【19-009】北京買い物事情 庶民的「買菜」から 無人の買い物へ
2019年6月26日
斎藤淳子(さいとう じゅんこ): ライター
米国で修士号取得後、 北京に国費留学。JICA北京事務所、在北京日本大使館勤務を経て、現在は北京を拠点に、共同通信、時事通信のほか、中国の雑誌『 瞭望週刊』など、幅広いメディアに寄稿している。
中国語では毎日の食材の調達 は「買菜(マイ・ツァイ)」と言い、一般の買い物の「買東西(マイ・ドンシ)」と分けて表現する。わざわざ分けるのは、中国では一家の食を左右するマイ・ツァイ は、情熱を傾けるに値する大人の大切な営みとして、「買い物」とは別格に重視されてきたからのように思う。
同じ買い物でも、北京のマイ・ツァイは日本と少し違う。まず、買い物に来る人は、中国では男の料理が馴染んでいるだけあり、男性も多い。年齢層では退職組の60歳代前後の中高年が多数だ。
1回の買い物の量も多い。中国では肉も魚も野菜もだいたい量り売りで、基本単位は、「斤」(500g)と豪快だ。だから「チンゲン菜1斤」「スペアリブ2斤」「ライチ2斤」などと買うのが北京風だ。肉屋さんには広辞苑サイズの肉の塊や皮つきのばら肉がシートで並んでいて、好きなだけ、 好きな部分を切ってもらう。
このような量り売りだから、当然、店主とも会話しながら買う。1斤35元のエビを1斤買おうとしても、店主は「ちょっと出るねえ」と言いながら、「じゃあ40元で」と多めによこす。ならば、こちらも「今日は35元分ちょうだい」と予め上限を示したり 、「1斤より出た分はおまけね!」など真摯かつ陽気な応戦が求められる。瞬発力やユーモアが試されるが、双方が思わず笑い出すような名セリフが飛び出せば買い物の楽しみも倍増する。先日も勢いで予定外の紅玉を5斤も買ってしまったが、これも味のうち。一方、 品質の厳選は必須で真剣勝負でもある。生活して生きていることを実感させてくれる。それがマイ・ツァイだ。
マイ・ツァイは大人の真剣勝負。新源里市場で品定めする市民。写真/筆者
一方で無人店も増殖中だ。写真/筆者
しかし、残念なことにこんなシーンが近年、急速に消えている。市場や個人商店がどんどん閉鎖されているからだ。私が10年以上愛用してきた徒歩圏内の生鮮食品、 青果、 服飾、日用雑貨の市場は過去2年で1つの例外を残して全て閉鎖。我が家の下に長年ズラリと並んでいた雑貨の露天マーケットも姿を消した。
これは、北京市の「アップグレード」作戦として、ハイテク産業を優先する傍ら、小売業などの「ローエンド」業界をそれに従事する出稼ぎ労働者と合わせて淘汰するという政策の影響だ。馴染みだった店主たちは、今はどこへ散ったのか? 一夜で廃屋化した市場に無力感が広がる。
一方でバーチャル空間ではネットショッピングが爆発的に発展している。すでに小売り全体の約2割を占め、総額と成長率でも中国のネットショッピングは日米を大きく上回り、世界最大になった。
国家統計局の最新データによると、北京市民の2018年のネットショッピングの平均利用回数は毎月5.9回というから驚く。コアユーザーは30~49歳で全体の6割、女性だけ見れば全体の7割弱だ。私も安くて速いのでよく使う。
また、我が家の下にも1年前、セルフサービスで無人・無言の買い物ができる生鮮品スーパーが開店した。量り売りのイチゴやキュウリを自分で包装し、量り、シールを貼り、そのQRコードを会計用パソコンで読み取らせて、スマホの「ピッ」で完了だ。
ITを駆使した買い物も便利ではある。賢く利用すればよいだろう。ただ、利便性や安さを追い求めるうちに、大好きな北京らしさは消えつつある。中国の人が「マイ・ツァイ」に込めた毎日の営みへの誇りは合理性とは「別格」のはず。形が変わっても大切にしていきたいものだ。
※本稿は『月刊中国ニュース』2019年7月号(Vol.89)より転載したものである。