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【23-15】金融制裁1年とCIPS

2023年02月24日

露口洋介

露口 洋介(つゆぐち ようすけ):帝京大学経済学部 教授

略歴

1980年東京大学法学部卒業、日本銀行入行。在中国大使館経済部書記官、日本銀行香港事務所次長、日本銀行初代北京事務所長などを経て、2011年日本銀行退職。信金中央金庫、日本大学を経て2018年4月より現職。著書に『中国経済のマクロ分析』(共著)、『東アジア地域協力の共同設計』(共著)、『中国資本市場の現状と課題』(共著)、『中国対外経済政策のリアリティー』(共著)など。

 2022年2月24日に開始されたロシアのウクライナ侵攻から1年が経過した。侵攻直後から行われた対ロシア金融制裁と中国のCIPSの関係について改めて考えてみたい。

対ロシア金融制裁

 今回の金融制裁とCIPSの関係については侵攻開始後の 2022年3月のコラム でも解説したが、まずアメリカが2月24日にロシア最大の銀行であるズベルバンクを含む大手銀行5行に対して、米国内の銀行がドル建ての決済口座を提供することを禁じた。これによってこれら5行は米ドルを使った決済ができなくなった。続いて3月2日には決済情報を国際的に伝達する機能を果たすSWIFTからロシア第2位のVTBバンクなど大手・中堅7行を排除することが決定された。これら7行はドルに限らず、ユーロや円についても国際間の情報伝達を行うことができず、決済することができなくなった。

 さらに、2022年6月2日にはズベルバンクを含むロシアの3行がSWIFTから排除された。計10行のロシアの銀行がSWIFTから排除されたことになる。中小の銀行は依然としてSWIFTを使って決済情報を国際間で伝達することが可能であるが、それらの銀行は国際的な決済業務を行うための銀行間の協力関係が脆弱であるため、これらの金融制裁の結果、ロシアの銀行が米ドルやユーロ、円などによって対外決済を行うことは困難となった。

CIPSによる決済の増大

 一方、中国の対外決済システムであるCIPS(Cross-border Interbank Payment System)は、その中国語名称を日本語に訳すと「人民元クロスボーダー決済システム」であることからもわかる通り、人民元を使って中国と海外の間の資金決済を処理するためのシステムである。したがって、米ドルやユーロ、円などを使うSWIFTの代替となることはできない。

 しかし、CIPSのデータによると2023年1月の一日平均決済件数は、2万1千件とウクライナ侵攻が始まった昨年2月に比べて1.5倍と増加している。また、CIPSの参加銀行は2022年12月末で合計1,360行、そのうちCIPSに直接口座を有する直接参加銀行が77行、直接参加銀行経由でCIPSによる決済に参加する間接参加銀行が1,283行となっている。ロシアのウクライナ侵攻前の2021年12月末と比べると直接参加銀行2行、間接参加銀行99行、合計で101行の増加となっている。ロシアでは中国工商銀行モスクワ支店が直接参加銀行となっており、ウクライナ侵攻以降、同支店に口座を持つロシアの銀行が増えたと報じられている。間接参加銀行の増加数を地域別にみると、中国を除くアジア45行、欧州30行、中国国内17行、アフリカ4行、北米2行、オセアニア1行、南米0となっている。中国との関係を重視するアジアやロシア・東欧を含む欧州が増加の大半を占めている。

 CIPSは人民元に限定されたシステムであるので、CIPSの決済件数が増加しているということは、決済の元となる海外と中国との間の取引が増加していることを意味する。例えば、ロシアは石油の輸出先をヨーロッパから中国にシフトさせていると報じられており、輸入についても中国からの半導体の輸入などを増加させている。また、人民元による支払いを行うために、ロシアなどの国々が中国から人民元資金を調達する資本取引も増加している。

 こうした中国との取引の増加に加えて、昨年6月にはインドの企業がロシアの企業から購入した石炭の代金を人民元で支払うという例も報じられた。このような取引は従来であれば米ドルで決済されるのが普通であったが、ロシアに対して米ドルを支払うことが困難となったため別の通貨を使う必要に迫られた。その際、ロシアルーブルやインドルピーでなく、人民元が選ばれるのは、為替取引高で見て、人民元が米ドル、ユーロ、円、英ポンドに次ぐ世界第5位の通貨であり、西側通貨以外では最も便利な通貨である人民元を選択することが自然であったからであろう。

人民元の国際化との関係

 中国は2009年7月以来人民元の国際化を進めてきたが、その主な理由は過度の米ドル依存からの脱却である。したがって、中国にとって最優先なのは人民元を世界で広範に使用される通貨とするよりは、中国の対外取引の受払通貨に占める人民元の比率を高めることであった。その結果2021年の中国の対外取引受払通貨に占める人民元の比率は47.4%とほぼ半分にまで着実に増加した。一方、前述のとおり、為替取引高で見て人民元は世界第5位であるが、これはGDP世界第2位、輸出入額で世界1位の国の通貨としては相対的に低位にとどまっている。中国では依然として資本取引が厳格に規制されているため、世界で広範に利用される通貨としての人民元の国際化は不十分である。しかし、自国の対外取引に占める人民元比率を高めるという目的から見ると、逆に資本取引を規制していることは有利に働く。中国は資本取引規制上、人民元による決済を外貨による決済より便利にするという手法をとっている。例えば資本取引が規制されていると、貿易等経常取引を行う際に、規制されている資本取引ではないという証明を金融機関に提出する必要があるが、人民元建ての送金の方が、外貨建て送金より証明書類が簡略化されている。また、ストック・コネクト、ボンド・コネクトと呼ばれる、香港証券取引所において、上海や深圳の証券取引所に上場する株や債券に人民元建てで投資できる簡便な制度も存在する。今回の対ロシア制裁の結果、中国にシフトした取引がCIPSの決済の増加をもたらしているのであれば、それはさらに中国の対外取引に占める人民元の比率の上昇に貢献する。一方、前述のロシアとインドの間の人民元決済の例は、人民元が国際的に幅広く利用される通貨を目指す契機となる可能性がある。今後、中国は人民元国際化の目的を国際的に幅広く利用される通貨を目指す方向に方針転換し、資本取引の自由化に進むかもしれない。

日本にとっての課題

 今後、CIPSによる人民元決済の増加が続くと、中国の対外取引に占める人民元建て決済の比率がさらに上昇する。そうすると数年程度の比較的短期で見た場合、例えば台湾有事などによって中国に対する金融制裁を行う必要が生じた際に、金融制裁の効果が低減する可能性がある。

 さらに30年から50年という、より長期で考えると、米ドルの支配的な地位が失われる可能性は低いかもしれないが、人民元が、アジア域内などで幅広く利用される通貨となっていく可能性がある。例えば東南アジアの国々が日本との取引を人民元で決済したいと望むような状況が生じうる。そうすると、今度は日本が中国から金融制裁を受けて人民元の使用を停止され、東南アジアの国々との取引が制約される恐れについても考慮しなければならない。このような状況を回避するため、日本は安全保障の観点から、改めて円の国際化について検討すべきであろう。

(了)

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