合は、金融政策変更のメッセージをとして利用していると考えるべきであり、あくまでも金融政策の主要な手段は窓口指導である。人民銀行は通貨供給量(マネーサプライ)を金融政策の中間目標と位置づけており、その水準をコントロールするために銀行の貸出増加額を直接的に指導している。2014年のマネーサプライの前年比伸び率の目標値は13%に設定されている。
何が起こったか
以上のような状況からすると、貸出量の増加テンポが大幅に減速したということは、人民銀行が引き締め政策に転じたと受け取られる可能性があることである。そこで人民銀行は統計発表と同時にこの統計の意味を解説する文章をホームページで公表した。これは異例のことである。その解説の中で、金融政策の「総量安定、構造改善」という方針は変わっていないとしている。7月の新規貸出額減少は季節的に6月の期末の貸出増の反動として7月は減少する傾向があること、銀行の不良債権の増加に伴う貸出姿勢の慎重化などを理由として挙げている。また、マネーサプライの前年比伸び率は6月末の14.7%から7月末は13.5%に下落したが、目標の13%は依然として上回っている。社会融資規模の減少については、貸出と同様の季節性のほか監督部門の規制措置に対応した金融機関のリスク管理の強化により、オフバランス取引が減少したことを指摘している。
統計発表の翌日14日には日本の内閣官房にあたる国務院弁公庁が「企業の資金調達コスト高問題を緩和する諸措置に関する指導意見」という文章を公表した。その中で、財政部や発展改革委員会など様々な政府部門に対して企業、特に中小企業の資金調達コストを緩和する方策を指示している。その第一項目に「マネーサプライと貸出総量の合理的適度な増加」が挙げられており、この項目については「人民銀行が責任を負う」と明示されている。
中国人民銀行は日本銀行と異なり、財政部(日本の財務省に相当)などと同様政府の一部門であり、人民銀行の総裁(中国語では行長)は財政部の大臣(中国語では部長)と同じ大臣の一人である。
従って人民銀行には先進国の中央銀行のような金融政策の独立性はまったく与えられていない。このように中央銀行に対する指示を国務院弁公庁が文章の形で公表するという、日本では考えられないことも起きるわけである。そして人民銀行は国務院の指示を実現する責任を負っている。
今後の見通し
7月の新規人民元貸出増加額の急減については、人民銀行以外でもすでに様々な分析が行われている。資金需要自体が減少したことが原因であるとする見方、シャドーバンキングなどに対する当局の種々の規制強化がたまたま重なったことが原因であるという見方などが示されている。
人民銀行は、安定的なマネーサプライと貸出の増加に責任を負っている以上、今後銀行に対して窓口指導を行うことによって貸出増加額の回復を目指すであろう。政府の意向を受けた国有企業を中心に貸出が増加するものと思われる。しかし、より根本的な問題は7月の貸出増加額や社会融資規模の急減速が季節性や各種の規制がたまたま一致したことによる偶然の産物に過ぎないのか、そうではなくて実体経済の資金需要が本当に低下しているのではないかという点である。
貸出増加額を回復させることは中国のシステムでは可能と思われるが、これが実体経済の資金需要によるものでなく作られたものであれば、単に無駄な投資が行われるだけかもしれない。それは短期的な経済成長率の引き上げには貢献するかもしれないが、新たな不良債権を産み出す可能性があり、中長期的にはマイナスとなりうる。
様々な報道を見ると、貸出の急減速が実体経済の状況に影響されているかどうかについては中国国内でも見方が分かれている。
銀行貸出と社会融資規模の今後の推移とマクロ経済動向の関係を注目して行きたい。