【14-03】人民元の国際化
2014年11月10日
露口 洋介(つゆぐち ようすけ):
信金中央金庫 海外業務支援部 上席審議役
略歴
1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。同年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)など。
「人民元の国際化」とはどういう意味か
中国人民元の国際化という言葉がここ数年よく使われている。名目GDPの規模で日本の2倍近くに達している中国の通貨であるから、対外決済や準備通貨という資産保有通貨などの形態で人民元が国際通貨としての存在感を増していることは間違いない。
日本でも1980年代から「円の国際化」が議論されてきた。日本では1980年に改正外国為替管理法が施行され、従来の原則禁止から原則自由に為替管理の方法の大転換が行われた。その後1984年には円転規制と為替先物取引の実需原則が同時に撤廃され、投機がほぼ自由となり、日本の資本取引は事実上自由となった。「円の国際化」は、このように自由な通貨となった円の国際的な使用を拡大していこうという議論であった。これに対して中国では、これまで対外的な利用が極めて制限されていた人民元をようやく2009年7月から徐々に利用できる通貨にしていく過程を開始したところである。現状はこの過程の初歩的段階にあり、人民元は依然として極めて不便な通貨にとどまっている。このような初歩的過程の進展を「人民元の国際化」と呼ぶとすれば、それは「円の国際化」とはまったく次元の異なるレベルの「国際化」である。
人民元国際化の開始
中国人民元は、2009年7月に「クロスボーダー人民元業務」すなわち対外的な決済に使用することについての試行が認められるまで、基本的に対外取引に使用することができない通貨であった。ある国の通貨が対外的な決済に使用できるためには、海外の取引相手が当該通貨を受け取ったり当該通貨で海外から国内に支払ったりするためにその通貨発行国の国内にある銀行が海外の銀行に対して当該通貨の決済口座を提供する必要がある。中国では2009年7月以前は通貨当局が国内の銀行に対して人民元建の決済口座を海外の銀行に提供することを禁じていた。国境付近での現金による対外決済は行われていたが、現金には物理的な限界があり、大きな金額の決済は無理であった。上記の「クロスボーダー人民元業務」は、国内の銀行に対し海外の銀行に人民元建決済口座を提供することを認めることによって行われた。
日本で同様に円による対外決済が認められたのは1960年である。中国は日本から約50年遅れで自国通貨による対外決済を認めたことになる。一方、日本は1952年にIMFに加盟し、1964年には経常取引に関する自国通貨の交換性を保証することを義務付けられるIMF 8条国へ移行した。中国のIMF加盟は1980年、8条国への移行は1996年であるから、中国はそれぞれ日本より約30年遅れということになる。中国の自国通貨による対外決済許容のタイミングは、日本に比べると非常に遅いタイミングであったということができる。
現状
中国の対外取引に占める人民元決済の比率は上昇してきている。中国人民銀行の胡暁錬副行長が今年10月に行ったスピーチによると、中国の対外受払いに占める人民元の比率は25%に近づいており、輸出入決済については15%を超えているとのことである。日本の場合、円の比率は輸出で3~4割程度、輸入で2割程度であるから、中国はかなりこの水準に近づいてきている。しかし、ドル、ユーロ、円など世界の主要通貨の為替取引はほとんどが資本取引である。2013年4月時点の統計によると、ドルの為替売買取引金額はアメリカの輸出入金額の約300倍となっている。円について同様の数字は約200倍である。これに対して人民元の場合は7倍程度にとどまっている。これは円やドルに比べて人民元の資本取引が著しく制約されていることを示している。資本取引とは直接投資や証券投資、貸出、預金などの金融取引を意味する。中国ではすでに海外との間で様々な資本取引が可能であるが、ほぼすべての取引について当局の認可が必要であったり、取引総量枠が規制されたりしており、完全に自由に行える取引はほとんどない。
昨年開設された中国(上海)自由貿易試験区では、資本取引の自由化が進んでいるといわれているが、そこで認められたオフショア人民元借入や人民元プーリング業務などの取引についても取引数量の総枠が課せられている。なお、人民元プーリング業務については人民銀行が本年6月の段階で中国全土に拡大する方針を公表していたが、報道によると11月6日に中国全土への拡大が正式に通知された。また、上海と香港の株式市場の相互乗り入れが11月17日に開始されることになったが、これについても取引数量の総枠管理が行われる予定である。このような状況では、円やドルについて可能であるような自由な投機は行えない。当局から見れば投機は好ましくないものであるが、市場参加者から見れば投機を含めて自由な取引のできない通貨は非常に不便である。現状では人民元は円やドル、ユーロなど主要通貨と比べて著しく不便な通貨にとどまっており、これらの通貨と同程度の国際化を実現することは困難である。
今後の展望
今後、人民元の国際化が進展するためには、中国が投機も含め資本取引を自由化することが必要である。一方で中国では主要な金利である預金金利が依然として規制されており、当局が各満期について金利を定めている。このような状況では金利によって金融市場の需給がバランスする保証がなく、数量をセットすることによって金融政策を行わざるを得ない。中国人民銀行は市中銀行の貸出数量をコントロールすることによって金融政策を行っている。現状で資本取引を自由化して海外との間で資金の移動を自由にすると、中国の金融政策の有効性は大きく低下し、中国経済が混乱する恐れがある。従って、資本取引を自由化するためにはまず金利を自由化し、中国人民銀行が金利を使った金融政策を行えるようにしなければならない。金利が自由化されると金融機関の利ざやが大きく縮小し収益が大幅に減少することが見込まれるので、金融機関の破綻に備えて預金保険機構を整備する必要がある。また、金利で金融政策を行える状況で資本取引を自由化した場合、海外の金利水準から独立して国内の金利をコントロールする金融政策を行うためには、人民元の為替レートを変動相場制にしておくことも必要である。
以上のように、資本取引を本格的に自由化する前にやらなくてはならないことはたくさんある。まず預金保険機構が設立されることが見込まれているが、その後、以上のような前提条件が満たされるにはかなりの時間を要すると思われる。それまでは人民元の国際化が本質的に進展することは困難であろう。
シンガポールドル・人民元直接交換取引の開始
前回の当コラム、「ユーロ・人民元直接交換取引の開始 」において「シンガポールドルと人民元の直接交換取引は両国で合意されているが、いまだ開始されていない」と書いたが、10月28日に上海の外貨交易センターにおいてこの両通貨間の直接交換取引が開始された。従来シンガポールドルは外貨交易センターにおいて人民元の取引相手通貨として認められていなかったが、これが認められると同時に直接交換取引も開始された。さらにシンガポールの銀行の中国現地法人を含む13行がマーケットメーカーに指定され、シンガポールドルと人民元の売買レートを常時提供する義務を負うこととなった。