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【20-23】論文重視の研究評価見直し 中国が新しい科学技術振興策

2020年9月01日 小岩井 忠道(中国総合研究・さくらサイエンスセンター)

 研究者や大学・研究機関さらには研究開発テーマを評価する手法として、論文数や高被引用論文数を重視する評価法を見直す方針を、中国が2月に発表した。中国の科学技術力の向上は目覚ましい。中国と日本の力量差は開く一方、という危機意識が日本の科学技術関係者に高まっている。新しい方針は中国政府が現状に満足していないどころか、国際的にも広く活用されている論文を基にした研究評価を過大視する危険性を認め、大きく軌道修正を測ろうとしているところが特徴。8月29日に開かれた日本学術会議主催のフォーラムでも、さらに一歩先を見据えた中国の新しい動きとして大きな関心を集めた。

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オンライン方式で開催された日本学術会議主催学術フォーラム「学術振興に寄与する研究評価を目指して」

 中国は2月20日、教育部・科学技術部の通知「単科大学および総合大学におけるSCI論文に関する指標に使用規制と、正しい評価の方向性の樹立について」(教育部、科技部印发 关于规范高等学校SCI论文相关指标使用 树立正确评价导向的若干意见)を公表した。SCIというのは、国際情報サービス企業「トムソン・ロイター」の文献索引システム「Science Citation Index」。世界の主要な学術雑誌の論文を集めたデータベースで、研究者個人が自分の研究のために利用するだけでなく、研究者や大学・研究機関の研究成果を評価するための基礎データとして世界中で広く活用されている。

現行評価手法の弊害表面化

 教育部・科学技術部の通知は、8月29日にオンライン形式で開催された日本学術会議主催の学術フォーラム「学術振興に寄与する研究評価を目指して」で、中村栄一東京大学総括プロジェクト機構特任教授から中国の新しい動きとして詳しく紹介された。中村氏はまず、中国が文化大革命以来、明確な国の方針のもとに資金、人材投資、評価の枠組み作りに注力してきた結果、大学、研究機関の急速な能力向上を果たしてきた歴史を紹介した。その基本にあるものとして強調したのが、大学強化への強い意志と大学に対する事業評価の重視。大学側も政府からの強い圧力の下で、世界レベルの大学を目指し、人事制度改革を行い教員の能力開発に取り組んでいる現状を明らかにした。

 こうした国を挙げての取り組みの結果、研究環境の大幅改善と大学教員、研究者の研究水準と人事待遇の向上が実現する。論文・特許の総数と被引用回数などで世界のリーダーに躍り出た。研究能力開発の中で、近年その基盤としたのが、SCIが提供する論文数値指標の活用。引用数の多い学術雑誌に引用数の多い論文を発表した研究者と研究機関を優遇する政策が重視された。中村氏はこのように中国の発展の足取りを説明した。

 一方、研究業績偏重のため、教員が教育、管理運営、社会貢献に興味を持たなくなった。研究面でも、知的好奇心に端を発する独創的な研究に時間を割いて取り組むことが難しくなり、短期間で成果が出やすいテーマを選ぶ、といった問題も出てきている。昇任基準が厳しくなった結果、相当数の教員が昇任を諦めてしまっている大学もある。国際的プレゼンスは大きく向上した一方で、学位審査から人事考査、研究費配分、大学や研究機関のランキングに至るあらゆる目的にSCI指標が使用されることの弊害が目立つようになった。中国がこうした問題を抱えている現状にも、中村氏は注意を促している。

中国は必ず実行か

 中国教育部・科学技術部の通知は、「SCI論文至上主義」を是正し、2020年以降の新しい評価システムの確立を目指している、というのが中村氏の見方だ。研究生産性を重視するあまり、本来の評価目的である研究者の能力開発や大学院教育が疎かになり、また論文発表に注目するあまりに実社会に役立つイノベーションの創出が滞った。こうした反省に立って出されたのが今回の通知、と中村氏はみる。

 実際に、通知にはこれまでの考え方、やり方に根本的変更を迫るさまざまな具体策が通盛り込まれている。「研究評価においてSCI関連指標を直接的な評価指標にしない」、「研究分野の特徴に留意しながら透明性の高いピアレビューシステムを確立する」、「評価項目を大幅削減し、合理的な審査システムに戦略的視点を持つ専門家を配置し、十分な審査時間を確保する」、「SCI論文指標を個人報酬に直接連動させない」、「SCI指標を学生の学位授与の条件としない」、「数値指標のランキングを公表せず、研究者、専門分野、および大学評価にも使用しない」などだ。

 さらに「基礎研究については論文の革新性と科学的価値、応用研究と技術革新では新技術・新製品創出、および実質的な産業貢献が重要」という研究の価値に対する考え方にも大幅な変更を求める記述も含まれている。研究の目的と評価のありよう双方を抜本的に見直すことを明確にしたこれらの具体策について中村氏は、「中国は必ず実行するだろう。日本も中国モデルは学ぶべきところが多い」と語った。

論文総数比較(上位25カ国・地域)

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(科学技術・学術政策研究所「科学技術指標2020」から)

 論文総数だけでなく、他の研究者に引用される数が多い高被引用論文数も中国が急激に増やしていることは、数年前から日本でも関心が高まっている。つい最近も、2016~2018年の自然科学系の年平均論文総数で中国が初めて米国を抜いて世界一になった、という文部科学省科学技術・学術政策研究所の調査結果(8月7日公表)が、大きく報道された(被引用数がトップ1%とトップ10%に入る高被引用論文数ではいずれも米国に次いで2位)。日本は論文総数ではなんとか4位にとどまった。しかし、被引用数トップ10%論文数と被引用数トップ1%論文数はいずれも9位と低迷状態が続く。高被引用論文数の順位の低さもさることながら、数がいずれも中国より一桁少ないという大きな差に目が向く。

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中国の研究評価の問題点を早くから指摘していた林幸秀氏(2017年4月7日科学技術振興機構中国総合研究・さくらサイエンスセンター主催研究会)

中国の課題日本でも指摘する声

 論文の比較でみると中国とは歴然とした差がついてしまっている一方、中国が今回、自ら明らかにした課題を抱えることについて、日本国内で早くから指摘していた人はいる。2017年4月に科学技術振興機構中国総合研究・さくらサイエンスセンター主催の研究会で林幸秀科学技術振興機構研究開発戦略センター上席フェロー(当時、現ライフサイエンス振興財団理事長)は、自身が調査にかかわった「高い被引用回数の論文を著した研究者に関する調査報告書~中国の研究者を一例として~」調査結果を報告している。

 中国経済の急拡大に伴い、研究資金や人材が大幅に増加した結果、論文数が増えたことに加え、研究者数が多いため、科学的観点からじっくりと評価するより、論文数という数量での評価が中心となっている。国際的に広く行われている専門の研究者同士が論文内容をチェックする「ピアレビュー」という評価方法が採りにくい。こうした中国の現状を明らかにしたうえで林氏は「研究者同士の評価が特に中国では難しいため、論文という定量的な評価を重視せざるをえない事情に加え、競争的研究資金が有力研究者に集中しがちなことや、はやりの研究分野,研究テーマに研究者が集中し、論文も急増する傾向がある。さらに、欧米流の科学研究が活発化したのが文化大革命終了以降であり、真理を徹底的に追究したり科学や科学者を尊敬したりする文化が社会に十分に根付いていないことも理由であろう」という見方を示していた。

 林氏は、自身も現地調査するなどして関わった調査結果を基に4月に「中国のライフサイエンス研究」という著書を発行している。その中で、ライフサイエンス研究分野でも中国が急速な発展を遂げていることを紹介した上で、次のような課題を抱えていることも記している。「課題としてまず挙げなければならないのは、他の科学技術分野でも見られるオリジナリティの不足。一つ一つオリジナリティを出していくという点では、まだ欧米などの一流大学や研究機関に及ばない」

 さらに中国の科学技術術動向を追い続けている科学ジャーナリストの倉澤治雄氏も6月に発行の著書「中国、科学技術覇権への野望-宇宙・原発・ファーウェイ」の中で、中国の目覚ましい発展ぶりを詳しく紹介した上で、中国が抱える課題を次のように指摘している。「中国が世界の覇者となるには決定的に欠けている点がある。科学技術の世界で尊敬を勝ち得るためには『理想』の提示が不可欠。中国の科学技術政策は『強国主義』に走るあまり、『真理の探究』や『人類への貢献』といった『理想主義』に欠けている」

関連サイト

教育部、科技部印发《关于规范高等学校SCI论文相关指标使用 树立正确评价导向的若干意见

日本学術会議主催の学術フォーラム「学術振興に寄与する研究評価を目指して

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