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【21-001】超高速で駆け抜ける車社会 スイスイ、渋滞からEVまで

2021年02月03日

斎藤淳子(さいとう じゅんこ):ライター

米国で修士号取得後、北京に国費留学。JICA北京事務所、在北京日本大使館勤務を経て、現在は北京を拠点に、共同通信、時事通信のほか、中国の雑誌『瞭望週刊』など、幅 広いメディアに寄稿している。

 北京では普通10年単位で起こる変化をたった数年でやってのける圧縮型の変化をよく目にするが、車社会の到来と進化もその一例だ。高速道路を突っ走る北京の車事情を紹介する。

 筆者が北京に来た90年代半ばには「マイカー」を持っている人は周囲にいなかったし、更に前は、車を自由に操れるタクシー運転手はモテる職業だったという。その位、車は希少だった。だから、20年前の北京の道は空いていて車の移動も快適だった。

 いまは北京の車は東京より200万台も多い約640万台に膨れ上がったが、1997年は100万台に過ぎなかった。増えたのはその後だ。2003年に200万台、2007年に300万台、2009年に400万台と世界でも未曾有のスピードで激増した。ピークは2010年で、東京では18年かけて増えた80万台を1年で増やし、あっという間に東京を追い抜いた。

 背景には高度経済成長や人口増のほか、2008年のリーマンショック後の景気回復策として政府がマイカー購入を奨励したこともあった。その結果、2010年には5車線信号無しの環状道路に車が数珠つなぎに並び、北京はメキシコシティーと並ぶ世界最悪の渋滞都市となった。大気汚染もこの時期に急激に悪化した。

 すると2010年年末に、政府は果断かつ突然、車両の総量規制に舵を切った。新規に発行するナンバープレートをその晩の夜中0時から限定すると宣言したのだ。

 これを聞いてピンと感じた推計10万人の北京市民は即座に自動車販売店に走った。この晩、市内の販売店は夜中まで大勢の市民でごった返し、完売が続出したという。翌日それを聞いて、市民の瞬発力に圧倒されたのを覚えている。

 10年後のいまから見ると、彼らの「直感」は正しかったようだ。なぜなら、新車登録への道はあの晩の0時以降遠くなる一方だからだ。いまでは約350万人が普通ガソリン車のナンバープレートを申請しているが、抽選で配布されるのは年間4万枚だけだ。

 あの晩にこうして導入された抽選制度だが、近年はまた様変わりしている。いま抽選でガソリン車(4万台)より入手しやすいのは、年間6万台配布される新エネルギー車(EV)だ。

 中国は今や世界の約半分弱のEVが走るEV大国で、25年までに新車販売台数に占めるEV率を20%にする目標を掲げている。35年にはEV率を50%に上げ、残りの半分はハイブリッド車に限定する見込みだ。あと15年で純ガソリン車を淘汰するというのだから、こちらも思い切っている。

 北京のタクシーは早速EVへ乗り換え中だ。先日乗ったEVタクシーの運転手は「まあまあだね」という。加速が速く、燃料代が安い。ただ、航続距離がマイナス15度に下がる冬場は200キロ以下に落ちるのと、充電施設の不備が問題だそうだ。別のべらんめえ調の運転手は「EV?冗談じゃないよ!あれじゃ、一日中充電に振り回されて商売あがったりよ」と息巻く。充電施設の拡充は急務のようだ。

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北京の車社会は過去20年の間、車が無くて当たり前の社会から、有って普通の社会に、そしてEVも珍しくない社会へと激変している。EV化への課題は充電施設の拡充だ。車輌が一気に増えた北京では、10年前に車輌総数規制を導入。いまでは新規のナンバープレート申請は至難の業だ。

 その一方で、友人たちが乗り始めたEV最大手のテスラや中国産EV大手のBYDやNIOの車は300~400キロもち、独自の充電サービスなどもあり、快適と聞く。北京のEV化は静かに進んでおり、筆者もこの街の深刻な大気汚染への改善効果を期待している。

 スキスキだった北京の幅広の道は一夜にして数珠つなぎになり、いまでは音も排気ガスも無く走るEVが増えている。超高速に進む北京の車社会。北京の人たちは持ち前の直感や瞬発力と並外れた適応能力でこの街を今日も走り抜けている。


※本稿は『月刊中国ニュース』2021年2月号(Vol.108)より転載したものである。