【07-106】中国の研究システムの産みの苦しみ
寺岡 伸章(中国総合研究センター シニアフェロー) 2007年10月20日
中国の研究費や論文数の伸びは著しい。2006年のSCI登録論文数では、中国は2位に躍進し、日本はイギリスにも抜かれて4位に転落した。もう再び、 日本が論文数で中国を抜き返すことはなかろう。しかし、論文の質や研究のレベルにおいては、日本はまだ総じて中国よりも上に位置していることは確かである。中国は先進国の創造型研究システムの歴史が浅いためである。
では一体、中国はどのような研究システムの課題を背負っているのであろうか。また、当事者である中国の知識人は、自国の研究システムについてどのような 論争を展開しているのであろうか。雑誌、新聞、ホームページから彼等の論争の実態や産みの苦しみをピックアップしてみることにした。
2007年7月8日、新聞「新京報」のコラム「視点」のタイトル"今、我々が科学大家を見つけるのが難しいのはなぜか"の概要は以下のとおり。
「改革開放以来、科学大家といえる大物科学者が減ってしまった。ひとつの原因は、科学を崇拝する風潮から財力を崇拝する風潮に変わったことだ。若い優秀 な人材が科学研究に従事しようという風潮は薄れ、親が子供の専門を決めるとき、科学関係学科より経済関係学科を選ぶ傾向が強くなった。
もうひとつは、国家の科学研究費が必ずしも最先端の科学研究に配分されていないことにある。科学研究資金の多くは関係行政職員の手の中にあり、近視眼的 な観点から、行政成績を上げることや上司の意図など科学研究とは関係ない事情に左右されている。今日、科学研究行政部門は、研究管理の名の下にひとつの堅 牢たる利益集団と化してしまっている。
この風潮はすぐには変わらないため、筆者は10年以内に中国には大科学者は出ないだろうと思っている。ノーベル賞学者をスターとして祭りあげることは別 に悪いことではないが、今必要なのは、更に多くの資源を科学研究方面に投入することである。実験室の建設、科学者の待遇の改善、発明活動の奨励、基礎科学 研究者への支援、社会の科学に対する興味の涵養などにもっと力をいれるべきではないか」
このコラムニストは、中国の研究システムの問題点を端的に指摘している。中国の研究システムは、1986年の 国家自然科学基金委員会の設立を契機に大転換している。それまでは研究テーマも研究費も政府から与えられていたが、このファンディング・エージェンシーの 設立後、基礎研究分野においては、研究者が自ら発想し、研究課題を設定し、研究費を要求しなければならなくなった。この20年間はシステムの大転換に伴う 矛盾との戦いであり、未来への過渡期でもある。
2004年3月の科学雑誌Natureは中国の科学管理体制について特集を組んでいる。掲載記事から主なものを拾ってみよう。
まずは、米国の神経科学研究所長の記事。
「因習とヒエラルキーを重んずる儒教が現代中国において長い間陰を落としてきた。権威支配と政治的服従が個人の独創性を涵養する環境の育成を阻んできた。権威と現在の規範への服従が科学的なブレークスルーの最大のバリアである。
"逆境が創造性を産む"という知的な環境は、科学的発見と技術革新に不可欠である。海外で活躍する中国人学生と研究者は、知性と勤勉に関して普遍的な評 価を得ている。彼等を高い達成者にしているのは、競争的環境である。そのような環境が中国で現れれば、重要な科学的発展が起こる。中国の研究機関で最も急 がれるのは、創造的な仕事を行なわせるような知的な環境を作っていくことである。
官僚機構を改革し、メリットを基礎にした評価システムをひとの評価と予算配分の評価に導入すべき。中国政府は科学者を、その成果にかかわらず、大学から定年まで面倒みてきたため、プレッシャーや向上心を奪ってきた。
中国科学歴史の大家であるジョゼフ・ニーダムは、中国における現代科学の勃興を阻止しているのは"官僚封建主義"であると喝破している」
コーネル大学のライフサイエンス分野の中国人教授の指摘。
「中国のほとんどの大学の教育システムは、批判的思考や創造的思考を教育していない。2000年の生物学者数、論文数では中国と米国では似たようなものであるが、中国のハイインパクト論文は米国の4%以下である。
中国で生産性のある生物学者は500人しかいないが、米国で研究している中国人では3000人以上、米国全体では40000人以上もいる。このような中国の低生産性は、不適切で短期的な資金分配と関連がある。つまり、成果がすぐに出るものにしか、研究者が取り組まないのだ。
多くの生物学者に批判的かつ独創的な発想を奨励しなければならない。また、生産性の高い海外の中国人研究者の帰国を促進しなければならない。そして、基礎研究にさらに投資し、公平で透明性のある評価システムを確立することである。
中国のライフサイエンスの分野では、2.42億ドルつまりGDPの0.02%しか基礎研究に投資していない。一方、米国政府では、300億ドルつまり GDPの0.3%をライフサイエンスの基礎研究に投資しているし、さらに同額の投資が基金や民間企業からなされている。
きちんと評価できる中国人研究者が極端に少ない。2年前から自然科学基金委員会が試行的に実施している海外の優秀な研究者による評価方法は評価できる。
さらに多くの資金を基礎研究に投資し、真に公平で透明性のある評価システムを導入すれば、5年後には生産性の高い生物学者は倍になり、2020年には10倍になるに違いない」
米国在住生物医学専攻の中国人教授
「明朝の陶器の芸術性は、中東からシルクロードを経てもたらされたコバルトブルーに大きく依存している。新しいシルクロードは、中国と米国の生物医学研 究所間で情報を共有することだ。中国の心臓病患者は1臆人と予測されているため、中国は新しい治療法の治験として理想的である。この分野に集中的に研究投 資すれば、中国は生物医学で急速な進展を期待できる」
辛らつなコメントが多い。しかし、翻って考えてみると、日本の研究システムも同様の問題を抱えているというひとも多い。問題の本質は中国固有の課題では必ずしもないということである。
再び、中国国内のメディアに目を向けよう。
中国語週刊誌「中国新聞週刊」(2004年12月20日号)は、"1000億元の科学技術資金はいかに配分されるのか」の特集を組み、科学管理体制への厳しい批判記事を掲載している。そのなかで、雑誌社の評論員は次の主張を展開している。
「本誌記者の調査から、現在の科学研究経費の管理・分配・使用体制は効率が低く、一部の経費はそれに見合った役割を果たしていないことが分かった。これは、自然科学と技術開発の分野だけでなく、社会科学や人文研究分野の調査結果をもまとめたものでもある。
その数年、教育部門は財政支出を利用してあれやこれやの"プロジェクト"に取り組んでいたが、これらの"プログラム"が大学教育と科学研究の水準を高めるうえでいったいどれくらいの役割を果したかについて、知っている人はいないだろう。
教育や科学関連の財政資金の分配のほとんどが行政部門の指導やコントロールを受けており、このことにその根本的な原因があると思われる。自然科学と技術 開発の分野は科学技術部、大学教育と人文・社会科学の分野は教育部などの指導やコントロールを受けている。
これらの公共資金は、関連の政府部門に巨大な権力をもたらしたが、科学研究機構、大学や科学研究者もそのためある意味で、行政官庁門前で物乞いをする" 乞食"と成り下がった。科学研究者は資金の管理・分配者に課題を申請し、その認可を求めなければならない。表面から見れば、このような体制は科学研究の領 域に競争メカニズムを導入することに成功したといえそうだが、課題の審査員は科学技術の専門家集団でもなく、ましてや市場でもなく、官僚であるため、いわ ゆる競争はただの"官僚に媚いる競い合い"にすぎない。
それを背景に、科学研究支援項目として教育部のリストに載せられて国から資金を得るため、各大学は様々な方法に訴えて獲得に挑む。大学でよく見られる"業績プロジェクト"、"見せかけプロジェクト"はほとんどそれと関係がある。
教授や研究員達は、その課題が認可されるよう、関係者を食事に招待し、金銭や風俗、まで用いた賄賂工作を行っており、これは実際に業界内の公然の秘密と 化している。科学研究者の間に現れた職業モラル低下現象は、行政主導の資金分配体制と直接的な関係があると思われる。
このような体制は以上の弊害をもたらすばかりでなく、科学精神の健全な発展をも阻害している。
科学、学術の進歩は、少数の官僚の企画や計画によりもたらされた結果ではなく、独立した精神を持つ科学研究者が自由に思考し、自由に探求した結果なのである。かつて陳寅恪先生が述べたように。科学精神は"自由の精神、独立の思想"なのである。
現在の研究経費の分配体制では、科学研究者の行政部門への依存度が高く、科学研究活動はすべて政府をめぐって展開し、科学研究者は課題の選定にあたって 官僚の嗜好を配慮することが多い。公共資金が多ければ、官僚の支配権が大きくなり、真の科学精神は希薄化する」
官僚体制の弊害や自由精神の重要性は、中国でも広く認識されるようになった。週刊誌の記者には、これらの問題を如何に解決するかという具体的な提言を聞きたい。批判者が多すぎると、混乱は深まるばかりである。
また、中国のニューズ・ウィーク誌ともいうべき「瞭望東方週刊」は、2005年7月4日号で、北京大学法学部賀衛方教授に対するインタビュー記事を掲載し ている。賀衛方教授は、大学院入試の試験科目が専門性を反映しておらず、適正でないとし、"修士課程院生募集停止に関する声明"の公開質問状を北京大学法 学院などに提出し、世論を沸騰させた。賀衛方教授は、インタビューのなかで、大学のあり方にも言及している。
「20年余りの改革開放を通して、多くの人は学術界の自主意識と独立精神を理解するようになり、これを追及するようになった。例えば、法学科ですが、 20世紀70年代末から80年代の初めにかけて、私が大学に入ったとき、最も常用されていたのは政法という言葉だった。つまり、政治化した法律のことをさ し、法学は完全に政治に従属していた。現在は打って変わって、多くの人々が法学の独立性に対する重要性を理解するようになった。法学の独立性は、裁判の独 立や検査制度の独立にかかわるとても基礎的な要件です。従って、学術界の独立意識の喚起は必然的に学者達の独立の声を高めるものです。これは社会変化の必 然的な結果なのです。
学者の独立性及び社会転換期における諸般知識に関する渇望から、学者達は社会で頻繁に意見を発するようになった一方で、社会も学術界の存在に関心を寄せ ている。もちろん教授陣への批判もさらに激しさを増した。これは社会の変化の正常な現象です。(中略)私にしてみれば、どちらかというと学者が自分を含む 学術界の規則や倫理の保護を目的として行った自然的な反応である、と説明したい。尊いか、卑しいかの問題では決してない。それにモラルや勇気、知識、尊厳 などは学者の独立な立場を保証するような行為を促す」
大学の自治は、大学設立以来の永遠の課題である。中国に限らず、社会の大学に対する要求と大学の自主性確保の間で、大学は揺れてきた。中国の大学はその自主性と柔軟性が今問われようとしている段階に思われる。
次に、中国科学院が発行している日刊新聞「科学時報」に、中国のトップ9大学の学長による「一流大学建設シンポジウム」の模様が2007年8月に掲載された。学長の共通認識は、
- 人材育成が鍵
- 大学精神と文化建設の重視
- 内面の発展を重視し結果を早急に求めない
であった。個別の発言をピックアップする。
西安交通大学の鄭南寧学長の発言。
「一流大学は、政策と投資で促進できるものだ。大部分は、大学の文化と精神の発展に依存するが、これらの欠如は中国の大学の直面する重要な問題である」
ハルピン工業大学の王樹国学長の発言。
「我々は現段階で6つの問題に遭遇している。第一に、大学の社会機能が阻害されている問題、第二に、大学経営の特色問題、第三に、大学の責任の主体性の 問題、第四に、大学の科学的な評価システムの問題、第五に、大学の運営機構と体制の問題、第六に、大学の学術生態、つまり大学精神の問題。世界の一流大学 と比較して、わが国の大学は、ほとんど形は似ているが中身は似ておらず、外見の拡張ばかりで内容の上昇はない」
北京大学の許智宏学長の発言。
「国家が大学の問題を社会保障システムの中に組み入れ、人材の投入を拡大し、大学の自主権を増大させ、大学の優秀な学科を全面的に支持していくことを希求する」
大学の学長の知識人としての苦悩を感じる。
最後に、米国の大学で研究をしている中国人研究者から受け取った手紙を紹介することにしよう。改革開放以来、107万人の中国人留学生が海外に渡ったが、27万人しか帰国していないが何故かという、私の素朴な質問に対して回答してきたものです。
「それはいい質問ですし、私が数年前上海の大学に通っていた時のディベートのトピックスでもありました。私の考えでは、帰国率が少ない理由は主に以下のとおりです。
1.社会的環境
民主主義国家、特に米国の自由精神は、中国の多くの優秀な人材を惹きつけてきています。元々民主主義国の人々は、既に"自由"を獲得しているため、自由の 価値が理解できないかもしれません。中国はよくなってきています。しかし、十分保障された人権と真に尊敬される個人の価値観をも考慮すると、ほとんどの国 民によって受容される段階に至るには時間がかかるでしょう。
2.経済的環境
よく知られているように、科学技術は多くの場合費用がかかりますし、そのフィードバックサイクルは長いものです。新技術の開発において直近の価値が要求さ れる中国と対照的に、米国、日本及び欧米諸国は、非常に基礎的な研究に投資し続けています。そのような分野の人々は、研究装置、セットアップなどの予算に 心配することなく、自分の研究に集中することが出来ます。
3.アカデミックな伝統
中国は、素晴しい歴史を持っていましたが、不幸にも、その優れた伝統のほとんどは、前世紀の一連の政治的文化革命のなかで、破壊されてしまいました。長い 間、学者に"適正な場"が与えられなかったのです。米国や他の国では、アイデアを抱き、豊富な電子情報や図書館で参考図書を捜すことができ、そして、真の 専門家と特定のトピックスを自由に議論することができます。
2.は容易に改善することができますが、1.と3.は、短期間に改善することは不可能です。勿論。家族に関することなど個々の理由があります。中国に帰 るかどうかの決定は、これらの要素のバランスの結果です。私については、現在のところ米国に滞在する選択をしています。色々の点で、米国は住むのに完全な 場所とはいえませんが、アカデミックな仕事の"王国"であり、個人の夢を追うことができます。最後に重要なことですが、中国人研究者は、中国の外にいても 中国政府に状況の改善を求めていくよう、色々な場合で貢献することができます」
遠い祖国に対する暖かい眼差しに溢れている。中国は改革開放に伴う負の側面に苦しんでいるが、研究システム改革においても問題の所在は同じである。中国政 府と研究者が一丸となってこれらの課題を克服し、科学大国として誇りある立場を獲得するよう期待している。また、日本の研究機関や大学は、その経験から中 国の研究システムの改革にアドバイスを与えられるかも知れない。ここにも日中科学技術協力の可能性があるように思える。