【20-015】北京の猫 吸われ、貸されて、愛でられて
2020年07月08日
斎藤淳子(さいとう じゅんこ): ライター
米国で修士号取得後、 北京に国費留学。JICA北京事務所、在北京日本大使館勤務を経て、現在は北京を拠点に、共同通信、時事通信のほか、中国の雑誌『 瞭望週刊』など、幅広いメディアに寄稿している。
猫を「吸う」人、「借りる」人
猫は最近、中国でも人気だ。ネットで「猫」を検索したら「吸猫」という流行ネット語が出てきた。何かと思ったら、飼い主の顔を猫にギュッと押し付けて可愛らしさを「吸う」ように思いっきり愛撫することだった。
「吸猫」という少々自己中でユーモラスなことばに象徴されるように、近年の猫人気を牽引しているのは若い人だ。2019年の調査では、猫の飼い主は「90後」(ほぼ20代に相当)だけで約半数を占め、「80後」(ほぼ30代)と合わせると8割を占める。そのため、飼う猫の種類もおしゃれだ。ブリティッシュショートヘアやアメリカンショートヘアが約2割も占める。その分、雑種猫は5割弱で、日本(8割)より少ない。
写真①:中国でも猫ブーム。特に20代、30代の都市の若者の間で人気だ。
しかし、猫が人間に「吸われる」ペットになったのはごく最近のことだ。中国で愛玩動物を飼う習慣が一般家庭に浸透し始めた「ペット元年」は、小動物保護協会という専門組織が初めて成立した1992年と言われている。それまでは、ペットを飼う生活の余裕はあまりなく、北京でも猫といえば、半野生で当時まだ市民の頭痛の種だった鼠退治が主要任務だった。
80年代半ばに北京の一般家庭で猫を見た友人は「日本の猫と違って顔が丸くて目が爛々として、野性味に溢れていてびっくりした」と話す。なんと、その猫は家に出る鼠退治のためにわざわざ「借りて」来た狩りの名手だったという。
狩猟時代にはライバルだった猫と人だが、農耕社会に入って穀物を貯蔵するようになり、猫は人間の倉庫番となった。北京にはそれ以来の共生関係がちょっと前まであった。
宮中の猫
一方で、歴史を遡ってみると、中国では早くも唐代(7~10世紀)に猫は宮中のペットになっていた。日本でも9世紀末には宇多天皇による「唐土渡来の黒猫」の飼育日記が残っているし、その約1世紀後には花山天皇が三條の皇太后に「唐猫」を贈ったとある。唐のペット猫が日本にも来ていたとは驚いた。
このように、門番役を脱し、宮中に上がった猫は、優雅な漢文で鑑賞された。例えば、白い体に黒い尾の猫なら「雪中に炭を送る(雪中送炭)」。上半身黒で下半身白なら「黒雲、雪を覆う(烏雲盖雪)」という調子で、何とも風流だ。
そして、王族に愛でられた猫の地位は明代(14~17世紀)に絶頂に達する。皇帝は猫に「赤い霞(丹霞子)」や「鉄衣将軍」などと名付けて愉しみ、宮中には猫のお世話部門まで設置。なかでも、嘉靖帝(1521〜1566)は「霜雪」と名付けた青光りする白い毛長の猫を愛し、死後も金の棺桶に入れて盛大な葬式をして手厚く葬ったという。
しかし、ここは激動の中国。明朝の凋落と共に猫も下野する。北方騎馬民族が興した清王朝(17~20世紀)は犬を珍重したからだ。
北京暮らしの面白さは、このとき下野した「皇族猫」の子孫らに会えることだ。200匹以上の野良猫としていまなお、故宮に暮らす彼らは紫禁城の隠れた人気者だ。全国各地の猫ファンからキャットフードが送られてくるという。故宮博物院の単霽翔元院長によると「故宮に住んでいる猫は雑種だが、宮廷猫の血も引いている。彼らの勤勉な仕事のおかげで、故宮には鼠はいない」のだそうだ。
門番から宮廷猫、そして若者に「吸われる」まで、人間と浮き沈みしながら共生してきた北京の猫たち。彼らからは歴史都市としていまなお、激動し続けるこの街と人が見えてくる。
写真②:北京の猫は目が大きく爛々としている。四合院を住処とする地元の猫。明代の「鉄衣将軍」とはこんな猫だったのか? 写真提供/劉宝強
※本稿は『月刊中国ニュース』2020年5月号(Vol.99)より転載したものである。