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【20-013】親子別々に隔離された家族―中国新型コロナ防疫リポート(6)

2020年06月22日

楊保志

楊保志(風生水起);広東省科技庁科技交流合作処副調研員

河南省潢川県出身。入学試験に合格し軍事学校に入学。26年間、軍務に就き大江南北を転戦し、その足跡は祖国の大好河山に広くおよび、新彊、甘粛、広東、広西、海南などの地域で銃を操作し弾を投擲した。メディア、組織、宣伝、人事などに関する業務に長年従事し、2013年末、広東省の業務に転じた。発表した作品は『人民日報』『光明日報』『中国青年報』『検査日報』『紀検監察報』『法制日報』『解放軍報』『中国民航報』などの中央メディアの文芸・学術欄に、また各地方紙、各軍関連紙軍兵種報紙にも掲載され、『新華文摘』『西部文学』『朔方』などの雑誌や、ラジオ、文学雑誌にも採用され、"中国新聞賞"文芸・学術欄銀賞、銅賞をそれぞれ受賞し、作品数は500篇に迫る。かつては発表を目的に筆を執っていたが、現在は純粋に「自分の楽しみ」のためとしている。

 新型コロナウイルスに突然襲われ、多くの人が「巣ごもり」をして社会に貢献する日々を送った。しかし、出先で隔離されて身動きが取れなくなり、自宅に戻れずに大変な日々を過ごした人もいる。そのような人たちは、どれほど家を恋しく思ったことだろう。

 実際に筆者の周りにも、新型コロナウイルスの流行期間中、帰るに帰れないという人がいた。

 向かいに住む家族とは、普段は会うと必ず挨拶をし、とても仲良くしてもらっている。その家は、両親と息子、祖母の5人暮らし。その息子は、私の息子のクラスメイトで、よく一緒に遊んでいる。プライバシーを守るために、ここではその男の子を「鵬鵬(ポンポン)」と呼ぶことにしよう。

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周末に郊外の畑に行って大根を抜く息子たち

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息子たちは普段は一緒に学び、遊んでいる

 鵬鵬の母親は湖北省武漢市出身だ。鵬鵬一家(鵬鵬と両親)が具体的に何日に武漢に帰ったかは知らないが、早くから武漢に帰省して春節(旧正月、今年は1月25日)を過ごす計画を立てていたようだ。春節期間は、まず子供達がまず冬休みに入り、大人たちが休みになるのを待って、すぐにそれぞれ帰省や旅行に出発した。私たち一家は1月23日に南京に行った。

 1月24日は、中国で最も伝統的で盛り上がる日である「大晦日」だった。中国人にとっては、家族が集まるとても大切な日だ。だがその日、私たちは、微信(WeChat)の息子のクラスの保護者グループチャットを通して、武漢にいる鵬鵬が、親とは別々に隔離されたことを知った。同じ都市にいるにもかかわらず、両親と一緒に隔離することはできなかったという。

 鵬鵬一家は私たちより数日早く広州を離れ、武漢の伯母(母親の姉)の家に泊まっていた。一家は、親戚や友人に、春節を祝うお土産をたくさん持って武漢に行った。武漢の風習では、春節の贈答品は必ず大晦日までに渡さなければならず、大晦日を過ぎてから渡すと失礼に当たる。しかし、鵬鵬の叔母(母親の妹)への贈答品は、大晦日の日になっても、まだ渡すことができていなかったという。

 大晦日当日、鵬鵬の母親は、鵬鵬の叔母と伯母の家で会う約束をし、その時にお土産を渡すつもりだった。叔母からもすぐに快諾の返事が来た。ところがもうすぐお昼という時に、叔母から姑一家と食事するために出かけなければならないと連絡があった。母親は鵬鵬を叔母と一緒に行かせ、お土産を渡してもらうことにした。鵬鵬は、また遊びに外に出かけることができると思って、喜んで出かけた。

 武漢は1月23日にロックダウンしたものの、市内ではまだ自由に行動することができた。しかし、24日正午、武漢市内の各団地は突然、強制的に封鎖するようにという指示を受けた。鵬鵬と叔母はそのことを知らず、当時ちょうど団地に戻ってきたところで、鵬鵬を母親のもとに送り届けようとしたが、それはできなくなっていた。これは、誰にも破ることができない絶対的な命令だった。

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ロックダウンで閑散とした武漢市内

 1月24日から4月20日までの約100日間、鵬鵬は両親と同じ武漢市内にいるにもかかわらず、会うことはできなかった。鵬鵬は叔母の家に泊まり、毎日、微信や電話、ビデオ通話などで、両親と連絡を取った。始めの頃は我慢できていたものの、時間が経つにつれて、泣いたり騒いだりするようになった。鵬鵬はまだ11歳の子供なのだ。

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ロックダウンした武漢に全国各地から各種支援物資が届けられた。画像は山東省済寧市から届けられた「愛情満載」の野菜。

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武漢市の封鎖された団地に全国各地から野菜などが届けられた

 同様のケースはたくさんある。例えば、あるネットユーザーは、湖北省党委員会書記宛てに書いた手紙の中で、「尊敬する湖北省党委員会書記へ  こんにちは。お忙しいところ恐縮です。私は、山東省の戸籍を持っていて、出身地は湖北省咸寧市です。1月21日に、妻と6歳の息子と3人で、春節を過ごすために、車で山東省から咸寧市の実家に帰ってきました。そして、1月26日に、3人で山東省に戻ろうと、咸寧市の嘉魚から高速道路に乗りました。しかし、武漢区間が封鎖されていたため、武漢で高速を降り、結局、武漢から出ることができなくなってしまいました。一家3人は、1月26日から今に至るまで約1ヶ月間、ずっと東西湖区にあるホテルに泊まっています。生活の保障はなく、地元のコミュニティも助けてくれず、食事をしようと思っても、デリバリーもありません。そのため、インスタントラーメンなどの麺類ばかり食べてしのいできました。私たちは地元住民ではないため、現地には親戚もいなければ、固定の住居もないため、ホテルから全く出られません。感染の可能性は低いので、私たちがここを離れて山東省に戻れるよう何とか取り計らっていただけないでしょうか」と請願している。

 もちろん、武漢から出て、武漢さらには湖北省に戻れなくなった人もいる。湖北省咸寧市の友人たちは、数家族で春節に深圳に遊びに行き、現地の情勢悪化を受け、広東省恵州市の下にある小さな街で数ヶ月の隔離生活を送る羽目になった。

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広東省惠州市惠東県で身動きが取れなくなり、毎日新型コロナのニュースを聞いて時間をつぶした湖北省咸寧市の友人。

 私の中学時代の同級生は、実家が河南省鄭州市にある。春節期間中彼女は一家で、広東省湛江市に旅行に出かけていた。しかし、新型コロナウイルスにより、広東省広州市番禺区の団地「華南新城」で隔離生活を送るよう指示された。私は春節後、仕事に戻ってもうすぐ2ヶ月になるとしていたのに、彼女の一家はまだ広州にいた。

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広州市番禺区の団地「華南新城」で隔離生活を送る筆者の中学生時代の同級生

 1月28日、私たちが南京から広州に戻った時に、たまたま鵬鵬のおばあさんに会った。鵬鵬は帰ってきたかを聞くと、おばあさんは首を振りながら、「隔離されている。いつ帰れるかもまだ分からない」と返事をした。

 そして、しばらく経ってまた同じ質問をすると、「まだ隔離されている。父親と母親にも会えていない。大変なことになった」という返事が返ってきた。

 さらに時間が経過してから、またまた同じ質問をすると、おばあさんは、「本当に孫に会いたくてたまらない。毎日電話をして、毎日孫の写真を見ている」と涙目で話した。

 実際には、おばあさんに会った回数は、鵬鵬は帰ってきたかと聞いた回数よりもずっと多かった。時には、こちらがそのようなデリケートな話題には触れずにおこうとしていても、おばあさんが思わず話し始めてしまうこともあった。また、挨拶をしたときに鵬鵬の話を始めたこともあるし、「何か困ったことがあったら手伝う」と言っても、鵬鵬の話を始めることもあった。鵬鵬が不在の期間、私たちにできることはほとんどなく、できることと言えば、学校から鵬鵬の学習教材を代わりに受け取ってくることくらいだった。

 春節の後、各小中高校が学校を再開して以降、鵬鵬は武漢市の叔母の家でずっとオンライン授業を受けていることは鵬鵬のおばあさんから聞いた。インターネットの環境も良く、そばにいてくれる人もいるため、毎日計画通りに授業を受け、宿題をしているという。また、伯母の家にいる両親がビデオ通話を使って、補習をしているという。

 このようにして3ヶ月近くが過ぎた。3月末になって、武漢で部分的にロックダウンが解除されているので、他の地域から来ていた人は同市から出ることができるようになった。その知らせは鵬鵬のおばあさんのもとに届いたとき、それは花火のように、美しく、明るく輝いた。

 その日から、おばあさんは目に見えて元気になり、歩くのも速くなった。そして、話す時も、目を輝かせ、明るくしゃべるようになった。もうすぐ帰ってくる孫を迎えるために、おばあさんは家を何度も掃除していた。しかし、噂は噂、実際に武漢を離れることができるのは4月8日以降だったのだ。

 政府の公式サイトの発表によると、3月25日0時から、湖北省内の武漢を除く17都市の鉄道駅では、発着業務が再開される、つまりそれらの地域を通る一般列車および高速鉄道列車が停車したりすることが許可されるようになったのだ。そして武漢については、旅客鉄道の出発業務が再開されたのが4月8日0時からで、その時に初めて武漢にいる人は他の都市に行くことができるようになるのだった。

 この規定で、武漢を離れることができる人は、「戸籍が武漢にない他の地域の人」で、必ず現地の病院で健康検査を受けなければならないほか、本人が所属する企業や都市が戻るのを許可する場合に限られていた。また、成人でなければならず、武漢を離れた後、再び戻ってくることはできないことになっていた。

 さらに、子供をしっかりと守るために、武漢は、「未成年者の場合、健康検査を受け、問題がないことが確認された後、さらに14日間経過観察してから離れるようにという、厳しい規定を制定した。そのため、鵬鵬が両親と実際に再開できたのは4月20日のことで、その日のうちに広州に戻ってきた。

 5月18日、広州の各小中高校の登校が再開。鵬鵬は私の息子とまた毎日一緒に楽しく勉強したり、遊んだりすることができるようになった。