高須正和の《亜洲創客》
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【19-08】STEMのアンピバレント、教育と創造性という難しさ

2019年11月21日

高須正和

高須正和: 株式会社スイッチサイエンス Global Business Development/ニコ技深圳コミュニティ発起人

略歴

中国深圳をベースに世界の様々なMaker Faireに参加し、パートナーを開拓している。
ほか、インターネットの社会実装事例を研究する「インターネットプラス研究所」の副所長、JETRO「アジアの起業とスタートアップ」研究員、早稲田大学ビジネススクール非常勤講師など。
著書「メイカーズのエコシステム」「世界ハッカースペースガイド」訳書「ハードウェアハッカー」ほかWeb連載など多数、詳細は以下:
https://medium.com/@tks/takasu-profile-c50feee078ac

 11月の15-16日の二日間、香港の芸術教育発展検討会が主催し、香港アーツカウンシルで行われたカンファレンス「EXPANDED FIELD」にスピーカー/パネラーとして参加してきた。

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香港でのイベント

 僕はメイカームーブメント、手を動かして作ることと産業についてのセッションで講演するために招待された。

 イベント全体はMakeというよりも、「アートや産業を内包した教育」、いわゆるSTEM/STEAMについての関心が高く、セッションも「アートのという立場から教育や産業をとらえる」ものが多かった。

 香港は教育熱心なことで知られる都市で、OECDが3年ごとに集計している15歳時点での学習進捗を図る世界的なPISAランキングではいつもトップクラスにいる。また、新しい教育であるSTEM(科学、技術、工学、数学の4科目を強化し、新しいものを開発する力をつけさせる教育)についても意欲的な取り組みをしている小中学校が多い。より創造性を強調するためにArtのAをいれてSTEAMとする呼び方もある。

本能と教育

 STEMは創造性を育むことを目的にした教育だが、学校教育の基本的な、ベーシックな役割はまず「型にはめる」ことだ。

 エチオピアで稼働している工場では、給料を払って研修として、日本の小学校でやるような「前ならえ」「整列」などを教えている。これができないと、「業務開始」「終了」が理解できず、ラインが動いてる最中に勝手にトイレに行ったりするそうだ。

アディスアベバ近郊の靴工場。中国資本が運営している。

 現代社会に生きている以上、「列に並ぶ」程度の教育は必要だが、こうした社会的な行為は動物的な本能に反する。本能に反する行為を反復練習で体得させることは教育に不可欠で、だから学校では集団生活を行う。創造性はそうしたベースの上に必要になる。

 STEMにもこの「型にはめる」部分はあり、「STEMの文字通りの科学、技術、工学、数学をこれまでより強化しよう」という部分は、既存の教育のアドオンや代替になっている。習うことが置き換わったり増えたりしているわけだ。

創造性と教育

 ここに難しさがある。「1つの正解を教える」こととクリエイティブやユニークネスを教えることは、方向性が間逆なことだ。社会ではこういうことがよくある。

 ベーシックな「型にはめる」部分や、モノをつくるための科学、技術、工学、数学は、正解のはっきりした知識だ。それに対して創造的なものには正解が存在しない。それぞれが自分のアタマで考えて、自分なりの答えを見つけ出すことがゴールになる。

 プラスとマイナスを逆に繋げるとLEDは光らない。電子部品は動作電圧が決まっている。文法を無視したプログラムはエラーが出てコンパイルできない。

 一方で創造的な行為はしばしば正解がない。太陽やリンゴを絵で描くときに、使っていけない色は存在しない。コンテスト等で評価をすることは可能だが、その評価は「誰が感じても一様」ではない。

 芸術に限らずとも、習うことから発見することへのギャップは以前から問題になってきた。

 昔から、大学に入りその後研究の道に進むところでは、「正解を習うことから、未知の事実を発見することへの方向転換の難しさ」は語られていた。昔は研究職という限られた人々の問題だったことに、仕事が機械にどんどん代替されることで、多くの仕事が向き合う必要が出てきた。

 新しい知識を与えるのは早い時期からやるべきで、香港では小中学校から週2時間の課外学習でSTEMに取り組んでいる学校が多い。

 シンガポールではそのへんを割り切り、実社会に近い職人的な仕事に役立つ知識を教える、専門学校のようなスクールをSTEM.INCとして推進している。香港や中国本土では小中学校中心に試行錯誤を繰り返しているが、まだ決まった成功パターンは生まれていない状況だ。

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シンガポールのSTEM.INC

先進国で「型にはまる」ことの価値は下がっている

 エチオピアみたいな国だと「列に並べるかどうか」が職につけるかどうかの分水嶺になるが、先進国ではそういう仕事はどんどんなくなりつつある。処理が複雑でも定型化できる仕事はどんどんコンピュータの領分になり、人件費の安い国へのアウトソースも進み、一般職という仕事は減り続けている。

 変わって注目されてるのはクリエイティブな部分。イノベーションを起こすこと、自分の頭で他人とは違う結論を出すことだ。今は新卒でも入社してすぐに「なにか考えて」とパワーポイントを作らされる時代だ。ジョブズみたいな大げさな例を出さなくても、自分の頭で考えて答えを作り出す機会は日々の仕事の中で増え続けている。

 STEMはそうした、他人の違う答えを生み出すことが求められる時代に出てきた教育思想だ。日本では理数系強化と訳されることが多いが、本質は、科学、技術、工学、数学を駆使して望むものを作ること、今ないものを生み出すことである。正解のない、研究者が立ち向かうようなテーマが、今ではデモクラタイズして、社会の多くの場所で必要になってきている。